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目覚め


 雨が降る。

 そこに在るのは、雨音だけだった。雨に打たれ、彼は待ち続けている。

 肌を伝う温度はない。渇きは癒されない。視界には、何も映らない。

 虚無は広がり、記憶は指先から失せ、自分の輪郭すらも、彼は忘れていく。



*********



 見慣れない天井が広がっていた。重い瞼を瞬くと、生温い雫が一筋。頬を伝っていく。

 夢を見た。どんな夢であったか、あまり定かではない。よくある話だ。

 彼女は寝ぼけた頭で、ゆっくり首を回した。隣では白いカーテンが風に合わせ、気ままに踊っている。青空が鳥のさえずりと、暖かな陽気を窓から連れ込んでいた。絵に描いたような快晴だ。

 何も考えず、穏やかなその光景をただ眺める。通りが近いのか。鳥のさえずりに喧騒が混じっていた。オレンジの屋根が連なり、雲の影が点々と落ちている。

 心地よい空間の中で、まぶたは再び下がりだす。


「やあ。おはよう、シオン」


 そんな微睡みのひと時は、唐突に終わりを告げてしまう。

 不意に現れた声に、驚いた彼女は飛び起きた。声の主は慌てて、持っていた水差しを机の上に置く。彼は両手を広げて見せた。


「すまない。君がようやく目を覚ましてくれたのが嬉しくて……」


 碧眼を伏せると、金色のまつ毛と前髪に隠れた。胸に当てた手は石こうと見違えるほど色白く、長い指が爪の先まで優美な曲線を描いている。


「安心して、ここは宿屋だよ。君は気を失って、丸一日ベッドで眠っていたんだ」


 柔和な微笑は嫌でも目を惹きつける。おかげで、脈を加速させていた心臓は徐々に平静を取り戻す。

 こちらも謝罪しようと口を開きかけ、ふと、ある事に気付く。それはとても初歩的な事で、本来であれば有るはずもない事象だった。

 困り果てて口ごもっていると、青年が開いていた窓を閉ざす。そよ風は止み、白いカーテンも踊るのを止めた。


「君に相談せず行き先を決めてしまうのは気が引けたけど、一刻も早く、君を安静にしてあげたかったから」


 通りから聞こえていた雑踏がおさまった。彼は木目の床を歩いているはずだが、不思議と足音が聞こえない。

 グラスが水で満たされる。水差しから注がれた水は小さな気泡を立て、窓越しの日差しに煌めく。


「この辺りは比較的、治安も良いし……。陰険な魔術師も少ないと聞いている」

「……まじゅつ、し?」


 ようやく開いた口はたどたどしい言葉を紡いだ。

 聞きなれない単語に目を瞬く。彼は頷き、まつ毛が瞳を隠す。


「まだ記憶が混乱しているかい……? だいぶ大きな嵐に巻き込まれてしまったからね……」


 グラスを差し出され、素直に受け取る。ガラスは心地よく手の平を冷やし、寝ぼけ気味の頭には良い眠気覚ましであった。


「世の理。世界を構築する法。もしくは世界そのもの。そう言ったモノの末端を、自身の力に昇華し、利用、可視化などすることを総じて、魔術と呼ぶ。それを扱う専門職だから、魔術師」


 ほら、と。彼は微笑み、持っていた水差しから手を離す。水差しは落ちて、床は水浸しになる、はずだった。

 彼女は言葉も忘れ、グラスを手にしたまま呆気に取られる。宙に浮いている水差しを指でつつき、彼は小さく笑う。


「こうして、大地の理に反したり」


 おもむろに、つついた指先を滑らせたかと思えば、持っていたグラスの水が跳ねる。彼女が手元を見下ろすと、透き通るそれは瞬く間に小鳥の姿を成した。


「水に擬似的な命を吹き込んだり、だとか。こう言った術を研究して、世のため人のために尽くすのが、魔術師の仕事だ」


 小鳥の形をした水はグラスの縁で羽ばたき、ぱしゃんと、次にはグラスの中で弾ける。グラスを満たす水は揺れるだけで、さえずる事も無い。

 グラスをぐるぐると回すも、どんな仕掛けなのか、見当もつかなかった。恐る恐る、口を付けてみる。特に何もない。何の変哲もない、ただの水だ。

 青年は金色の髪を揺らし、小首を傾げる。


「他にも質問があると思うけど、その前に君の体は大丈夫かい? どこか痛んだり、不調はない?」

「あ……その……えっと…………」

「遠慮なく言って。僕はそのために、ここにいるのだから」


 彼は水差しをテーブルへ戻し、こちらへ身を乗り出した。碧眼の目は、差し込む光の加減で様々に色を変える。

 グラスを下ろして、彼女は俯いた。この状態を、彼に何と伝えればいいのだろう。迷った挙句、最終的には当初の疑問へとたどり着いた。


「あの、私は一体、誰……なんでしょうか……?」

「……え?」


 呆けた声がぽつんと、静かな部屋の中に浮かんだ。


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