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主と従者

 数日前まで晴天が続いていた空が、今日に限って灰色の雲に覆われている。宛てもなく風に流れる雲の合間から、時おり日差しが差し込み、また遮る。

 シオンは姿見の前で回った。今回はアーネスに手伝って貰いながらも、自身で身なりを整えている。どうにも髪は上手くまとまらないし、結び目は縦になりがちだ。いつになれば一人で着替えができるようになるのだろうか。シオンは肩を落とした。

 ようやく整った着衣を確認するため、シオンは化粧台を離れて応接間へと戻る。


「アーネスさん。これで大丈夫ですか?」

「ああ。何も問題ないよ、シオン」


 ソファに腰かけるアーネスは朗らかに頷く。眠そうなあくびも消えていた。

 フルゴラとの面会の後。シオンは早々に狭い病室から解放された。迎えにやって来たアーネスと共に屋敷へ戻ってきた時には、内臓が口から吐き出さんばかりの、安堵がこぼれたものだ。

 シオンだけではない。スフェノスも、お咎めを解かれていた。アーネスの屋敷に着くなり、さも当然のように現れたので驚いたの、何の。

 シオン以外に辛辣な態度をとるのは相変わらずであったが「君の寝食を保障する相手に、危害を及ぼすほど過激ではないよ」とのことである。そう微笑む傍ら、屋敷に住まう人間と一切の言葉を交わさない。困った従者様だ。

 そして日も空けぬ内に、シオンは再び評議会場であったこの場所へと呼び出されている。

 シオンはペンダントを首へかけ、いつものように服の中へと隠す。


「本当にこれでいいんでしょうか……」

「そう心配なさんな。フルゴラの嬢ちゃんは、話しの分かるヤツだからな」


 現れたジェドネフがシオンの肩を軽く叩く。みなまで言わずとも、シオンの不安を察しているらしい。

 アーネスも眺めていた懐中時計を懐へしまい、立ち上がる。


「彼女は味方、とまではいかないけど。傾玉(けいぎょく)に対しては寛容だからね。シオンがスフェノスを大切にしてくれるなら、彼女もスフェノスの意思を尊重したいだろう」

「何から何まで、ありがとうございます、アーネスさん」

「一度は君の身を預かると決めたらからには、最後まで付き合うのが筋と言うものだ。礼を言われるほどのことではないよ」


 アーネスは初めて会った時のように、シオンへ手を差し出す。

 思えば、彼女は始めから今日に至るまで、シオンの味方であった。見ず知らずどころか、どこの者とも知れぬ記憶喪失の人間の言葉に耳を貸し、衣食住を貸し与え、問題の解決に尽力してくれた。これから先、多大なこの恩を、どう返せば良いのだろうか。


「これからもよろしく頼む、シオン」

「こちらこそ、よろしくお願いします。アーネスさん」


 柔らかな手を返し、シオンは頷く。シオンが両手でアーネスの手を包むと、彼女は照れくさいと笑った。


「まさかこの歳で弟子を取るとは、思ってもみなかったけど……」

「嬢ちゃんも大変だな。こんなちんちくりんが師匠とは」

「一言多いと言っているだろう、ジェドネフ」


 ジェドネフのぼやきにシオンもつられて口元をおさえる。

 アーネスは一人、口を尖らせて部屋の扉を開いた。


「師弟なんて、形ばかりだけどね。僕のことは師と言うより、友人の感覚で、アーネスと、気軽に呼んでくれ。未熟者なのに師匠と呼ばれたり、敬語を使われるのは、抵抗があるし……」

「じゃあ、そんなアーネスお師匠は、今いくつなの……?」

「僕はまだ今年で53だよ。魔術師としては、40年ほどかな」

「……ん?」


 聞き間違いだろうか。シオンは自分の耳を疑った。いや、しかし。確かに初老にかかる数字を耳にした気がする。

 彼女が首を傾げている一方で、アーネスは感慨深げに窓の外を眺めていた。


「弟子かぁ……。僕の弟子かぁ……」

「浮かれてンなよ、ちんちくりん」

「初めての弟子くらい、浮かれたっていいだろう」


 軽やかな靴音が、大理石の廊下へ木霊した。



********************



 いつぞやの評議の広間を通り過ぎ、シオンは更に奥へと進む。人が肩身を狭くしてようやくすれ違える廊下の先には、木製の両扉があった。扉はおのずと開かれ、2人を招き入れると、見かけ以上に重い音を立てて閉じる。

 こじんまりとした木調の部屋には本棚やテーブルが壁際に置かれ、先日の広間とは随分とおもむきが違う。部屋の中央には背の高い麗人がひとりと、それに付き添う銀色の影がひとり。


「今日は、フルゴラさんだけ、なんですね……」

「他の奴らは、お偉いさんの機嫌損ねたからな。しばらくは口出ししてこないだろうよ」


 辺りを見回して胸を撫で下ろすシオンに、ジェドネフは口角を持ち上げる。


「ローズさんからも、また色々と言われるかと……」

「アレも、フルゴラに諭されて、大人しく帰ったぜ。すっかりふて腐れてな」


 フルゴラの元へ歩み寄り、アーネスが気さくに挨拶を交わす。シオンが挨拶を口にする暇もなく、彼女は本題を持ち出してしまった。


「協会の意思は、事前に伝えた通りです。あなたの処遇は実質、保留の扱いとなりました」

「は、はい」

「ラドラドル石からは未だ苦言を呈されていますが、彼は私が説き伏せます。あなたは気にせず、アーネスの指示に従いなさい」


 冷ややかな声音に、背筋が伸びる。シオンの返事は妙にぎこちなくなった。

 フルゴラが目を伏せると、青い瞳を長いまつ毛が隠してしまう。


「これから、あなたの身はアーネスの預かりとし、あなたの起こした不祥事は、彼女の責任ともなります。くれぐれも忘れなきよう」

「スフェノスに関しては、現状の仮契約を維持するものとし、緊急を要する場合でない限り、本格的な契約は禁ずる、とのことだ。要は、大人しくしておれば良い」


 フルゴラからアダマスが引き継ぎ、銀の瞳がシオンを見下ろす。 

 シオンは遠慮がちに手を挙げた。


「すいません……。緊急を要する場合とは、具体的にどういう事態でしょうか……?」

「スフェノスの魔力が完全に枯渇し、あやつめの存在自体が消滅しかねない状況だ。スフェノスの性質は特殊ゆえ、よほどのことでない限り、あやつの魔力が枯渇することはあるまい。そも、あやつを砕くとなれば、我が雷か、ジェドネフの土葬か。どちらかであろうからな」

「そう言った事態にならないよう、努めます……」


 それはこちらとしても、できるだけ考えたくない事態だ。シオンは力強く首を縦に振る。

 アダマスは自身の後ろ髪を軽く手で払った。


「なに、貴様自身がその謙虚さを忘れずにおれば、何ら問題はなかろう。あくまで貴様は、次のスフェノスの主が決まるまでの繋ぎ、だ。あやつが手につけられなくなった、と言うのであれば、気兼ねなくそこな(おきな)の力を借りるとよい」

「誰が爺さんだよ、クソガキ」


 ジェドネフが渋面するも、アダマスは涼しい顔であしらった。

 フルゴラが隣でアーネスを見下ろす。2人の身長差は親子ほどもあるだろう。フルゴラの声がいくぶん和らいだ。


「詳細な禁則事項に関しては、私が元老院の意見をまとめた後、あなたへ伝えます。そちらにも目を通しておくように。その間に済ませなければならない手続きも多い。こちらも漏らさぬよう。一つでも漏らせば、そこが後々、あなたの弱点ともなります」

「君の気遣いに感謝するよ。いつか、この借りを返さないとな」

「あなたに貸し借りを作る気はありません。私への細事より、自身の心配をなさい」


 傍らで売り言葉に買い言葉を続けるジェドネフ、アダマスとは対照的に、その主たちは親しげだ。思い返せば、アーネスが彼女を敬称で呼んだことはない。やはり見た目より、アーネスは人生経験豊かと見て良い。

 フルゴラの視線が自身に戻り、シオンは我に返った。


「あなたも。傾玉の主としての立場を選んだからには、努力を惜しまぬように」

「はい……。ありがとうございます」

「では、スフェノスをこれに」


 フルゴラが手を差し出す。アダマスの姿が不意に消え、白い光が部屋を包んだ。生温い風が傍らを横切る。まぶたの向こうで徐々に光が落ち着くのを待って、シオンは目を開いた。

 アダマスの代わりにその場に現れたスフェノスは、眉を潜めてフルゴラとアーネスを見る。昨日、今一度フルゴラの質疑へ応じるよう。やっとの思いで説得したのだが、ちゃんと応答できたのだろうか。

 シオンの心配も露知らず、彼は彼女が視界に入るや否や、別人のように顔をほころばせた。


「おはよう、シオン」

「うん……。おはよう、スフェノス」


 眩しい微笑みにシオンも笑みを返そうとしたのだが、どうにもぎこちなくなる。

 妙な沈黙がしばし、室内に流れた。

 息をつき、アーネスが苦笑する。


「僕はフルゴラと少し話しがあるから、先に部屋に戻っていてくれ」

「分かった」


 シオンはスフェノスを連れ、部屋を出た。

 静かな廊下を、沈黙のまま進んだ。傍らにスフェノスの姿があるものの、足音はシオン一人分だった。視界の端で金の髪が揺らぐ。誰ともすれ違わずに部屋へと戻っていた。

 部屋の扉を閉ざして、シオンはスフェノスへと向き直る。曇天からの日差しは弱々しく、互いを照らす。沈黙を破ったのはシオンからだった。


「これからのことは、聞きました?」

「アダマスから大体は聞かされているよ。不服ではあるけれど、今は妥協しよう」

「まだ不服……?」

「そのための条件が、君が魔術師で在らねばならないのが。僕にとっては酷く不愉快だ」

「フューカスさんのことがあるから?」

「……そうだね」


 碧眼を一度閉ざし、スフェノスは俯いた。おもむろにシオンの前へ膝をつき、スフェノスはシオンの手を取った。その動作には見覚えがある。数日前の出来事が、懐かしく思えた。

 翠の双眸は悲嘆に落ち込む。


「今回も僕は結局、他者の力に頼ってしまった。僕は身を挺して、君を守らなきゃならないのに、僕はまた力不足だった」


 弱々しい声音は、窓の外で降り始めた雨音にすら負けてしまいそうだ。

 シオンは選ぶ言葉に迷った。


「気持ちは、伝わっています。でも、やっぱり隠し事されているのは、不安です」

「すまない、シオン。僕はまだ、君に全てを告げることはできないよ」

「それは、私のため。だから……?」

「少なくとも、僕はそう思っている。君の身を、命を、守るために」


 握り返した手は冷たく、指先の温度を吸い取る。


「家族のことや、私自身のことも?」

「話せない。君に恨まれてでも、僕は……君を守り抜くと決めたんだ」


 固く口を引き結び、スフェノスは目を細める。


「それでも、君は、こんな僕を信じてくれるかい……?」


 声は雨音に溶ける。冷たい指が強く絡む。

 すがられているようにも思えた。それとも、逃がすまいとの、束縛か。

 シオンは目を閉ざした。


「あなたを信じてみるって、決めたから」

「……ありがとう、シオン」


 絞り出された声の後、手の甲へスフェノスの額が添えられる。割れ物に触れる手つきは恐ろしいほど、緩やかで優しい。

 恭しく頭を垂れる、麗しい青年。風もないのに、なびく金の髪。誓いを告げる赤い唇。

 いつぞやと変わらぬ光景が、今や重々しい儀式に変わっていた。


「我が(めい)はスフェノス。白き奇跡使い、フューカスが遺児にして、我が身は全てを断つ白刃なり」


 温度のない指がシオンの手をすくい上げ、彼女の指先へと接吻を落とす。


「この器は、貴女様のために捧げます。我が主」


 碧眼がシオンを見つめる。周囲の光を吸い込み、双眸は輝く。

 二度目の誓いはごまかしも、逃亡もできない。正答を知らずとも、答えを選ばねばならない。応えなければならない。

 誘い込む瞳に頷いてしまいそうな衝動を抑え、シオンは視線をそらす。


「スフェノス……」

「ああ……。そうだったね」


 スフェノスは目を閉ざした。

 深いため息は苛立ちにも、落胆にも見て取れた。

 

「故意ではないんだよ」

「分かっていて、使ってる時もあるでしょ……」

「これは数少ない僕の取り柄のひとつなんだ」

「数、少ない……?」


 首を捻り、まじまじとスフェノスを爪先から頭まで改めるシオン。

 容姿は実際に人間離れしている。魔術の知識や、身体能力も、人間のそれとは別格なのだと言う。難があるとすれば、気難しい性格。ともあれ、数少ないとは何を基準にしているのだろうか。

 スフェノスは立ち上がり、冷たい両手で彼女の手を包んだ。


「君に使う時は必要に迫られた時だけだよ」

「迫られたら、使うんだ……」

「僕を信じてくれる君に、僕は応えなければならないからね」


 苦笑するシオンに、スフェノスは眩しそうに目を細める。


「必ずや、ご期待に添えてみせましょう、愛しい主」


 シオンの手を包む彼の手と、彼女の胸元に触れる石は、どちらも似たような感触がする。常に目が冴える冷たさを帯びて、いくら指先から温度を吸い込んでも、温かくはならない。

 シオンは窓の外に目をやった。雨は激しさを増し、遠くの景色が霞む。

 もしや、この雨も夢ではないかと。シオンはまぶたを下ろす。

 暗闇の中で聞こえてくるのは、雨音と、穏やかに自身を呼ぶ、青年の声だった。

 

 

 【完】


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