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第38話






 着物の袖は不本意ながら、そのままだった。

 宗真が思ったより早く迎えに来たため、直す時間はなかったのだ。


 辺りは暗く、松明で照らされた庇を歩く。冷たい、ひんやりとした風が頬を撫でる。

 案内された東雲の書斎には、すでに朱堂がいた。


 派手な朱色の着流し姿で、東雲と向かい合うように座っている。体格とサイズが合っていないらしく、胸元から陽に灼けた肌が覗いていた。


「へぇ。結構、似合ってるじゃないか。可愛いいぞ」


「…………」


 どうせ、その場しのぎの社交辞令だと、柚月は自らに言い聞かせる。

 一瞬だけ、どこに座るか迷ったが、ぺたんっと東雲の隣に座る。

 どっちも信用ならない男だが、かろうじてマシな方を選んだつもりだ。少なくとも一緒にいた期間は(朱堂と比べれば)長いし、悪事に加担したところを見ていない。

 憶測というか、頼りない根拠だが、柚月にとっては重要な条件である。

 先ほどまで触れていた肌や温かさを追い出して、ぎゅっと純白の袖を握った。


 それを見られたのか、朱堂が一拍おいて、意地悪く笑う。


「髪、切ったんだな。別人かと思った」


「え」


 想像していなかったセリフに、柚月は戸惑った。

 間近に座る東雲を盗み見ると、思いきり顔をしかめている。


「格好次第で男にも見えるんだな。前は巫女姿で燐の周りをうろちょろしてたのに」


 しげしげと眺めつつ、ぽろりと洩れた爆弾発言。

 思わず、また東雲を見た。ヤツが女装をしていただと?

 驚愕の過去に、横にいる召喚士はとても渋い顔をしている。

 柚月は、その反応に目を剥いた。このひねくれ術者が、否定しないということは事実なのだ。


「……燐姫の方針でね。神憑りする巫女は男装する。僕は逆に、普段の生活でも巫女衣装で過ごしていた」


 一応、理由はあると小声で言い訳をする。

 そんな態度が、ますます信憑性を高めた。間違いない。

 東雲の巫女衣装姿。

 きっと絶世の美女だったに違いない。ちょっと見てみたかったかも。

 場違いな好奇心が疼いたが、言わないでおく。

 口に出したら、東雲に手酷い仕返しをされるかもしれない。自慢じゃないが、彼にはいろいろと恥ずかしい現場を押さえられている。再び、ねちねちいびられては敵わない。

 今は、東雲がそんな気分なのだ。わざわざ、むし返して悪化させることもないだろう。


 ただし、ここで柚月がはたと気付いた。


「あんたたち、知り合いだったの……?」


 朱堂の口ぶりでは、以前に顔を合わせているようだった。

 瞠目する柚月をよそに、東雲は視線をわずかに下げる。質問にも、答えるまで長い時間をかけて口を開いた。


「彼は、燐姫と契約した【彷徨者】だ。南都を守護する姫にあやかって【朱雀】の名で呼ばれていた」


 東雲の重たい口ぶりから、かなり認めたくない事実らしい。

 それは、柚月も同じだった。彼が【彷徨者】であり、燐姫と縁があるという可能性は考えていた。

 事実であるなら、彼女の話題は避けられない。

 背中に、じわりと嫌な汗を感じる。


 燐姫。

 東雲の育ての親であり師匠でもあり、郷の召喚士にして、【星詠み】の巫女。

 あらゆる側面を持ち、様々な人々に存在を残す術者。


 どんな女性だったのだろう。

 緊迫した空気の中、無表情の東雲が話を進めた。


「それで、今回は一体どういう用件で? 何故、こいつにくっついて来たんです?」


「俺は何もしてないぞ。おまえの術だろ」


 至極もっともな疑問だが、問われた本人は嘆息するだけだった。


「過保護だな。そいつが元の世界で危なくなったら、緊急避難的に召喚するよう設定してたんだろ。なに、猫可愛がりしてんだ。【彷徨者】はペットじゃないんだぞ」


 あからさまな嘲笑の混じった言葉に、東雲は苦虫を噛み潰した顔つきになる。

 だが、そんなことは柚月にとってどうでもよかった。


「……あんたこそ、いつまでもワケわかんないこと言ってんじゃないわよ」


 会話を遮って、立ち上がる。

 確認すべき問題は、他にあった。


「あんた、何者なの? 目的は?」


 東雲の前に立つ。

 戦闘になった場合、彼を人質に取られないためだ。


「ことと次第によっちゃ、痛い目見るわよ」


 鋭い視線を投げかけるも、朱堂は笑みを深めるだけだ。

 その瞳は、強烈な好奇心にあふれている。



「ぞっこんだな」


「は?」


「だが、もう少し周りを見た方がいい。そんで自分の頭で考えろ。じゃないと、惚れた男の価値まで下がる」


 笑みは崩さず、トントンと自身のこめかみを指でつつく。

 出来の悪い生徒をたしなめる口調だった。しかも、内容は下世話な揶揄。

 からかわれているとしか思えない。


「……あんた、どこまでふざけてんの」


 柚月は低い声音で、ぐっと拳を握る。

 この瞬間、怒りが頂点を突き抜けた。


 ぶるぶると肩が震える。

 朱堂の言動が、さっぱり理解できない。自分をからかっているとしか思えなかった。

 その一方で、異世界へ来ても目的や本心を全く見せない点に恐れを感じる。事情さえ一切を明かさないとなると、東雲すらも出し抜いて利用する気なのではないか?

 そんな考えが頭をかすめる。あり得ないとわかっていても、現時点で辻褄の合う仮定はこれぐらいしかない。

 柚月が歯噛みしながら硬直していると、



「────もういい」


 ぴしゃりとした声音が背後から響く。

 遅々として進まない話に、東雲はしびれを切らしたらしい。いきなり柚月の腕を掴んで、乱暴に引き倒した。


「いッ!」


 床に叩きつけられると思い、目をつぶる。

 けれど、いつまで待っても衝撃や痛みがやって来ない。不思議に思って目を開けると、視界に広がった光景にぎょっとする。


「な、なによ、この体勢!?」


 柚月は、東雲に膝枕されていた。

 じたばたと手足を動かして抵抗するが、額を押さえられて身動きできない。抵抗しようとすれば、向かいに座る朱堂が着物の裾からのびる足をまじまじと見ていることに気付き、慌てて閉じる。


「いーやー! 離してーッ!」


「黙ってろ。《四方一尺 因果剥離》……」


「ちょ……ちょっと、なにする気ッ!?」


「《刻を一刻遡り 記憶映写 対象【蒼龍】 発動》」


 柚月の頭上に映画のようなスクリーンが現れた。

 男性ふたりは、当たり前のようにその映像を見つめる。


 不良たちのやりとり、朱堂の登場、会話や朱色の炎龍、召喚までの出来事が、柚月の視点を通して映し出されていた。

 つまるところ、


「ちょッ……あんた、私の記憶を覗いてんのッ!?」


「余計なことは考えるな。下手に抵抗すると記憶どころか脳機能が破壊される。一部ですむ保証はないぞ」


 額を押さえつけられたまま、さらりと怖いことを告げられる。これで、暴れるなと言う方が無理な話だ。

 さらには、ここから先は何となく東雲に見られたくない。


 朱堂に悪戯されたり、召喚される直前なんて。



『漣────ッ!』



 妙に恥ずかしい。

 顔を真っ赤にして、もごもごと言い訳してしまう。


「いや……これは、その……」


「ベタ惚れだな」


 からかうような朱堂の言葉にも、東雲は特に反応を示さなかった。

 ゆるゆると柚月を押さえる手を離して、わずかに目を伏せる。


「こうなった大体の経緯はわかりました。つまり、あなたは燐姫に会いに来たんですね」


 東雲が言葉を切ると同時に、スクリーンも消えた。


「話が早いな」


 急いで柚月が起き上がると、楽しげに笑う朱堂が話題を提示してくる。


「三年前の事件の真相、知りたくないか?」


 ぴくり、と東雲の眉がわずかに動いた。


 隣に座る柚月は内心でハラハラする。

 三年前の事件となると燐姫が亡くなる前後だ。東雲としては触れられたくない過去かもしれない。


 だが、無用の心配だったのか、東雲は普段通りに落ち着き払っていた。


「取引したいってことですか。見返りは?」


「まずは、受けるのかどうか。返事を訊かせろ」


 今の時点で、朱堂は自分の手札を見せるつもりはないらしい。

 柚月は、彼の言動の解釈に悩んだ。

 対価となる見返りは東雲に委ねたのだろうが、不遜な態度と取られかねない。また、朱堂がどんな情報を持っているかわからないのだ。そのくせ、本題を切り出す時には取引を応じることが絶対条件になっている。


 信じる根拠のない情報。

 虫のいい、部相応な取引。


 そう思う柚月だが、当事者ではないので口を挟む権利はない。

 ちらりと横目で東雲の反応を窺うと、彼は袴の上で印を結んでいた。


「《四方四尺 因果剥離》」


 キンッと軋むような高い音が響いた。

 じわじわと局の空気が変わっていく。


「《北条院流五行結界術 水の印 対象【朱雀】 発動》」


 朱堂の周囲に、正方形に区切られた光の線が出現する。

 一瞬後には、立方体の空間に閉じ込められる。


 薄い壁は、水のように揺れていた。


「漣……!」


「現時点では取引の重要性を感じません」


 東雲の口調は、心なしか固かった。


「術者の意志に反し、時空間を渡ったことは重罪です。その身柄、拘束させていただきます」


 揺らめく水面の向こう。

 朱堂は、笑っていた。普段のように自信に満ちた強い光を瞳に宿して。


 それが柚月には不気味に思えた。








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