第39話
月が出ている。
暗闇の空に、眩しい煌めきを放つ星々。こんなにも、夜が明るいとは思わなかった。
局と庇の境目。
柱に寄りかかり、柚月は夜空を眺めている。
朱堂を拘束した東雲は霊力を消耗しすぎたと言って、回復するまで少し待つように告げてきた。
原因は、もちろん一緒に異世界へくっついて来たヤツである。召喚コストがいつもの倍になったため、東雲の許容範囲を越えたという。
この世界で待つのは、退屈だ。携帯は圏外で使い物にならないし、マンガやテレビもない。
今夜は【御門家】の警備をしなくていいと言うから、なおさらだった。
朱堂の登場は、建前でも本音でも【月鎮郷】にとって歓迎できるものではないらしい。彼も、どうでもいいことには気前よく口を開くが、目的などの核心には一切触れずにのらりくらりとはぐらかす。
取引に応じるまで、絶対に情報を渡すつもりはないらしい。そう察した東雲は、詳しい経緯を報告書にまとめなければならなくなったようで、さっさと柚月を書斎から追い出した。
今は、朱堂とふたりきりで何を話しているのやら。
(気のせい? なんか、あの人と喋ってほしくないみたいだけど)
考えすぎかもしれないが、東雲の態度が少しおかしかった気もする。
まるで、いちいち朱堂との会話を切っていたような。
(……どうせ、論点がずれるとかでしょーよ)
完全に除け者にされた柚月がひとりでいじけていると、とたとたとご機嫌そうな足音が響いてくる。
「柚月さま、寒くはないですか……」
ガッ!
何かがぶつかる音で、柚月は即座に反応する。
身を起こして腕をのばすものの────
「はうッ!」
一秒、遅かった。
少年が、柚月の目の前で転んだ。自分の反応を悔やみつつ、すぐに彼の前へ膝をつく。
肩に触れて、顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「はい……あ、あぁ〜」
身体を起こした宗真は返事をした後、一気に泣きそうな顔になる。
彼の手の中にある花が潰れていた。転んだ時に、強く握ってしまったのだろう。柚月は、肩を落とす少年の指から花を抜き取った。
「いつも、ありがと」
微かに花の匂いがする。家に帰ったら、即・押し花にしよう。
柚月にしてみれば何てことのない日常だが、宗真の頬はみるみる赤くなっていく。
一体、何に照れているのか。
「……柚月さまは、お優しいですね」
「そ? 私は、宗真の方が優しいと思うけど」
しばらく花の匂いを味わっていると、急にハッと思い出した。
「ごめんね。宗真だって、他に仕事があるんでしょ?」
彼には、前にいろいろと酷い八つ当たりをしてしまった。これを期に謝ってしまおう。
すっぱり謝って許しを請うつもりだったのに、彼は首を横に振る。
「いいえ。ぼく、柚月さまのお世話ができて光栄です。お師匠さまは、何でもおひとりで支度してしまいますし」
にっこり笑う宗真の言葉には、少し気になる部分があった。
「……そうなの?」
あの面倒くさがりが?
東雲の口ぶりから、下級貴族の血筋だと察していたが、それなりに他人の世話になって生きていたんだろうと勝手に思い込んでいた。
もしかしたら、意外に苦労した生い立ちなのかもしれない。そんな考えを見透かしたのか、わずかに視線を下げた宗真が肯定する。
「はい。もともと、他人の世話になる身分じゃないからと。恩人から何も望まれないというのは、とても心苦しいことです」
しゅんと俯く。
今にも、頭上に垂れた犬の耳が見えそうだ。
宗真が、本気で残念がっているのがわかる。
柚月は、それが不思議でならない。
「……宗真。私、思うんだけど、あなたは漣を好意的に解釈しすぎだと思うの」
思いきって、ストレートに言ってみる。
直接的な表現に戸惑ったのか、宗真が大粒の瞳をぱちくりと瞬きさせた。
「そうでしょうか?」
「うん。弟子になれって言われた時とか、怪しいって考えなかった? こんな風にこき使うために、あなたを選んだのかもしれないわよ」
柚月が見る限り、邸のことは全て宗真任せだ。弟子なんて仮の名目で、自分が楽するために側に置いているのではないか。
そんな疑問をぶつけると、紅顔の美少年は笑い出した。心底おかしそうに、腹まで抱える。
「あはははッ! まさか。お師匠さまが、邸内のことでぼくに指示するようになったのは最近のことですよ。本当なら、お役目だけに専念するよう、大げさすぎるくらいの弟子と使用人がいるものです。楽したいなら、弟子がぼくひとりって方がおかしいです」
「んん?」
予想とは違う話の流れに、柚月は目を瞠る。
言葉が途切れた彼女に代わり、宗真はゆっくりとした口調で語り出した。
「お師匠さまは、時間や空間に干渉する力を持っておられます。【九衛家】の中でも、限られた術者にしか使えません。今現在、召喚士のお役目を引き受けているのはお師匠さまだけです」
説明された意味を深く考え込んでみるものの、ぽろりと本音が洩れる。
「……それじゃ、あいつがものすごく優秀だって聞こえる」
「そう言ったつもりですけど」
きょとんとする宗真の反応に、肩すかしを食らう。
彼相手に、東雲の悪口を言っても無駄なようだ。
「なら、宗真はどこの家?」
「え?」
「術者として漣の弟子になったってことは、【九衛家】の出身なんでしょ?」
そういえば、【九衛家】の具体的な話は知らない。家ごとに特徴があるなら聞いておきたかった。
軽い気持ちで訊ねた質問に、向かい合う少年は曖昧に笑って答える。
「……ぼくは【九衛家】の血筋じゃありません。それどころか、貴族ですらないんです。東都の外れにある村で育ちました」
柚月は言葉を失う。
宗真の語る過去は、彼女の想像を遥かに越えていた。
百姓をしていた両親の元に長男として生まれ、物心ついた時から弟や妹の面倒を見ながら、仕事を手伝っていたという。それだけならまだしも、村を治めていた国司は長期間に渡って続く内乱に怯え、必要以上の税を取り立てた。
村の人間は常に飢え、いつ倒れるかもわからない日々を送る。当然、栄養失調からくる免疫低下で、病気や衰弱で倒れる人間が続出した。
内乱の終結直後、とうとう末子の妹が倒れる。彼女の枕元で涙する両親を見た宗真は、忍び寄る絶望の気配を感じた。
このまま、悲しみだけの日が続くのかと思い始めた時、出会えたのだ。
「お師匠さまは、ぼくの恩人です。あの人と出会わなかったら、きっと一生そこで暮らしていたと思います。新たな可能性にも気付かずに」
内乱の終結したあと、各地で残った蓄えを独占する貴族が大勢いた。
横暴な弾圧を阻止し、正確な被害状況を知るためにも、東雲が視察に訪れたのだという。
村の現実をすぐに見抜いた東雲は、国司を解任。隠しておいた税を開放し、衰弱死しかけた妹にも手厚い看護を受けさせてくれた。
その時に、宗真と顔を合わせ、術者としての素養を見出だしたらしい。
すぐさま、東雲は宗真の両親に弟子として修業を受けさせないかと提案された。教育も受けさせるし、必要な支度金も払うからと申し出され、いきなりすぎる厚遇に両親はついていけず、失神する。
それらの話を、たどたどしく、熱っぽく嬉しそうに教えてくれた。
「術者の修業って、もっと幼い頃から始めるんです。だからなのか、ぼくは教えられてもうまくできなくて……お師匠さまには迷惑をかけてばかりなのに、【九衛家】から新たに弟子をとろうとはなさらないんです。何度も催促の文が届いてらっしゃるのに」
宗真の話は、衝撃的だった。
ドラマや映画のような内容。現実の湧かない、遠い世界の出来事。
正直、それほど困窮した状態とは思わなかった。何と声をかければいいのか、わからない。
「……断ってる理由、訊いてみた?」
膝を抱えながら、柚月はそれだけしか訊ねることができない。
ただし、宗真も疑問に思った問いに、東雲は鼻で笑って一蹴する。
『奴らは、血筋と【力】しか誇れない連中だ。これからの郷を切り開いていくに相応しくない』
「……いかにも、漣らしい言葉ね」
呆れたように感想を呟くが、宗真は笑っているが困ったように眉尻を下げた。
「時々、思うんです。お師匠さまが望むなら、【九衛家】と対等に渡り合い、権勢を誇り、いくらでも贅沢ができるのに、って」
郷で、唯一の召喚士。
その稀有な能力と身分で、思うように我が儘に生きていけるはずなのに。
彼は、無制限とも言える自由と快楽の道を拒んだ。ひたすら涌いて出てくる悪意の芽を摘み取り、無意味に踏みにじられる弱者の手を掴み続ける。
その真意がどこにあるのか。訊ねたい気持ちを抑え、少年は「でも」と先を続けた。
「それは、ぼくを選んでくれたお師匠さまへの侮辱です。どんな理由や打算があったとしても、ぼくを弟子にと望まれたことは事実。ぼくは、選んでくれたお師匠さまを信じます」
誇らしげに胸を張る少年に、柚月は目を奪われそうになった。
こんな晴れやかな表情など見たことがない。
どこまでもまっすぐに、自身の気持ちに正直でいて。受けた恩を忘れず、見返りも期待せず。
柚月や元の世界が忘れた『何か』を、宗真は持っている。
そんな気がして、無性に恥ずかしくなった。
「……信じてるのね。漣のこと」
「はい。ぼくの夢は、一日も早く立派な術者になって、お師匠さまの役に立つことですッ!」
強がりで口にした言葉さえ、彼は大きく頷く。
夢のために努力する人。
柚月は笑えない。
ただ強く憧れるだけ。
そんな強い志を持てる彼を羨ましく想って。
「夢、叶うといいね」
「はい。頑張ります!」
はにかむ少年の表情から滲む優しさ。
そんな他愛ない願いが潰えない世界であるように。
柚月は、祈ることしかできなかった。




