第31話
事件は、唐突にやって来た。
いつも通り柚月が登校すれば、校門の前に人だかりができている。何をしてるんだと眉をひそめながら近付くと、生徒たちが興奮しながら叫んでいた。
「ここを開けろよッ!」
「何やってんだよ、風紀委員ッ!」
「遅刻しちまう!」
見れば、開放されているはずの校門が固く閉じられている。
人混みの隙間を覗くと、黒い鉄格子の向こうに風紀委員たちが立ち塞がっていた。二十人くらいだろうか。誰もが後ろに手を組み、刑務官のように微動だにしない。異様な光景だった。
「静かにしろッ!」
「委員長のありがたい言葉を聞け!」
校門の向こうで、風紀委員たちが伊集院を中心に整列していた。
足元には特設ステージが組まれている。昨日はなかったはずだ。早朝に即興で作ったものなのか。特撮ヒーローショーでも始める気なのか。
そんなどうでもいいことを柚月が考えた頃、直立不動だった伊集院が口を開いた。
「静粛に、生徒諸君ッ! まずは話を聞くがいいッ! 俺が思うに、君たちは学校も社会も『時間に間に合えばいい』と思っていないか?」
「はぁッ!?」
「引っ込め、宇宙人ッ!」
伊集院と宇宙人……響きが似ているような、似てないような。
ブーイングの嵐と共に吐かれた抗議は、きっぱりと無視された。
「たかだか規定の五分前や十分前……それでは予想外の事故に遭遇した時、対処に間に合うのかね? 例えば、大事な受験シーズン……観測史上まれに見る豪雪に見舞われたら、君たちはどうする!? 今のままでは恵まれた交通機関でも、遅刻しないとは言いがたいぞッ! 毎年、雪と共にたくましく生きる東北人の苦労を知るがいい!」
戦隊ヒーローのように決めポーズをとれば、さらに抗議の声が激しさを増した。
「知ったことかーッ!」
「ここ、東北じゃねぇしッ!」
わざわざ律儀に文句を言っている。
一体、何が目的なのやら。偶然にも、この人混みの中で伊集院と目が合う。
視線は外さず、鼻を鳴らすように不敵に笑みを浮かべる。
その反応で、柚月は悟った。彼らの機嫌を損ねた意趣返しなのだろう。他の人間も巻き込んで、露骨な手段に出てきた。
兄に付き合って早起きしているとはいえ、家を出るのは始業にギリギリ間に合う時間帯だ。練習に出かける柾人を見送ると、ついニュースや星座占いを見てしまう。毎朝、余裕があるだけにのんびりと過ごしていた。朱堂という怪しい居候が不在だったこともある。普段と同じように行動した自分を悔いても遅すぎた。
「あの、日下部先輩……」
正門の昇降口付近。
遠くまで聞こえる伊集院の声に、長谷川はおずおずと疑問を口にした。
「委員長の言動が予定と違うような。昨日の話では、蒼衣さんだけを指導するはずでは……?」
大抵の疑問なら的確に答えてくれる日下部は無言だった。終始、腕組みを解かず、ことのなりゆきを静観している。
長谷川は大いに不安だった。
「これでは他の生徒たちに……」
予定の筋書きとは違う。
修正するべきではと促すも、無情なひと言を返された。
「放っておけ」
「えッ!?」
「いい機会だ。この際、他の風紀委員や一般生徒にも学んでもらう。突然の不運に見舞われた時、ただ救世主を待ち、無様に蹲るのは愚か者がすることだとな」
長谷川は、絶句した。
すぐには日下部の言葉が理解できない。
横暴な手段に走りつつある委員長。
悪態しかつかない生徒。
彼らを放っておいても悲惨な結果にしかならない。
そうならないよう秩序を保つことが、風紀委員の務めだと長谷川は信じてきた。自分の根幹を揺るがしかねない発言に、驚くしかない。しかも、他の誰でもない日下部に言われたこともショックだった。
とても厳しい人ではあるが、むやみに他者を貶めたりしないと思っていたのに。
「長谷川も配置につけ。他の奴らは不測の事態に対処できん」
「は……はい」
そう言い切られてしまっては、もう反論できない。
指示通りに校門前へ歩き出した時、日下部が「それに」とつけ加えた。
「御輿は軽い方にかぎる」
長谷川は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「柚!」
名前を呼ばれた方向に、視線を這わせる。
この人混みでは、目を凝らさないと知り合いすら探せない。
「春日……莉子!」
人だかりの中をかき分けて、幼馴染みと親友が近寄ってくる。
柚月とは違い、時間的余裕を持って登校する彼らも被害に遭ったようだ。
運が悪いとしか、言いようがない。
春日は、不思議そうに首を傾げる。
「何なの、これ?」
「見ればわかるでしょ。風紀委員の暴走よ」
唇を尖らせて、腕組みする。
拗ねた態度になってしまうのは、罪悪感の表れか。
こんな騒ぎになったのは、自分のせいなのだろう。
むやみに伊集院たちを刺激させすぎてしまった。
柚月は渋々と認める。
もう少し、おとなしくしてればよかったと反省もする。
ただし、後悔はしない。
即座に気持ちを切り替えて、現状把握に努める。
「栞は?」
訊ねられた莉子がトートバッグからスマホを取り出す。
「たぶん、朝練……今、メールで……」
「駄目よ」
手を重ねて制止させる。
「この状態じゃ、中の生徒だって歯向かったら何されるかわかったもんじゃないわ。ここは、自力で突破しなきゃ」
柚月は、親友の安全を確認したかっただけだ。
部活動のために校内にいるなら、ひとまずは安全だ。さすがに、真面目に活動している生徒までは遅刻扱いにはしないだろう。
下手に知らせて、心配もさせたくない。
「でも、どうしたら……?」
スマホを握りしめ、途方に暮れる莉子。
彼女のお手上げといいたげな気持ちはわかる。
しかし、このまま何もしなかったら確実に遅刻してしまう。
「引っ込めーッ、風紀委員ーッ!」
「むちゃくちゃじゃねぇか、こんなのッ!?」
「恐怖政治でも始める気かーッ!?」
始業時間が迫って、生徒たちも焦ってきた。
ひたすら思いつく罵声を浴びせる。
そこに、伊集院は新たな好奇心を掻き立てられたらしい。眼力も鋭い瞳が、子供のように無邪気に輝いた。
「ふふッ、笑止! 恐怖政治など、教養も信念もない愚鈍な支配者がすると相場が決まっているッ! 俺なら……俺ならば、この学校を変えられる。誰もが平等で、秩序ある豊かな国にしてみせようッ! 非力で無能な国民どもよ、我が前に跪くがいい!」
「止めんか、第二のヒットラーがーッ!」
「すでに言動が怪しいぞーッ!」
鋭いツッコミにも揺るがず、委員長は腰に手を当てて盛大に哄笑する。
柚月は、朝っぱらから壮大な脱力感に見舞われた。
あの委員長は、実に愉快な人だ。
だんだん楽しくなってきて、当初の目的を忘れたらしい。
始業ベルが鳴るまで、彼が正気に戻ることはないだろう。
かといって、望み通りに遅刻する気もさらさらない。
現状打開のために、柚月は幼馴染みに近寄る。
互いの声しか聞き取れない距離まで。
「春日。長谷川さんって、わかる? 校門近くにいる三つ編みの……」
「ああ……どれ?」
春日の視線が泳ぐ。
さらに、距離を詰めて彼の目線がどこを見ているか辿ろうとする。
「ちゃんと見てる? あの校門の……」
「あぁ。見えた見えた。それが、なに?」
ほのかに体温を感じ、知らない匂いが鼻をかすめる。
当然のごとく、柚月はそれらをシャットアウトした。今は、ドキマギしている場合じゃない。
「あの娘に校門を開けるよう、頼んでみてくれない?」
「オレが? 柚は?」
幼馴染みは目を丸くする。
発言の意図がわからないらしい。
「大丈夫。春日ならできるわ。目の前に好きな娘がいると思って」
「ええ?」
安心させるように肩に触れると、春日はさらにまるまると目を見開いた。
彼の反応も、もっともだった。
何せ、いきなり『色仕掛けしろ』と言ったのだから。
「説得できなくてもいいから。とにかく彼女に話しかけて、周囲の風紀委員の気を引いてほしいの……駄目?」
じっと上目遣いに見つめる。
実に、羨ましいかぎりだ。
高校に入ってから、頭ひとつ分も成長した。
きっと、これからものび続けるだろう。
体格も筋力も逞しくなって、力やスピードが一気に増していく。中学の頃までは大差がなかったのに、どの種目でも柚月の記録では敵わなくなってきた。
うっかり羨望の気持ちも含めて見つめてしまうと、春日は急に視線を逸らした。
「……その顔は反則だよ。柚」
「えッ?」
何故か、幼馴染みは頬を染めて照れている。
今までの会話にある要素とも思えないが、柚月は深く詮索しなかった。
そんな時間もないし、春日にしか頼めない。
他に、いちいち事情や作戦を話して、即行動を起こしてくれる知り合いはいないのだ。
無理矢理にでも、頷かせるしかなかった。
やがて、春日は空を仰ぐように頭上を数秒ほど見つめる。諦めのような長い溜め息をついて、ひと言。
「……仕方ないか。他でもない柚の頼みなら」
「う、うん? ありがと」
頭をかきながら「できるかな……」とぼやく春日は、人混みの中に消えていく。
微妙に会話が通じていないのは気のせいだったのか。
ひょっとして、自分が頼み事する時は見苦しい顔なのだろうか?
それはそれで、乙女の自尊心が軽く傷つく。
だが、深く落ち込むわけでもなく、柚月は親友に向き直った。肩にかけていたスクールバックを差し出す。
「莉子。これ、お願い。あと、できたら春日のアシストもしてやって」
「ラジャ!」
鞄を受け取った莉子は満面の笑みで、見事な敬礼を見せてくれた。
もう少し躊躇うかと思ったが、うきうきと人混みの中に消えていく。
前回の不良たちとの一件で、何か味をしめたのだろうか。
おかしな楽しみを見つければいいのだが。
(それはともかく)
余計な時間はない。
柚月は人混みの中を抜けて、校門伝いに駆け出す。
生徒が朝吹校内に入るためには、通常、二ヵ所しかない。
先ほどの東にある正門か、ちょうど反対方向に位置する裏門である。
入り口も、原則的に職員や来賓しか利用できない。
しかし、部活帰りの生徒たちが近道のために使用しているので、警備は手薄だと柚月は思った。
ただし、問題はあの日下部のことだ。
相手の攻め手が二ヵ所しかないと知っているなら、固い防御で待ち構えているはず。
携帯電話の時計を見れば始業のチャイムまで、あと八分ほど。
(……制限時間つきか)
カーディガンのポケットに携帯をしまうと、走る速度を早める。
どちらを攻めるにせよ、簡単にはいかないだろう。
決して有利とはいえない、シビアな現状。
それでも、柚月は強気に笑う。
(……たまには悪くないわ)
最近、わけのわからないことが多すぎる。
ムカつくことがたくさんありすぎる。
憂さを晴らすには丁度いい。
久々に、全力で暴れてみたくなった。




