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第82話






 二、三度、履いていたショートブーツのつま先を打ちつける。


「……よっと」


 階の一段を軽く飛ぶ。

 意味のない動作だが、柚月にとってはひとつひとつに意気込みが詰まっている。


「準備は、いいか」


「うん」


 先にいる東雲に問われ、短く返事をする。その内心は、かなり動揺していた。


(今は、余計なことは考えちゃ駄目……ッ)


 頬に熱が帯びそうだ。

 頭に血流が集中しそうになるのをこらえる。何も考えないように、必死に考える。矛盾なんて気にしていられない。

 東雲の顔を見ただけで、極度に緊張しているのが自分でもわかる。理由は、まぁ……イロイロと。相手がいつも通りにつっけんどんな態度で大分、助かっている。もし、東雲に予想外の言動をされたら、柚月がどうなるかわからない。


 ぐっと唇に力を込める。余計なことを言わないよう、強く念じていると東雲が指を差し出してきた。


「忘れ物だ」


 のばされた腕から九尾狐が駆けてくる。東雲の掌で踏み切り、柚月の肩へ着地した。


「白夜……」


 頬擦りしてくる狐を撫でる。

 こうして甘えられるのは、とても久しぶりな気がした。今は、おろおろしている場合じゃない。何度も胸で繰り返し、気合いを入れる。


 考えるのは後。

 やるべきことは他にある。自らに言い聞かせて、顔を上げる。すると、頭上から声をかけられた。


「いいタイミングだな。おふたりさん」


 邸の門の上には朱堂が座っている。ずっと外の見張りをしていたのだろうか。


「そろそろ術が展開し始めた。見ろ」


 反らした顎の先に視線を向ければ、上空が陽炎のように揺らめく。淡い虹色の先には、見慣れた高層ビルが今にも降ってきそうだ。


「……あれは」


「異なる世界を局所的に繋げたからな。周辺の時空間バランスが狂い始めてる」


 あのビルが郷に堕ちたら終わりだ。

 そっけなく呟く朱堂の口調は、どこか他人事のよう。彼の態度に嫌悪を覚えるよりも先に、柚月は別のことが気になっていた。


「けど、地球の空は……」


「こっち側の術だからな。向こうの理屈なんか通用しない。視覚化できる頃には、とっくに手遅れさ」


 ふわりと降り立つ朱堂は、あっさり切り捨てる。彼にとっては、実際に朝吹市の空に郷が現れても大した問題ではない。


 敵の思惑を砕く。

 その気概だけがある。

 柚月は再び、空を見上げた。幻想的だが、人智をも超えた力の壮大さに圧倒される。それを見ていた朱堂が軽く笑う。


「……怖じ気づいたか?」


 意地の悪い問いかけで、柚月は震えていることに気付く。ただし、奇妙な違和感を覚えた。


 怖じ気づく……?

 朱堂の言葉を反芻してみる。意味を考えて、しっくり来ないことに疑問を持つ。

 夏宮のことは、怖かった。殺されてもおかしくない、決定的な実力差を持つ敵だ。現実、死にかけた。火傷の痛みだって忘れていない。その時の気持ちと比較すると、何かが違う。

 そろそろと近い言葉を探してみる。嘘やごまかしに惑わされずに、正直に。


「……武者震いしてきた。あれを私が何とかできるってことよね」


 ぐっと拳を固め、柚月は強気に笑う。

 ほんの一日前なら、こんな景色を見た途端に戦意を喪失したかもしれない。でも、今は違う。何とかできる』、自分でも状況を動かすことができる。逆に『何もできない』ことの方が稀だと知っている。柚月の根拠のない自信に、東雲たちは目をまるまると見開いた。


 やがて、


「…………くッ」


「あっはっはっはっ!」


 大声で笑い出した。

 柚月は、ただ驚く。今までかつて、この大の男ふたりがここまで上機嫌に爆笑することはなかった。笑われる原因が自分だとは微塵も考えず、柚月は様子を見る。白夜も普段より熱烈に頬擦りし、構ってくれといわんばかりだ。涙を浮かべるほどに楽しんだ朱堂は、ちらりと横目で訊ねる。


「とんだ大物だな。おまえ、これも知ってたのか? 見る目あるな」


「誉め言葉として受け取っておきましょう」


 東雲は、何故か自信たっぷりに笑う。

 それだけのことなのに、柚月の表情には険が増す。


「ふたりとも、何の話?」


 何となく、朱堂たちの会話が気に入らない。

 自分のことを言っているとは感じたが、意味がよくわからなかった。まさか、悪口の類なわけ?


 じろっと睨んでも両者は笑ったまま答えない。


「もー、なんなのーッ」


 怒っても無駄。東雲と朱堂は、沈黙を貫く。

 よくある男同士の会話だが、女性の品定めとしては最高の誉め言葉であることを本人だけが知らない。ふたりにからかわれたようで、当然、面白くない。柚月がムッと唇を尖らせたら背後で気配がする。


「宗真。邸のことは頼んだぞ」


「はい……」


 普段と特に変わらない挨拶なのに、弟子の表情は曇っていた。


「あ、あの、お師匠さま」


 いつも以上に、おずおずと躊躇いながら小声で話しかけてくる。


「申し訳ありません。柚月さまも、朱雀さまも郷のために戦ってくださるのに。ぼくだけが、ぼくひとりだけが足手まといで」


 何かに脅えているような、苦しんでいるような。痛みに耐えるような顔で、師匠を見返すも。東雲の表情は、普段と変わりなかった。


「……そんなこと誰が言った?」


「え?」


 むしろ、不機嫌そうに腕組みする。


「そんなこと、いつ、誰が言ったんだ」


 ぴしゃりとした声音に、宗真が顔を上げる。

 口調は詰っているように聞き取れるが、柚月には別の意味合いに感じた。


「わかっちゃないな。坊主」


「朱雀さま……?」


 朱堂が笑って、一歩だけ近寄る。覗き込むように視線を合わせて断言した。


「安心しろ。本当の足手まといってのは、そんなことにも思い至らない。今の状況、一切がっさい他人のせいにして、何もしない。ただ状況を悪化させる、どうしようもない人間のことだ」


 言外に、おまえは違うと告げてくる。

 宗真はただ目を丸くさせた。思ってもみないことを指摘されたような、驚きと戸惑いの表情。この少年と接すれば、誰でもわかる。見た目とは違いすぎる信念の強さ。

 本人だけが気付かない。


 その在り様がとても彼らしくて、柚月の口元に笑みを浮かべる。


「宗真」


 師匠に声をかけられ、少年が視線を向けてくる。


「おまえはおまえのままでいい。時に、おまえの優しさは自らを傷つけるだろう。戦場では、重荷になるかもしれない。だが、これからの郷を統べるには絶対に必要なものだ」


 宗真を選んだ理由。

 とっくに、その人柄を受け入れていた。それが必要だと求められていた。

 他の人間には任せられない。新しい人材を育てていくため、望まれていた。以前に、宗真は「利用されてもいい」と言っていた。けれど、東雲の真意はもっと近いところにあった。


「お、お師匠さま……ッ」


「全く。僕の目は節穴だと言わせたいのか」


 少しだけ拗ねたような表情で弟子の顔を覗き込む。


「僕は、おまえに何度も教わった。人が人として幸福に生きる、その片鱗を」


 だから、側に置いた。

 嘘もごまかしもない、師匠の言葉。宗真は、その愛らしい顔をくしゃくしゃにして涙を零す。


 それだけでわかる。

 東雲が、どんなに彼を思っているか。弟子として役に立てているか、不安だった心には膨大な喜びに違いない。


「宗真は、足手まといなんかじゃないよ」


 最後に柚月が訂正する。


「柚月さま……ぼく、ぼく……」


「うん。『わかってる』」


 涙をふきながら何かを伝えようとする少年。柚月は、彼の肩に手を置いた。


「宗真。私、はじめはこの世界に召喚された時、ものすごく心細かったわ。でも、あなたの優しさや屈託のない笑顔で、どれだけ心が安らいだか……そのお礼の意味もあったのよ? 私が、この郷で戦ってた理由は」


 全く勝手が違う異世界で、宗真だけが最初から優しく接してくれた。

 無茶苦茶な要求に苛立っても、大暴れが過ぎて、あちこち邸のものを壊しても、嫌がるだけの柚月を宥めて、普通の人として扱ってくれた。だから、宗真にお願いをされると断れない。彼の望みを叶えたくなってしまう。


「あなたは、異世界の人でも同じだって私に教えてくれた。あなたがくれた優しさを返したいって思わせてくれた。それってすごいことよ」


 肩からおろした手で、少年の指先に触れる。

 一瞬だけ、びくりと震えた掌を優しく包み込む。


 柚月は言えない。

 待っていて、と。自分を信じて待っていてほしい。そんな一方的な言葉をかけるつもりはない。柚月だったら、一番、聞きたくない。かけられたくない。


 自分の命運を他人に預ける。信頼の問題ではない。柚月が払うべき犠牲を他人に押しつけているようなものだ。そんなの、まっぴらごめん。

 宗真だって欲しているものは、きっと別のもの。


「だから、強くなって」


 自分が彼の立場なら、望むであろう言葉を考える。ごまかしたくない。嘘をつきたくない。


 彼にも返したい。

 今まで柚月が、与えられたものを。


 茫然と見返す少年の手を握った。


「強くになって、宗真。あなたがそうしたいなら、きっと願いを叶えるだけの力を持ってる。平穏を望むあなたが戦うと決意するのは、重い覚悟だったと思うわ。それでも、決めたなら強くなって。そして、いつか郷の争いを終わらせる時……」


 いつか来る。

 実現させる、その時に。東雲の描いた夢の先。一緒に目指す未来。やっと見えてきた道。

 歩きたい理想の先を見据えて、微笑む。少し前まで、ぎこちな笑顔しか浮かばなかった。自然と笑えるのは、宗真の力だ。何事にも懸命に取り組み、人を信じて努力する。他者の心を和ませるのも、傷の痛みを知っているから。きっと、宗真がほしいものは恒久的な庇護じゃない。自身も道を選べるだけの術と力を得たいはず。彼が術者を目指した時点で気付くべきだった。


 彼の望みを。



「一緒に戦いましょう」



 求められた答え。

 宗真に返したかった言葉。ようやく口にすることができた。彼は、受け入れてくれるだろうか。

 柚月の言葉で、少年は弾かれたように顔をあげた。瞳には、涙が盛り上がっている。


 信じて、待ってる。

 あなたが強くなる日を。共に戦場に立つ日を。


「う〜ッ」


 少年の瞳から大粒の涙がとめどなく流れ落ちる。強く握り返した手が歓喜に震えた。そこで柚月は安堵する。彼の心に添うことができた。無条件に護るわけではなく、同じ仲間と認め、戦場に立つ日を待つ。口先だけの慰めじゃない。宗真なら絶対に実行できると信じている。


「じゃあ、行ってくるわね」


 そっと短めの挨拶をすると、宗真は何度も頷く。


「ど……どうか、ご武運をッ」


「ありがと」


 涙声を必死に絞り出すようにして、見送りの言葉をくれた。ほっとするやりとりの中、思わぬ冷やかしが入る。


「あーあ。純真な少年を泣かしやがって」


「これで君も立派な悪女だな」


「ちょっと! ふたりとも、いい加減なこと言わないでくれる!?」


 茶化して邪魔してきた男たちに、柚月は思いきり抗議する。勢いよく身も乗り出したので、肩から落ちる白夜を胸に抱き留める。


「じゃあね、宗真! あのチンピラ野郎をガツンと殴ってくるわ!」


 一度だけ振り返って、手を離す。飾り気のない言葉だからこそ、頼もしく聞こえるかな、なんて期待しながら。

 送り出してくれた少年は、見えなくなるまで手を振り続けた。










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