世界混沌昔話 ~デスマッチ売りの少女~
かわいい少女が親切な守銭奴に救われるお話です。
ひどく寒い日のことでした。雪も降っており、すっかり暗くなり、夜――今年最後の夜でした。この寒さと暗闇の中、一人のあわれな少女が歩いておりました。
頭には何も被らず、足には何もはいておりません。身に着けているものも、あちこちにつぎはぎを当て、穴の空いたみずぼらしいものです。
「マッチ、マッチはいりませんか……」
少女はかぼそい声で、町をさまよいます。ですが道行く人たちは誰一人として彼女からマッチを買おうとはしませんでした。汚らしいものを見る目で少女を見て、去ってゆくばかりです。
「マッチ、マッチはいりませんか……」
「ふん」
そんな中、一人のいやみな顔をした老人が少女を見て、鼻で笑いました。
「一本いくらかのマッチを売って歩くなど……愚か者の極みだな。一本だけマッチを売ってどうする。全て売れたとしても大した金にならんわ。わしだったら一時の損を覚悟で大量購入して、マッチが必要な店に高値で売りつけ、いや、一時とはいえ損が出るなど虫唾が走るな。なら先物取引で……」
守銭奴です。彼は少女の非経済的な商売方法を見て、ぶつぶつと言っています。はたから見れば頭のおかしな人ですが、死んだ男の冥銭すら奪い取る彼のこと。きっとお金をむしり取るための、効率的かつシステマチックな方法を考えているのでしょう。
「マッチ、マッチはいりませんか……」
「マッチだけでは利益が薄い。ならマッチを購入すると付録でフィギュアがついてくるシステムはどうだろうか。一種類だけではなく、複数種類を用意することで馬鹿なコレクターどもを刺激し、隠しフィギュアがついてくるようにすればどうだ。一本当たりの単価の安いマッチを何十倍、何百倍もの値段で売ることができる」
「マッチ、マッチはいりませんか……」
「くく。さすがはわしだ。マッチ一本でこれほどの利益を上げられるとは。こうなればさっそく、知り合いの職人どもに不眠不休で……」
「マッチ、マッチは……」
「えぇい! うるさい!!」
気づけば、守銭奴の近くに少女が立っていました。少女はうるんだ瞳で守銭奴を見上げながら、か細い声で言います。
「マッチ、マッチを」
「やかましいわ! マッチを一本から売ろうとするな! 売るのであれば、せめて箱で売れ箱で! 一本だけ売られても、折れるか、なくしてしまうだろうが馬鹿か! 常識で考えろ!」
「なら、このいっぱいのマッチを、買ってくださいますか?」
少女は、籠の中に入ったマッチを守銭奴に差し出しました。
「ふん。それだけ数があれば、考えてやらんこともない」
嘘です。守銭奴にはマッチを買うつもりなどさらさらありませんでした。このやかましい少女が少しでも黙ればいい。それだけの気持ちでした。
「ありがとう、ございます。では……まずはおひとつ」
守銭奴の言葉に、少女は心からの笑顔を浮かべました。少女はうすよごれた顔はよく見れば年相応のかわいらしさがあり、守銭奴がロリコンであれば、ついお持ち帰りしてしまいそうな破壊力がありました。
ですが、守銭奴がロリコンであったとしても、それはできなかったでしょう。
少女は籠の中から一本のマッチを取り出し、シュッとそばの壁にこすりつけて火をつけました。
少女のマッチに火をつける動きは、妙に堂に入ったものでした。具体的にはハリウッド俳優がたばこに火をつけるのと同じくらいかっこよいです。
マッチは少女の手の中で燃えました。なんという輝きでしょう。マッチの小さな火はまばゆいばかりの光を放ち、あたりを照らします。
「……ん?」
守銭奴が、マッチの明かりに違和感を覚えました。明るすぎるのです。マッチの明かりはますます増して、守銭奴と少女を包み込んでいくではありませんか!
周りの景色が光で薄れゆく中、守銭奴は叫びました。
「どうしてわしが買って、使うはずのマッチをお前が使っている!」
守銭奴のずれた言葉を最後に、二人の姿は町の中から消え去ってしまいました。
*
「ふふ、ふふふ。うまくいったわ」
「な、なんだここは!」
光が消えると、守銭奴は真昼の荒野に立っていました。青空にはマッチの火よりも明るい太陽があり、西部劇チックに、風にふかれて毛玉になった枯草が転がっていきました。
「突然わしをこんなところにつれてきおって! 金は払わんぞ!」
「お代はけっこうです」
守銭奴に答えた少女。少女の顔には笑みが浮かんでいました。西部劇に出てくるような荒野に、みずぼらしいかっこうの少女は異質でした。しかし、荒野に立つ姿は妙にきまっています。
痩せた体にふかふかの服を着た守銭奴とは大違いです。
「あなたはただ、私とのマッチを買っていただければそれでけっこうです」
そう言うと、少女はマッチを手に取り、手首のスナップによる空気との摩擦熱だけで火をつけました。
一応言っておきますが、空気摩擦でマッチに火をつけるなんて、人間技ではありません。
ですが、そんなことに驚いている暇はありません。なんということでしょう! 少女の肉体が変わり始めるではありませんか!
めきめきと音を立てながら、少女の影が大きくなっていきます。枯れ枝のようだった真っ白な細腕は、日に焼けた筋肉のつまった腕に。足も膨れ上がる体を支えるために、丸太のように膨れ上がりました。
身に着けた衣服は体の変化についてこれず、おへそや二の腕丸出しのちょっとハレンチな状態に。それだけならロリコンは歓喜の声を上げるでしょうが、可憐な少女の顔がほりの深いものへと変わっていっているのを見れば、悲鳴を上げることでしょう。
ガチムチです。筋肉だるまもかくやと言うほどのガチムチです。某“ハ●ター×ハン●ー”に出てくるビ●ケと同じくらいガチムチです。
しかも見せ筋ではなく、実用性に特化した筋肉です。略して実筋です。
「こ、これは」
「ここは、マッチの火が生み出した幻影の世界です」
少女の変貌に、さすがの守銭奴も驚いたようです。少女は、静かな声で語り始めました。
「マッチの火は幸福な幻を見せてくれます。ここは私の生み出した幻の世界」
ふぅーっと少女は息を吐き、両腕で脇を固めるようにして構えます。見る者が見れば一目でわかる。歴戦の猛者の構えです。
そう、この少女はただのマッチ売りではなかったのです。
マッチはマッチでもデスマッチ。マッチではなく、心に熱い火をともすような戦いを売る少女だったのです。
「ここなら私は何でもできる。あなたは私のマッチを買ってくださいました。……簡単に、死なないでくださいね」
「ふ、ふざけるな! わしはそんなもん買うなどとは一言も言っておらん! 詐欺じゃ!クーリングオフをさせてもらう! 消費者庁はなにをやっておる! 貴様! 金はいくらでもやるからそんな馬鹿なことはよせ!」
つばを飛ばしながらの反論への返答は、少女の全身から噴き出された黒い闘気でした。絶体絶命です。守銭奴の命は、ガチムチ少女を前に、もはや空前の灯火です。
少女は守銭奴との距離をつめ、筋肉の鎧に包まれた拳を打ち出しました。
「ぬぉっ!」
少女の拳が撃ち抜かれると、スパァン! というおおよそ人間の出せるものではない音がしました。
当たればやせっぽちの老人などばらばらにしてしまうだろう一撃。にもかかわらず、驚くことに守銭奴は目視すら難しい拳を紙一重でかわしました。
「この……問答無用に殴りかかるとは、守銭奴のわしが一番嫌いなタイプじゃ!」
「ほぅ」
ガチムチ筋肉少女は、到底かわせるはずのなかった一撃をかわした守銭奴に目を向けました。こぼれた声は色っぽいナイスミドルな声です。ぶっちゃけ、今の少女の姿を見て、彼女が女であるとは誰も思わないでしょう。
少女は驚いていました。正直、少女はあまり期待していなかったのです。相手は貧相な老人。幻の中で鍛え抜かれた筋肉をもつ自分に勝てるどころか、小手調べの一打で身体を爆発四散させてしまうと思っていたのです。
これは油断できません。少女は腕にさげたままの籠からマッチを取り出し、空気摩擦で火をつけました。
少女のマッチは幸福な幻を見せる。ここでの幸福とは、少女が戦うための力です。
「なんじゃと!?」
ジャキン。マッチの火が光り輝くと、少女の手に凶悪な鉄の塊が現れました。
マッチが生み出した幻はなんとマシンガンだったのです。XM806重機関銃。総重量二十八キロ。アメリカ生まれの、毎分二百六十発の弾丸を撃つ代物です。
ひとたび引金が引かれれば、守銭奴は蜂の巣どころか、醜い肉片へと姿を変えてしまうでしょう。
少女はマシンガンを片手で持ち上げ、銃口を守銭奴に向けます。少女の顔には隠し切れない愉悦が浮かんでいました。
「私の拳を避けたその技量……それが偶然かそうでないのか、この弾丸の雨を受けて証明してみせろォ!!」
ズダダダダダダダダ! 西部劇チックな荒野に、近代的なマシンガンの音が響き渡ります。降り注ぐ弾丸の雨は守銭奴の周りに砂埃を巻き起こし、彼の姿を覆い隠してしまいます。西部劇の時代にマシンガン。時代考証なんてガン無視です。
あの弾丸の雨を受けて、生きていられる人などいるはずがありません。
あわれ、守銭奴は肉片へと姿を変えてしまいました。
「なん……だと」
しかし、実際にはそうなりませんでした。弾丸を全て打ち尽くし、砂埃の晴れた先にいたのは、変わらぬ姿でそこに立つ守銭奴でした。
「やれやれ……死ぬかと思ったわ」
ぼやく彼の周りには、彼を守るように立つ三人の男がいました。
頭にろうそくの火消し蓋のような帽子をかぶった幼くも老成した表情の少年。
ローブを身に着けた長身と、燃え盛るたいまつが特徴的な男。
そして真っ黒な布に身をくるみ、そこから青白い手を一本だけだした不気味な老人です。
守銭奴が深いため息をつくと、三人の男はぱっぱと守銭奴の衣服についた砂汚れを払い落としました。
かいがいしく働くその姿は、まるで守銭奴の奴隷か召使いのようです。
「おい! 〈未来〉と〈現在〉! ちゃんと仕事はしたんだろうな!」
偉そうに守銭奴が怒鳴ると、老人と男はこくこくと頷きました。どうやら老人が〈未来〉、男が〈現在〉のようです。なら少年の方はさしずめ〈過去〉でしょうか。
「ふん! ならいい」
「なんだそれは!」
突然現れた男たちを見て、少女は驚きました。こんなこと、今までなかったからです。初めてマッチの幻に気付いてからというものの、少女は苦戦するということがありませんでしたからね。
この守銭奴は何者なのだろうと、少女は思いました。
少女が守銭奴をと問いつめようとした瞬間、少女は上から危険を感じました。
「ぬがっ」
少女のちょうど真上から、弾丸が降り注いできたのです。少女は全身の筋肉を固めて、弾丸の雨を受け止めます。
「ちゃんと仕事はしていたようだな」
弾丸の雨がやみ、少女は体のあちこちに傷を作っていました。筋肉を固めていたおかげでこの程度で済みましたが、もし気づかずくらっていたら、少女は肉塊と化していたでしょう。
「こ……の!」
守銭奴は傷ついた少女を前に、にやにやと笑っています。少女はかっとなって、守銭奴に殴りかかりました。
「おい〈現在〉!」
守銭奴と少女の間をさえぎるように立った男。男は少女の拳を受け止めました。少女は鍛え上げた筋肉をもって、たて続けに殴りかかるのですが、男は一歩も引かないどころか、全てを凌ぎ、反撃すらしてきます。
「くそっ!」
少女はマッチを擦りました。少女の見る幸福な夢は、ミサイルです! 人間の業で勝てないなら、重火器でも無理なら兵器の力を使う。簡単な理屈ですね。少女の後方から現れた二つの対戦車ミサイルが〈現在〉に迫ります。
いくら少女を上回る力をもっていようと、ミサイルには勝てません。ですが、少女は忘れていたのです。
守銭奴は少女のXM806重機関銃の弾丸を、無傷で凌いでいたことを。
XM806重機関銃の弾丸が、なぜか少女の真上から降り注いだことを。
対戦車ミサイルに対し、〈現在〉と〈過去〉が躍り出ました。二人は手をつなぎ、ミサイルを残った手で触りました。
それだけで、ミサイルの姿はどこにもなくなってしましました。
「ば、馬鹿な」
「ふん。馬鹿なことか」
驚愕に身を震わせる少女を、守銭奴は鼻で笑いました。
「よいか小娘。お前にこの世の真理を教えてやろう」
「黙れ!」
偉そうに能弁をたれようとした守銭奴を切って捨て、少女は二本のマッチを擦ります。ここは少女の幻の中。少女のマッチが無くならない限り、なんだってできるのです。
少女ごと守銭奴を押し流す大津波です。少女は自分の周りだけ堤防を作りました。
兵器がだめなら、自然の驚異で倒せばいいのです。
「貧相なマッチしか売ることのできない貴様にはわからんことだろうがな。この世の真理とは、金だ」
〈現在〉が両手をかざすと、津波は彼の前で止まりました。ありえません。いくら〈現在〉が類稀な体術遣いだとしても、ちっぽけな人間が自然に抗えるはずがないのです。
〈現在〉は津波を全て相殺しきりました。少女はマッチを擦ります。ならばと繰り出したのは巨大なライオンさんです。ライオンさんは捕食者としての立派な牙で守銭奴を頭からばくりといこうとします。
止めたのは〈過去〉でした。少年の老成した瞳がライオンさんを捉えると、なんとみるみるうちにライオンさんが小さく、いえ、幼くなっていっているではありませんか!
ライオンさんは可愛らしい子猫みたいになり、そのまま消えてしまいました。少女は負けるものかとマッチを擦ります。
守銭奴はひらりとその場から離れました。老人のくせに、ものすごく俊敏です。彼の外見が見目麗しい女性であれば、“バタフライ”という二つ名を与えれていたことでしょう。本当に残念です。
ともあれ、守銭奴の動きと同時に守銭奴のいた場所に、虚空から伸びる真っ黒な棘が何本も出てきました。もし守銭奴がその場にいたままなら、彼は串刺しになって死んでいたことでしょう。
少女は魔法による不意打ちを試みたのです。マッチの幻はなんでもありですからね。魔法だって使えます。
守銭奴の背後には、〈未来〉の姿がありました。
「こやつらはな、もとはわしを改心させようとわしの死んだ友人が送り込んできたものじゃ。こやつらはわしに現在、過去、未来を見せて、守銭奴であることをやめさせようとしたようだがな……ふん」
少女は幾度もマッチを擦りながら、守銭奴を追い立てます。けれど、どれほど少女が死力を尽くしても、守銭奴には届きません。
マッチの数はみるみるうちに減っていきます。
「幽霊とて、しょせんは人間の成れの果てよ。金をつめば、こやつらは面白いように素直になったわ」
あざけわらう守銭奴。彼を守る三人の幽霊の目には、たしかに「¥」のマークが浮かんでいました。
時間を操り、守銭奴を改心させるはずの三人の幽霊は、あろうことか守銭奴に買収されていたのです!
「この世はしょせん金よ、金、金。小娘、貴様もいい加減やめんか? 金をもたぬ貴様では、守銭奴たるわしに勝てん」
金。その言葉に、少女の動きが止まりました。少女は振りあげた拳をそのままに、目を大きく見開きました。心が揺らいだのでしょうか。
いいえ違います。少女の顔が赤く染まっていきます。この感情は……怒りです!
「ふざ、ふ、ふざけるなぁ!! 金? 金だと……そんなもの、私は大嫌いだ!!」
怒りに身を任せて、少女はマッチも擦らずに殴りかかります。〈現在〉は少女の拳を手の平で受け止め、反対の拳で少女の腹を殴りつけました。
金で買収されたくせに、彼の拳には一切の濁りはありませんでした。
「ぐはっ!」
少女は荒野の上を何度もバウンドしました。地面に点々とついているのは血とマッチのリンです。
「わ、私の父は、金に汚い男だった」
「ん?」
地面にうずくまりながら、少女がなにやら語り始めました。よくある覚醒前の過去回想というわけです。
「まだ幼かった私にマッチをもたせて、これを売って酒を買って来いなんていう。お母さんはそんな父を見限って、私を捨てて若い男と消えてどこかに行ってしまった」
少女の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれていました。枯れ果てた荒野を少女の涙が潤します。
「大好きだったおばあちゃんも、病気にかかって死んでしまった。私が必死になって売ったマッチの金は、おばあちゃんの薬代じゃなくて、あいつの酒代にしかならなかった。ほんのちょっとの薬さえあれば、おばあちゃんは死ななくてすんだかもしれないのに!」
「一本だけのマッチが売れたのか」
守銭奴が一人語りの途中で茶々を入れます。無粋ですね。そして少女のマッチを買ってくれたのはきっと素敵な紳士たちだったのでしょうね。
「絶望の中で私は思ったよ。今日も明日もその次も。マッチを売り続けて、あいつのための酒代を稼ぐ。そのことに何の意味があるのかと。だから私は」
売り物のマッチに火をつけた。
「マッチの火で生まれるのは幻。でも幻で傷つけられたものは本当だ。だから私はこの力であいつを殺した!」
ぞわりと、荒野の空気が揺らぎました。荒野を生み出したマッチの火が消えようとしているのです。マッチの火の命はとても短い。もうすぐ幻の荒野は消えてしまいます。
この荒野は少女が戦うために生み出した場所。ここでなければ少女は全力を出すことができないのです。
次に全てをかける。少女は籠の中に残ったわずかばかりのマッチの全てを握りしめました。
「貴様……死ぬ気か?」
守銭奴は神妙な顔をします。守銭奴にはわかっていました。マッチの幻の力は確かに強い。しかし強いが故に、少女の体が耐えきれないのです。すでに少女は満身創痍。少女が動けているのは、少女が筋肉の鎧を着ているからなのです。
籠いっぱいのマッチを使い切るとなれば、少女はきっと……
「死んで本望! こんな世界に……未練なんてない!!」
少女はわずかばかりのためらいを見せたあと、そのためらいすら消して何十本ものマッチに火をつけました。
赤々とマッチは燃えます。マッチの見せる幸福な夢は、少女の体を作り替えていきます。
「おおおおおぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉ!!!!」
筋肉で膨れ上がっていた体はさらに膨張し、びりびりと、衣服が破れていきます。さらされた素肌にはいくつもの血管が浮き、流れる血の勢いで、全身から出血して赤く染まります。
「この一撃に、全てをかける」
血化粧を身に纏った少女の体躯は、守銭奴が見上げるほどのものでした。筋肉と妄執のこめられた肉体に、さすがの守銭奴も冷や汗を流します。
「くらえ……【我が拳はマッチの幻想とともに】!!!!!!」
少女からあふれ出た闘気は右の拳に収束し、音を置き去りにして迫ることでしょう。回避はできません。〈過去〉〈現在〉〈未来〉でも、少女の命を燃やす渾身の拳をどうにかできないでしょう。
ですが、守銭奴の力は三人の幽霊だけではないのです。いいえ、三人の幽霊を買収した金の力こそ、守銭奴の真の力なのです!
「幽霊ども! 金をくれてやる!! だからわしをなんとしてでも守れ!!!」
守銭奴はふかふかの服の裏側からお金を出しました。じゃらじゃらと金貨がこぼれます。どこに入れていたのだというほどの量です。
その金に飛びついたのは幽霊たち。彼らは目どころか全身に「¥」のマークを浮かべて、金貨に飛びつきます。その姿はまさしく金の亡者。彼らが幽霊であることを考えれば、おかしいところは一つもありませんね。
やがて不思議なことが起こりました。三人の亡者たちが、金貨の海に溶けていくようではありませんか! 彼らは金貨に身をうずめ、体をほどかせて、一つになっていきます。
ほどなくして、金貨と三人の亡者から生み出された新しい幽霊が誕生しました。黄金色に身を染めた偉丈夫です。名付けるなら〈時間〉でしょうか。吐いた息からは、黄金で作られた時計の幻影が見えます。彼は守銭奴を守るために、両手を前に出しました。
「これがわしの力……【金は天下の回りもの 全ての金はわしのもの】じゃ!!」
少女の渾身の一撃を〈時間〉が受け止めると、その衝撃に耐えきれなかったのか、荒野の世界が大きくひびわれました。世界の崩壊です。やがて世界は最初と同じように真っ白な光に包まれて、そして――
*
気づけば、少女は雪の上に倒れていました。服はぼろぼろ、かろうじて大切なところを隠しているていどです。彼女がもっていた籠にはマッチの一本も残っておらず、みじめな姿をさらしていました。
姿も荒野で見せたガチムチではなく、紳士が大喜びするような少女本来のものです。
「これが、金の力よ」
倒れて動かない少女に対し、守銭奴は死体蹴りをします。勝敗は決しました。少女の命をかけた破壊の一撃は、金の亡者〈時間〉によって、時空のかなたに消し飛ばされてしまったのです。
〈時間〉は守銭奴の体の中に、溶けるように消えていきました。ジョ●ョに出てくるスタ●ドの真似事でしょうか。
「く……うぅ」
力を使い果たした少女は涙を流します。寒い。雪の上の少女は思いました。そんな少女に、守銭奴は何を思ったか、いくばくかの小銭を落としました。
死者の冥銭すら持ち去るような守銭奴がです!
「こ、これは」
「これでマッチの一本でも買うといい。何、マッチを買った分の金だ」
それだけ言うと、守銭奴は振り返ることもせず立ち去りました。少女は守銭奴が落とした小銭を拳で強く握りしめました。
少女は今年最後の夜を歩きました。道行く人は誰も少女に目を向けません。死にかけの少女なんて、この時代の人は見慣れているのです。
「……ッチは、マッチはいりませんか?」
歩いて、歩いて、少女は一人の少女に出会いました。
みずぼらしい格好で、籠に入れたマッチを売る少女です。彼女は道行く人から無視されつづけても、めげずにマッチを売り続けます。
「マッチ、おひとつくださいな」
デスマッチ売りの少女は、マッチ売りの少女に声をかけました。マッチ売りの少女は、ぼろぼろでハレンチなかっこうのデスマッチ売りの少女に驚いたようでしたが、お金をもっているとすれば客です。
守銭奴がデスマッチ売りの少女にわたしたお金は、ちょうどマッチが一本買えるだけのものでした。
「ありがとう」
わずかなお金と引き換えにマッチを売ったマッチ売りの少女は、デスマッチ売りの少女から逃げるように去っていきました。デスマッチ売りの少女は、その場にへたりこむと、手にしたマッチを壁にこすりつけて火をつけました。
マッチの火は小さくて、弱々しいものでした。力を使い果たした少女にはもう、幻を生み出す力は残っていなかったのです。
「あぁ……」
ですが、彼女の目には幸福な光景が広がっていました。死んだはずのおばあちゃんが目の前にいたのです。おばあちゃんのまわりには、今まで見たこともないような豪華な料理が並んでいます。
暖かな暖炉の近くには出て行ってしまったはずの母と殺したはずの父もいました。二人とも、とても優しそうな顔をしています。
「わたしは……」
温かいマッチの火はあっという間に消えてしまいます。ですがデスマッチ売りの少女は、心のうちに見えた幻をずっと、ずっと眺めていたのでした。
翌朝、町の片隅にかわいそうな少女が座っていました。口元に笑みを浮かべて、壁にもたれて、――古い一年の最後の夜に凍え死んでいたのです。彼女の足元には一本のマッチの燃えかすがありました。
道行く人は、少女の亡骸を見て、不思議そうに首をかしげました。凍え死んだ彼女がとても幸せそうな顔をしていたからです。
少女がどれほど美しい幻を見て死んでいったのかを知る人は、道行く人の中には誰一人いなかったのです。
世界混沌昔話 ~デスマッチ売りの少女~ おしまい
ここまで読んでいただきありがとうございました。
補足ですが、作中の守銭奴の元ネタは『クリスマスキャロル』に出てくるスクルージです。本来は守銭奴の彼が幽霊に出会って改心する話……なのですが、作中だと幽霊に出会って改心するどころか、金で幽霊を買収してこきつかっている猛者です。絶対ただものじゃない。
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