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昔語り

 日の光が眩しい。シオンは唸りながら寝返り、目を擦る。また奇妙な夢をみた気がした。部屋は十分に暖かいにも関わらず、寒気を感じる。


「あら、ようやく目が覚めまして?」

「目覚めから、すでに疲労感が……」


 聞き覚えのある口調に堪らず苦い顔をした。

 ソファから体を起こすと、カーテンは開け放たれ、窓の外から明るい日差しが差し込む。向かいのソファへ腰かけるローズは、優雅にティーセットを広げていた。


「まだ審議は続いておりますのに、呑気なものですわ」

「ローズ、さんも……ずっとここで起きていたんですか……?」

「あなたと違い、私は華族です。客間くらい用意されているに決まっているでしょう」

「じゃあ、どうしてここに……?」

「アーネスが昨夜からあなたのために口利きをして回っているのです。その間の子守りを、私が押し付けられたのですわ」

「お休みのところ失礼かと思いましたが、お邪魔させていただきました。細やかですが朝食もご用意いたしましたので、どうぞお召し上がりください」


 傍らから伸びてきた手が、シオンの前に手際よくパンやジャム、飲み物やサラダ、と。細やかとは思えない朝食を並べた。

 シオンは横にたたずむクルスタを思わずまじまじと見上げる。給仕のエプロン姿だ。


「え、ええっと……」 

「勘違いはなさらぬように。私はあくまであなたの監視です。アーネスのように慣れ合うつもりはございませんわ」

「でも、このパン……。まだあったかい……」

「クルスタが勝手に用意したものです。私の計らいではありません」

「ありがとうございます、クルスタさん」

「クルスタ、で結構です。シオン様。スフェノスがご迷惑をおかけして、たいへん申し訳ございません。お食事の前に顔を拭われますか?」

「あ、すいません……。何から何まで……」

「言っているそばから慣れ合うのはお止しなさい、クルスタ!」


 クルスタから温かい蒸しタオルまで渡され、頭を下げるシオン。横でローズが憤慨すると、クルスタは彼女に新しい紅茶を淹れ直してなだめる。 

 遅めの朝食は予期せず賑やかになり、シオンは温かいパンを頬張った。 




********************




 アーネスが部屋に戻ってきたのは昼を過ぎた頃だった。彼女が戻って来るや否や、ローズは早々に部屋を去った。彼女が広げていたティーセットはクルスタが手際よく片付け、テーブルの上は元通りになっている。

 部屋に戻って来たアーネスの口からは、ため息が絶えない。申し訳なくなり、シオンの口からも謝罪が漏れた。気付いたアーネスは手にしていた羊皮紙から顔を上げる。


「私のために、夜も遅くまで動いていたと、ローズさんが……」

「え……? ああ、気にしないでくれ。君の身が危うくなれば、僕を責める側の人間もいる。僕は自分の利益にもなるから動いているんだよ。君のためだけじゃない」

「でも、ありがとうございます」

「礼はここから何事もなく、屋敷に帰った後で構わない」


 アーネスはテーブルへ羊皮紙の束を置き、肩を落とす。


「こんなことを言うとまたローズが怒るから、彼女には言わないで欲しいけど。正直な話し。僕は今の魔術師協会の在り方は好きじゃない。だから僕の可能な限りは君の力になりたいと思ってる」

「好きじゃないけど、ここにいるんですか」

「そうとも。残念だけどね」


 今度は盛大なため息をつき、アーネスは頬杖をついた。


「魔術師協会に属していない魔術師もいるけれど、それは、法令で取り締まられている違法行為になる。魔術師として活動するには、必ず魔術師協会の許可を得て、資格を与えられてからでないといけない。そりゃあ、素人がむやみやたらに高位の魔術を使って、町ひとつ無くしたりでもしたら『事故でした』では済まないからね……」

「私みたいな何も知らない人間が、スフェノスを、傾玉(けいぎょく)を悪用してしまわないように……?」

「君の場合は、特例中の特例だよ。君には非がない。君の今の状況は、不慮の事故。どちらかと言えば、加害者でなく被害者だ。事故の原因は明らかだけど、スフェノスは他の傾玉とは毛色が違い過ぎて……。僕もジェドネフから詳しく聞くまで、まさかこんなに面倒な特性をもっているとは、思いもよらなかったし……」

「契約主が長い間いなくても動ける、と言うお話しですか……?」

「まさしくそれだ……。フューカス公のお考えは本当に、よく分からない……。使い魔が魔力を自給自足で補えてしまったら、契約主である自分の命令が拒まれても対処できないのに……」

「フューカス、公……」


 呟いて、シオンは服の下に隠れている冷たい石へ触れた。


「アーネスさん。スフェノスの、前のご主人は、どんな方だったんですか?」

「え? フューカス公のことかい……?」 

「その……どうして、スフェノスがこれまで、一度も主を選ばなかったか。理由が分かれば……私が彼に選ばれた理由も、必然的に分かるんじゃないかと……」


 ジェドネフとの秘密を口にするわけにもいかず、シオンは横目でチラリと部屋の奥を見た。化粧台は布で覆われている。あとでジェドネフと相談しなければ。


「うーん……。シオンの言うことは、最も……なんだけど……」

「?」


 アーネスは腕を組んで唸る。


「フューカス公、ひいては建世(けんせい)の魔術師たちにおいては、千年以上も前の魔術師で……。アテラスの歴史から見ても、生前の逸話ももはや神話に近いものが……」

「ジェドネフさんから聞いたりはしないんですか……?」

「僕としても是非、聞きたい。彼らの最期を見届けるのは彼らだからね。でも、傾玉たちはみな、建世の魔術師たちに関する話しを嫌がる。彼らの気持ちも当然と言えば当然だ。親との個人的な思い出を、あかの他人に語る訳だし……。特に人とナリや、日常的な生活なんかのことを聞くと、全く口を開かない」

「すごい人たちだったなら……。何か、歴史的な、資料とか……」

「あるにはあるけど、それはあくまで『各国』の史料になっている。彼ら個人の詳細な人柄が分かるものは、全て捨てられてしまったようだ」

「捨ててしまった……? 国の名前にもした人たちなのに……?」

「捨てたのは後世の人間じゃない。建世の魔術師たち、本人だ」


 アーネスは自身の胸を飾るブローチへ軽く触れた。彼女の手がかぶさると、その翠の石がどれだけの大きさを誇っているのか実に分かりやすい。


「僕の敬愛する、この国の礎を創られたシュティア公。彼は13人いた建世の魔術師の中でも中心的な人物であられた。彼は建世の魔術師たちの誰かが死ぬと、その人物に関する情報を跡形もなく消す、と言っても過言じゃない。それだけ念入りに、自分たちの痕跡を消そうとしていたんだ。もちろん、ご自身の身の内もね。おかげで性別も不確定なお方もいらっしゃる。フューカス公もそのお一人だ」

「でも昨日、裁判がどうとかって……」

「ん?」

「あ……」


 シオンは慌てて両手で口を押えた。もちろん、とうに遅い。

 アーネスは部屋を見回し、布のかけられた化粧台で視線が止まった。


「……ジェドネフだな」

「……ごめんなさい」

「どうせ、あいつが何かそそのかしたんだろう? やけに君を気に入っているみたいだからなぁ……」


 シオンは身を小さくして素直に謝罪した。

 アーネスは頭を振ってブローチの金細工を軽く指ではじく。


「始めに言わせておいて欲しいのだけど……。僕はあまり、この俗説が好きじゃない。しかしアテラスの学舎では、これが常識として教えられている。スフェノスからしたら、昨日のように腹を立てて当然の内容だ。だから君も、スフェノスの前でフューカス公の話しは控えるべきだと、僕は思う」

「覚えておきます……」


 頷くシオン。アーネスは地図を開くように促す。黄ばんだ地図を再び取り出し、テーブルへ広げた。

 アーネスが国境の淵を指でなぞると、国名が2つ、浮かび上がる。一つは昨夜と同じ文字と場所に浮かんでいるからして、フューカスと書かれているのだろう。もう一つは地図の東。海を隔て、フューカスの隣に位置している大国だった。


「先日触れたフューカスに加えて、中原のリオン。この2つの国は、あまり他国から好意的に見られない。建世の魔術師の中から、このお2人の名前を好んで出す人間も、余りいない」

「2人の間に、何かあったんですか?」


 アーネスは首を横へ振る。


「いいや。建世の魔術師たちの仲は実に良好だったと伝えられている。むしろ、お2人は良好過ぎたのかもしれない。リオン公は、フューカス公の命を救おうとなされて命を落とされたんだ」


 シオンはアーネスの指先を見つめる。地図上の2つの国名は静かに消えていく。

 アーネスは物語となった、この大陸の歴史を語り出した。


「2000年ほど昔の話。長い大戦の時代がようやく終息を迎える。大陸の大半の国々が和平条約を結ぶと、建世の魔術師たちのほとんどは、俗に言う隠居をなされた。軍人でもあられたシュティア公と、多くの部族を纏める一族の王であられたリオン公を除いてね。隠居をなされた方々は、国の太守や国王への助言を。飢餓や災害の予兆があれば、事前にそれを伝えて、国営の補助をなさっていた。彼らは戦争後、疲弊していた国々を救うことに尽力していたんだ。

 しかしある年。小国の王が何者かに暗殺された。当然、疑いは数十年前まで争っていた、周辺国に向けられたけれど、彼らは関与を否定する。そこに王の側近の1人が、暗殺された当日。ある人物が国王を内密に訪ねていたことを証言した。そして数時間後に、国王の容体が急変したこともね。周辺国を含め、国の者たちはその人物が国賊であるとして、真偽を問う裁判を行った」

「……それが、フューカスさん?」

「そうだ。フューカス公は招集に応じて国へ赴き、数日後には処刑された」

「え?」


 呆気ない唐突な終わりに、シオンは拍子抜けた。どこから質問すればよいものか。


「真偽を問う裁判では……?」

「残されていた史料には、そうとしか書かれていなかったらしい」

「らしい?」

「だから言ったろう……? この俗説は乱暴が過ぎるって……」


 アーネスは口を尖らせる。地図に滑らせた指が、他の11の国名を浮かび上がらせた。


「この小国、および裁判の記録は、後の落雷による大火でほとんどが焼失してしまった。にも関わらず、この乱暴な説が、どうしてまかり通ってしまったかと言うと……。その後の各国、建世の魔術師たちの対応だ。まず、どの国もこの裁判に対しては介入しない、との決議がなされている。これに関してはそこまで不思議じゃない。下手に介入して、逆に濡れ衣を着せられでもしたら、小国家は解体の危機に陥るだろうしね。問題は、フューカス公の同志であられた建世の魔術師たちだ。フューカス公への裁判に、意見書や抗議文を出した形跡がないんだよ。1人を除いてね」

「その1人が、リオン公……」

「リオン国の公式史料によると、リオン公はこの一連の裁判の流れに、ひどくお怒りになられた。自らが抗議に向かわれるために、王座を捨て、太刀を取ったとされている」

「王座を捨てた……」

「王の座を、後継者に無理やり押し付けたんだ」

「王様って、そんなに簡単にやめられるんですか……?」


 まさか、とアーネスも肩を竦めた。


「それほど大切なお方だったんだろう。もしくは、13人の中でも情に厚いお方だったのかもしれない。とにもかくにも、慌てたのは臣下たちだ。王でなくなったと言っても、彼が一族で最も力を持っていることに変わりはない。そんな彼が一国へ直々に、しかも武装して介入するとなれば、周辺国の反感は免れない。彼らはリオン公を夜通し諭し続けたけれど、リオン公は耳を貸さなかった。

 後継の義弟は泣く泣く、馬を用意したフリをして、彼を誅殺しようとした。けれどもリオン公は、太刀傷を受けた体を引きずり、自力でフューカス公の元へと向かった。そして幸か不幸か。その途中、国境を超える寸前で、息を引き取られた。おかげで当時のリオン国に表立った非難はない。けれど、この件にも他の建世の魔術師たちは黙ったままだ。おかげで、『罪人』を庇おうとした『暴君』を敬う人間は少なくなり、これが世の真実と化してしまった」

「…………」


 物語の締めくくりはアーネスの長いため息だった。

 彼女はソファへ背を預け、目を伏せる。


「建世の魔術師の中心であったシュティア公でさえ、フューカス公とリオン公を庇おうとなさらなかった。フューカス公は火刑に処されて遺体も残っていない。リオン公も、死後間もなく遺体をシュティア公が引き取って13の墓所に収めただけで、葬儀はなかったそうだ」

「……スフェノスは、どうしてフューカスさんの側にいなかったんでしょう?」

「そればかりは彼に聞かないとね。ただ、彼がああも怒るのだから、僕はやはりこの俗説は真実ではないと思ったよ」

「でも、スフェノスは怒るだけで、否定はしてなかった……」

「僕のジェドネフも含めて、傾玉はみんなそうなんだ。僕たちが建世の魔術師たちについて聞いても、肯定しないし、否定もしない。嫌悪や黙殺で否定されているのは分かるけど、それでも口にはしない。どうして答えてくれないのかも、教えてくれない」

「私がスフェノスに聞いても、教えてくれないでしょうか……」


 静かになった地図を眺めて、シオンは呟く。

 アーネスはテーブルへ置いた羊皮紙の束を手にする。


「そればかりは、君が確かめてみるしかないな……」


 部屋に静けさが戻る。シオンは地図を眺めながら、冷たい石の感触を確かめていた。彼女を呼ぶ声はない。

 日は徐々に傾いていき、また夜がきた。


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