光の杖
地下都市の地下に地下闘技場があった。
早口言葉でもなんでもない、事実である。
その地下闘技場の中央に、魔術師はヴァッサゴ少年の魔法で運ばれた。
これからこの魔術師を用いて、彼が肩ロースの望む奇跡を体現するためだ。
魔術師のいた個室では少し狭くて、展開する魔法陣が収まりきれないらしい。
「奇跡を創るのは、ボクや一部の悪魔にしか出来ないからね。おじさんにしては、良い判断だよ」
ついさっき、肩ロースはヴァッサゴ少年に、奇跡の付与をお願いした。
ジェノ曰く「肩ロースに膨大な魔力が備わっていたら、何てことのないこと」らしいが、魔法に疎いピースには理解できかねた。ちなみに現在、ピースは片足に戻り、松葉杖をヴァッサゴ少年に預けている。
どうやら、その奇跡の付与は松葉杖に対して行われるようだ。
「ジェノどのには出来ぬのかのぅ」
「おじいちゃん、極めて高度な魔法の行使には『格』というのが必要でねー。元天使風情では、どんなに魔力があっても難しいのさ」
「難しい……ということは、出来ないわけではないんだのぅ」
「そうだねー。ま、今、ここにいるメンツでは出来るのはボクだけさ」
大役を任されたヴァッサゴ少年は、とても上機嫌だった。普段は虚と実を織り交ぜた会話で人間相手に接し、陥れることしかしないが、今回は本当のことだけを伝えるぐらいである。
「それはともかく、ヴァッサゴ、ここは食肉加工場か?」
肩ロースの発言は何処を指し示しているのだろうか。
地下闘技場は、夥しい血の海があったことをうかがわせる大きな染みが幾つかあった。
それとも観客席のことだろうか。
そこには人間の形をしたハムのようなモノがフックで無造作に吊り下げられていた。
大小さまざまな傷を付けられうっすらと血の滴るハム、腐肉虫に寄生されて腐敗が進行している過程のハム、腐り落ちて骨や内蔵がむき出しのハムもあった。いずれのハムも、目・鼻・口といった部位が削ぎ落とされ、頭髪もつるりと抜けていた。
職人の、徹底したこだわりが見てとれた。
貴族のあいだで流行っているという熟成肉の加工場というのなら、納得しそうになるほどの現場だった。
ふと、ジェノの憐れみを帯びた眼差しに気付いたピースは思い出した。
「これが、ゴブリンに連れ去られたという生き残りかね?」
ジェノが無言で頷いた。
恥ずかしながら、ピースはゴブリンに散々犯されて、正気を保てなくなった人質……というのを想像していた。実際は、半分ゾンビのような形状になってもなお、死ぬことを赦されず吊られている人質の女たちがいた。
いったいどんな罪を犯せば、こんな仕打ちに遭うのか、ピースには考えられなかった。
「この、おんな、どもは、わたし、の、みりょくが、わからなかった」
極度の衰弱で意識はあってもしゃべることの出来なかったはずの魔術師が、不意に喋った。
「失った魔力を取り戻そうとする動きが見えました。拘束します」
「何なら、この人質さんと同じ格好にさせようじゃないか」
「おじさん、冴えてるぅ!」
ピースの目から見た魔術師は、何かしらの魔法をかけられて、喋ることは許されたが一切の行動を封じられたまま、フックに肩の辺りを吊された。
魔術師の痛みからくる発狂が、闘技場にこだまする。が、誰も無反応だった。
「ところで、肩ロース。お前さんはこの優男に用事があったんじゃなかろうか」
「ああ、そうだな。この豚がままならない自分の容姿に嘆いているところを手助けしたのだが、この結末がコレとはねぇ……。残念だよ、ザーク」
そこにはいつもの金ピカ衣服に身を包んだ中年男性の姿はなく、山羊の角を生やした鍛冶場の親方と云った風体のたくましい身体つきをした老人が立っていた。
吊された優男はその姿を認めるや、吊られた痛みとは別の怯えた声を出した。
「ベッ、ベェヒデベェ!」
ザークという名の優男は、恐怖からこの鍛冶場親方の名前を発そうとして、親方のふと逞しい腕力をもとにしたパンチで顎を砕かれ、無理矢理黙らされた。しかも、親方の攻撃は顔だけにとどまらず、鳩尾に腕に脚に尻を一発ずつ当てた。
直後に殴られた箇所は、楔を解かれたかのように、肉の塊が膨張し、優男の身体に再吸収され、身体全体が主に横に拡がっていった。
全てが収束にむかう頃には、優男の面影はなく、腰みのを巻いたオークのような人間が姿を現した。
蛇足だが、優男だった頃の衣服は元の姿に戻る際に、サイズが合わなくて大破した。それでも不思議と腰みの姿になるのは神の采配であろうか。
「さっきの台詞からだ~いたい予想できるんだけど、この豚って、能力は有るけど見た目がハンデで才能の活躍が期待されなかったってヤツかな」
肩ロースは親方の姿で頷いた。
「才能だけなら当時の冒険者ランクBで通用する腕前はあったんだけどな。しかしながらランクBといえばそのギルドでの顔だろ。残念だけど、この豚はあまりにも見た目が悪かった。だから、長い間、コイツはランクCで燻っていた」
「ある日、容姿を気にするあまり、幻覚の魔法を取得し、相手に自分がイケメンに見える魔法を使用しました」
「効果はバツグンだった。だが、見た目を惑わせても元々の体格を誤魔化すのは難しい。通い慣れている冒険者たちからたちまち看破されて、以来、『幻華豚』という不名誉な称号を得て、新米冒険者にまで影で笑われるようになった」
「それで、それでどうなったの!」
前のめりになって聞いてくる少年に対し、肩ロースは静かに首を横に振った。
「俺と出会い、豚だった頃のザーク・ケルナーは死んだ。俺と契約して、ヤツはイーサンという名で生まれ変わった」
「アレレ? おじさんって、契約に必要な魔力量、足りなくない? あ、彼女が肩代わり?」
「ヴァッサゴ、俺は穏健派と中立派の悪魔となら、仲が良いんだぜ」
と、ピースが置いてけぼりを食らっているあいだ、肩ロースはヴァッサゴに対して契約書を示した。魔法に精通しているヴァッサゴは、すぐさまあることに気付いた。
「あ、この魔力、モラクスのだ。ってことは、おじさんの契約じゃなくて、モラクスの契約じゃん」
「オイオイ、契約書のこの小さな文字をちゃんと読めよ。契約の執行代理はモラクスだが、ちゃんと契約の権利は俺の名前になっているだろ」
「こんな詐欺みたいな契約書……モラクスは納得しているの?」
「ヴァッサゴ…………俺たちは悪魔だぜ!」
肩ロースが大威張りでキメて、ヴァッサゴ少年が呆れていた。
一方、ピースは付き合いきれないとばかりにウトウトし始め、ジェノの二の腕を枕代わりに仮眠を取り始めた。ジェノはピースの行動に驚きはしたが、肩ロースよりは安全だと割り切って、悪魔二人のやり取りを静かに見守ることにした。
「幻ではなく本当のイケメンになったその後の足取りは契約内容に触れるからいちいち探らないが、憧れのハーレム計画がどうしてこうも猟奇的な結末になるんだ?」
「じゃあ、契約に関係ないボクがこの豚の過去を探ってあげるよ」
ヴァッサゴ少年は指をクルクル回すと、魔法を発動させた。
新天地で人生をやり直したはずの、ザーク改めイーサンのハーレム計画の顛末がスクリーンに晒された。
「普通に冒険者パーティを集って、なまじ経験があるだけに仕切りたがり、うざがられてボッチ」
「奴隷を購入して、肉欲は満たされたが、自分に対して向けられるイヤそうな顔に傷つく」
「ある日、奴隷が買い物の途中で親切にされて、その時の少年に乙女心を向けた表情に嫉妬して、裏通りで奴隷を火あぶりにした。泣きじゃくりながらやがて動かなくなる奴隷に興奮をおぼえる」
「また、同時に恋人同士の冒険者を罠に嵌めて、私欲を満たす計画を思いつく」
「以降、彼は計画を実行に移すべく行動を取る。そのためだけにおのれの性格を偽る」
「ある日、スナギモにて棄てられたドワーフの地下都市にゴブリンの大規模集落が報告にあがり、緊急依頼が発生し、ランクAからCまでの冒険者が集った」
「相手がゴブリンとあってか、軽い気持ちでお小遣いを稼ごうと考えたカップル冒険者が多数参加し、規律の乱れを憂慮したスナギモの副ギルドマスターがお目付役として参加することに」
「おじさん、この闘技場の血の染みは、幻覚を見せられてゴブリンだと思っていた男の冒険者たちのモノだったよ」
「手負いの冒険者たちはどうなったんだ?」
「彼等はおじさんたちが倒したじゃないか」
「レッドキャップに転生させたのか!」
「なるほどね。ボクを呼び出すときの手際が良すぎるな~と思っていたら、そういうことか」
「女の冒険者たちと副ギルドマスターは、別の階層で一箇所に集められて、隷属の魔術をかけられて、慰み物にされているね。始めは自分が全員分を楽しんで、飽きたらレッドキャップにゴブリンに、何人かを譲り、反骨心の高い女はそこのフックで腐らせて、ことさら抵抗した副ギルドマスターは別室で夜な夜な人体実験の道具に成り下がった」
ヴァッサゴ少年がたんたんと読み上げていく中、仮眠していたピースは、どこからともなく噴出したドス黒い憤怒の炎を感じとり、目が覚めた。そして、今まで聞こえなかった<殺して!>という声が闘技場全体に響いていることに気付く。
ピースは声に導かれるまま、フラフラと近づくと、発生源は肉フックで吊られた女たちだった。
「良いんか?」
ピースは、長年連れ添ったダガーを抜くと、ついてきたジェノに確認を取る。
「魂の導きは私がします」
ジェノの許可を得られたピースは、無慈悲とも思える淡々とした所作で女たちの命を狩る。
女の身体から抜け出ていった白い靄のようなモノに対して、ジェノが空間から扉を出現させて、白い靄たちは吸い込まれるように扉の向こう側へと進んでいった。
靄の抜けた身体は急速に腐敗が進み、液状化して肉フックから落下し、ジェノの魔法の炎で焼かれた。
失われていく命を感じて、豚が「止めろ、止めてくれ」と叫んでいたが、いつの間にか詠唱を行っているヴァッサゴ少年によって、別の苦しみを与えられ、ダミーマンドレイクとは違った断末魔がこだました。
吊された豚は、術式の完成に伴い、文字の渦に身体全体を刻み込まれた。それで終わりではなく、文字たちは分裂と集合を繰り返しながら、その文字数を減らしていった。その度ごとに豚の身体は文字で刻まれて小さくなっていき、やがて、宙に浮く光り輝く2つの文字が杖に焼きごてのように印字された。
「要望どおり、他者の命を媒介に傷を癒やす杖、出来たよ。おじいちゃん、杖に名前を付けてね」
瞬間移動でピースの元にやって来たヴァッサゴ少年が、何でもないように杖を見せた。
白い杖は魔術師の魂を得て、神々しい光を発していた。
「光の杖かのぅ」
「おじいちゃん、単純だね。でも、変にこだわって名乗りにくくなるよりはマシだね!」
ピースにはヴァッサゴ少年の例えがよく分からなかったが、ピースの手に戻ってきた松葉杖は、一瞬だけ光ると、ピースの右手に新しいタトゥーを刻んだ。痛みこそなかったが、タトゥーは杖とシンクロするように明滅した。
「杖がおじいちゃんを所有者として認めたことの証だよ。杖はこれから先はおじいちゃんと共にあり、おじいちゃんの命が終わると同時に光の粒となって消え去る運命となる」
「つまり、絶対になくなることのない? ということかのぅ」
「おじいちゃんが生きている限り。それか杖に愛想を尽かされて見放されるその日まで」
ピースの眼差しに、杖は煌めくことで反応した。
ピースは頷くと、いつものように松葉杖を用い、移動を開始した。
杖の誕生で少し和らいだものの、いまだにおさまらない憤怒の炎が渦巻く場所に行かねばならないと、そう思ったからである。