肩ロース
「すべての始まりは、わしが初めて任務を失敗したときからじゃったな」
そう、呟きながら、ピースは過去を振り返った。
「わしの暗殺のやり方は、スリが獲物を狙ったときに身体を少しぶつけるのと大体同じような要領で、毒の染み込んだナイフを胸に刺して仕留めるんじゃが、ここのギルドマスターには通用せんでの、思いっきりぶん殴られて、無様に地面に叩きつけられたわい」
老人のトンデモナイ発言に、アイカは色めき立つが、アニスの無言の微笑みと同時に発せられたプレッシャーを前に、大人しくすることにした。
「まぁ、任務中じゃったから、白い粉を吸っておってのぅ、そこまで痛みはなかったんじゃが、さっさと立ち上がる前に両手を踏み潰され、松葉杖も真っ二つに叩き折られては、もうわしに出来ることはなかったのぅ」
アイカはピースの両手に注目した。その手はしわがれており、暗殺者の独特の癖によるものなのか、指先は真っ直ぐではなく、本当に骨折して治癒した指先なのか、判別が難しかった。
「わしは任務を見届けていた別のアサシンに回収され、後日、ギルドマスターから解雇通告を受け、外に用意されておった幌馬車に乗せられて、郊外の崖のある場所に投げ捨てられたのぅ」
「それって……」
「うむ。役立たずは死ねということじゃ」
「酷い」
アイカが、のほほんと紅茶を飲み干す老人に憐れみの眼差しを向けた。
「考え方にもよるのぅ。通常の使えないアサシンの末路は、新参者のアサシンの腕試しに使われるからのぅ。新参者のやり方によって様々じゃが、確実に殺される。それを知っているだけに、止血だけを施され、負傷したままのアサシンを外に放出したのじゃ。自由に生きることを赦されたとも受け取れるのぅ」
「ひょっとして、崖の下は川が流れていて、命が助かったとかいうオチに違いないのニャ」
ミーコが物語によくありがちな展開を先回りして、予測を立ててみた。
「崖底は乾いた大地じゃった。わしは背中と腹部に尋常じゃない痛みと呼吸すらも危うい目に遭った。やがて、周りの雰囲気が緩やかになっていく感覚とともに、いつの間にか近づいてきた団扇みたいな頭をした蛇とわしは目が合って、ガブリとやられたのかものぅ」
「どっちなのよ!」
曖昧な言い方にヤキモキしたアイカが文句をつけた。
「そうじゃのぅ。咬まれそうになる寸前に蛇の頭が吹き飛んだんじゃ。そして、顔にかかった蛇の亡骸を、黒髪で黒眼鏡で黒の革手袋をはめた、身なりのいい男がどかしてくれたのぅ」
「貴族かしら?」
「わからんのぅ。上下を輝くような黄色の、貴族が着るような衣服の姿ではあったのぅ」
アイカの疑問に、ピースは記憶に残っている箇所だけ述べた。
「輝くような黄色の……って、誰かしら?」
アイカは貴族に心当たりがあるらしく、ブツブツ言いながらも、思案に没頭していた。
「それで、そいつは誰なのニャ?」
「肩ロースと名乗ったのぅ」
「スナギモといい、この辺の人間は変な名称を使いたがるのニャ!」
ミーコの指摘にもっともだと頷くピースだったが、話を進めることにした。
「肩ロースは、わしの様子を見て、まず、仲間に声をかけた。程なくして、空から翼をはためかせた女が現れて、わしを一瞥すると、柔らかな光を浴びせた。その光が収まると、わしの両手と崖から落ちたときの怪我がすっかり治っておった」
「それは、もしかして天使じゃないのか? 旦那」
「女はジェノとは名乗ったが、自らを天使とは言わんかったのぅ」
「その天使さんっぽい人を呼べた肩ロースさんは何者なのでしょうか?」
「うむ。ちょうど、わしもアニスと同じ疑問を抱いてのぅ。肩ロースに聞いてみた。じゃが、この時点では、何も教えてくれんかったのぅ」
誰も正体を明かさなかったことに、モヤモヤっとした空気が流れる。しかし、ピースは空気を読むことなく、先を進めた。
「しかし、それとなく只者じゃないのは感じ取れたのぅ。何せ、二人してわしをほっぽいて、わしの奥の方を眺めたあとに、わしに背を向ける形で何かを相談し、肩ロースが決定しておった。その直後、肩ロースはわしにこれを寄越した」
と、ピースは何もない手のひらから、黒いモヤを発生させたかと思うと、筒状の指を引っかける穴のついた棒のようなものを見せた。ハッキリとしたものの言い方にならないのは、形は依然としてしっかりと保っておらず、おぼろけに、そのような形状と例えるのが正しいような代物だった。
「肩ロースは【ジュー】と呼んでおった。形が安定しないのは、わしらの住む世界には存在しないものを呼び寄せたからとのことじゃ。肩ロースが云うには、魔力のないところから取り出した悪影響とか……詳しくはわかりかねるのぅ」
「何をバカなことを言ってるのニャ。魔力のない? 話にならないのニャ」
人を殺すこと以外に大して興味のないピースの、モヤモヤとした言い分に、アホなことを聞いたとばかりにミーコが鼻で笑った。
「まぁ、魔力うんぬんはさておき、肩ロースからこれを借りたわしは、彼らと共に崖下を移動することになった。すると、程なくして、横穴を見つけた。洞窟のような奥へと続く通路があって、わしはここで初めてゴブリンと遭遇した」
ゴブリンと聞いて、顔色を悪くしたアニスを除く一同が「えっ!」と驚く表情を示した。
「旦那、今までその、ゴブリンに出会ったことなかったのかい?」
「うむ。任務が失敗するその日まで、わしはこの街で人しか殺しておらん。ゴブリンのことは噂で聞いた程度でしか知らんかったから、あんなに小さくて、弱いものの、呆れるほどに数が多いとは思わんかった」
ピースのゴブリンというモンスターの感想は、あまりにも当たり前すぎて今さら感が強く、表情が顔に出にくいことで知られるリザードマンですら、困惑を隠すことが難しかった。
ミーコはますますバカにした顔つきになり、アイカはゴブリンよりもとんでもない殺人鬼がギルド職員になっていることに頭を抱えた。
「しかし、ゴブリンの弱さは、この【ジュー】の試し撃ちに適しておってのぅ。肩ロースに撃ち方を一通り教わったあとは、群がるように集まってきたゴブリンを片っ端から撃ってみた。
頭に当たれば、即死。腕や足にあたれば、容易くちぎれ、失血死を招いた。
引き金を軽く引くだけで、簡単に死が量産される有り様には、ひたすら魂消たわぃ」
【ジュー】を片手に、その時の光景を思い出していたピースの表情は明るかったが、「だがのぅ」と始まる言葉を境に、顔色が落ち込んでいった。
「だがのぅ、肩ロースが云うには【ジュー】は黒い豆粒のようなモノを目に見えない速度で相手にぶつけることによって相手を死に至らしめる武器で、その豆粒を弾と呼んでおってのぅ。その弾が切れたら、その都度、補充せねば撃ち続けることが難しいという説明を受けた」
まぁ、こういう風にな、とばかりに【ジュー】の弾倉を引き抜いたピースは、黒い靄がこぼれるケースをその場の全員に見せつけた。
手慣れた所作で、弾も見せておいた。黒い靄の発生源でもある弾は、その全貌を伺うのは難しいものの、恐れよりも興味が勝ったリャーリャーノとミーコが触った感想としては、鉄の豆粒という印象だった。
「これを補充するまでのあいだが、慣れるまでかなりモタモタしてのぅ。初手の虐殺で臆病風に吹かれたゴブリンが相手でなかったら、危なかったのぅ」
「今はどうなの?」
肝を冷やす仕草をするピースに対し、アイカが疑問を挟んだ。
「相手との距離がある程度あれば、落ち着いて補充できるぐらいには慣れたのぅ」
「近距離だと怪しいのね」
「そうじゃのぅ。下手に補充しようとして殺られるぐらいなら、今までの暗殺武器で仕留めた方が確実だのぅ。まぁ、肩ロースは近距離でも踊るような動きで補充を済まし、撃ち続けておったがのぅ」
まぁ、その辺は経験積むしかないのぅ、とピースは締めくくるのだった。