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第36話






「無様だな」


 気絶した少年たちを見下ろして、朱堂が笑う。


 柚月は、後退った。

 震える身体を叱咤し、一歩ずつ距離を取る。靴底を滑らせたせいで、微かな足音に気付いた朱堂が振り返った。


「……あんた、誰なの?」


「名前なら、知ってんだろ?」


「ふざけないで!」


 自分が思うよりも大声で怒鳴ってしまう。

 どくどくと鼓動が早まった。


 苦い記憶が蘇る。

 真紅の衣を纏ったまま、簡単にあしらわれた時を。

 援護してくれた東雲は、ここにいない。


 じりじりと後方へ下がれば、踵が鉄骨の柱にぶつかる。反射的に注意を向ければ、朱堂に不意を突かれてしまう。


「いッ!」


 両手首を頭上に重ねて、捻りあげられた。

 そのままの勢いで鉄骨に背中を押しつけ、身動きを封じてくる。


 罵倒しようにも、眼前には朱堂の整った顔がある。体温を感じるほどに肌を寄せられ、知らぬ匂いに意識が混乱していく。

 わけがわからず手首と背中の痛みにじっと耐えれば、朱堂は空いた右手で制服のリボンをほどこうとしてきた。


「ちょ……ッ!」


「騒ぐな。抵抗されると、もっと悪戯したくなる」


 からかうような口調に、柚月は絶句した。

 彼は、危害を加える前提で話を進めてきている。

 決して笑みは崩さず。

 それが、逆に柚月の恐怖心を煽った。

 渾身の力を込めて脱出を図るも、朱堂には通用しない。手首を掴まれているだけなのに、わずかな身動ぎしかできなかった。

 そうしている間にも、朱堂の指はブラウスのボタンを外していく。


「…………あッ!」


 白い肌がさらされ、胸元から勾玉が零れる。淡い蒼の輝きに、朱堂が薄い笑みを浮かべる。


「やっぱり、な」


 納得するように呟き、黒紐に繋がっている勾玉に指先をのばす。


 バチバチッ!


「ッ!?」


 触れるより前に、蒼の閃光が走る。まるで朱堂の指を拒むようだった。

 とはいえ、それすら予想の範囲内だったようで、ますます愉悦に満ちた笑みを深める。


「待った甲斐はあったな。これで、あいつに会える……」


 独り言のように呟くも、「ただし」と考え直す口ぶりで続ける。


「まだ足りないな。もっと苛めないと駄目か」


「なに……する気……ッ?」


 両手が腕に力を込めて、あくまで抵抗しようとする。

 この密着状態では、蹴りも大した威力はないし、朱堂も簡単に避けるだろう。拘束を解いて自由になる以外、反撃も逃走もできない。


(とにかく、この場を何とかしなきゃ……ッ!)


 ひたすら腕に意識を集中させていると、


「ッ!」


 びくりと柚月の肩が震える。

 朱堂の指が、胸元の肌に触れていた。下着の端をなぞるように、ゆっくりと。その繊細な動きに、怖さよりも怒りが先立つ。柚月は顔を真っ赤にして、口をパクパクさせる。


「な、何すん……」


 上擦った声しか出せずにいると、朱堂が顔を寄せてきた。


「初めてか」


 浮き出た鎖骨をすべり、キャミソールの肩紐を指に絡める。その慣れた仕草に全身の血液が沸騰しそうだった。

 得体の知れない男の前で肌をさらされている恐怖はある。でも、それ以上に腹が立って仕方ない。

 何故、こんな仕打ちを受けなければならないのか。

 柚月は納得できなかった。


 いよいよ、朱堂の指が下着へと潜り込んだ時、肌が粟立つ。寒さではない震えが背中を走る。


 もう限界だった。


「いっ……やッ!」


 ありったけの力を込めて、朱の手を振り払う。

 離れると同時に、彼の間をすり抜けて駆け出す。


 朱堂は再度、掴みかかってきた。手首を握られ、強引に振り向かせようとする。



「やッ!」


 突然、東雲の顔が浮かぶ。


 意味なんてないのに、戦慄く唇から名前を吐き出す。



「漣────ッ!」



《霊圧探知 対象【蒼龍】》



 叫んだ瞬間、東雲の声が耳に響く。



《禁縛呪 解》



 聞いたことのない言霊に、柚月よりも早く朱堂が反応した。


「はははッ! 俺も、まだまだツキは落ちちゃいないなッ!」


 声を上げて笑う。

 少年のような屈託のない表情だった。


「あんた、何の話────」


 こんな状況さえも楽しんでいる。柚月には考えられない態度だった。




《空間転移 発動》



 強烈な光に、柚月は思いきり目をつぶった。






「《乾 兌 離 震 巽 坎 艮 坤》……」


 低い声音が、辺りに響く。


 前髪が濡れ、視界を邪魔するのも構わず、東雲は朗々と謳い続けた。



 こんな習慣が身についたきっかけを思い出しながら。


 以前、ここは邸の裏手だった。

 ふざけが過ぎた柚月が鉄拳で温泉を堀り当てたのだ。


 特に利用方法を思いつかなかった東雲の横で、はしゃぐ柚月は湯浴みがしたいと言い出す。

 目眩を覚えながらも、彼女の説明を聞けば、衛生面や湯治などの効果が見込めそうだったので、邸を拡張した。おかげで東雲本家からは嫌味という名の文をもらったが、その甲斐はあった。

 最初は東雲も半信半疑だったが、世話になっている百姓たちや使用人たちに無条件で開放したところ、病気や怪我の経過が軽くなったと耳にする。


 東雲もおこぼれに預かり、禊も兼ねた精神統一の場として利用させてもらっている。

 尊敬と感謝を伝えたいとは思うものの、どう表したらいいかわからない。できたとしても、彼女が受け入れてくれるとは限らない。


 迷惑にならないか。

 負担にならないか。


 そんな考えが東雲の頭をかすめる。



「…………」


 不意に、閉じたまぶたがぴくりと震えた。



(【氣】が乱れた?)



 わずかな違和感を察知して、漆黒の双眸を見開く。

 湯煙の向こうに、うっすらと見える天井を凝視した。意識を集中して、辺りを探る。


(まさか……)


 ある可能性に至って、眉間に皺を寄せれば。




「ふぎゃッ!!」


 間抜けな悲鳴と共に、上から何かが降ってきた。

 派手に飛沫が弾ける。

 東雲は驚きに目を見開き、一瞬だけ硬直した。






 普段の召喚とは違う、と柚月は無意識に感じた。

 長い浮遊感のあと、全身が温かいものに包まれる。呼吸もできず、身体も思うように動かない。ぼやけた視界いっぱいに大量の気泡が現れ、パニックを起こしかけた。

 そこで、柚月が温水の中に落ちたと気付く。

 酸素を求めて、もがきながら上を目指す。落下したのなら、水面に出るはず。



「────ぷはッ!?」


 酸素を取り込んだ瞬間、咳き込んだ。鼻の奥の痛みをこらえ、気管に入り込んだ水を吐き出す。

 ようやくまともに呼吸ができた頃、きょろきょろと周辺を見渡した。


「…………こ、ここは……?」


 湯気の中から浮かぶ景色に、柚月は目を丸くする。


 天井の太い梁や檜の浴槽。板張りの板。微かな硫黄の匂い。

 風呂場に呼び出されたのは初めてだった。


「……何なんだ。いきなり」


 さらに視界の奥には、珍しく目を瞠る東雲がいた。


「漣!」


 名前を呼ぶと、すぐ立ち上がった。

 柚月は、歩きにくい湯船の中をかき分けて進む。いろいろな感情がごちゃ混ぜになって、思わず東雲の腕に抱きついた。


「一体、何が……」


「あいつが、あいつが……ッ!」


 眉根を寄せる召喚士に伝えようにも言葉が出てこない。

 弾む息を整えることすら忘れて。ただ、彼の腕にしがみつくことしかできなかった。



「……なるほど」


 聞き覚えのある第三者の声に、柚月は凍りつく。

 恐る恐る振り返ると、いるはずのない朱堂が立っていた。自分と同じくずぶ濡れだが、頓着していない。

 指でサングラスを押し上げると、現れた瞳には興味深い光を宿している。


「そういうことか」


「……何なのよ、あんた」


 抱きつく腕に力がこもる。

 ぶっきらぼうに呟く柚月を、どう受け取ったのか。ますます愉快そうに笑った。


「意外に可愛いとこあるんだな。惚れた男には一途に尽くすってか?」


「あんた……ッ、ふざけんのも大概にしなさいよッ!」


 怒りに震えて、声がうまく出てこない。

 頭に血がのぼっているせいもあるだろうが、朱堂の言葉はどれも簡単には受け流せない『何か』を含んでいた。

 それが何であるか、見当すらつけられない自分にも苛立ちが募る。いつものように切り返すことも、茶化すこともできない。


 何故、彼まで異世界を渡れたのか。

 正体や目的を訊き出すチャンスなのに。

 憎しみにも近い感情で、柚月が睨みつけてやると、



「────双方、一旦、黙ってくれないか。話が進まない」


 会話を遮ったのは、第三者の東雲だった。

 おそらく、彼が一番事情を把握できていないだろうに、慌てる様子は全くない。その頼もしい態度に、柚月が安堵を覚える。


 一方の東雲は、普段通りの表情で「それと」とつけ加えた。



「まず、何か着させてくれ」



 そう真顔で呟いて、腕組みする。

 濡れた彼の身体は何も纏っていない。気付いた途端、密着した部分から一気に熱が上がったように感じた。


「うわわわわッ!」


 顔を真っ赤にした柚月は、足を滑らせて再び湯船に転げ落ちた。


 温泉の中に消えた彼女に、男ふたりは正反対の反応を示す。


 東雲は単純に柚月の動きを視線で追い、朱堂はにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべた。








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