魔界の王子
チッと女が舌打ちした。
どういう意味か、それは燃える相手をよそに真打ちが登場したからだ。
燃え盛る物体から照らされた真打ちの姿を見た瞬間、ピースも驚いた。
まさか、殺し損ねた標的・冒険者ギルドのギルドマスターとこんなところで遭遇するとは。
「ねぇ、おじいちゃん。固まっているところ悪いんだけど、ソイツ、誰?」
「あの女にいたっては目の敵にしているな」
「それは、今まで散々オモチャにされてましたからね」
ヴァッサゴの煽るような質問から、身体のこわばりを指摘されたピースは我に返った。
肩ロースとジェノは二人だけの会話になっていたので、ピースはヴァッサゴの疑問に答えることにする。
「アレはのぅ、名前はどこにでもいるような名前のヤツじゃ。じゃからか、自分の髪の毛が人目を引く銀髪なのが自慢での、より目立つために魔法銀で造った全身鎧を着込んでいるそうじゃ」
頭を雑に掻きむしりながら、そう答えるピース。
実はターゲットの名前をすっかり忘れてしまった、とは言えなかった。ただ、暗殺ギルドのマスターから直接聞いたときも確認のためにもう一度その名を呼び上げた記憶はある。
ミスリルの全身鎧の件は、暗殺でしくじらないように用心していたときの記憶か。
「そういえば、今回も私服姿じゃのう」
「ノンノン、おじいちゃん。アレは魔法でそのご自慢の鎧を見えなくさせているだけだよ」
「ふむ。ワシのダガーが弾かれたのは、そういうワケか」
魔法に造詣の深いヴァッサゴの知恵により、ピースは暗殺が失敗した理由を知って納得した。
「ならば、顔はどうなんじゃ?」
「ファイアーボルト」
ピースの素朴な疑問に裸の女がもう一度、魔法を唱えた。
今度の炎は前回のと違い、速度が上がったぶん威力は乏しく、真打ちの片手でいとも簡単に振り払われた。
「ハテ? 同じ魔法を唱えたのに、これは随分と弱いな」
「イヤイヤ、おじいちゃん。今の魔法は別名・炎撃って言ってね。魔法で作り出した炎を石を投げるような速度で相手にぶつける魔法なんだよ。威力は初期魔法だから、仕方がないよね」
魔法に詳しくないがために間違えたピースに対し、ヴァッサゴがやんわりと修正する。
「あなたたちは何者なんです? それにエルフ女を解放したのは誰ですか?」
一向に興味が相手側に向かないことに対して、ギルドマスターがしびれを切らした。
「ワシは、そこで話し込んでいるカップルの冒険者たちに命を救われてのぅ。ちょうどたまたま近くにゴブリンの巣窟があるというから、旅先の路銀代わりに一緒について行ったら、魔法使いのアジトを見つけて、女も見つけて、この少年が魔法を消したのぅ」
ギルドマスターはウンウンと頷いて、不意に涙ぐんだ。
「あなたたちならそう答えるでしょう。ですが、私が見てきた光景は違います。洞窟内は確かにゴブリンが数多く死んでいました。しかし、この奥地では男の冒険者たちの死体で埋め尽くされ、何故か女の冒険者たちの姿が見えない。唯一、副ギルドマスターだけが生き残り、彼女はダンジョンに潜る前よりもずっと魔力量が上昇した。このことから導き出される結論は、副ギルドマスターによるギルド内の風紀粛正を兼ねた大量虐殺に他ならない!」
言うことを言い終えたギルドマスターは剣を抜いた。
さまざまな呪文を唱え、戦いの準備を整えていく。
「のぅ、少年、お主なら初期魔法でも凄いらしいのぅ」
「どうしたの、おじいちゃん。急にボクを持ち上げだして」
「持ち上げるも何もさっき、お主は杖を創るときにいろいろ自慢しておったじゃろ。じゃから、お主の力量での初期魔法の威力というのを知りたくなったんじゃ」
「ふっふーん、なるほどね。肩ロースと違って、おじいちゃん、わかっているね。イイよ、今回は特別にボクの強さを見せてあげるよ」
気をよくした魔界の王子は、指をクルクルと回すと炎を創り出した。それは、見た目こそ裸の女のファイアーボルトと変わらなかった。
魔界の王子は指をさし、炎撃に命令する。
炎撃は先程と同じ速度でギルドマスターの身体へと放たれた。
ギルドマスターはミスリルの魔法防御力と自身が底上げした防御魔法のことが念頭にあってか、何でもないようにしか見えないファイアーボルトに大して注意を払わなかった。
彼の注目は、不運にもゴブリンの巣窟を冒険しすぎた冒険者への駆除にしか頭になく、どの順番で相手を潰すことしか考えていなかった。
本当の不運は、相手の力量差を測ることすらもしなかった自分だとも気付かなかった。
ギルドマスターは何の変哲もない見た目の炎撃に胸を貫通させられ、心臓を焼き尽くされて絶命した。
「どうだった? おじいちゃん」
「そうじゃのぅ。凄く無さそうに見えて、その筋が見たら卒倒するんじゃろうなぁ」
「ウン、魔法に疎いおじいちゃんらしい感想だね。そこの女の子の強張った表情の方が、ずっと正直だね」
と魔界の王子が裸の女に軽くウインクする。
女はギルドマスターと違い、絶対的な力の差を見せつけられてか、冷や汗をかきながらもその場で敬服する。
ヴァッサゴはその対応に満足し、またも指をクルクルと回した。
途端に女の身体を魔力が覆い、衣服が出現した。
女は衣服に触れ、あちこちを確認し始めた。そして、涙ぐんだ。
ピースには女がとった行動の一部始終がわからなかった。
「彼女がどんな衣服を着ていたのか分からなかったから、彼女の記憶を覗いてね。彼女が旅立ちの前日に母親から贈られた衣服を再現したのさ。ほら、エルフって人間よりも長生きだから衣服にもいろいろな思い出が宿りやすいんだ。それを思い出しての涙だと思うよ」
「少年は、優しいんじゃのぅ」
優しい、と言われて、ヴァッサゴは戸惑った。
ヴァッサゴの本来の素性は言葉で相手を操り、不幸をもたらす存在だ。恨まれこそすれ、褒められることはほぼ、ない。
「ヴァッサゴで良いよ、おじいちゃん」
魔界の王子が自分の名前を人間に名乗らせるのを許すのを見て、ジェノがおや! という表情を見せた。
肩ロースが頬を赤らめている魔界の王子の表情を見て、ニマニマとニヤけた。
「もう、何なのさ!」
「いいえ、別に。仲良くて羨ましいですよ」
「照れてる。照れてる。テレッテッテ~」
魔界の住人の和気あいあいとしたやり取りに対して、ピースは笑顔で眺めているのだった。