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町の夕暮れ


 日も傾き始めて、遠くの山裾は夕日に燃えている。


「本当に医者へ行かなくても大丈夫かい?」

「大丈夫です……。体はこの通り、元気なので……」


 彼の職業は王子様でなく、従者。または付き人と言われる存在。2人で旅をしているのは、シオンの従者としてスフェノスが付き従っているため。とのことだ。

 宿での一悶着の後。シオンは彼からそう聞かされた。自分が彼の従者であれば、まだ驚きはしない。だがしかし、まさかそんな。

 シオンは肩を落とした。隣を歩く秀麗な容姿にため息が出てしまう。

 彼に非はない。ただ、どこへ行こうにも人目を集める。妖艶な女性たちから、一晩の宿のお誘いも絶えず。何より、再びあの宿へ戻るのかと思うと、荷物もそのままに、遠くへ逃げてしまいたい。

 宿を飛び出してからは、目的もなく町を見て歩いている。随分と歩いたようで、今では町の境界にまで来ていた。石畳で整備された道は、平らにならされた土へと変わり、丘の向こうへと伸びている。道沿いの民家に、ぽつぽつと灯りがともる。


「そろそろ宿へ戻ろうか。シュティアの治安が良いと言っても、夜に外を出歩くのは控えよう」

「あ、はい……。そうですね……」


 赤く燃える高原に魅入っていたシオンは、足の向きを変える。夕暮れに背を向けたシオンたちは、ひらけた町の通りへと戻って来た。

 通りの両脇には露店が並び、橙色のランプをぶら下げている。売っている物は食品や衣服、装飾品など様々だ。特に、空腹を誘う匂いを漂わせている店は、帰路へつく人々の足を止めている。


「何か欲しい物はある?」

「い、いえ……特に、そういう訳じゃ……」


 露店に目を奪われる彼女を、スフェノスが覗き込んだ。

 シオンは慌てて首を横に振る。


「これだと、私がふらふらと意味もなく連れ回してしまって、あなたに悪いですね……」

「君が楽しいなら、僕はそれでいいんだよ」

「う…………」


 目も眩む微笑に、堪らず苦い顔になる。彼は宿を出てからと言うもの、この調子であった。

 静かに微笑んで、シオンの隣を歩くだけ。もしくは、段差などで手を差し出される等の、手厚い待遇。


「少し、冷えてきましたね……」


 苦し紛れに、シオンはなんとか会話らしい会話を切り出す。あてもなく町を回っていた中で、彼がこの辺りについて話してくれたことを思い出した。

 スフェノスは頷き、暗がりを帯始めた空を見上げる。


「そうだね。シュティアの気候は穏やかではあるけれど……」


 彼は軽く右腕を払った。瞬く間に、その手には毛糸で編まれた白のストールが現れる。

 シオンが呆気に取られる一方。スフェノスは事も何気に、真っ白なそれを彼女の肩へとかけた。肩にかかる重さと温かさは、間違いなく本物だ。


「昼間、話したように、シュティアはアテラス大陸の中でも北寄りに位置している。昼間は過ごしやすくても、夜は寒いかもしれないね」

「ありがとう、ございます……」

「お礼なんていいんだよ。当然のことをしているだけだから」


 ありあまる気遣いに、肩身が狭くなる。シオンが頭を下げようにも、スフェノスは彼女の手を引き、ある露店で足を止めた。

 露店の前には本が積まれている。ページは黄ばんでいて、物によっては虫食いも見られた。古本を売っているようだ。シオンが表紙の文字を目でなぞるも、読めそうにない。

 スフェノスは店主に、銀の硬貨を1枚渡す。本の上へ無造作に折りたたまれ、積まれていた羊皮紙を広げた。軽く息を吹きかけ、手を離す。すると、紙に描かれた図柄や文字は、彼の手から離れた後もその場に漂い続けた。


「これがアテラス大陸だよ。少しばかり古いけれど、大まかにはこんな感じだ」


 宙に浮遊する地図にも、店主は見向きもしない。シオンは恐る恐る覗き込んだ。

 2人の歩みに合わせて、地図は宙を漂う。小さな虫食い穴から足元の石畳が見えた。


「シュティアはここ。地を統べる魔術師の血脈を受け継いだ者たちが住まう、高台の国だ」

「国が13、あるんでしたっけ……」

「その通りだよ。せっかくだから、成り立ちも話しておこうか」


 町を見て歩いていた間。彼がそんなことも話してくれた気がする。

 スフェノスの手が紙面を撫でると、古びた地図の上へ文字が浮かぶ。国名だろうと思われるその文字も、やはりシオンには読むことが出来なかった。


「元々、この大陸は大小、様々な小国家、民族が争いを繰り返して領地を奪い合っていたんだ。気の遠くなるような、長い間。争いの絶えない、名前の無い土地だった。そこへ、ある13人の魔術師が現れる。彼らの偉大な魔術の力によって、長い争いにも、ようやく幕が下りた。その後、さらに長い年月の間に12の国と、1つの島に国を分けた所から、アテラス大陸の歴史が始まるんだ」


 スフェノスの手が腕を引き寄せる。驚く間もなく、ランプを手にした子どもたちがシオンの脇を駆けていった。


「この13人の魔術師は『建世(けんせい)の魔術師』と呼ばれていて……。12の国と1つの島はそれぞれ、国の礎を創った彼らの名が元になっているんだ。この国であれば、シュティア。戦争の終結に大きく貢献した、13名の中でも特に優れたと言われる、地の魔術師を祖とする国」


 人差し指になぞられた地図の上部が僅かに光を帯びていた。

 耳慣れない単語が続き、自然とシオンの眉間は寄る。


「シュティアの他に、アリース、ミニス、カルキノ、リオン、ヴィルゴ、リブラ、エスコル、サジタリア、ベルソー、ピスケ。そしてフューカス。これら13の国は、建世の魔術師たちが定めた不可侵の条約を、今も守り続けている。おかげで、今のアテラスには千年に渡り、国同士の大戦は起きていないんだよ」

「そう、なんですか……」

「ここまでが、一般の学舎なんかでも習う、基本知識だね」

「…………」


 シオンは苦い表情を浮かべる。

 困った。全くもって記憶にない。

 スフェノスが苦笑する。


「そう焦らないで。君の記憶喪失は頭部への損傷からくるものではない。一時的な記憶の混乱。その内に治るものだよ」

「だと、信じたいです……」


 両手でストールを体に巻き付ける。

 励ましの言葉だとは分かっていても、不安が勝り、意味もなく後ろ向きな発言が口をついていた。


「心配だろうね。もしかしたら、僕は君に嘘をついているのかもしれない」

「すいません……。そんな、つもりでは……」

「謝る必要はない、シオン。君のそれは正常な反応だよ」


 彼は足を止める。丁寧に折り畳まれた地図が、シオンへ差し出されていた。

 周囲の雑踏にかき消されてしまってもおかしくない、穏やかな声音。それが不思議と、はっきり彼女の耳へ届いていた。


「今の君にとって、僕はあかの他人。君には僕の言葉を全て鵜呑みにせず、自分で考えて行動しようという意思がある。それは何も、悪い事ではないだろう? 君の僕に対する不安は、僕が君の信頼に応えていれば、いつかは解決する話しだ」


 差し出された読めない地図に、胸が詰まるのを感じた。


「シオンなら大丈夫。一緒に頑張ろう」


 非の打ち所がない。本当に困った人だ。

 知らず知らずのうちに、シオンの口からはため息がこぼれていた。なんとか笑みを返してみせるも、唇の動きが少しぎこちない。


「お言葉に甘えてばかりで、申し訳ないです……」

「いいや……。むしろ、こんな事態になってしまって、僕は責められるべきなんだ」

「こんなに親切にしてくれる人を、責める理由なんて……」


 スフェノスの手にあった地図を受け取り、袖口の内側へと入れた。

 落ち込んだところで現状は変わらない。彼が一緒にいてくれると言うのなら、自身はまだ幸運な方だ。

 シオンはスフェノスを見上げる。金の髪は露店のランプに煌めき、先の高原で見た夕焼けの色をしていた。少し躊躇いながら、シオンは上目遣いに尋ねる、


「あの……私も、スフェノスと、呼んでも、いいですか……?」

「…………」


 長いまつ毛の下。碧眼は丸くなり、じっくりと融けた。


「ああ、是非とも……。スフェノスとお呼び下さい、我が主……」

「えっと……主呼びは、ちょっと……恥ずかしいので、シオンのままでお願いします……」


 胸に手をあて、頭を垂れかけるスフェノスの肩を、すんでの所で止める。往来の真ん中で、宿の惨事は御免だ。

 彼の瞳はこれ以上にないほど、期待に輝いていた。スフェノスはシオンの手を掬い上げて包み込む。


「君の期待は裏切らない。必要とあらば、いくらでも命じてくれていいからね」

「命令って言われても……」

「大丈夫。君の命令なら、何だって従うよ」

「いや、そうじゃなくて……」


 熱の籠った声と視線に、シオンの笑みは引きつる。

 これは、思っていた方向と違う。シオンの右手を取る彼の両手は力強くなり、じりじりと綺麗な顔が近づいてくる。


「何でも言って。君のためなら、僕は何でもする」


 この美男、少しばかり危うい人間では。

 つい先ほどの感動も忘れて、シオンは思わず身を退く。まだ心を開くには早すぎたのだろうか。

 手を解こうにも、右手は包まれたまま。視線で訴えてみるも、こちらが押し負けてしまう。

 シオンは仕方なく足早に歩き始めた。スフェノスは彼女に合わせ、器用に横歩きをしている。傍からすれば、実に奇妙な光景だろう。


「従者じゃなくて、友だちから、始めませんか……?」

「どうしてだい?」

「どうしても何も……。記憶を失くす前の私は、日常的に命令を……?」

「うーん……それは……」

「友だちから、始めさせて下さい……」


 視線がそれた。わずかであったが、シオンは見逃さない。

 渋々ながらも了承するスフェノスに、胸を撫で下ろす。

 自身の生まれがどのような環境下であったかは未だに知れない。己の言動からして、貴族や皇族などと言った、大層な身分でないのは明らかだ。

 で、あれば。何故、スフェノスのような従者を連れて旅をしているのか。スフェノスからはその理由も、目的も未だに聞かされていない。彼なりの気遣いなのだろうか。シオン自身が思い出すに越したことはないが、その兆しは一向に見えない。


 家々の灯りが石畳を照らし、露店から鼻をくすぐる香りが漂って来る。シオンはふと、隣を歩くスフェノスや、すれ違う人々を観察して、思った。

 彼と言い、この町の人々と言い。同じ歳ほどの同性とも、何度かすれ違っているが、彼女らの平均的身長がシオンより高いのは明白である。肌の色は自身よりずっと白く、髪や瞳は鮮やかだ。自分は明らかに、この近辺の生まれではない。

 食べ慣れていない食材。聞き覚えのない単語に、読めない文字。周囲とは異なる容姿。

 もしや自身は随分と遠くから、この地へやってきたのではなかろうか?

 そうまでして、自分は何を目的にしていたのだろうか?

 物思いに耽っていたシオンの手を、おもむろにスフェノスが引く。何かと振り返りかけた時には、すでに遅く、シオンは向かいからやって来た人影にぶつかっていた。

 シオンはよろめく。慌てて謝罪し、相手を見上げる。見上げて、表情がひきつった。


「待てよ。ごめんなさい、だけで済ませる気か?」


 よりにもよって、話しの通じ無さそうな相手にぶつかったらしい。

 1人ならまだしも、いかにもならず者の風体をした男たちが数人。こちらを見下ろし、ニタニタと笑っている。

 恐らく、スフェノスはいち早く気付いて、手前で腕を引いてくれたのだろう。夜は出歩かない方が良いとの助言が、こうも早く現実となってしまうとは。

 ぼおっとしていた自分をシオンが呪っていると、目の前を細身の背中が遮った。


「すでに謝罪はしている。ぶつかってきた君たちにこれ以上、こちらから述べることはないはずだ」

「ぶつかって、きた……?」


 シオンが反芻すると、後ろにいた男の1人がスフェノスへと詰め寄った。


「おいおい。ぼーっと歩いてたのはどんくさい嬢ちゃんの方だろう? お嬢ちゃんから誠意ある謝罪を受けるのが、スジってもんだ」

「正面から歩いてくる僕たちに気付けなかったと言うのなら、今からでも目医者に行くことを勧めるよ。十分に距離を取って歩いていた僕たちの手前で、偶然にも君の足がもつれてしまった。と言うのであれば、仕方ない。君たちが謝罪するのなら、先ほどの失言も聞かなかったことにしよう」


 スフェノスはシオンの前を動かない。柔らかな返答に、げらげらと大笑いが起きた。

 周囲の視線が集まってきている。シオンも、小声で彼の腕を引いた。彼は人差し指を口元へ立て、ただ微笑みを返す。

 彼の身なりを、一番小柄な男が上から下まで視線で舐めた。


「そうだなぁ。兄さんの言う通り、そいつの目が悪いのかもしんねぇ! だが医者行くにも金がねぇしなぁ! 困ったモンだ!」

「嬢ちゃんの代わりに、兄さんが詫びを入れてくれるってぇなら、そうだな……。その耳飾りなんかは、いい値が張るんじゃないか?」


 ぶつかった男の腕が、スフェノスの顔へと伸ばされる。シオンは思わず足を踏み出していた。彼に肩代わりなどさせられない。

 「待って」と。口を開きかけたシオンの声はしかし、穏やかな声に遮られた。


「はっきり言ってあげないと、君たちには理解できないかい?」


 伸びてきた男の手を、スフェノスは手の甲で軽く払った。


「僕の主への非礼を、詫びろと言っている」


 払ったと言うよりも、触れたが近い。それくらい、静かな動作だった。


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