逃亡セシ蝶 中編
「あらやだ。いつから気付いてたの?」
藪から出てきたのは背の高い妖艶な美女だった。
緩く波打つ漆黒の髪と揃いの瞳。紅く濡れた唇がやけに目立つ。
「最初から…って言いたい所だけど。不覚にもついさっきよ」
全く口惜しくなさそうに沙羅はにやりと笑みを作った。
「煉に何か盛ったでしょう?」
「何でそう思ったのか、伺おうかしら」
煉は二人の会話に驚いた。一体いつ?
「様子がオカシイ事は途中で気付いてた。でも本人に自覚がないみたいだったけど。いくら馬鹿弟子とは云え、自分の体調の変化ぐらい普通なら気付くはず。最後に煉が足を取られたのも、毒が回ってきたから。おそらく盛られたのは、神経毒系と筋弛緩毒系……でしょ?毒蝶さん」
「ご明察」
「な、何で?そんな事」
起き上がろうとしたが、意思に反して煉の身体が動く事は無かった。感覚はある。地面の冷たさも、沙羅から受けた痛みも。しかし身体だけがぐったりと力が入る事なく、煉は地面に横たわっていた。
「大方、私と馬鹿弟子に相打ちさせようって魂胆でしょう?大龍の考えそうな事ね」
「またまたご明察」
そう言って彼女は髪を掻き揚げ艶然と微笑んだ。
「予定ではもうちょっと弱ってるあなたに止めを刺す筈だったんだけど。坊やを買い被りすぎたかしら?」
「こんなクソ餓鬼に私がやられる訳ないでしょう。それより…何で煉まで殺そうとしたの?」
「坊やはあなたのお弟子さんでしょう?」
「『元』ね」
「彼はそうは思ってないみたいだけど?」
毒蝶はちらりと煉を見た。
「大龍様は言ったわ。『あの少年は心の髄まで炎帝に奉げてる』って。だから坊やは絶対にあなたに勝てない」
「だから寝返る前に始末しろって?」
ゆったりと笑みを深めて彼女は肯定の意を表した。
沙羅は軽く腕を組み、同じ色彩を持つ対照的な女を見て尋ねる。
「こいつはこのまま放っておいたら死ねる?」
「あら、流石に炎帝といえど弟子に止めを刺すのは嫌なのね」
「まぁね」
「残念ながらその毒はあと1時間もしないうちに解けるわ。もっともその前に私がちゃんと止めを刺してあげる。だから、あなたは安心して死んで下さる?」
「なるほどね。それが聞けて良かった」
そう言うやいなや沙羅は地面を蹴った。
「!?」
「動くな」
まさに一瞬だった。気付いたら沙羅は毒蝶の後ろに立ち、背中に触れるか触れないかの所に腕を伸ばしていた。勿論、その腕には蒼く輝く炎を纏わりつかせて。
「い、いつの…まに」
「悪いけど炎帝の名は伊達じゃないの。あなたじゃ役不足だったみたいね」
「私を殺したら」
「煉の解毒が出来ないって?」
「あれは私が特別に調合したものよ。私以外に解毒剤は作れないわ!」
「私が何の為にあんたと無駄な会話したと思ってるの?」
「あ………!?」
「駄目よ、毒使いが解毒法簡単にバラしたりしちゃ。さっき言わなきゃ切り札として取っておけたのにね」
「私が嘘を付いてる可能性を考えた方が良いんじゃなくて?」
「この状況で強がれるのは中々だけど無駄ね。たとえさっきのが嘘で解毒剤が必要だとしても、あんたを殺して奪えばすむ話だし。毒使いにとって解毒剤は交渉に必要不可欠でしょ?持ってないなんて有り得ないしね」
「…お願い殺さないで」
毒蝶は震える声で言った。お願い、と何度も懇願する様に呟く。
沙羅は小さく溜息を吐き、腕を下ろした。
「帰って大龍に伝えなさい。『必ず逃げ切ってみせる』ってね」
くるりと踵を返した瞬間、毒蝶は振り返り何かを投げ付けた。
「師匠あぶない!!」
「甘いわよ、炎帝。敵に情けを掛けるなんて」
立ち込めていた毒霧が晴れる。
毒蝶の目の前には炎を纏った沙羅がいた。
「なっ!?」
「馬鹿ね。あのまま逃げてれば助かったのに」
そう言って沙羅はゆっくりと腕を上げた。
「逝ってらっしゃい」
彼女の腕から放たれたのは美しいサファイアの蝶たち。炎で作られたソレは一直線に毒蝶に向かって飛んでいった。
激しい悲鳴と共にのたうち回る彼女を最後に煉は意識を落とした。
こんにちは、聖 樹です。
前回からの読者様も今回初の読者様も、お読みいただいてありがとうございます。
次回で最後、是非お付き合い下さいませ。
ではまた、後書きでお会い出来る事を祈って…