第9話
「全く。余計な時間を食ったじゃないか」
「んも〜、そのことは悪かったってば」
渡殿を歩きながら、ぶつくさ東雲が文句を言ってくる。
「おかげで、彼らを引き取らなくちゃならなくなったし……」
それについては柚月も返す言葉がない。
あとで知ったことだが、先ほど貴族に因縁をつけられた少年は孤児だった。他にも数名、身寄りがいない子供が集まり、物乞いや盗みで飢えをしのいでいたという。
治安維持の役目を担う東雲が放っておけるはずもなく、自身の邸に引き取ることにした。
「あの姉弟の話も途中だったし……従者たちに道案内をさせてしまったから、寄り道ができなくなった。何から何まで、君のせいだぞ」
「最後のは、あんたの都合でしょッ!?」
柚月は、たまらず叫んだ。
孤児や姉弟は従者をお供に、ひと足早く邸へ戻した。何故か、全員。宗真への事情説明や彼らを迎える準備のためだろうが、それを決めた本人に愚痴られては柚月も我慢できない。
いわれなき中傷に全力で抵抗すれば、くすりと笑声が聞こえてくる。
「あ、失礼」
犯人は、前を歩く爽やかな好青年だった。
歳は東雲より少し上だろうか。
整った顔立ちに優雅な立ち居振舞い。教養のある上品な男性という印象を受ける。彼は、広い敷地を持つ苑依姫の邸を案内してくれていた。
「知りませんでした。漣殿も、そんな冗談を口にするんですね」
柚月は、彼に少なからず好感を持った。
異世界の人間と知れば、大抵は嫌な顔をするというのに。嫌悪感のようなものは伝わってこないし、とても気軽に話しかけてくる。
「実際に、噂の【蒼龍】様とお会いして納得しましたよ。漣殿が出し惜しみするお気持ちがよくわかります」
「よしてくださいよ、雪也殿。それじゃ、僕がこいつを使うのに渋ってるみたいじゃないですか」
「おや。違いますか」
彼の言葉に、東雲が押し黙った。
ヤツには珍しく苦手な人物であるようだ。
ますます、すごい。
初対面であるというのに、柚月の中で彼の評価はうなぎ登りに上昇している。
彼の名前は、保坂雪也。
苑依姫の警護責任者で、彼女を盗賊の手から救い出した張本人である。
柚月は、苑依が羨ましくなった。
盗賊から、主である姫を救う。
雪也のルックスからして、きっと絵になる救出劇になったに違いない。
本来、女性はそうして大事にされるものである。どうせ召喚されるなら、苑依姫みたいな立場がよかった。東雲の感覚は絶対におかしい。肉体労働に女子高生を選ぶ神経がわからない。ポジションからして間違っていると指摘するべきか。
などと考えを巡らせれば、ふと雪也が足を止めた。
「申し訳ございません。ここから先は【蒼龍】様のみで、お願いいたします」
「えッ?」
思わぬ申し出に面を食らう。
東雲を見ると、面倒くさそうに頭を掻こうとして(烏帽子があることを思い出して)やめた。
「そういう決まりなんだ。理由は、さっき説明しただろ」
「でも……」
柚月は戸惑う。
事情聴取は柚月ひとりでやることは知っていた。その理由も聞かされている。ただし、室外のすぐ側に東雲がいると思い込んでいた。今まで、この【月鎮郷】で彼と離れることは一度もない。
急に心細くなる。
しかし、悲しいかな。相手は、そんな繊細な乙女心を理解してくれるはずがない。
「取って喰われたりしないから安心しろ。そもそも、人見知りする柄でもないだろ……」
「行ってきます!」
わざと声を遮って、床板を踏み抜かんばかりに歩く。
背後から長い溜め息と、控えめな笑声が耳に届いた。
くそう。
何が、そんなにおかしいんだ。
通された局は薄暗い。
幾重にも几帳や屏風を張り巡らし、それをひとつひとつ避けて歩かねばならなかった。しかも、広い室内全体に漂う異質な空気。
(なにこれ、お香……?)
東雲のものとは違う。鼻をくすぐる甘い匂いだった。
《ようこそ。次元の狭間を渡る【彷徨者】よ》
局の奥から涼やかな声が聞こえる。
最後の衝立を避けて、現れた邸の主人に柚月は目を奪われた。
紫色の縁の畳に鎮座するのは、人形のような美姫。抜けるような肌に、鮮やかな紅の唇。烏の濡れ羽色と評するに相応しい黒髪。重ねられた衣や白紐の髪飾りなどは巫女というより、舞姫を彷彿とさせる。
二十歳前後だろうか。凛とした佇まいは、ぞくりとするほど美しい。
けれど、柚月は何か違和感を覚えた。
《先日は助けていただき、誠にありがとうございました。私が【九衛家】斎宮・苑依にございます》
苑依の唇が動いていない。それどころか、表情さえ動かない。
精巧に作られた人形のようで、彼女と思われる声は頭の中に響いてくる。ちょうど、召喚前に接触してくる東雲の声と似ていた。
腹話術とは違う。
どう処理していいかわからない異様な光景に、柚月は戸惑うしかない。
その時、苑依はわずかに視線を伏せた。そこでようやく目の前の人物が人形ではないことを知る。
《このような姿で迎えることをお許しください。私は術の精度を高めるため、身体機能の大部分を薬で眠らせています》
「薬……?」
《はい。四肢の自由や言葉を話す機能などを封じる代わりに、霊力と術の効力を底上げしています。今、あなたに語りかけているのも、私の思念をあなたの脳に直接伝えているからです》
にわかには信じがたいが【月鎮郷】では当たり前のことなのか。
その点が判別しない柚月は、とっさに別のことが気になった。頭に直接思念を送るなら、自分の考えを読まれたりしないだろうか。
《ご安心ください。私の【声】は、あなたの精神に一方的に語りかけているだけです。相手の思考が私に伝わることはありません。ですが、わずかに残る視覚と聴覚で、あなたの考えを察するくらいはできますよ》
遠回しに『顔に書いてある』と指摘され、頬が熱くなった。
くすくすと涼やかな声が洩れる。それが笑い声だと気付くのに、しばらくかかった。
わりと気さくな姫君らしい。
ただし、柚月には一抹の不安がよぎった。
「それって、大丈夫なんですか?」
薬になると副作用が心配だった。
しかも人間の運動機能を著しく低下させるなら、慢性的な副作用があるのではと不安を覚える。だが、当人は何でもないことのように、さらりと答えるだけだ。
《全くない、とは言いきれませんが、適切な処置をすれば反動は小さくてすみます》
「そ、そうじゃなくって!」
論点がずれていることに気付き、柚月は声を荒らげた。
しかし、すぐに周囲の静かな空気を思い出し、おずおずと訊き直す。
「あの、お役目って、そんなに大事ですか?」
柚月には、わからなかった。
先ほど東雲が口にしていた決まりとは、この邸が基本的に【男子禁制】であることだった。
苑依は斎宮として役目を受け入れた時、異性との接触の一切を絶たれる。先ほどの雪也とも誘拐などされなかったら、互いに顔を見る機会はなかっただろう。
東雲の事情聴取も文を介して行われるため、ヤツが億劫になるのも無理はない。
話を聞いた柚月は、尋ねずにはいられなかった。
彼女は、辛くないだろうか。
それは恋はもちろんのこと、自分を助けてくれた相手に感謝さえ伝えられないのだ。
「自分の身体を眠らせてまで……」
理不尽な役目と掟。
彼女は、あまりにも平然と受け入れていないか。
東雲もそうなのだろうか。
部外者の自分が気にしていても大きなお世話だろうが、柚月は割り切れなかった。
やがて、ふっと柔らかな吐息が聞こえる。
苑依が笑ったようだ。
《……噂通り、お優しいですね。今回の【蒼龍】は》
「蒼龍?」
たまに周囲から聞かされる単語。
おそらく自分を指す言葉だろうと漠然と感じたが、具体的な由来は知らなかった。
《こちらでの、あなたの呼び名です。東都を守護する召喚士・漣殿にあやかって》
柚月は、ムッとなる。
どこまでも東雲とワンセットなのか。
この世界では、ひとりの人間として認めてもらえない。それは彼女にとって、屈辱的だった。
柚月は深呼吸をひとつしてから、背筋をのばして居住まいを正す。
「あ、あの……私の名前は、蒼衣柚月っていいます。私、今日はここへ来るのを楽しみにしてました。大貴族のお姫さまって聞いてて、どんな人かなとか、きれいな人だろうなって。それで実際に会ったら、友達になりたいと思って……」
何を言いたいのか、わからなくなって黙ってしまう。
柚月は気付いてしまったのだ。
ここで苑依と距離を縮めても、何の意味もない。
向こうは、郷でも指折りの大貴族。
柚月の言動で、彼女や東雲に迷惑がかかる恐れもあった。
やはり、自分は指示された通りの仕事をこなせばいい。
それこそ、意志を持たない人形のように。
じわりと湧いてくる悔しさに歯噛みすれば、
《わかりました、柚月》
不意に名前を呼ばれ、ハッと顔をあげる。
《それならば、私のことを『六香』と呼んでくださいますか?》
目の前には、人形のような美女がいる。
作り物めいた美しさに、かすれた声が洩れた。
「……りっか……?」
《私の幼き日の呼び名です。今現在では、それを知る者はおりません。『苑依』は斎宮の地位を賜った時にいただいた名前ですので》
役目を与えられた時に、捨てた名。
ほんの少しの寂しさと、愛着が見え隠れする。
彼女にとっては語りにくい内容だろうに。それでも教えてくれた理由は、察しがついた。
柚月は照れたように笑うことしかできない。
「ありがと……六香」
苑依は、柚月の意を汲んでくれたのだ。
私という人間を見て。
あなたと対等な立場を築きたい。
そんな不遜な要求を受け入れ、名を明かしてまで証をくれた。
初対面の姫君に気を遣わせてしまったことにを恥ずかしく思う一方、柚月は嬉しかった。
彼女は、宗真のように自分を他の人間と同等に見てくれたのだから。
相変わらず、苑依は微動だにしない。
けれど、彼女は柔らかに微笑んでいる。
根拠のない憶測だが、柚月はそんな気がした。
《それでは、本題に入らせていただきます。これから話すことを、漣殿にお伝えくださいませ》
改まった苑依の口調で、彼女の優雅な礼を見たように思える。
とても不思議な姫君だった。
「……燐姫の居場所ねぇ」
料紙に目を落としながら、東雲が呟く。
スマホを覗く人よろしくとばかりに、歩みを止めない。
いっそ転んでしまえ。
そんな理不尽なことを柚月は胸中でぼやく。
苑依から話を聞いたあと、邸へ戻る道すがら伝えられた内容を順を追って東雲に説明した。
ヤツは、通された局で雪也と世間話をしていたらしい。人が働いていたってのに結構なことだ。それだけなら、まだよかった。東雲が仕事をしないのは、いつものことだ。それくらいで、ヘソを曲げたりしない。
問題は、苑依が本当に珍しい菓子を用意してくれていたことだ。
雪也がしきりに『姫君からのご指示ですから』と言って勧めてくれたが、東雲がすっぱりと断った。おまえにそんな権利はないだろうと恨みがましく睨んでも、通じる相手ではない。
「りん姫って誰よ」
素朴な疑問を、柚月は訊く。
苑依の話では、誘拐した盗賊たちは『燐姫』という人物の所在を何度も尋問されたという。
彼女が何者か、柚月はわからない。
苑依に尋ねようにも、他に覚えるべき伝言や文を預かり、詳細を訊きそびれたのだ。改めて、東雲にも当たってみるが大した収穫はない。
「僕の前任者ってとこかな。とても優れた術者で、苑依姫と同じ【星詠み】の力を持ってた」
とだけ言って、会話を打ち切ってしまう。
「そういうんじゃなくて……知り合いだとか、他の事件に関わってるとか、何か別の情報ないの?」
こんなに早く終わると思わなかった柚月は、慌てて東雲の前に立ち塞がる。
盗賊たちの誘拐事件とどう関わるかが気になったのに、ヤツの返事は素っ気ない。
ちらりとも柚月を見ずに、脇を通り過ぎる。
「君には関係ない」
ただ、それだけ告げて。
この時、はっきり感じた。
彼との距離。
一歩先に、引かれた線。
ひらりと白の花弁が落ちる。宗真が贈ってくれた花から、剥がれていく。
柚月は唇を噛みしめる。
漠然と感じ続けた苛立ちの理由。それが、ようやくわかった。
(……部外者は知らなくていいってことね)
東雲が拒絶した。
自分が、この世界の人間ではないから。
悔しさで滲む視界を、ぐっとこらえる。
こんな世界で泣きたくない。きっと同情してくれる人さえ、いないから。