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第76話






 取引に応じた長谷川によると。

 伊集院は、北校舎の屋上で待機しているらしい。場所も一定時間内に変えているわけでもない。ゲーム開始から終了まで、勝っても負けても留まる段取りと言っていた。下手にあちこち動き回るよりも、わざと一カ所に待機している方がリスクは減らせる。確かに、悪い案ではない。北校舎は上の階へ行くほど、進路指導や理事長室など、特定の生徒や教師しか利用しない施設が多い。よって、屋上の付近の五階や四階などの人通りは少ない。

 仮に、捜索する生徒たちに発見されたら逃げ場がない。隠れるデメリットが大きいと思わせる場所を選んだ。

 人目を避け、盲点を突く。その効果は絶大だった。


 伊集院がUSBメモリーを奪われると、日下部に連絡が届く手筈になっているらしい。放送での勝利宣言がないかぎり、伊集院は誰にも発見されていないことになる。それを聞いて安堵したものの、悠長にも構えていられない。

 時計を見れば、正午まで十分を切った。さっさと屋上へ向かわなければ、勝負どころかゲームオーバーになってしまう。


 柚月が駆ける足を早めれば、


「蒼衣!」


 聞き覚えのある声に呼ばれる。

 立ち止まって振り返ると、男子生徒ふたりが駆け寄ってきた。



「無事だったか」


「探したんだぞ」


「あんたたち……」



 声をかけてきたのは、クラスメイトの小泉と松浦だった。

 ただし、駆け寄る際には何故かガッショガッショと奇妙な音まで連れてくる。


「なに、その格好」


 耐えきれずに、柚月がぷっと吹き出す。彼女が笑ったのは、クラスメイトの姿が違いすぎていたからだ。


 小泉は、頭にホーロー鍋、胴には剣道の防具をつけ、手には野球のバットを持つ。松浦はヘルメットをかぶり、紐で吊した中華鍋を腹に当てていて、右手にテニスラケットを握っていた。

 完全武装には違いないが、どこか迫力がない。



「フル装備って感じね」


「いや」


「これは、その」


 クラスメイトの女子に笑われたことで、格好よさに憧れる少年のプライドが傷ついたようだ。弁明しようとあれこれ理由を探そうとする。その様子に、目を細めた柚月が口を開いた。


「……昨日は、ごめんね」


 ふたりに謝る。

 風紀委員に捕らえられ、学校を抜け出した。帰り際、顔を合わせた彼らに酷いことを言ってしまった。その謝罪。そして、今日になって気付いたことがある。


「本当は、助けに来てくれたんでしょ?」


 難癖をつけられて、日下部に監禁された時。

 小泉たちと合流したのは、やたらタイミングがよすぎる。先ほど足止めをしてくれたクラスメイトたちの言葉も、含めて考えたらあっさり出てきた答え。それを指摘すると、男子ふたりは首まで真っ赤になった。


 無言の肯定。

 たったそれだけのことなのに、胸が温かくなる。気持ちが優しくなる。

 だからこそ、柚月は自分の気持ちを正直に伝えた。


「ありがと。クラスの皆を説得してくれたのも、あんたたちなんでしょ?」


 すごく嬉しかった。

 気恥ずかしさをこらえて、やっとの思いで口にしたのに。クラスメイトの男子ふたりは、赤面したまま動かない。その様子が新鮮で、可愛らしく映った。


 どっかの誰かさんも、これくらいわかりやすかったなら、よかったのにな。

 意味のない想像を巡らしたからこそ、今あるものが輝いて見える。


「見直したわよ」


 柚月の言葉で、松浦たちが弾かれたように顔をあげた。


 現実を受け入れて、立ち上がった勇気。心からの敬意を表した、素直な言葉。

 彼らがいなかったら、ゲームの行方はさらに混迷を極めただろう。いくら柚月でも、全校生徒を相手にできない。大人数をひとりで捌く内に時間切れだ。


 酷い言葉で詰ったのに、彼らは立ち上がって歩く姿を見せてくれた。それがどんなに大変で辛いことか、柚月にはわかる。

 くすぶって、愚痴を零すだけの日々が嘘のよう。自分の信じたい道が、松浦たちの行動で肯定された気がした。


 難しい選択をしたとは思う。でも、これから先に待つ未来は決して苦痛ばかりじゃない。

 彼らのように、素晴らしい人たちに巡り会える。そう思えたら、いてもたってもいられない。



「いたぞッ!」


「早く、捕まえろッ」


 廊下に、声が響く。

 柚月を探していた連中だろう。来た道から、五人の男子生徒が駆け寄ってくる。スマホを片手に、際限なく仲間を呼び寄せるに違いない。


 これ以上の長居は無用だった。


「じゃあ、行くわね」


 柚月は駆け出して、一瞬、迷う。


「小泉! 松浦!」


 肩越しに振り返り、男子ふたりと目が合う。それを確認してから、柚月は思いきり叫んだ。


「今のあんたたち、最高にカッコいいわよッ!」


 言うなり、全速力で走り去った。

 彼らの思いを無駄にしないために。


 あっという間に見えなくなった後ろ姿を、残されたクラスメイトは呆然と眺めていた。


「……カッコいいだってよ」


「いまだかつて言われたことのないセリフだ」


 平凡に生きていた彼らが、初めて贈られた誉め言葉だった。


「これじゃ、期待は裏切れんな」


「うむ。潔く散ったら、優しく介抱してくれるかもしれん」


 などと、少年特有の想像力を働かせる。

 その間にも、生徒たちがぞくぞくと集まってきた。松浦たちが通せんぼする形で立ち塞がる。


「おまえらも四組だなッ」


「まだ、あの女を庇い立てする気か!?」


 今にも、襲いかかりそうな剣幕で恫喝してくる。興奮する男たちを前にして、小泉たちは一歩も退かなかった。恐怖に震えながらも、バットとラケットを構える。







 小泉たちと別れ、すぐに東校舎を飛び出す。渡り廊下を抜けていくさなか、カーディガンのポケットが細かく震えた。携帯電話のバイブレーションと気付き、立ち止まる。辺りを警戒しながら確認すると、莉子からの着信だった。


(……一体、何の用?)


 不思議に感じながらも通話ボタンを押す。


「――――莉子?」


〈柚? 今、どこだ?〉


「東校舎の渡り廊下だけど」


 うっかり電話に出てしまったが、彼女は何故、今のタイミングで連絡を寄越してきたのだろう。わずかな疑惑が頭の隅を掠める。

 他の学年ならともかく、二年生ならば莉子が柚月の親友だと知っているかもしれない。


(まさか、捕まって居場所を聞き出すように脅されたんじゃ……)


 あり得ない話ではない。長谷川に対する男子生徒の仕打ちを考えれば、あながち否定もできなかった。


 すっと背筋が冷えていく。

 風紀委員とのゲーム開始直後から、柚月は自分のことだけで精一杯だった。


 また考えが足らなかったのか。

 自分のせいで、莉子や栞が危険な目に遭ったのか。嫌な予感がして、胸にじわりと不安が広がる。ただし、スピーカー越しの親友は普段と同じくあっけらかんとしていた。


〈そんで、これからどこに向かうんだ?〉


「き、北校舎の屋上……」


〈お、ラッキー〉


 何が、ラッキーなのやら。脈絡のない会話に、柚月はいまいち要領を得ない。


〈ちょっと待ってて〉


 確認する暇もなく、プッと切れてしまう。

 彼女は、何の用で電話をかけてきたのか。一方的に通信が途絶えた携帯電話を見つめる。


 その直後、



「蒼衣 柚月、覚悟ぉぉぉ―――――ッ」



 背後から風紀委員が追いかけてきた。足音と声からして、人数が多い。

 どうやって振り切るか考えを巡らせている最中、



 カッ!


「ひッ!」


 突き刺すような謎の音と引きつる悲鳴。

 柚月は思わず振り返る。追ってきた彼らの足元を見て驚いた。柚月の半歩後ろには、弓矢が突き刺さっている。

 そこへ、いつの間にか鱗粉のような細かい粒子が周辺を漂う。


「ぶはっ、何だこれッ!?」


「目が痛い〜ッ!」


 巻き上げられた、煙を吸った面々は急に咳き込んだり、くしゃみを始めた。正体不明の粉塵は、どうやら目や鼻を刺激する物質であるらしい。戦意を失わせるには充分だった。


 生徒たちは混乱し、一時退却。

 水場を求めて、走っていく後ろ姿だけを見つめた。


「……誰なの?」


 柚月が視線を戻すと階段の踊場に、誰かが立っている。制服のスカートからのびるしなやかな素足で、女子生徒だとわかった。ただし、その手には自分の身長を遥かに超える弓を握っている。

 校舎内では滅多にお目にかかれない道具だ。戸惑った柚月が立ち尽くしていると、その女子生徒が身を屈めてニッコリ笑う。


「あ、柚? ナイスタイミングね」


「し、栞……?」


 柚月は、見上げたまま眉根を寄せる。

 場違いな弓もさることながら、親友の格好が普段と違っていたからだ。服装こそいつもの制服だが、その上に何故か弓道の胸当てと手にゆがけを身につけている。これから試合というより、戦いに馳せ参じるといった姿だ。かなり異様ないでたちに、柚月はかなり言葉に迷う。疑問はひとつしかないのに、どう訊ねればいいのかわからない。

 それくらいインパクトのある格好だった。


「あたしも、いるぞ」


 階段の手すりから、ひょっこり顔を出す莉子もいる。

 ますます意味不明だ。彼女たちは何をしているのだろう。


「何してんの」


 柚月が率直に訊ねると、美少女ふたりはきょとんと目を丸くさせる。


「何って……援護。柚の」


「あたしらが、あんたを売るとでも思ってんの?」


 彼女たちも当たり前のように答える。

 その表情は、柚月の反応の方が理解できないといった様子だ。生物が呼吸する理由を問われたように、わかりきった事実をわざわざ確認する必要があるのかといった顔である。

 柚月は、うまく二の句を継げない。自分の方が場違いな質問をした気になってきた。

 ひたすら自分のペースを奪われて、言葉が出てこない。それでも、栞はさして問題もなさそうに矢をつがえる。その先端には、小さな布が結ばれていた。何かが入っているような膨らみを持たせて。


「行って。ここは足止めしとくから」


「絶対に権利獲得しろよ」


 やはり、至極さらっと先を促してくる。莉子も同意見らしい。

 完全に置いてきぼりをくった柚月は、動けない。いまだに状況を把握しきれていないので、次の行動を判断できないのだった。

 悩む前に動こうとは思ったけれど。その出鼻を最初に挫いてくれたのは親友ふたりだった。やはり、人生とは甘くない。予想外の出来事に遭遇することは間々ある。

 そう教えてくれた彼女たちに感謝するべきか。


「……ッ、栞!」


 何かに気付いたらしい莉子の声と同時に、栞は素早く弦を引く。

 そこに試合や伝統芸能の要素はなく、実戦のような無駄のない動きで矢を放つ。


 カッ!

 乾いたような鋭い音とともに、生徒たちの頭上に突き刺さった。

 わずかな粉煙が舞い踊る。天井から降る粉雪に、生徒は悲鳴をあげた。


「ひいぃぃぃぃッ! 内海がご乱心なされたッ!」


 誰もが一目散に逃げ帰った。

 武装した栞の姿を見て驚いたのだろう。しかも、走る後ろ姿からでも盛大に咳き込んでいるのがわかる。退散する時、大量に吸い込んだのだろう。これを計算に入れた戦術だとすれば、見事というより他ない。

 感心より、恐ろしく感じる。それなのに、当の本人は、のんびりとした口調を崩さない。


「あら、変ね。目つぶしが発動しない」


「目つぶし!?」


 さらりと吐かれた言葉に、柚月は驚愕するしかない。

 思ったより威力が少ないと愚痴っている。栞に、こんな攻撃的な部分があるとは知らなかった。さらに言うなら、隣に座る莉子も負けていない。彼女の行動に拍車をかける勢いで首を横に振る。


「大丈夫だ。身体に悪いものは入れてない」


 小麦粉と卵など、賞味期限が切れたものを家庭科部から、くすねてきたという。

 柚月は目眩を起こしそうになった。


「莉子……あんた」


「やー、一度やってみたかったんだよね。こういうミッションっぽいの」


 わくわくといった表情で、弓矢にハンカチを結わえる。今の状況を楽しんでいるとしか思えない。

 柚月は、非常に困った。普段なら、ここで止めるであろう常識の要を見つめる。しかし、今回にかぎっては彼女を援軍として期待できなかった。


「莉子。目つぶしトラップ、もうちょっと緩くして」


「きつく縛りつけたからかなー? でも、ゆるゆるだと軌道が乱れるんだろ?」


 なんと、弓矢での目つぶし攻撃は、栞の発案だったらしい。彼女の腕は信用しているが、間違えたら笑い事ではすまされない。先ほどの一矢には、明確な殺意を感じた(ような気がする)。

 これは怪我人が出る状況なのでは?

 柚月の不安はサッパリ無視して、親友たちは対応策をすぐにまとめあげた。


「次から、やるだけやってみて。飛散するかも」


「おお。それは楽しそうだな。どれから試してみる?」


「唐辛子パウダー」


「本気デスカ、栞さんッ!?」


 迷わず即答した親友に柚月は震え上がる。

 栞の決断には、躊躇いがない。全く知らない生徒たち相手に振りかけることになるかもしれないのだ。考えついた時点ですでに怪しいが、もう少し色々な点で迷うべきだろう。対する莉子は、小さなポーチから小瓶をいくつも取り出して並べてみる。その動作は、やっぱりうきうきだ。


「バニラエッセンスもあるぞ。振りかけたら、匂いでブルーにならないかな」


「もう胡椒は、月並みだしね」


 嬉々として語る親友たちが恐ろしい。小瓶のラベルを見て吟味する様は、妙に場慣れしてはいないだろうか。

 絶対、あのスパイスや調味料の類も調理室から拝借したに違いない。たくましすぎて、とても心強い。

 親友たちの意外すぎる一面に、柚月は戸惑うしかない。だが、同時に頭の中で声がする。


 これは、好機と受け取るべきだ。

 何を憂う必要がある?

 彼女たちの意志と行動を信じよう。


 柚月が思い描く理想は、ひとりで戦い続ける孤高の強者ではないはず。


 そう気付いたら、自然と身体が動いていた。

 踵を返して走り出す。


「ふたりとも、ありがと! ここは頼んだわよッ」


「もっちろ〜ん」


「やばい! だんだん、楽しくなってきたッ」


 興奮ぎみの声をあとにして、柚月は階段を駆け上っていく。


 もう時間はない。

 一気に片をつける。

 それだけを強く思って、屋上の扉を開けた。




 逆光が、まぶたを灼きつける。








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