6 瑠衣さん
時空波によって意識を失い、転倒していた「松井瑠衣」を曽根と泉が助けることになる。
それをきっかけに、泉は歳の近い松井瑠衣と交流を始めるが、楽しい時間を過ごすうちに古傷を思い出す。
曽根くんが去ってしばらくした後、
あの騒動をきっかけに商店街の店員の瑠衣さんと仲良くなった。
瑠衣さんは頭を強く打った影響で3〜4日ほど歩行が困難になってしまったそうだが、休養のおかげで普段通りに戻ったようだ。
(転んだ時に手当をしたのは私ではないことはバレていない。いつか曽根くんを紹介出来れば良いのだが、話がこじれるため今は出来ない)
しばらくしてスーパーの仕事に復帰し、私が買い物に行って顔を合わせると沢山お話をする仲になった。
「あっ!いらっしゃい。命の恩人さん」
私の姿を見ると、瑠衣さんは笑顔で手を振ってくれる。その元気な姿が嬉しくて私も沢山手を振り返す。
瑠衣さんは新卒で入った会社を辞めた後、スーパーのアルバイトをしながら就職活動をしているそうだ。私も大学4年生で就職活動中なのでルイさんの話はとても参考になる。
「会社はね、ほんとに入ってみないと分からないのよ。部署の人間関係もガチャだからね。求人票で1番優先すべきは休日よ。年間休日を見て、ちっちゃく横に“特別休暇を含む”ってあったらワナだから。自分の頭の中で情報を都合よく解釈しないこと。分かった?」
「は……はい!!気をつけます」と返事をした。
瑠衣さん自身の体験だろうか……就職の話をすると熱が入ってしまうようである。
瑠衣さんと知り合って1ヶ月ほど経った後、2人でご飯に行くことになった。スーパーのある商店街に新しいカフェが出来て意気投合したからだ。パン屋と併設したカフェで、焼きたてのパンを選んでから席に座る。
「私は……ワッフルにしようかな!」
パンがずらりと並ぶ棚から、瑠衣さんは嬉しそうにワッフルを取った。私はメロンパンと紅茶を選んだ。2人で窓際の席に向かう。
パン屋にワッフルがあるなんて珍しいな、と思った。
笑顔でパンを食べる瑠衣さんと、高校生のショウの顔が重なる。
ショウも、ワッフル好きだったな。
私の高校には飲み物の自販機と一緒にパンの自販機があった。あいつは自販機のワッフルが大好物だった。いつも休み時間に食べていたっけ。
「泉ちゃん、どうした?元気ないね」
瑠衣さんが心配そうに私を見る。しまった、顔に出したくなかったのに。隠そうと思ったがウヤムヤにするのも良くないと思ったので理由を話すことにした。
「実は昔ワッフルが好きな彼氏が居たんです……5年前の時空波で……」
気がついたらショウの話が止まらなくなってしまった。友達思いで凄くかっこいいやつだったこと、あいつの笑う顔が大好きだったこと、海が見える場所で一緒に住もうと約束したこと、時空波を最後に連絡が取れなくなったこと、時空波が始まってから世界が最悪になってしまったこと。
本当は時空波の影響を受けない話もしたかったが、それはやめておいた。
「そっか……」
瑠衣さんは黙ってコーヒーを1口飲んだ。
「私も5年前に父親と親友をあの時空波でなくしているよ。」
やらかした、と私は思った。この世界では時空波の話をすると何らかの形で必ず地雷を踏む。それほど破壊的な影響を受けたのだ。言わなければ良かったと後悔した。
「父親は営業の仕事中に車で事故……親友は電車の脱線事故でね。いいのよ、気にしないで。私も貴方も止まっている時の中に大切な物を置いてきてしまったんだよ。」
瑠衣さんは目線をそらして窓の外を見る。
「“”死は生の対極としてではなく、その一部として存在している“”……私の好きな本の一説だよ。死は別に特別のものじゃないのよ。いつでも私達の中に存在しているの、たまたまあの時あの瞬間に現れただけ。そういう事象だって割り切ってしまえばいいのよ」
ああ、私はそうやって乗り越えたってだけよ、貴方は貴方の考えでいいのよと付け加えた。
私は現実から逃げて目を逸らしてきた。死体も痕跡も全てなく、連絡だけが取れないのだから何処かでひっそり生きているのでは無いかと。でも分かっている、5年も連絡が取れない人間が生きている訳が無い事を。
「でもね、誰かが死んだら無になるだけって言っていたけど、私は天国はあると思う。だって空に浮かぶ星があんなにあるんだから」
「……そうですね。」
涙がこぼれていた。
よしよし、1人で抱え込まないでちゃんと人に相談するんだよ。瑠衣さんはそう言って私の手を握ってくれた。私は沢山泣いた。外でこんなに泣いてしまって恥ずかしいのに止まらない。大学でもろくに友達がいない私は自分の話を聞いてくれる人がいなかった。こういう人を何処かで求めていたんだろうな、と思った。心が軽くなっていくのがわかる。
涙も止まり落ち着いてからお店を出た後、瑠衣さんと近くの公園に行った。滑り台とブランコしかない小さな公園で、利用者はベンチに座る老人以外誰もいなかった。2人で滑り台に乗って騒いだ後ブランコに乗ってみた。私は体がフワフワとする感覚に酔ってしまった。小さい頃は全くそんなことは無かったのに……歳をとった自分に少し悲しくなった。漕ぐことは諦め、ただ座って雑談をしていた。
「ところで泉ちゃん、さっきこの世界のこと最悪の世界って言ってたわね。」
「はい?」
瑠衣さんの声色が変わった。怒られるのではないかと少し怖く感じる。
「ちなみに泉ちゃんは今までの人生で一晩中寝れなくなったことある?」
「……一晩中はないですかね。」
「私、一時期眠れなくなったことがあるの。新卒で入った会社がいわゆるブラックでね。」
「そうだったんですか」
瑠衣さんは目を閉じ、寝ている動作をする。
「目をつぶっても仕事の事をずーーーっと考えてしまうのよ。頭がいっぱいいっぱいになっちゃって。眠れないことがこんなに苦しいなんて知らなかった。それでね、世界から1人でも寝れない夜を過ごす人が居なくなりますようにって思ってたのよ。」
瑠衣さんはフーっと一息つく。
「そんな時よ、非現実的な事が起きたのは。あの隕石が落ちてから世界は変わってしまった。時空波で全人類が平等に眠る、こんな素敵なことある!?眠ることに困る人が居なくなったのよ。私、この世界好きよ。人が予想したどんなディストピアでも1番マシだと思うわ」
私は違和感を感じた。人が突然意識を無くす世界なんて無くなった方がいいに決まっている。下手したら死人が出てしまうのに。
普段の生活をしていたら、いきなり緊急速報が鳴って急いで布団に入るなんて馬鹿げたことをやらなくてはならない、5年間私だけが起きる世界に生きてみて、良い事なんてひとつもないと思った。
それほど社会が病んでいるのではないか。
瑠衣さんと私は別の世界の中に生きているんだ、と少し絶望してしまった。
この後瑠衣さんと解散し家に帰ったが、布団に入るまでこのモヤモヤした感情を引きずった。今日は時空波は1度も来なかった。
私が時空波の影響を受けるようになれば瑠衣さんと同じ考えになるのだろうか、疑問が頭の中を走り回り、しばらく経ったあと泥のように眠るのであった。
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ある事務室での会話
「“”妖怪キツネ面男“”って都市伝説、知ってる?」
「時空波の最中に写ったキツネ面の人間ですよね。ただの掲示板の落書きじゃないですか?たった1回動画に写っただけなんて、野生動物かなんかと見間違えですよ」
「あなた動画ほんとうにみた?野生動物が人間に毛布なんてかけると思う?」
「いや……あるかもしれないじゃないですか」
「ない!断言する。白いキツネ面を被った、時空波が効かない人間が存在するのよ。これが公になれば世界中で大騒ぎになるわ。止まった時間の中で動けるなんて、一体どのくらいの価値になると思う?」
「無理ですよ、日本中に防犯カメラでも仕掛けるんですか?冗談言わないでくださいね〜」
じゃ、お疲れした、後輩の男は事務所を後にした。
女は冷たい後輩に呆れながら、再びパソコンと向き合う。
「絶対に捕まえてみせる」
設定補足:
この世界に地震は起きません。
時空波で初めて緊急速報が使われました。
太平洋に落ちた隕石の発光状態から、時空波の予定到着時刻を大体3〜4時間前に把握することが出来ます。