第一話
簡潔に言うと輪廻転生した。しかも異世界の大魔王に。
廃墟になった城の最上階にある、謁見の間玉座に腰掛けた状態で目が覚めた。
「……なにごとだ、これは」
これが俺の第一声である。
耳に聞こえたのは、野太い聞き慣れた俺の声ではなく、似ても似つかない色気を感じさせる涼やかな女の声。しかも口調が何かおかしい。いや、男としてはおかしくないかもだが。
見下ろすと服を押し上げる豊かな双球が地面を隠し、自分の手はほっそりとしていて染み一つ見当たらない白さで、間違いなく女の手である。無論手荒れもなし。
どうしてこうなった。ガッデム。
何でこんなことに? ホワッツ?
状況に追いつけなくて、しばらく玉座に腰掛けたままぼうっとしていた。
不思議と、自分の名前は分かる。
大魔王レア。
佐倉隆景。
前言撤回。
……おい、いきなり自分のものだって認識してる名前が二つあるぞ。どういうことだ。
それぞれの名前から手繰り寄せられる記憶を少し探ってみた。
レアの方は人族の国を手慰めに壊滅させながら、挑んできた英雄たちと激闘を愉しんでいたら命を代償にした時間転移術で未来に飛ばされ、時間を越えた影響で前世の記憶に目覚めた。
隆景の方は働き詰めで体調を崩し、過労で死んで今に至る。まあ、言うまでも無くこっちの方が俺の記憶だな。前世が俺か。今生も俺なんだろうけど、どうにも実感がない。
「……転生、か。まさか我に、このようなことが起きるとは。しかも、世界を越えてだと?」
驚きが心を占める。
転生という事実に対しての驚きなのだが、三割くらいは自分の口調に対するものも入っていたりする。
困ったことに、口調が大魔王モードから戻らない。
現世の俺の方が我が強いのか、思考は俺のままなのに口に出すとこっちに強制変換されてしまうのだ。実際こっちの方が、長年使い慣れているみたいにしっくりくる。
「我は、佐倉隆景である」
試しに自分の名前を口にしてみたら、見事に名前以外変換されてしまった。
同時に羞恥心と不愉快さが湧き上がってくる。
『我の身体で妙な言を口走るな。殺すぞ』
ん?
ちょっと待て。何だこれ。幻聴が聞こえる。
『幻聴などではない。我が名は大魔王レア。気に喰わんが、今生の貴様だ。前世の我よ』
脳裏に響く声は、俺がついさっき口に出した声と全く同じ声だった。
え?
『時を超越する大魔法の副作用で、眠っていた前世の記憶が蘇った。その影響で、自我が二つに分かれたのだ。大魔王である我と、脆弱な人間である貴様にな』
説明を、もっと説明をプリーズ。
全然事態把握できないよ。どういうことなの。
『とにかく、外に出てどれほどの未来に飛ばされたのか、確認せねば。不本意ではあるが、足を使わねばどうにもならぬ』
どうやら今の俺は頭の回転がすこぶる速いようで、俺が戸惑っているうちに勝手に事態を把握して行動を始めた。
あのー、俺もいるんですけど。俺を置いてくな。
前世からの突っ込みは、今生の大魔王レア嬢には無視されました。悲しい。
急に苛立ちを感じた。
『理解せよ、前世の我。貴様とて我であることに変わりなし。もう一人の我がこの程度の理解力しか持たぬのでは不愉快だ』
どうやらレアちゃんの方から発生した感情だったらしい。
やだー、自分で自分に不愉快だとか言っちゃうレアちゃんマジ頭おかしい。いや、この場合俺がレアなんだから俺がおかしいのか? ううむ、良く分からなくなってきた。
『……この愚鈍な男が前世とはいえ我であるなどと、認めがたき屈辱よ。目の前にいれば八つ裂きにしてやれるものを』
何だか感情が乱れて、今度は怒気が沸いてくる。
変な感じだ。冷静な俺がいる一方で、感情が乱れている俺がいる。
冷静なのは佐倉隆景としての俺の意識で、感情が乱れているのが、大魔王レアとしての俺の意識だと考えればいいのだろうか。
『戯け。我が主体に決まっておろう』
どうやらレアちゃんはおこな様子。
でもさすがに、自分の意思じゃ声すら出せない時点でそれはないんじゃないかな。
『……っ!』
何だかレアちゃんが歯軋りを始めた気がする。実際凄いイライラしてる感情が伝わってくる。落ち着け。将来禿げるぞ。
さらに怒りのボルテージが上がった。解せぬ。
『貴様、もう喋るな……! 煩わしい!』
いや、喋るなって三回しか喋ってないよ、俺。
というか前世の記憶だけの存在なのに、肉体の主導権は俺の方にあるみたいだ。何か変な制限入ってるけど。
感情がしっちゃかめっちゃかでございます。放っておくとそのうち精神崩壊起こすんじゃないか、コレ。大丈夫か。
勝手に刺激されて荒立つ感情を意識して抑えれば、大魔王レアの意識から伝わってくる感情が少なくなり、代わりに俺、佐倉隆景としての感情が優先されるようになったのが分かる。
つまり、今まで五対五くらいで俺とレアちゃんの感情が一つの脳の中で鬩ぎ合っていたのを、八対二くらいで俺の感情の方が優先されるよう調整した。
うん、こういうのでいいんだ。人格が同居する二重人格状態なんて心が混乱するだけだ。ある程度状況が把握できたらレアちゃんに一時的に身体を返してあげよう。もちろん、危ないことをしないよう行動に制限をかけた状態で。
気付いたら世界が滅亡してましたとか、気付いたら自分が死んでましたとか、俺どっちも嫌だし。
で、この身体の基礎能力を測ったところ、まあ大魔王を名乗るだけあって、レアちゃんの身体能力は凄いものだった。
強くて硬い。ただし動きが鈍い。
自分よりも大きな岩を素手で砕くとか余裕だし、試したあとでも拳に傷一つ付かない。
その代わり何故か走れなくて、殴る蹴るの動作は本気でやれば余波でソニックムーブが起きるくらい速くて、威力も岩盤を大きく凹ませる強さなんだけど、一番基本的な歩く動作がやたらとゆっくりでのんびりしている。レアちゃんならのんびりしているのではない、余裕を見せ付けているのだ、とか言いそうな遅さである。
『何故も何も、我の身体でそのような余裕無き動作など、許すはずがなかろう。確かに身体の支配権そのものはお主にあるが、端々程度ならば我も介入できる。貴様が大魔王らしくあるようせいぜい我が監視してやる。覚悟しておけ』
ぶすりとした声のレアちゃんが回答をくれた。
まあとりあえず、このまま此処にいても埒が明かないことは確かなので、レアちゃんが先ほど計画していたように、外に出て直接自分の現在位置がどこか確認することにした。俺が分からなくても、レアちゃんなら分かるだろう。俺のままじゃ対処できない事柄が起こる可能性に備え、少しだけ、レアちゃんの意識を活性化させておく。
『屈辱だ……。この我が、前世といえど、たかが人間に身体を奪い取られるなど』
あ、何かレアちゃんがぐぬぬって言ってる。
涙目になってるみたいで可愛い。
『くそっ、頼むから我の威厳を損ねるような真似だけはするなよ』
恥ずかしがってレアちゃんは拗ねてしまった。
『違う! 貴様いい加減にしろ!』
もしかしてレアちゃんは突っ込み体質なのだろうか。
「……さて、どうするべきか」
あのー、ところで俺の口調ずっとこのまま?
■ □ ■
仕方がないので、とりあえず移動する。
今いるレアちゃんのお城は広いし立派なんだけど、風化し過ぎてて廃墟になってしまっている。
住むなら狭くてもいいから、もう少し良い場所に住みたい。
「……迷路だな」
『当然だ。我は人間全てを一人で敵に回していた。襲撃など日常茶飯事だった。防衛には便利な城だから不満はなかったが』
移動中、レアちゃんが自慢げに説明してくれる。それはいいんだけど。
少し歩いただけで迷った。
入り組んでいるし、中にはアスレチック張りの高低差がある場所があったりで、生活には向いていなさそうな城だ。
あと風化して崩れかけているけど、レアちゃんの姿を模した石像を所々で見かける。
恐ろしい大魔王の石像という視点で見るべきなんだろう。
でも正直、俺には美人さんがコスプレしてるオタク的要素満載な石像にしか見えない。
途中で、壁に大穴が開いているのを見つけた。
何かの戦闘の余波なのだろうか。
穴の向こうは外のようで、見渡す限りの風景が広がっていた。
「壮観だ。素晴らしい眺めよ」
『分かり切ったことにいちいち我の口を使うな』
思わず呟いたら、レアちゃんに苦情を言われた。
この口調、何とかならないだろうか。レアちゃんが使っているのは似合っていると思うが、自分も同じ口調だというのは大仰過ぎて慣れない。
あと、レアちゃんちょっと黙っててくれない?
さすがにうるさい。
『この身体は我の身体だぞ! むしろ黙るのは貴様の方だろうが!』
え、でも俺息をするのと同じように会話する性質だし、多分我慢できないよ?
「我は貴様と違って口が回るのだ。貴様が黙れ」
今のは俺が言いました。
思ったことをそのまま口に出したけど、口調がひでぇ。
ぎりぎりぎりと、またレアちゃんが歯軋りしている気がする。
物凄い怒りの感情が高まっていく。
レアちゃんが俺の口調変えてるんでしょ! それで勝手に怒るなよ!
面倒臭いな。
これからどうしよう。
「とにかく、どうするか決めねば。何処に行くべきか」
『……此処から然程遠くない距離に、以前我が滅ぼした国がある。未来に飛ばされたのならばとうに復興していよう。様子を見に行くついでに再び滅ぼし、我の復活を奴等に示す』
物騒なことを言うレアちゃんは少し黙っててね。
「危ない言をほざく輩はしばらく引っ込んでいろ」
だから口調!
『貴様、後で覚えていろよ』
ふう。
まだレアちゃんの感情から怒っているのが伝わっているけれど、何とか言うことを聞いてくれたみたいだ。
これ、表情もレアちゃんの方で取り繕われている。
声には出してなくても、お互いの感情でしっちゃかめっちゃかに気持ちが揺れ動くから、気を抜いているとつい百面相になっちゃうんだけど、レアちゃんのお陰で澄ました顔でいられる。
誰かに見られたら一人で百面相してる怪しい人なので、正直助かる。
スタイル抜群だし綺麗な顔してるのに、表情が百面相じゃただの残念な美人だ。
いや、こうなった原因は俺が目覚めたせいなんだけど。
で、穴から飛び降りるのはいけるかな。
レアちゃんのスペックマジ化け物だし、動かしてるのが俺でもいけるとは思う。
……怪我とかしないよね?
『貴様は我の身体がそれほど脆弱だと思っているのか?』
すぐに黙っていたはずのレアちゃんから文句が入った。
俺も大概だけど、レアちゃんも中々黙っていられない性質みたいだね。
『我とて身体を貴様に任せておくのはいささか不安なのだ』
俺はレアちゃんに身体を返していいのか不安だよ!
どう考えても基本方針キル・ゼム・オールで動く気でしょ!
『我は大魔王だ。当然ではないか』
威張れることじゃないからね!?
『……では、往くぞ。前世の我よ。此処から先は、我も知らぬ未来の世界だ。覚悟は良いな』
レアちゃん強いから、大抵のことには対処できるよね。そういう意味では信頼してるよ。
どこかで、レアちゃんが息を飲んだ気がした。
『信頼、か。そのような感情を他人に向けられたのは初めてだ』
伝わってくる感情は、羞恥と、喜び?
何か知らないけどレアちゃんの機嫌が上向いている。
前世の自分にしか信頼されてないなんて、レアちゃん可哀想。
『だから貴様はいちいち我を落とさずにはいられんのか!』
ぎゃーぎゃーとやかましく、俺とレアちゃんは一つの身体を共有して崩れた城壁の穴から外の世界へと飛び出した。
さあ、冒険の始まりだ! なんつって。