待ち伏せ
「ぐ……ぅっ…………」
「スフェノス……!」
スフェノスの体は一直線に地上へ落ちていった。まだそこまで高さが無かったとは言え、固い石畳の上に落ちては一溜まりもない。
堪らず声を上げたシオンの体を抱え直し、ジェドネフがなだめる。
「死にはしねぇさ。言っただろ。俺たちは人間じゃねぇ」
「でも……でも、血が……」
石畳の上に倒れ込んだスフェノスは、脇腹を押さえ、歯を食いしばっている。
赤く染まっていく彼の着衣に息が苦しくなった。地面に足を着けた後も、浮遊感がなかなか抜けない。
「実体化してる時の俺たちは、生物とできるだけ同じ構造を模してる。中身までな。血液やら肉片が飛び散るのは、魔力の結晶がそれっぽく変質している、とでも考えてくれ。生物ほどそう簡単には壊れねぇが、あんまり破損するとそれだけ魔力を失うことになるから、頭フッ飛ばされたりするのは勘弁だな」
「い、痛いんですか……?」
「痛覚の無視も可能だが、受けた直後は、そりゃあな。待て、待て。落ち着け、シオン。うっかり近づくとお前が危ねぇ」
顔を青くして駆け寄ろうとするシオンを、ジェドネフは腕を引いて引き留める。死にはしないと聞かされても、出血がひどく、人間ならただでは済まない量だ。
スフェノスは腕をつき、膝をつく。石畳の合間を赤く染め、彼は息を荒げ、顔を覆った。
「ああ……やっぱり、こわさないと……いつも……いつも……。僕の、邪魔ばかり…………」
「嬢ちゃんがどうにかしてやろうと努力してンのに、お前が人様の話し聞かねぇからだろ阿呆」
ジェドネフはシオンの体を静かに後ろへと引いた。よろめくシオンの体を、アーネスの腕が捕まえる。暖かい手を掴み、シオンは引きつる唇をどうにかして動かす。
「あ、アーネスさん……。まって、ください……。あそこまで、しなくても……」
「シオン。盗み聞きは悪いと思ったけど、彼は君の説得にも耳を貸す様子がない。これでは話しをしようにも、また僕らが切りつけられるだけだ」
「…………」
アーネスはすまない、とシオンの肩を叩く。
返す言葉がない。シオンはうつむいた。彼女の言う通り、スフェノスが耳を貸す気が無い以上、彼はまた、無理にでも自分を連れて行こうとするだろう。
2人の脇を、クルスタともう一人、男が悠々と横切る。ジェドネフの隣へ並んだ男は、立ち上がったスフェノスを見下ろして口角を持ち上げた。
「こやつがフューカスの片割れか? 随分と無様な姿よ」
「またそうやって安易に喧嘩ふっかけると頭砕かれるぞ、アダマス」
「貴様も何を悠長に眺めておるのだ、ジェドネフ。我らが国の調和を乱す愚か者を、同胞とは呼べぬわ。なあ、クルスタ」
銀色の髪を撫でつけ、アダマスは不遜に笑う。
すぐ後ろに控えていたクルスタは頭をふり、身を退いた。
「アダマス。前を見なさい」
ジェドネフも僅かに体を引く。
刹那。ジェドネフとアダマスの間を、見えない斬撃が走った。銀の毛先が数本、割れた地面へと落ちる。
「……クルスタの仕置きが甘かったようだ。貴様のその面、我が粉微塵になるまで砕いてやろう」
「今のはどう考えたってお前が悪いだろ」
アダマスは柳眉をつり上げた。その体から雷が走る。青白いそれは不規則に屈折し、渇いた音を立てて漂っていた。雷を手で払い、ジェドネフは肩を竦める。
スフェノスの手に現れた剣の柄が血のりに濡れた。彼は悪態とともに血の塊を地面へ吐き捨てる。
「そこを退け……。君たちに用は無い……」
「スフェノス。あなたの気持ちも分かりますが、これ以上の争いは無益です」
「笑えない冗談だね……。君たちに、僕の気持ちが分かってたまるものか……」
「地に足をつけてから500年程度の貴様と、我ら3石を一緒にするでないわ。駄々をごねる童の時期なぞ、我らは1000年も前に卒業した」
「アダマス……」
クルスタがため息をつく。スフェノスは目を細め、重心を傾ける。
「退かないなら、構わない。邪魔な主ともども、切り捨てるだけだ」
鋭く息を吸い込むスフェノス。後ろへ跳躍する3つの影を、斬撃が追いかけた。石畳が音を立てて割れる。白い彫刻は砕け、破片が辺りに散乱した。
ジェドネフがアーネスとシオンを抱え、後方へと下がる。担がれるシオンの耳には、アーネスとジェドネフの会話が辛うじて聞き取れた。
「どうすんだ、アレ」
「スフェノスの身柄はフルゴラに一任された。僕らはシオンの安全を優先する」
「また面倒な役回り選びやがって……」
地面が大きく抉れ、石畳の玄関がめくれ上がる。追いかけるスフェノスを、閃光と稲妻が掠めた。肌が焼け、肉が焦げる。全て切り払いきれず、雷をまともに受けた腕が動かなくなった。
足元が自身の血で滑る。剣に寄りかかり下を向くとむせ返った。
「大丈夫……。次はない……。次は、ない……」
シオンと彼の距離は縮んでいく。スフェノスは口元を拭い、苛立ち気に雷を払う。
外へ流れ出ていく赤い魔力を手で押さえ、白刃を握りしめた。
シオンは声すら出せず、アーネスの手にすがる。震えるその手を、彼女は強く握り締めてくれた。
「スフェノス。話し合いの余地はないのかい」
シオンの前に塞がるアーネスが問う。
スフェノスは滑稽だね、と低く笑った。
「話し合いを先に蹴ったのは、君たちじゃないか」
シオンは息が詰まった。彼が何の話をしているかは定かでないが、怒りに満ちているのは、明らかだ。
アーネスは目を伏せる。
「そうか……。とても残念だよ」
「!」
場に似合わない、軽快な音が鳴り響く。
気付いたスフェノスはとっさに横へ飛び退いた。足元の大地は瞬く間に盛り上がり、スフェノスの行く手を阻んだ。横凪ぎに払おうものなら、その間に地についた足が地面へ沈む。
ジェドネフが加えて指を鳴らす。大きなあぎとを開いた地面が、スフェノスを頭上からばっくりとのみ込んだ。
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静寂が戻り、シオンは茫然とスフェノスを呑み込んだ大地を眺める。規則的に敷かれていた石畳は見る影もなく、並んでそびえていた彫刻も倒れ、ただの石に戻っていた。
「やっと捕まえたんだから逃がすんじゃねぇぞ、アダマス」
「誰に物を申しているのだ。青二才に我が劣るなど、天が落ちるほどに有り得ぬ話しよ」
「へいへい。そりゃあ失礼しました……」
ジェドネフは肩を竦め、気のない声で流した。
シオンはアーネスに支えられ、難とか自身の足で立っている。地面に飲み込まれてしまったスフェノスは見えない場所にいるようだ。あの傷で、果たして無事でいるのだろうか。
「アダマス、クルスタ。シオンは僕が連れて行く。そちらからもフルゴラとローズに伝えておいてくれ」
「了承いたしました、アーネス」
「言うに及ばず。そのつもりよ。して、それが例の娘か」
地面を見つめ、スフェノスを憂いていたシオンの視界に黒銀の瞳が拡がる。驚いてよろめく彼女を慌ててアーネスが支え直す。
アダマスと呼ばれている男は、クルスタに近しい銀をまとっていた。やはり長身の男の姿を取っており、その容姿は人間離れしている。長い銀色の髪を後ろへ撫でつけ、不遜な笑みは自信に満ちあふれていた。
戸惑うシオンをしげしげと眺めた後、彼は満足そうに頷く。
「あの小僧へ肩入れをしても、利は何一つとしてないぞ、娘」
「…………」
アダマスは告げて、屋敷の入口へと向かう。クルスタはアーネスへ一礼し、2人して音もなくかき消えた。
放心状態の手を引き、アーネスはシオンへ呼びかける。
「大丈夫かい……?」
「……次から次に、色々なことが起きて……ついていけないです…………」
「そうだろうね。でも、すまない。本当に大変なのはこれからだよ」
アーネスに導かれ、シオンは重い足を引きずる。
「スフェノスの身が心配だろうけど、まずは君自身の身を守るんだ」
これ以上、何があるのだろうか。考えるだけでうなだれてしまう。
振り返った地面には、赤黒い血だまりだけが残っていた。
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見上げた天井には、所せましと絵画が描かれている。シオンの周囲を、ぐるりと長いテーブルがとり囲み、彼女はその中央に立たせられた。室内の照明は薄暗く、静けさに耳が痛くなる。
そしてそれ以上に気になるのが、肌を刺す視線だった。テーブルに腰を下ろしてこちらを見下ろしているのは、ローブを目深にかぶり、顔を隠している者ばかり。互いに顔を寄せ合い、ヒソヒソと小声で話し合っている。
居心地が悪い大広間に、渇いた足音が響き渡った。
「これより評議を始めます。アーネス、彼女を前へ」
見ると長身の女が一番高い、正面の席へ腰を下ろした。彼女は周りのローブを被った者たちとは違い、襟を上まで詰め、長い白髪を後ろで一つにまとめている。
隣に立つアーネスから視線で促され、シオンは一歩前へ踏み出した。
彼女の声には抑揚がない。淡々と、すでに用意されている言葉を読み上げているようだ。
「内容については、事前に話し合った通り。スフェノス石が主張する、彼女との契約について。彼女やスフェノス石の様子から改めて、この場にいる全員に意見を求めます」
顔が上げられない。こんな大勢の前に立たされるとは、想像もしていなかった。
唇を噛んでいるシオンに、背後からアーネスがそっと耳打ちする。
「落ち着いて、シオン。僕とジェドネフはここにいるから」
「……何か、言った方が良いんですか?」
「まだ止めておいた方がいい。好き放題言われて、腹が立つと思うけどね」
顔は上げていて、と。助言を添える。シオンはぎこちなく頷き、渋々、顔を上げた。視線のやり場に困る。正面に座っている彼女はずっと、こちらを見ているのだ。
どこからともなく、平坦な声がこだました。
「それについては先ほど結論を出したはずですよ、フルゴラ」
「現在の正門前の惨状を見てもなお、あなたは同意見であると」
「あなたこそ、あの石の要求を呑む気ですか?」
「一部については、その必要性もあると考えています」
「しかし、そこに立つ娘は魔術師どころか、魔術の素養すら怪しいと見えますが」
脇から別の声がシオンを指す。声に抑揚はなくとも、見下されているのは分かる。アーネスの言葉を自身に言い聞かせ、細く息を吐き出す。
先ほどからフルゴラと呼ばれている正面の彼女は、どう受け答えをしても表情を変えない。
「傾玉との契約に必要なのは魔術師の素養よりも、彼らとの相性。スフェノスは彼女を選びました。彼はフューカス公よりこの方、主不在が続いています。この機を逃した後、彼が再び、主を選ぶ保証もありません。このまま契約主の不在が続くのであれば、彼はいずれ、傾玉としての形を失うでしょう。彼にその気がある内に、主を選ばせておくのが、現状としては妥当であると、私は考えています」
「魔術師としての掟ひとつも知らない、一般人に傾玉を持ち逃げされる可能性も考慮してのご判断ですかな?」
「お言葉ですが」
アーネスが口を開く。彼女は後ろに手を組み、直立のまま目を伏せていた。
「そんな、我々の掟ひとつも知らない彼女に傾玉を持ち逃げされる心当たりが有るのでしたら、我々の現体制に問題があると考えるべきです」
「アーネス。元はと言えば君が持ち出した案件だったはずだ」
「厳密に言わせて戴くのであれば、私とフルゴラに対して要請があった案件です。私としては、頼んでもいない手を差し出され、いたく遺憾のほどであります」
「これほどの案件を、君個人で処理しようとの判断が、よほど問題だ。アーネス」
上から降り注ぐ声に、アーネスは冷ややかに睥睨する。
「私たちは傾玉を管理する機関であって、傾玉を甘やかすために存在する機関ではない」
「彼らを管理するためにも、彼らの心証を損なう行為は控えるべきではありませんか」
「ジェドネフ石と仲睦まじい、君らしい意見だ。しかし彼らに契約主を選抜する主導権を握らせれば、これから先、彼らが主を選抜するたびに、あのような癇癪を許すことにもなる」
「全ての傾玉が、人の上に立つ者を見極める目を持っている訳ではない。傾玉を所持するからには、それなりの力が備わっていなければ、世の混乱の元だ」
アーネスが小さく息をつくのが聞こえた。彼女は視線をフルゴラへと向ける。
アーネスの催促にも、彼女は一貫して無表情だ。整った容姿も相まって、人形に見間違えてしまっても不思議ではない。
「シオン。あなたから、何か言いたいことはありますか」
初めて、フルゴラはシオンへ声をかけた。静かな瞳と目が合ったシオンは口を開きかける。しかし、視界の隅。暗がりでジェドネフが口元で人差し指を立てている。
すぐ横でも、アーネスが小さく頷いていた。シオンは両手を握り込む。
「……今はまだ、何も」
「分かりました。では一度、評議を閉じます」
重い音が響き渡り、閉め切られていた広間の扉が開かれた。