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第40話






「あの時は、死ぬかと思った!」


 親友の言葉に、一瞬だけ柚月はどきりとする。


「でも、幸せだった!」


「うん。確かに、日下部さんとふたりきりなんてドキドキしちゃうね」


 顔を紅潮させて叫ぶ莉子に、栞はにこやかに相槌を打つ。それを柚月は隣でじっと耳を傾けていた。

 早めに登校したにもかかわらず、教室には人が大勢いる。まぁ、栞や莉子たちクラスは特進科だから真面目な生徒が多いのだろうが。


「この際、あたしだけ注意された理由なんてどうでもいいッ!」


「んー、そこは気にしようよ」


「…………」


 親友たちの護衛をかって出た日下部も、一応は約束を護ってくれたらしい。

 教室でコスメ品評会をしていた莉子は、見回りをしていた鬼の副委員に発見される。その場にいた女生徒たちは厳重注意と下校を促されるが、莉子だけが首根っこを掴まれた。普段から落ち着きがないからと生徒指導室に連行。ペナルティをかねて、日下部とふたりきりでファイル整理などの雑用をやらされる。あの強面の堅物と閉鎖空間にいたというのに、彼女にとっては楽園だったのだろう。ファイルを渡した時に指先が触れたとか。こっちがテンパり過ぎて言葉を噛んだ時、うっすら笑声っぽいのが聞こえたとか。その瞬間がいかに至福の時であったか丁寧に語ってくれた。ついでに、夜も遅いからと自宅まで送ってくれたと話したときは発狂寸前だった(興奮を通り越して)。


 わざわざ早朝から教室に呼び出しては、一方的に喋りまくっている。事実とはかなり離れた解釈する親友だが、こちらの動きを察知した様子が見られないことに安堵する。それだけ、日下部がうまいようにやってくれたということだ。

 ただし、呆れるほどに嘘の才能はないことも発覚もしたが。(もう少し、うまい指導理由はなかったのだろうか)


 おっと。

 もうひとつ忘れちゃならない確認事項がある。

 柚月は、もうひとりの親友に向き直った。


「栞は? 昨日、何か面白いことなかった?」


「え? うーん……」


 なるべく自然に放課後の行動を探る。

 栞も考え込むものの、すぐに気付いたように明るく笑う。


「あ。帰りにね、弓道部の皆とラーメン食べに行ったよ〜。おいしかったし、楽しかった〜」


「そ、そう……」


 勇気あるな。風紀委員。

 高級レストランでフルコースを食べていても遜色ない、美少女をラーメン屋に誘うとは。


 でも、これで万事解決……


 不意に、トンッと肩に何かが触れる。振り返れば、無表情の長谷川が立っていた。


「蒼衣さん。こちらへ来てください」


 ……ですよね。







 生徒指導室に着くなり、待っていたらしい日下部が開口一番に、


「まずは無事でなによりだ」


 と、告げた。

 唐突すぎて、柚月はぽかんとする。


「は?」


「おまえが無事で安心したと言ったんだ」


 わざわざ律儀に言い直す。

 義理堅い性分とは意外だが、何故そんな偉そうに言うのか。あまりの大きな態度に、今現在は【月鎮郷】に囚われている男を思い出す。

 常に笑顔を浮かべて、無根拠な自信をみなぎらせる朱堂。日下部とは正反対だが、強気な姿勢はどこか似通っている。


 少しばかり、柚月はげんなりした。

 自分の周囲には、こんな男しかいない気がする。


 辟易といった表情を日下部は別の意味に捉えた。


「だが、昨夜の説明はしてもらうぞ。おまえのわかる範囲でいい。事実だけを時系列順に答えろ」


「わかんないわよ。連れて行かれた倉庫には、大勢クズ共がいたんだから。さっさと逃げてきちゃった」


 尋問のようなやりとりになって、柚月は即座に反論する。

 こういう空気が苦手なのもあるが、話を長引かせたくなかったのだ。

 もちろん、眼前で長机の向こうに座る男には通用しそうにないが。


「見張りにつかせていた、早乙女と習志野には会ったか?」


「? いいえ?」


 おそらくは後をつけて証拠集めをするはずだった風紀委員たちだろう。

 首を横に振る柚月に、日下部は机の上に手を滑らせる。

 新聞の小さな切り抜きだった。日付を見ると、今日のものである。


「これは……?」


「昨夜、おまえが呼び出された倉庫内で少年グループが倒れているのを警察が発見した。全員、ひどい打撲や裂傷で入院とある。事情聴取は要領を得られない証言だらけで、捜査は難航するだろうな」


 差し出された紙面を拾いあげるのと同時に、柚月は眉をひそめた。


「まさか、私を疑ってるの?」


「否定したいところだが、早乙女たちに持たせたビデオカメラには、肝心の映像が残っていない。途中で不自然に途切れていて、な」


 日下部が身を乗り出してくる。


「それに、あいつらは何故か中を窺っていた倉庫前ではなく、近所の公園で意識を失っていた。あのふたりは武生ほどではないが、空手と柔道の有段者だ。どこまでおまえが関わっているか、誰でも疑いたくなる」


 見つめてくる眼光は鋭く、事実を話す以外に見逃してくれそうにない。

 けれど、ありのままに状況を説明することはできない。頼みもしないのに、途中でしゃしゃり出てきた朱堂の存在を隠そうという類いの善意からではなかった。


 昨夜、【月鎮郷】での一件。

 現世へ戻る直前に、朱堂から思わぬ話を聞かされる。

 柚月が大神たちと対峙した時に登場した彼は、ことの成り行きをしばらく見ていたらしい。たまたま不良たちと歩く柚月を見かけて後をつけてきたというから、やたらタイミングがよかったのも納得できる。


 ただし、ここから朱堂が常人とは違う行動を取った。偶然、倉庫の入り口付近で覗き見していた風紀委員の存在に気付く。そこで何を思うたか、委員ふたりに背後から当て身を食らわせ、昏倒させる。手にしていたビデオカメラの映像を確認し、消去までする念の入りようだった。ついでに、気絶した彼らを付近の公園へ運んだという。手慣れた作業に感心を通り越して、もはや呆れるしかない。


 だが、それと同時に別の意味で彼が怖くなる柚月だった。

 日下部も認める空手と柔道の経験者を一瞬にして昏倒させたというのもある。朱堂にしてみれば、風紀委員のふたりが何者か知るはずもない。現に、彼らの素性を柚月に訊ねてくるくらいだ。(そのために、一連の出来事を柚月に話したと思われる。ただの自慢話でなければ)

 にも関わらず、己の姿を見せることもなければ、痕跡を悟らせることもない。不自然に感じさせるなら、さらに不自然な状況を作り出して、自身が関わったという証拠を消してしまう。わざわざ風紀委員ふたりを違う場所へ移動させたのは、意識失う前後の記憶を曖昧にするためだ。実際に、気絶していた当人たちはおろか日下部まで首を傾げる事態になっている。


 恐るべき判断力と用心深さだ。

 こんなにも自分の行動に一切の無駄がない人間は、初めて見る。


 柚月は、再び手の中の切り抜きに視線を落とす。

 今のところ、警察の捜査で柚月や朱堂の名前は出ていないが、いつ足がつくとも限らない。何か話を逸らす材料はないか、ボロを出さないためにも、ざっと記事に目を通してみる。


「……通報者は、匿名ってことになってるけど?」


「それは、早乙女たちだ。状況が当初の予定と大きく狂ってしまったからな。俺が指示した」


 匿名で通報させたということだろう。柚月は、胸中で舌打ちする。

 話を逸らそうとして、かえって自分から藪をつついてしまったようだ。


 結局、柚月の口から事情を聞かないことには始まらないと思っている。


「もう一度、訊く。何があった?」


 日下部の長い指が机を叩く。トントンと間隔が短くなっていくリズムで、彼の苛立ちがわかる。


 だが、話せないのは柚月も同じだ。

 ゆっくりと新聞の切り抜きを机に置く。


「私の答えも同じよ。さっさとトンズラしたからわかんないわ」


 とくとくと鼓動が跳ねる。

 なるべく表情は動かさないように、神経を研ぎ澄ませた。


 頭の中で朱堂の声が囁く。


『安心しろ。俺たちが切った点同士は、誰も繋ぐことはできない。それこそ、俺たちと同じ【彷徨者】でもなければな』


 きっと彼らの得られた情報は、希薄かつ断片的で筋道すら立てられない。


 証拠もない。

 朱堂は、それを利用しろという。


 どうせ初めから信憑性に足らない現実だ。

 都合のいいようにごまかしてしまえ。


 そう頭では理解できるものの、実際の言動はいまいち演技力に欠けている。今さらになって、自分が嘘をつくのが苦手な人間だと柚月は気付く。不都合な事実だろうと、ねじ曲げるような器用さなど持ち合わせていないのだ。


 沈黙する柚月に、たまりかねたらしい。

 日下部が長い溜め息をつく。


「蒼衣」


「あいつら、私に乱暴しようとしてたみたい」


 日下部の言葉を無理矢理に遮る。

 一瞬だけ、彼の表情が強張った。すぐには言葉の意味を理解できなかったようだ。明らかに、どう反応していいか狼狽している。


 背後に立つ長谷川も息を呑むのがわかった。


 柚月は腕組みして、顔をそむける。

 身体の寒気をごまかすように。


「とんだゲス野郎だったわ。ビデオカメラ持って、にやにや笑ってるのよ。撮った映像で脅す気だったんでしょうね」


 思い出すだけで吐き気がする。

 想像していたものとは違う、もっと嫌な……恐怖にも似た気持ち悪さだ。

 自分の意志に関係なく、彼らのいいようにされる。しかも、目の前の男たちには罪悪感や柚月に対する気遣いなど皆無だった。

 愉快な玩具が手に入った。それくらいの感動しか、彼らからは読み取れない。

 絶望的なまでに深い距離感。

 あのまま行動に移されたらと思うと、怖くて悲しくて悔しくて。


 今までにない感情が胸の中を巡り、自分の周囲にある全てに嫌悪感を覚えてしまいそうになる。


 あの気持ち悪さは、およそ同じ人間に抱く感情ではなかった。


 柚月は、ぎゅっと腕の生地を握りしめる。


「あなたや長谷川さん、協力してくれた風紀委員には感謝してる。皆がいなかったら、莉子や栞がどうなっていたことか」


 これは、紛れもない本心だった。

 素直に認めるしかない。自分ひとりで親友たちを護るには限界がある、と。


「けど、わかってよ。私にだって怖いものぐらいあるんだから」


 多少の負い目はあるが、押し通すしかない。

 全てを話しても信用が得られないとわかっている今は。


 もっともらしい、嘘の理由を並べる。

 これ以上、深入りされないように。


 案の定、閻魔大王は眉間に深い皺を刻んだままだ。それでも、話は終わったとばかりに柚月は踵を返す。

 退出する寸前、日下部が腕組みしたまま問いかける。


「……今までのことは懲りただろうな?」


「そうね」


 反省したか。

 態度を改めるか。

 確認してくる副委員長の言葉に、柚月はあっさり同意した。


 慌てる長谷川の横を通りすぎたあと、口にするべき言葉は決まっている。


 後方に振り返り、日下部を見つめた。柚月が口角を引きあげ、にっと笑う。



「次からは、もっとうまくやるわ」



 止める気なんて、さらさらない。

 今度は誰の手も借りることなく、落とし前をつけてやる。


 そう笑みに含ませた。

 瞠目する日下部の表情は、それはもう見事だった。








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