第44話
翌日の放課後。
下校しようとして、柚月は途方に暮れる。
(……この地図、どこら辺のだろ?)
再び、手にしているメモ用紙に視線を落とす。そこに書かれているのは、かなり大雑把に書かれた地図だった。柚月の自宅付近だとは判別できるが、具体的な場所が思い浮かばない。
簡略化されすぎていて、目的地までの道が抜けている。
昨夜、帰り際に朱堂から渡されたものだ。何でも、記した場所で『面白いもの』を見つけたらしい。その辺りを調べてこいと言わても、何を留意すべきか前任の【彷徨者】は教えてくれなかった。全く手がかりもなしに指定する場所へ行って、発見できるわけがないだろうに。
東雲からも『調べるだけ調べてみろ』と言われたら、断る口実もない。
自分の世界での、お使いは初めてだ。兄から頼まれる夕食の買い出しとは勝手が違いすぎる。柚月ひとりで探索・調査をしなければならない。
東雲はともかく、朱堂は何を期待しているのか。この世界に現役女子高生の権限など、あるようでないものなのに。警察ではないのだから、素人が見てもわかるはずがない。
自然と足取りは重くなり、どこを目指すべきか思案していると。
「柚!」
声の主は、春日だった。安堵するような顔で、こちらに駆け寄ってくる。背後には、友人らしき男子たちにブーイングをされていた。
「いいの? 友達」
「むしろ助かった。あいつら、これから女子大生をナンパしに行くみたいでさ」
「それは大変ね」
「全くだよ。いつも何故か、誘ってくるんだ」
おれなんかいても、仕方ないのに。
ぶつぶつ洩らす幼馴染みに、柚月は胸中で言っておいた。
大丈夫。
あんたなら、女子大生なんか軽くナンパできちゃうわよ。
先日での喫茶店を思い出す。とはいえ、あえてそんなことをしない彼に好感を抱く。
ますます幼馴染みの片想いが実ることを祈った。
「そういうわけだから、一緒に帰ろう。あいつら結構、しつこいんだよ」
「いいけど……ちょっと野暮用をすませてからでいい?」
ナンパを断る口実に使われるのは、構わない。
ただし、夜には東雲からの呼び出しがある。あの男ふたりに、さすがに手ぶらで帰るのは気が引けた。さらっと見るくらいなら支障はないだろう。
すると、隣を歩く春日が一瞬だけ目を丸くした。自分の言葉の真意を探り、表情が固くなる。
「なに、また危ないことに首突っ込んでんの」
「またって……他人を歩くトラブル吸引体質みたいに言わないでよ」
むっとして反論するも、春日の右眉だけがぐいとつり上がった。
「違うの?」
「……ごめんなさい。やっぱり、トラブルです」
うまい言い訳が浮かばず、あっさりと認める。溜め息しそうになった幼馴染みを慌てて遮った。
精一杯、安全性を強調して。
「でも、今回は大丈夫! ただの下調べだから! 危険は全くないはず!」
おそらく。
きっと。
たぶん。
刀を持った盗賊はいない、はず。
「その言葉、信じていいんだよね?」
「う、うん」
柚月は、戸惑いながらも頷く。異世界よりは土地勘がある。何かがあっても、春日となら逃げきれるはず。もはや常人が考える懸念とは遠く離れていることを柚月は知らない。
春日も深い詮索はせず、すぐに本題を切り出した。
「OK。なら、手早くすませよう。どこで何するの?」
「まず、この場所に行きたいんだけど……」
手にしていたメモ用紙を見せる。しばらく地図を眺めた幼馴染みは、大きく顎を引いてくれた。
「あぁ、高架線近くの繁華街だね」
「!」
救世主は、そこにいた。
繁華街といっても、クラブやスナックなどが立ち並び、夜に活気づく界隈だった。駅からも離れているため、未成年の学生にとってはあまり馴染みのない場所である。柚月も素通りすることが多い。かろうじて利用できるものはコンビニか、交番くらいか。
まだ日暮れ前もあってか、まだ人気はなく閑散としていた。けれど、何人かの小学生や中学生とすれ違う。周辺に学校はなかった気がするのだが。
「えーと」
地図を片手に、きょろきょろと周囲を見渡す幼馴染みが呟く。
「地図だと、この辺りのはずなんだけど……」
「変わったところはなさそうね」
どこを見ても何の変哲もない呑み屋街である。特に、違和感を覚えたり、目立つものもない。それとも、酒をたしなむ社会人にならないと気付かない代物なのだろうか。
せめて、どんなものに注意を向ければいいのか、確認すればよかった。てっきり、朱堂がでまかせを言っていると思い込んでいたのである。
あの自信過剰な不審者め。教えるなら、もっと的確な情報を寄越してほしいものだ。
やはり、自分のことは棚にあげ、柚月が胸中で毒づいている最中、
「姉ちゃん!」
大声とともに、何かが背後からぶつかってきた。
「よかった。また会えた!」
「あんたは……」
腰にまとわりついつく少年には見覚えがあった。
先週、【牙狼党】のメンバーたちにカツアゲをされていた小学生だ。そういえば、彼と出会った場所はこの先だ。
付近が通学路でもおかしくはない。
が、隣にいる春日は目を丸くする。
「その子は?」
「ぅッ……」
問われて、柚月は息を詰まらせる。
彼との出会いは、不良にカツアゲされていた現場を目撃したことから始まる。世間話のように、気軽には説明できなかった。
「あ、この間のお礼を言いたかったんだ。あの時は、本当にありがとうございました。おかげさまでゲームは買えま……」
「あーッ! 友達なのよッ! ね!?」
柚月は大慌てで抱きつく。律儀に礼を述べようとする小学生の口を塞ぐために。
そんな突然の行動にも、少年は必死でかわしつつ瞳を輝かせた。
「ぼくを姉ちゃんの友達にしてくれるの!?」
想像とは違う反応。
────こいつは、いける!
柚月は即座に親指を突き出した。
「おうともさ! それとも、女子高生のおばさんとは嫌かな!?」
「まさか! ぼく、姉ちゃんみたいにカッコよくなりたいんだッ!」
ピシッ。
少年の純真無垢な発言に、柚月は再び凍りつく。
まずい。
いや、ぎりぎりセーフか?
ヤンキーをサンドバッグにしたとか言ってないし。
何としても、過去の間違いをごまかしたい。
知られたら最後。
その後のできごと…………骨身に沁みた回りにまわったツケを話すことになる。
説教は仕方ない。
だが、幼馴染みを心配させてしまうのが心苦しい。
だから全力で隠してみたが、幼馴染みは憮然とした面持ちでこちらを見つめている。
「…………ふぅん」
鼻を鳴らすように相槌を打つ。それからすぐ、少年に右手を差し出した。
「よろしく。オレの名前は、春日 尚輝っていうんだ」
「よ、よろしく……」
戸惑いながらも少年が手を重ねた瞬間、
「うッ……!」
強張った表情が徐々に青ざめていく。
一方の春日は、爽やかな笑顔を浮かべている。
「共通の友・人を持つ者同士、これから仲良くしような」
「は、いぃぃぃぃ……」
何故か、握手したまま少年の肩がぶるぶると震える。雰囲気もギシギシしてるような。
気のせいだろうか。春日が『友人』の単語に、やたらと力を入れた感じがしたのは。
少年の名前は、相沢 光太と言う。
あれから毎日、塾の行き帰りに、柚月を探していたらしい。ということは、この辺りの事情に詳しいのではないかと思い、学校や塾で何か注意喚起をされなかったか訊ねてみた。光太は不思議そうに首を傾げるも、
「ん〜。そういえば、向こうの繁華街にちょっと変わったラクガキがあるらしいよ」
と言って、案内してくれた。聞けば、この繁華街は家から塾までの通り道になっているらしい。
スナックと居酒屋の間にある狭い路地。双方から出たと思われるゴミの山を避けて、裏手にある壁に少年は導く。
「ここ、ここ。変な模様だから、塾の間じゃ噂になってる」
手招きする光太よりも先に、壁の紋様に目を見開く。
「これは……」
柚月の声は、かすれてしまう。目にしたものは、【月鎮郷】で撮影した謎の術式と同じものだったからだ。
事情を知らない幼馴染みは、腰をかがめて眉根を寄せる。
「この、ヘタクソな模様は? 身長も低いし……同一人物が書いたとは思えないな」
固まっている柚月をよそに、春日は問題の術式の周辺にある落書きに注目している。彼の腰付近には、似たような紋様が多数描かれていた。線が歪んでいたり、微妙に形が違ったり。小さな子供が真似をして失敗した印象を受ける。
「みんなが真似て書いたみたい。他のラクガキとは違って何かの紋章に見えるからさ」
光太の証言により、小学生の落書き大会に発展していったことが予想される。だが、本物と模倣では決定的な違いがあった。
「これだけ、うっすら光ってるな。夜光塗料でも塗ってあるのか?」
のばした幼馴染みの手を柚月は掴んだ。
「触っちゃ駄目。何が起こるかわからないから」
「大げさだな。ただのラクガキだろ?」
苦笑する春日をよそに、柚月は携帯電話を取り出した。
「……まずは報告してからじゃないと」
「柚も大変だね」
柚月の言動を別の意味に受け取ったらしい幼馴染みは、慎重すぎると笑う。カメラ機能を呼び出し、撮影する方としては、笑い事ではなかった。
朱堂の情報は本当だった。ガセネタと思っていた身としては、大いに当てが外れてしまい、軌道修正に苦労する。
あの男は、何がしたいのだろう。わざわざ持っている情報を教えるメリットでもあるのだろうか。
もしや、燎牙を襲ったのは別の人物なのか。朱堂は疑いを晴らすために協力している。
この推理も一応の辻褄は通る。ただし、当然【御門家】を襲撃した犯人は振り出しに戻るし、証明する材料どころか手がかりは全くない。
どう推測すればいいのか、さっぱりわからない。
ますます深くなっていく謎に、柚月の頭はぐちゃぐちゃだった。手に入れたピースが膨大すぎるのと、法則が見えないために繋ぐことができない。
出口の見えないトンネルの中を歩いている気分だった。ただ疲労感だけが蓄積されていくのを気付き始めた頃、
「すげー!」
光太が興奮した様子で、鼻息も荒く叫んでくる。
「やっぱり、姉ちゃんって正義のヒーローなんだな! 毎日、こうやって悪いヤツと戦ってるんだッ!」
うん。
結論から言うと、春日にバレた。




