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【幕間】






「趣旨替えってヤツか?」


 おかしみの混じった声音に、東雲は視線をあげた。

 霊力を封じる結界は張ってあるものの、行動や会話を制限する術式ではない。立方体のような壁に囲まれた朱堂は、強気な笑みでこちらを見つめてくる。歩き回ったり暴れたりしないのは結構だが、この男はそれ以上に厄介だ。


 霊力が回復し、柚月を元の世界へ帰したあと。東雲は、【御門家】への報告書を作成する傍ら、朱堂への事情聴取を続けていた。とはいえ、奴に核心を突くだけ無駄なので、内容の重要度はもっぱら世間話にまで下がっている。

 東雲は、喉の奥にまで出かかっている不満を押し込めた。彼が話をはぐらかすことに腹を立ているのではない。柚月に対して、並々ならぬ興味を抱いていることが気に食わなかった。


「何の話ですか」


 わざととぼけてみせても、朱堂には通じない。


「納得したって言ってんだよ。どおりで、あんな美女だらけの邸でおまえさんが眉ひとつ動かさずに暮らせたわけだ」


 彼との会話は億劫だ。

 こちらとの齟齬を感じると、いちいち丁寧に言い返してくる。聞こえなかった、意味がわからないなどの曖昧な拒否を認めない。三年前から、【月鎮郷】への興味は高かった。異常とも思えるくらい、朱堂は郷に順応していった。


 燐姫の言葉少ない説明にも戸惑うことなく了承。急な召喚にも文句ひとつ言わずに応じ、郷の治安維持に貢献する。必要とも思えない文字や言葉を覚え、政や都の情勢を飲み込むことも早かった。側で見ていた東雲は危惧する。


 本能に近い確信だった。この男は、利用してはいけない。

 聞き分けのいい性分の裏に、どんな利己的な野望があるかもわからない。何度も燐姫に進言したが、聞き入れてはもらえなかった。

 だからなのかもしれない。三年前の内乱時には彼女に見切りをつけ、南都の外れに隠れ住んだのは。

 そうして、燐姫はいなくなった。


 彼女の死に目に会えなかったこと。悔やんでいないと言ったら、嘘になる。

 東雲にとって、彼は苦い経験の塊でしかない。再び相対することは、あまり気持ちのいいものではなかった。

 そのくせ、朱堂自身は以前との差があまり感じられない。こちらを見つめる視線は、どこか残念そうだった。


「おまえ、本当に男だったんだな。実に惜しい。女なら、一度くらい相手にしてやったのに」


「その台詞は、うんざりするほど聞きました。だから、趣味がひねくれたんじゃないんですか?」


 意地悪く返すと、朱堂の瞳には冷徹な光が帯びた。自分から茶化してきたのは棚にあげ、東雲の胸を抉ってくる。


「隠すな。あれは、どこか燐に似ている」


 認めたくない事実に、思わず渋い顔になった。


「あんなのと比べないでください。せっかく人が骨を折って、可愛いのを見つけたのに」


「惚気か。そりゃ、結構なことで」


 見せかけの強がりも、朱堂にとっては笑いの種でしかない。

 戦いを楽しむように、次々と鋭く斬り込んでくる。

 捌ききれない攻撃。

 すぐに限界を迎えるとわかっているのに、その場しのぎの抵抗をしてしまう。


 とっくに見透かされていたのか。朱堂は、挑むような視線を投げかけてくる。


「だが、今の状態でままごと遊びか? 余裕だな」


「…………」


 喉元に切っ先を突きつけられた。

 今の東雲は、そんな心境だった。


 ままごと遊び。

 彼女とのやりとりには、まさに相応しい言葉だった。

 子供のように、他愛ない関係。事実を事実として認めず、ただじゃれあっているだけ。


 東雲の弱さが招いた、歪んだ(えにし)。薄々、気付いて、気付かないふりをしていた。

 それを改めて他人に指摘され、東雲は呼吸すらできないほど狼狽する。けれど、朱堂の追い打ちは止まらない。


「【彷徨者】の意味、柚に教えてないだろ。あいつのの反応を見りゃ、すぐにわかる」


 暗に、事実を告げない東雲を責めていた。そして、疑問に思わない柚月にも苛立ちを感じている。


 そう。

 東雲は隠している。

 柚月が気付かないことをいいことに甘え、告げるべきことを伝えていないのだ。


 自分の我が儘なのは、わかっている。その一方で、別の理由もあるにはあった。どう言葉にするべきか迷いながら、東雲が説明をし始める。


「……彼女が」


「あん?」


「彼女が望む時に伝えないと意味がない」


 口にして、漆黒の双眸がわずかに揺れた。


「あいつは、今、抱えているものが大きすぎる」


 まぶたに灼きついた、彼女の後ろ姿。その細い両肩には、支えきれないほどの期待と覚悟を背負っている。


 普通の少女なら、とっくに音をあげてもおかしくない。そのくせ、苦痛だらけの重荷を何ひとつ捨てられない。

 傷ついて、迷って、虚しくなっても、手放さない。自分自身、余裕がないことに気付いているのに、不器用に抱え込む。知らないふりをして通りすぎるより、傷つく方がましだと言いたげに。


 東雲は恐れている。

 いつか、彼女が背負った重責に耐えきれずに、押し潰されてしまうのではないかと。


 己の罪深さが重くのしかかる。彼女に負担を強いているのは、間違いなく東雲自身なのだ。


 朱堂の言う通り。

 柚月も東雲も。

 身勝手な想いに縋り、行動を起こそうとしない。そのことに、朱堂は苛立たしく小さく舌打ちする。


「アホか。状況なんざ人間の意志に関わらず、どんどん変化していくもんだろ。そんな悠長に構えてると、いつか間に合わなくなるぞ」

 ごく当然の意見にも、東雲は固く口を閉ざした。それ以上は、何も語りたくないと拒絶するように。朱堂の方も、こうなると意地でも口を割らない性格だと知っているので、小さな嘆息を洩らす。


「三年か」


 ぽつりと零れた言葉。

 思い出すように、確かめるように。


「お互い、変わったよな。正確には、『変わらずにはいられなかった』ってとこだろうが」


 朱堂は、自分の掌を見つめる。表情から笑みを消え、指を握りしめた。


「悪いな。俺には、三年経過したっていう実感がない。せいぜい、三ヶ月ってところだ。元の世界へ帰す時、燐のヤツが動揺してたらしくてな。時間も場所も、めちゃくちゃな所に飛ばされた。故郷に帰るまで、かなり時間がかかっちまった」


「それが、今になって行動を起こした理由ですか?」


 東雲が腕組みして問うても、朱堂は答えなかった。皮肉げな薄い笑みを浮かべて、はぐらかす。


「やっと戻ってきてみれば、おまえの術式や【彷徨者】の気配がするんだ。特に、柚は隠しもしないからな」


 探すのは簡単だった。 同時に、身を護る術を教えない東雲と、考えようともしない柚月を批判している。けれど、東雲は言い返さない。言い返せないのだ。

 彼が突いてくる指摘は、全て事実。互いに見てこなかったものの半分。馴れ合い、目をそむけ続けた代償。



 確実に、今までのツケが回ってきている。

 東雲が目を伏せる。

 他に最善の方法はなかったのか。できることはななかったのか。

 何度も何度も考えて、問い続けている答え。


 でも、東雲にはわからなかった。迷いながら歩いた道だからこそ、余計に迷って、行く先を見失っている。

 このまま無惨に傷つき、終わってしまう縁なのだろうか。


 暗澹めいた沈黙が、局全体の空気を押し潰す。

 東雲は一瞬だけ眉根を寄せたあと、さらりとした口調で話を戻した。


「端的に言いましょう。僕の一存で、あなたの取引を受けてもいいと考えています」


「へぇ」


 一度は蹴った取引を受けてもいいと持ちかけられた朱堂は、安易に飛びつかない。

 その真意を探るように、瞳に強烈な好奇心を宿している。東雲の方は表情を微動だにせず、無情な事実を突きつけた。


「燐姫は亡くなりましたから。あなたの目的が、永遠に遂げられることはありません」


「!」


 朱堂は目を瞠る。

 東雲には、わかっていた。彼の目的が、どんなものでも燐を抜きには果たせないことを。


 二度と逢えない。

 それは、目的の破綻を意味する。つまりは、朱堂に『情報だけよこせ』と告げているのだ。対等な立場も取引もない。彼の足元を見て、都合のいい要求する。図々しい東雲の言葉にも、朱堂は反感を覚えたり、狼狽えたりしなかった。


 ひとつ、短く嘆息する。

 数秒の間を置いて、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……遺体は?」


「僕が駆けつけた時、旧【御門家】の邸は血の海でした。そこかしこに腕や足が転がってるんで、誰が誰だか判別できる状況にはありませんが、探索術式での生体反応は見られなかったので、死亡は確実かと」


 淡々と説明するには凄惨すぎる事実だが、朱堂の表情は変わらなかった。


「そうか」


 ただそれだけを呟いて、頭を垂れる。

 万にひとつの可能性にかけて異世界を渡った。


 それでも、遅すぎたのだ。


 もう一度だけでいい。 逢いたいと思った彼女は、すでにいない。くっと喉の奥から笑いが込み上げてきた。


「馬鹿な女だ。死ぬくらいなら、俺を盾にすりゃよかったのに」


 自嘲ぎみに吐かれた言葉。

 東雲は何も答えなかった。互いに、知っているのだ。彼女と縁のある人間は少ない。反りの合わない相手だが、心の喪失感を理解することはできる。


 無言で、鎮魂を願う。

 せめて、次の生では穏やかな日々であるように、と。







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