不意打ち
辺りが騒然となる。悲鳴や、怒鳴り声もあった。人の波が城門へ殺到する。
シオンは呆然と、先ほどまで在ったはずの人影を探していた。
彼女に何があったのか。分かっていても、知りたくはなかった。
「厄介な相手だ。こんな早くに出てくるなんて」
冷ややかな声音が聞こえた。
振り返るとスフェノスの手には剣が握られている。いつ現れたとも知れぬ白刃は、陽光に照らされ、刀身が自ら輝いているようだ。対照的に、それを手にする男の表情は背筋を凍らせる。
「す……スフェノス……! なんで……!」
難とか声を絞り出すも、その声は引きつり、裏返った。
認めたくはない。だが、原因が彼であることは、誰の目にも明らかだ。
シオンの問いかけに、スフェノスは表情を険しく変え、足を肩幅に広げた。
「大丈夫、このくらいで死ぬような人間じゃない」
「え……?」
「僕の腕が鈍っているのかな……。脚の一本くらいは、もっていくつもりだったのに」
どういう意味だ。シオンはスフェノスの視線を追いかける。
腰かけていた石はやはり跡形もなく、柔らかな草が敷かれていた平地は、無残にも土がめくれ上がっている。舞い上がった砂と埃が、風にのって周囲を漂っていた。
「しぬ……。死ぬかと、思った……」
「だから言ったじゃねぇか。芝居が下手くそなンだよ。だいたい、その服装はどう見ても旅先から帰ってきたヤツの身なりじゃねぇ」
「そ、そんなに下手だったか……。いや、それより……! そう言うことは先に言ってくれ!」
「いいから、ほら、始めっからやり直せ」
「いたっ……!」
どさりと、何かが落ちる音がした。
聞き覚えのある声がした方へ、シオンは急いで目を凝らす。石の残骸からだいぶ横へずれた場所で、少女が腰を擦っている。金髪のおさげに、小柄で端麗な容姿。アーネスだ。
そして彼女の隣には、屈強な男が立っている。スフェノスも長身であるが、男はそれ以上だろう。城門に控える兵士たちと似た、黒い軍服に身を包み、深緑の外套が風に翻る。アーネスが並べば親子にも見えた。あまり見慣れない浅黒い肌と、後ろへ撫でつけた灰色の頭髪が目につく。一対の碧眼は深い翠を湛え、まるでガラス玉か、宝石のようだ。
男は呆れた様子でアーネスを見下ろしている。シオンに気付いた彼は「よお」と口の端を持ち上げる。
「心配すんな、嬢ちゃん。アーネスならこの通り、なんら変わりない、ちんちくりんのままだ」
「その呼び方は止めろと言っているだろう、ジェドネフ!」
立ち上がったアーネスは男を叱責する。ジェドネフと呼ばれた男は鼻で笑い、彼女を軽くあしらった。
アーネスは憤慨しながらも、まとっていたほつれたローブを翻す。次には、彼女の姿は様変わりしていた。と言っても、顔立ちや身長はそのまま。腰まであったおさげ髪は、肩まで短くなり、年頃の少女のスカートはジェドネフと同じく、黒を基調とした制服へと変わる。彼との大きな違いは、ショートパンツから見える足は年相応に細く、ローブから変化した緑の外套には、金の刺繍が所々に施されていた。
深く呼吸を繰り返した後、アーネスはシオンへと向きなおる。手をあてた彼女のその胸には、深碧の宝石が力強く輝いている。
「改めて名乗ろう、シオン。僕はシュティア国、華族第2階位。アーネス家当主、アーネスだ。今回、君とスフェノスの保護をラドラドル石、及び魔術師協会から依頼されてやってきた。騙すような形での挨拶になってしまって、たいへん申し訳ない。仕方がなかったとは言え、まず謝罪するよ」
変わらず可愛らしい容姿に反して、芯の通った、しっかりとした口調と声音だ。アーネスはシオンに頭を下げる。
シオンはどうして良いか、分からなかった。彼女の口にした単語のほとんどが、今のシオンには理解できないものばかりだ。それ以前に、全身の力が抜けて、このままへたり込んでしまってもおかしくない。
「私を、保護……?」
保護となれば、誰かが自分を探していると言うことになる。一体、誰が。
今一つの反応に、アーネスは視線をシオンの後ろへ、スフェノスへと向けた。
「本当に彼女は何も知らないのだね、スフェノス。主として連れ出したにも関わらず、彼女にも君の目的を隠しているのかい?」
「…………」
シオンはスフェノスを見た。彼は目を細めるだけで、アーネスへ剣を向けたまま。動こうとはしない。
アーネスは悩ましげに眉を下げた。
「契約には魔術師協会を通して貰わないと面倒ごとになる。君も分かっているはずだ」
「君たちには関係ない。これ以上、僕に関わるな」
「そうはいかない。君は長いこと主を選ばなかったのに、今になって彼女を選んだ。元老院が彼女を放っておくわけないだろう。せめて何らかの理由をこじつけておかないと、後々困るのは君とシオンだ」
「今ならまだ俺とアーネスで口を利いてやる。早い内に自分から顔見せに行かねぇと、耄碌どもがおかんむりだぜ」
「僕は魔術師も、魔法使いも嫌いだ。君たちの手を借りる気はない」
スフェノスの声はジェドネフに対しても憮然としていた。彼の返答に、ジェドネフはしたり顔でわざとらしく頷く。
「分かる、分かる。俺もお前さんくらいの時は常々、そう思ったモンだ」
「こら、ジェドネフ。話しを引っ掻き回すな」
スフェノスの周囲に風が巻き上がる。ジェドネフがさらに口笛を吹いて茶化すと、慌ててアーネスが彼らの間に入った。
彼女は長く息を吐き出す。
「頼むよ、スフェノス……。残念ながら、君の力は今や君だけのものではない。君の選択が一国を揺るがしてしまう。彼女が君の主に相応しいか、形だけでも吟味する場は設けないと……」
「僕の主は僕が決める。誰に何と言われようと、僕の主はシオンだ。君たちの意見は関係ない」
「君がいくら他者との関わり合いを拒んだところで、逃げようがない。そのツケは君だけでなくシオンに回ってくる。彼女のためにも、一度冷静になって、僕たちの話しを聞いてくれ」
アーネスは一歩踏み出し、シオンへ手を差し出した。訳も分からず彼らの話しを聞いていた彼女の足は、無意識に後退る。
「シオン。君の意見も聞かせてくれ。いや、君の置かされている状況は、僕も分かっているつもりだ。今ここで何が起こっているかすら、君には分かっていないのだろう。先ほどの君の反応で、確信も持てた。君に非がないことは明白だ。けれど、事が拗れてきてしまっていて」
アーネスはそこで不意に言葉を切った。彼女は地面を蹴ったかと思えば、シオンの腕を引き寄せ、自身の後ろへと引きずり込む。とっさの出来事で、シオンは勢いに負けて地面に転がる。柔らかな芝生が彼女の体を受け止めた。
シオンが目を回す前に、スフェノスは異変に気付いていた。振り向いた彼を、突如として現れた炎が襲う。炎は瞬く間に彼を呑み込み、周辺ごと焼け野原へと変えた。煌々と燃え広がる炎は熱風を生み出し、火の粉を辺りへまき散らす。
「ああ……何てことだ……」
火が爆ぜ、熱風が肌を舐める。
背中越しにアーネスの嘆きが聞こえてきた。目の前には炎の柱が立ち上っている。多くの兵士が旗に燃え移った火を消そうと、辺りを走り回っていた。
シオンも踊る火の粉を目で追い、ふらふらと立ち上がる。気付いたアーネスが彼女の腕を掴んで引き留めた。
「駄目だ、シオン! あそこは危険だから……!」
「でも、スフェノスが……!」
「駄目なものは駄目だ! 僕が恐れていた事態になってしまった!」
「放ってはおけませんんっ!」
「駄目だって言っているだろおぉっ!」
このままここで眺めている場合ではない。シオンは足に力を入れ、無理やりにでも進もうとした。アーネスは意地でも離す気が無いようで、シオンにずるずると引きずられていく。
そんな2人の襟首を、ジェドネフが横から軽々と持ち上げた。圧倒的な身長差に、両足が地面から離れる。
驚いたシオンはアーネスと2人、じたばたと宙を足掻く。
「落ち着け嬢ちゃん。話しを聞いてからでも遅くはねぇさ」
「お、おろして下さい!」
「ほい」
「ぎゃあ!」
「うわあ!」
そして2人して悲鳴を上げ、地面に伸びる。下が柔らかな草地で幸いであった。横でアーネスがまた腰を擦っている。
ジェドネフはやれやれと腰に手をあて、大地を赤く舐める炎に息をつく。
「スフェノスは傾玉の中でも戦向きの性能。三流魔術師のぬるい火なんざ、焼け石に水だ」
「けーぎょく? 戦……?」
またもや理解できない単語の出現である。口にしてみても、全くしっくりこない。
一方。アーネスはその横に座り込み項垂れている。
「全くだ……。これでスフェノスの機嫌を完全に損ねてしまった……。なんてことだ……僕の苦労が…………」
「いいからとっとと立て、ちんちくりん。アイツ、怒り狂ってるに違いねぇぞ」
「そ、そうだ……。ここでスフェノスと彼女を戦わせたら、アルデランが火の海になってしまうじゃないか……!」
アーネスが立ち上がる間にも、炎は広がる。収まらない勢いに、消火活動を進めている兵士たちも青くなっていた。アーネスの顔も、負けず劣らず真っ青だ。
そんな煉獄のような光景に、高らかな笑い声が響く。
「なんと無様な姿でしょう、アーネス! 主のいない傾玉ひとつに、ジェドネフ石を伴っていながらこの醜態! 華族の名が泣きましてよ!」
「…………」
シオンの横で、青いアーネスの表情がさらに険しくなった。
笑い声は一度、ぴたりと途切れる。そうして、アーネスとシオンの前に、文字通り空から人が降ってきた。紅蓮のごとく真っ赤なドレスが翻り、白金の巻き髪が熱い風になびく。相対するかのような蒼い瞳でさえ、冷めた印象は欠片も持てない。
颯爽と現れた同い歳ほどの人物に、開いた口が塞がらないシオン。アーネスは顔を覆い、誰に対してか謝罪を繰り返していた。
「フルゴラ様の到着を待つまでもありませんわ! 時代に忘れ去られた傾玉の1つや2つ、私のクルスタ石で手籠めにして差し上げましてよ!」
「ローズ……。君は、僕がフルゴラにやった、事前情報に目を通したのかい……?」
アーネスの声音は、今までと打って変わって弱々しい。対して、ローズは自身のドレスを軽く手で調え、はつらつと答えた。
「事前情報など、アテになりませんわ。自身の目で見たモノだけが真実です」
「申し訳ありません。アーネス。私も止めようと努めたのですが……」
真っ赤なドレスの横に、さらに音もなく人影が現れた。昼間だと言うのに、その女は目に眩しい。白銀の髪は風とは関係なく揺らめいている。白く華奢な体は、純白の布に覆われていた。そんな彼女は、誇らしげに胸を張るローズの隣で深々と頭を下げる。
様々な意味でシオンは彼女らに目を奪われてしまった。この騒がしい一団は、一体全体、ここへ何をしにきたのだ。
シオンが混乱をきたしていると、視界に広がっていた炎の波が大きく収縮する。一閃によって、残り火ひとつ逃さず炎は薙ぎ払われた。火の粉の残り香が、横薙ぎに漂う。
「まあ! 私の炎を無傷で払うとはなんと生意気な! あの容姿と言い、もっと従順であれば私の石にして差しあげたものを!」
「ローズ。これ以上、スフェノスの逆鱗に触れる発言はお控えなさい」
悔しがるローズにクルスタが苦言を呈している。
シオンはとりあえず胸を撫で下ろした。焼野原に立つ人影はどこも変わりない。火傷どころか、彼の着衣がこげた後すら見当たらなかった。シオンは膝から崩れ落ちる。
その前方に、ジェドネフとアーネスが立ち塞がってしまった。足に力が入らず、やむなくシオンは身を乗り出し、様子を覗き込んだ。
スフェノスは剣呑な表情も変わっていない。鋭利な目で、屈強なジェドネフと、白いクルスタの姿を見据えている。別人と言われても納得してしまいそうな気迫に、シオンは息を呑んだ。
「シオン」
しかし、これまでと変わらない穏やかな声に、シオンは目を瞬く。
スフェノスは剣を下げた。白刃は光り輝く粒子となって、彼の手から形を消す。
驚くほど静かな碧眼と合い、言葉が喉で詰まった。
「僕を信じて、待っていて。必ず、君を迎えに行くよ」
「待って、スフェノス……」
手を伸ばしかけるも、スフェノスは彼女へ背を向けた。そして自身も、手にしていた白刃と同じくして霧散する。彼の軌跡も、焼かれて渇いた風にかき消された。
行き場のなくなった言葉は、喉の奥へとしまい込むしかない。シオンはうつむく。
何が、どうなっているのか。説明もせずに、消えてしまうなんて。色々なものがない交ぜになって、スカートの裾を強く握り締めた。
城門前の景色は今や一変している。誰もいなくなった灰の大地を見つめ、アーネスが肩を落とす。
「まずい……。これは、まずい……。フルゴラになんて言えばいいんだ……」
「弱音を吐いている場合ではありませんことよ、アーネス。このまま追討戦ですわ」
一人、ローズだけは意気揚々と意気込みを述べた。
ジェドネフの悪態がシオンの耳にも届く。
「お前、ほんっとに一行もアーネスの報告書、読んで来てねぇだろ」
クルスタも目を伏せたまま、頭を振る。
「ローズ、私の性能ではスフェノスにとても及びません。戦闘面においては、ジェドネフでもスフェノスを上回るのは難しいでしょう」
「最高位であるジェドネフ石よりも、さらに性能が上だと言うのですか?」
「何度も言ったはずですよ。彼女のことは、アーネスとジェドネフに任せなさいと」
視線を感じてシオンが見上げると、物憂げな目と交わった。彼女の瞳はその髪と同じく銀色に輝いている。その神秘的な輝きが、ただの人のものであるとは考えにくい。
意気消沈するクルスタに反して、ローズは力強く手を握り締めた。
「いいえ! 余計に引けませんわ! 是非とも私の石に、ではなくて……。そんな石を、このような下等階級と、仮であっても契約させるなど! 断じてなりません!」
「私……?」
不意の指名に、シオンは思わず自分自身を指さした。ここまできて無関係だとは到底、言い張れないが、もはや話しから置いてきぼりにされた身では何も返せない。
アーネスは首を横へ振り、ローズをなだめる。
「彼女を責めても、互いに利益はない。スフェノスは彼女をつれ戻しにくる。僕たちは準備を整えて彼を待っていれば、それでいい」
「私のクルスタ石と、あなたのジェドネフ石が待ち構えていると分かっていて、スフェノス石が戻って来ると?」
「来るだろうね。彼女にそう告げたからには」
アーネスは今一度、シオンへ手を差し出した。差し出された柔らかな手の平を、シオンは漠然と見つめる。
自分はこの後、どうすれば良いのか。彼は「待っていて」と言ったが、いつまで待てばいいのだろうか。そもそも、信じるべき言葉はスフェノスなのか、それともアーネスたちなのか。
シオンは口を引き結び、自分の手で体を起こした。




