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検問

 予定通り。太陽が昇り切るころには目的地へと到着した。

 長い間、揺られていたせいだろう。荷台から下りれば腰の痛みに襲われる。地面に足をつけても、しばらくは歩いている心地がしなかった。

 案の定、スフェノスは娘に引き留められている。彼は父親に謝礼を渡し、きれいな笑顔であっさりと別れを告げた。恨めし気な視線を背中に受けて、シオンもそそくさと馬車から離れる。

 慣れる、慣れないに関わらず、あまり気分の良いものではない。どうすれば良いものか。


「足元に気を付けて」


 にこやかに差し出される手を、シオンは複雑な心境でとる。

 丘へ登ると、青空の下へ広がる街並みが一望できた。まず始めに、町の中央でそびえ立つ、石造りの城が目につく。青空を遮るほどの立派な城壁には、深緑の旗がはためいていた。緑と黒の城を中心に、深緑の三角屋根が幾重にも連なり、さらにその城下を囲むのは、見上げるほど高い、石の壁だった。

 丘を下っていくと、その大きさが分かる。シオンは目の前に広がる石壁を見上げた。

 黒い石の上を、等間隔で緑の旗印が彩る。増える人の流れに沿って進めば、一段と大きな雄牛の紋章を備える鉄門が現れた。シオンは思わず感嘆する。


「すごい、大きな門ですね……」

「シュティアは13国の中でも豊かな国だからね。その王のお膝元ともなれば、それだけ人も集まる」


 はぐれないようにね、と。スフェノスはシオンの体を引き寄せる。冷たい手に自然と体が固くなった。

 人は増えていく一方だ。人だけではなく、馬や牛。はたまた、見たことも珍妙な生き物が目に入り、何度も視線を向けてしまった。

 街の喧騒にも負けない中、シオンは少し声を張る。


「あの、さっきからよく見る、壁にかけてある旗は……?」

「ああ、緑の旗印かい? 緑地に金の雄牛は、シュティア国の紋章だ。元々は建国に貢献されたシュティア公家の家紋だったものが、今では国の紋章として扱われている。商人がこぞってあの紋章をつけているのは、彼への敬意もあるけれど、縁起担ぎみたいなものらしい」

「とても敬われている人なんですね……」

「人間には魅力ある人物なのだろうね。僕にはまるで理解ができないのだけれど」

「……?」


 スフェノスは笑って相づちを打つ。

 その言い回しに違和感を覚え、シオンは彼を見上げた。


「でも困ったな」


 スフェノスは眉を下げる。シオンが彼の視線の方向を見ると、そこには長い、二つの列ができていた。


「何の行列でしょう?」

「検問を敷いているみたいだ」

「……何か、入口で見せてるみたい」

「旅券かな。もしくは商いの認可証だろう」


 行列の先へと目を凝らしてみる。

 列の先頭は鉄門の両脇から伸びていた。それぞれに黒い軍服を纏った兵士たちがおり、人々から差し出される何かを見て、記録を取っているらしい。すぐそばでは、武装した兵士が馬車に積まれた荷駄を確認している。

 スフェノスがうーんと、口元へ手をあてた。


「急ぎの診察を受ける体で、それとなく入ろうか」

「え……? それで、大丈夫なんですか……?」

「今から旅券を工面するとなると、ちょっと時間がかかるんだ」

「準備していたから、ここを目的地にしたのでは……?」

「いや、ここまで来たのは成り行きかな。この辺りで治安が一番良さそうのはここだったから」

「そ、そうだったんですね……」


 呑気な口調にシオンは苦笑する。 

 一度、2人は行列から離れた。門の脇で積み荷を整える商人たちへと紛れ、手ごろな石の上へと腰を掛ける。スフェノスはどこからともなく、金貨と首飾りを取り出した。


「旅券がなくても中に入れないか、少し聞いて回ってくるよ。シオンはここで待っていてくれるかい? 少しだけ路銀も渡しておくから、何かあれば使って構わないよ」

「これは……?」


 スフェノスは数枚の金貨を、シオンの手の平へとのせる。重なる金貨が高い音を立てた。さらに、彼女の首へ首飾りをかける。慣れた手つきでかけられた首飾りはペンダントの形をしており、銀の装飾に小さな萌木色の石がはめられている。小さなその石は、角度によっては無色透明にも見えた。

 首にかけられた石を見下ろし、シオンは首を傾げる。


「お守り、とでも言えばいいかな。僕のいない間に、昨日のようなことがあるとも限らないから」

「昨日のこと……」


 はた、と。シオンは今朝の悩みを思い出した。遠くで男の叫び声が聞こえたような気がして、口を引き結ぶ。


「何かあれば、それで僕を呼んで。すぐに君の元へ戻ってくるよ」


 スフェノスは立ち上がり、恭しく頭を下げた。長身の背は人ごみに向かい、波にのまれて見えなくなる。

 彼を見送ったシオンは金貨をポケットへ押し込み、ペンダントを指でつまんだ。小さい石ながらよく磨かれている。施された銀の装飾と言い、こんな高価な物を貰ってしまっては気が引ける。

 彼は従者と言えど、少しばかり過保護ではなかろうか。それとも、これが世間一般的な、普通の主従関係なのだろうか。

 触れた石の表面は冷たい。シオンは首から下がる小さな宝石を服の下へと隠した。

 空は相変わらず雲一つなく、暖かな日差しが注いでいる。ごった返していた人ごみは少しずつ減っていく。比例して、不安が滲んだ。

 もし、このまま置いて行かれたら――


「まだ、大して待ってないのに……」


 ため息を吐き出して、風になびく緑の旗印を眺めた。これではいつまで経っても、彼に頼りきりになる。旅の目的が何であれ、自分が始めたのだろうから、最低限の責任感は持ち合わせていたい。そのためにも、はやく記憶を元に戻さねば。この町に、解決してくれる人物はいるのだろうか?


「やあ、君も荷物の検分待ちかい」

「え……? あ……こ、こんにちは……」


 物思いに耽っていたシオンは我に返った。

 顔を上げれば、そこには少女が立っている。気さくな声に反して、少女はシオンより一回りは歳下に見える。隣に腰を下ろした彼女の頭は、シオンの目線ほどだ。

 彼女もやはり、シオンとは違い、白い肌に金色の頭髪を備えていた。加えて、彼女の白い肌はきめ細やかでくすみひとつない。腰まで伸びたおさげ髪も、毛先まで整っている。服装はシオンと大差ない、一般的な身なりではあったが、ローブの下に見えているシャツから靴に至るまで。これまで見てきた同性とは、身だしなみの徹底ぶりに明らかな違いがあった。


「僕はアーネス」


 差し出された右手に、シオンは目を瞬く。理解するまでに、やや間を要した。慌てて同じように右手を差し出す。


「私は……シオン、です……」


 握った手の平は当然ながら温かい。ぎこちなく自己紹介と握手を交わし、シオンは密かに生唾を呑み込んだ。


「シオン? この辺りでは珍しい名前だね。東の出身?」

「ええっと……ここから少し、遠い場所……」

「へぇ。やっぱりそうか。きれいな響きだ」


 アーネスは感心した様子でシオンの黒に近い、茶色の髪を眺めている。気恥かしくなってうつむくと、彼女は「ごめん、ごめん」と笑う。長いまつ毛に、鈍色の瞳が見え隠れしていた。

 彼女は自身の膝に抱えた鞄を開き、中身を探っている。


「身内の土産が検閲に引っかかってしまってね。僕まで待ち惚けを食らってしまったんだ。昼食はアルデランに戻って食べる予定だったのに……」


 取り出したのは小さな木箱だった。開くと細長い棒状の塊が入っている。一見すると、硬い焼き菓子のようだ。バターと卵の香りがする。


「良かったらどうだい? シュティアでは定番のお菓子だよ」

「あ、ありがとうございます……。いただきます」


 アーネスが軽く力を入れただけで、焼き菓子は小気味よく割れる。彼女は半分に折った片方をシオンへと差し出した。

 思えば、自分もまだ昼食を取っていなかった。シオンは礼を言ってアーネスからそれを受け取る。

 アーネスが先に一口食べて、シオンも続いて少しかじった。甘い菓子だ。口当たりも見た目に反してなめらかで、バターの香りが鼻に抜けていく。シオンはもう一口、頬張った。


「君は一人で旅行をしているの? それとも商売かい?」

「商売ではないです……。荷物は、えっと……同伴者が持ってくれていて……。この国は、初めてなので、彼は今、話しを聞きに……」


 味をゆっくり堪能する間もなく、シオンは言葉を濁した。

 スフェノスをなんと紹介すれば良いのだろうか。従者と素直に答えたところで、自分に主としての自覚は全くない。

 シオンは苦し紛れの回答を返した。アーネスは菓子の入った箱を戻して頷く。


「ああ、連れがいるんだね。随分な軽装だから、つい声をかけてしまったんだけど、要らぬお節介だったみたいだ」

「いえ。慣れていない場所で緊張していたので、話し相手ができて嬉しいです」


 貰った菓子はすべて口の中へ消えてしまった。あとでスフェノスに菓子の名前を聞いてみよう。

 アーネスは口元をハンカチで拭っている。シオンは彼女の育ちの良さを何となく察した。それこそ、彼女のような人間が従者と呼ばれる付き人を従えているのではなかろうか。


「初めてならアルデランを案内しようか? 住んでいる僕が言うのも難だけど、とても良い街だよ」

「本当ですか? あ、でも…………」


 願ってもない申し出に、シオンの胸は少しばかり浮かれていた。同性の知り合いが増えるのは、とてもありがたい。スフェノスには相談しにくい事態が起きるのは明白だ。何より、今は少しでも顔見知りを増やしたいのが本音だった。しかし、肝心のスフェノスの了承を得ないことには始まらない。まずこの壁の向こうへ入れるかも、今はまだ分からない。

 シオンは悩む。いつ戻って来るとも知れない彼を、アーネスに待たせ続けるのも悪い。もし中へ入れなければ時間を無駄に使わせてしまう。

 シオンは淡い望みをもって顔を上げた。すると、見計らったかのように見覚えのある長身が見えたのだ。人ごみの合間を縫ってやって来るその姿は、スフェノスその人で間違いない。荷物をどこかへ預けてきたのか、その手には鞄がなかった。

 はやる期待に任せて、シオンは立ち上がる。


「どうしたんだい?」

「その、今……彼が戻って来たみたいで……」

「ああ、そうだね。君だけ連れて行ったら怒られてしまう」

「返事を聞いて、戻って来ますね」


 いたずらっぽく笑うアーネスに、シオンもつられて笑ってしまった。

 足早に、シオンはスフェノスへと歩み寄る。向こうもこちらに気付いたのか、足を止めた。彼はシオンの後ろ、アーネスを見据えている。 

 シオンは遠慮がちに切り出した。果たして許してくれるだろうか。彼は人によっては随分と冷めた態度をとる。


「スフェノス、あの、話しが……」


 シオンが口を開きかけたその時、彼女の横を何かが横切った。激しい突風に埃や砂が舞い上がり、堪らず目蓋をかたく閉ざす。風が収まるまでしばしの間を要した。

 何事かと、恐る恐る目を開ける。数歩先の地面がえぐれ、地面がむき出しになっていた。それはシオンの横、一直線に伸びている。嫌な予感がした。鼓動がやけに大きくなる。

 えぐれた地面の先を目で追うと、先ほどまで自分が座っていた石は砕け、跡形もない。そこに在ろうはずの人影も見当たらず、シオンは呼吸を忘れていた。


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