感謝
個人で集団戦に勝つのは、難しい。
例えば、冒険者ランクAの戦士がいたとして、おのれの力量で最弱だが戦意の高いゴブリンを1万体倒してこい! という依頼があったとする。
戦士は、報酬がとても魅力的であろうとも依頼を断るだろう。
理由は、戦士のスタミナが続かないのだ。それに、ゴブリンの戦意が高いことも関係している。一般常識としてのゴブリンと云えば、仲間が一気に5~6体屠られたら、瞬く間に臆病風に吹かれて、相手に背を向けて一斉に逃げ出すほどに精神が脆弱だ。その致命的な弱点が消えた最弱の小鬼と立ち向かうなど、余程のことがない限り、相手したくないものだ。
この悪条件を覆すとしたら、神の加護により、疲れることを知らない勇者ぐらいだろう。
それほどに、個人が集団を相手にすることは危険なのだ。
ピースの場合は、彼の疲労困ぱいの演技の賜物もあってか、レッドキャップの戦闘経験では対峙する老人が実はまだまだ余力を残し、冷静に対処しているという状態だと読み取れなかった。
これは、戦闘経験というよりもレッドキャップの本能に根ざすところが大きいのかもしれない。
レッドキャップは、弱った相手をいたぶるのが女を犯すことよりも好きなゴブリンである。
目の前の老人は、モヤのような塊と毒の付いたナイフを振り回すしか出来ないし、足が1本だけしかない都合上、ナイフの振り回し方によっては派手に転けて、情けなさを強調してくる。
否応でもレッドキャップは本能を刺激され、絶対であるはずの魔術師の命令すら受け付けなくなる。
結果、弱った相手をしたり顔で威圧しようと無防備のまま近づくので、ジューの的にしかならなかった。
◇◆◇◆
「お疲れさん。良い仕事ぶりだった」
目の前の敵を片付け、死体の絨毯から離れた場所の隅で休息を取っていたピースに、肩ロースからねぎらいの言葉が掛かる。
肩ロースは早速、死体の山から苗床に使えそうな死体を吟味して、種を植え付けていた。
種は死んだばかりのレッドキャップの養分を吸い尽くし、土気色のニンジンとして育った。茎と根っこを一斉に伸ばして、茎は白髪頭のように、根っこはレッドキャップの身体の隅々まで行き渡り、器用に足を動かして移動を始めた。
「突然だが、悪い知らせだ」
ピースの方からは特にこれと云った反応はなかった。なので、肩ロースはさっさと話すことにした。
「俺らの存在が相手にバレた」
「マズいことなのかのぅ」
「そうだなぁ。相手が俺らのことを知っていたら、逃げ出す可能性が大きい」
「ふむぅ。しかし、なぜ今になって正体がバレたのかのぅ」
「ジェノが云うには、相手の魔術師も俺らと同じ異界のヤツを呼んだらしい。で、その異界のヤツの魔法が魔術師よりも強かったから、俺らの存在が明るみになったんだとさ」
「いかい?」
「ああ、俺とジェノはこの世界とは別の世界の住人なんだ。どうもこの世界の住人にとって、異界の住人を呼び出すのはおのれの強さを示す格好のアピールポイントになるらしい」
「ということは、肩ロースも他の誰かから呼び出された、という事かのぅ」
「はは。俺を呼び出す物好きなんか、いないさ。まぁ、呼ばれても来ないけどな」
一笑に付す肩ロースをよそに、老人は背もたれに利用している壁を使って、立ち上がった。
肩ロースが気配を感じて振り向くと、ジェノがやってきた。
肩ロースの思惑通りか、はたまた向こう側の異界のヤツの入れ知恵か、レッドキャップが一斉にダミーマンドレイクを襲い、両者相討ちの形で全滅したそうだ。
「あなたにはこれを渡すよう、頼まれました」
と、ジェノがほんのりと白色の光を放つ松葉杖を、ピースに手渡した。
「これは、何処かで見たことのある形状をしておるのぅ」
「それはそうでしょう。先程、死んだばかりのダミーマンドレイクが全員集合して、あなたに贈るプレゼントとして生まれ変わったのですから。ああ、それとこちらも受け取って下さい」
「まさか、その姿に生まれ変わるために、俺は大量生産する羽目になった?」
「その通りです、肩ロース。お疲れ様でした」
「イヤッホゥ! 美人の『お疲れ様』で、俺はだいぶ癒やされたぜ!」
夫婦漫才はともかくとして、ピースがジェノから次に手渡されたのは、ダミーマンドレイクの茎の部分で作られた繊維状のベルトと、ジューのようなモヤのかかったフード付きローブだった。
「魔界の植物が、人間相手に贈り物なんてかなり珍しいケースです。大事に使って下さい」
「なら早速、使ってみるかのぅ」
ピースは松葉杖を欠けた足の太ももに押し込んだ。
ピースはこれまで、松葉杖を足代わりにするべく、欠けた足の太ももを型として用い、苦労の末、馴染ませた。
義肢を用いれば良さそうなことなのだが、そうしなかったのは普段、松葉杖なしでは移動もままならない片端を印象づける目的があったからだ。そうして、何かあったときにピースと敵対する者達が、それまでの固定観念で油断している隙を突いて、依頼を片付けていった。
「思ったほど以上に、痛みを感じぬのぅ」
「意思を持つ植物が、あなたの身体に馴染むように合わせてくれたのかもしれません」
「ベルトもローブも違和感なく馴染みおる」
「お気に召したようで、何よりです。ダミーおばあさんも喜んでくれることでしょう」
ピースはいちいち訊ねるようなことはしなかったが、あのダミーマンドレイクは『ダミーおばあさん』と呼ばれているようだ、とは察した。
「ほう、いっちょ前の姿じゃねーか。これで、お前さんもようやく『アサシン』を名乗れるな」
「そうじゃのぅ。お前さん方のお蔭で、ジューによる新しい暗殺の手法を身に付け、アサシンの正装まで用意してもらった。わしはこれからお前さんたちのために何をすべきなのじゃ?」
この世には無償の施しなどない。必ず見返りを求められる。
ピースはそのことを暗に示した。
「そうだなぁ。おい、ジェノ、正体、明かして良いかな」
「元よりそのつもりだったでしょうに。お好きにして下さい」
「そうか。じゃあ、俺は悪魔でな。妻のジェノは俺に関わったばかりに堕天使になった、元天使だ」
「ふむ、そうか」
「驚きが少ないなぁ、軽くショックだぜ」
「肩ロース、彼はアサシンとして多くの人を殺めてきています。だから目の前に悪魔がやって来ても納得の範囲だと思われます」
「そうか。それもそうだな。で、だ。俺はもう一つ、お前さんに奇跡を与えようと思う。そして、それを用いてお前さんがどう生きて、どう死ぬのか? それを最期まで見届けさせてくれ」
「奇跡の内容がわからんことには何とも言えないのぅ」
ここで、ピースたちのいる地面が揺れたかと思うと、何処からか炎の球が飛び出してきて、派手に爆発した。そしてそれは分裂して火の玉となって、死んだレッドキャップに向かっていく。
そうとは知らないピースは、火の玉に対して、危機的本能から地面に伏せる。
一方で、肩ロースは「野郎、あの辺に隠れていたのか」とぼやいていた。
「ピース、魔術師の場所がわかった。移動しよう」
「どういう事かのぅ」
「俺と同じ異界のヤツが、召喚者を騙して上手いことやったんでね。アレは、アイツなりの居場所の教え方なのさ」
「派手な案内のやり方じゃのぅ」
「まぁ、いろんな人がいるなら、悪魔にもいろんなヤツがいるからなぁ」
しみじみする肩ロースをよそに、ピースはジェノを見た。
「何か?」
「肩ロースは、わしの知っておる悪魔のイメージとはだいぶ、違うのぅ」
「肩ロースには威厳が備わっていませんから。これからお会いになる方もそうですね。陽気な方です。ですが、腐っても悪魔は悪魔です。気安く心を赦すことがないようにして下さい」
元天使の忠告は、ピースの心に染み入った。
ピースは、この気持ちに遠い昔の記憶となった母の面影を感じた。
突如、松葉杖が熱を帯びた。熱くはないが、気になる程度にはあたたかい。
ピースは、松葉杖を気遣うように撫でてみた。
そこに他意はない。松葉杖がすねているように思えたから、撫でてみただけである。
松葉杖が小さく発光した。
信じられないことに、ピースを長年苦しめてきた脚の古傷の痛みが、今、感じられなくなった。
アサシンギルドで現役だった頃は、白い粉を吸わないととても仕事にならなかったあの痛みが、である。
ピースは、ダミーおばあさんがこのために松葉杖の姿を取ったのかと考えてみた。しかし、答えの出ない問答だな、と気付くと、考えるのを止めた。
代わりに、「ありがとう」とお礼を述べた。
生きる手段を与えてくれた肩ロースに、ありがとう。
死を回避し、何から何まで手を尽くしてくれるジェノに、ありがとう。
おのれの死を厭わず、生まれ変わった姿で支えてくれるダミーおばあさんに、ありがとう。