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第29話






 夜の十一時すぎ。

 柚月は自室の机に課題を広げたまま、シャーペンを回して遊んでいた。


 就寝間近であるのに、制服姿のまま。しかも、靴下は学校が指定するハイソックスではなく、ニーソックスを身につけている。

 何故かと問われれば、待っているのだ。



《霊圧探知 対象【蒼龍】》



 来た。

 抑揚のない低い声音を耳にした直後、用意しておいたブレザーとショートブーツを掴む。


《対象捕捉 空間転移 発動》


 カッ!

 白銀の光に包まれ、平衡感覚が失われていく。


 それでも、落下していく先と水平に姿勢を保とうとしたからなのか、板張りの床にふわりと降り立つ。


「ようこそ。次元の狭間を渡る【彷徨者】よ」


 数歩先には、東雲が現れた。

 無事に着地できたことを喜びもせず、柚月は向かい合う彼の横を通りすぎる。手にした荷物を放り投げて庇へ飛び出した。


 松明に照らされる薄暗い景色。

 そこは、見慣れた東雲邸ではなかった。


「ここはどこ!?」


「【御門家】の邸」


 大声で問えば、後ろからついてくる東雲が答えた。

 よく見れば中庭の先に、また酔っ払った燎牙がひとり騒いでいる。


 やっぱりか。

 当主の警護に呼ばれたからには、時間のロスをなくす意味でも邸内に呼び出す方が自然だった。


「なら、持ってないの!?」


「なにを」


 両方の袖を掴み、中に何が入っているか確認する。

 興奮ぎみにボディチェックされても、東雲は驚いたりはしなかった。


「今日は、やけに積極的だな」


「えぇい、まだるっこしいッ!」


 痺れを切らした柚月は、几帳の裏側へと引っ張り込む。

 まずは、無抵抗の東雲を力ずくで床板に押しつける。次に襟を掴んで、胸元をはだけさせようとした。

 その辺りでさすがに戸惑ったのか、東雲が少しだけ眉をひそめる。


「おい」


「ない……ない! 今日は持ってないの、あの時のハンカチッ!」


 柚月は、お構いなしにぺたぺたと身体を触りまくった。目当ての物がないことを確認した頃、少し意外そうな呟きが洩れる。


「……君に、そういう趣味があるとは知らなかったな」


「どんな趣味よッ!?」


 何かを誤解されたことに、柚月は全力で否定する。

 とはいえ、自分が性急すぎたとも感じた。朱堂の正体を暴こうと躍起になっていたらしい。

 ちゃんと説明しようとした柚月は口元をつつく。


「ほら、私の……ここを拭った時の」


 動揺して震える声に、東雲が真顔で顎を引く。


「ああ。君が僕の指に噛みついた時」


「勝手に過去を捏造するなッ!」


 真っ赤になって怒鳴っても、東雲の表情は変わらない。むしろ、いつもより真面目な表情で訊ねてくる。


「君こそ、この体勢でどんな既成事実を作ろうって言うんだい」


「体勢?」


 言われて、柚月はきょとんとする。見れば、仰向けの東雲の上に馬乗りになっていた。


「いっ……」


 柚月の悲鳴は【御門家】の邸中に響き渡る音量だった。






「ふぅん……」


 ひと通りの説明を聞き終えた東雲は、大して表情も変えずにそれだけを呟いた。


 次いで、掌を見せられる。


「なに」


 局の片隅に蹲る柚月は、わすがに眉をひそめた。先ほどの羞恥プレイから回復していなかったためである。

 悲鳴を聞きつけた術者を東雲が追い返し、柚月が事情を話し終えるほどの時間でも、癒されることはない。


 だが、そんな乙女心を気にする東雲でもなかった。


「その手巾、持っているなら出せ」


「とっくに返しちゃったわよ。あんなの」


 ずっと持っているだけ気味が悪い。

 柚月が唇を尖らせると、盛大に溜め息をつかれた。


「それを使って探索術がかけられたのに」


「…………」


 東雲の目が『役立たず』と言っているようだった。そう指摘されると、浅はかな行動だったと悔いる。


 結局は何の進展もなしか。

 落ち込む柚月とは裏腹に、東雲の口調はあっけらかんとしていた。


「言っておくけど、偶然の可能性の方が高いよ」


「偶然……?」


 鳥の巣状態の頭をかきながら、ひとつ大きなあくびをする。

 柚月の前に回り込み、膝に腕を乗せる形で座った。その直後、東雲の視線が鋭くなる。獲物を見つけた猫のように。


「……どういう意味よ? あッ!」


 東雲は胸元に指を当て、黒革の紐を引っ張り上げた。ブラウスの隙間から、蒼色の勾玉が現れる。

 その流れる動作が、なんとなく恥ずかしい。キッと睨みつけても、東雲は興味が失せたらしく、先を続けた。


「異世界の人間をこの郷へ召喚するには、個人を特定する詳細な情報が必要なんだ。君の場合、その霊具【翠澪(すいれい)】で君の個人情報と時間軸や空間座標を固定する術式を組み込ませている」


「よくわかんないけど……これが複雑な機能をしてるってこと?」


 胸元の淡く輝きを放つ勾玉をつまみ上げた。

 そんな説明をされると、スマホ以上のコンピュータに思えてくる。


「最初に【彷徨者】を探す時は、召喚士の誰もが苦労する。ある特定の条件で検索するためもあるが……かえって前任の【彷徨者】を探す方が難しいだろうな。それこそ、風で庭に舞い落ちた金箔を探すようなもんさ。対象をひとつに絞りすぎると膨大な手間と時間がかかる」


 結論として『探す方が面倒くさい』と言い切る。


 ひとつひとつ反芻するように東雲の言葉を咀嚼して理解していく内に、柚月は別の疑問にふと気付く。


「なら……漣」


 名前を呼ぶと、東雲は返事の代わりに視線をあげた。


「もしかして、私のことも……」


 口から零れた声が上擦る。

 訊ねておいて、尻すぼみになる。両膝の間で、左右の指をもじもじと絡めることしかできない。

 頭をかすめたあり得ない想像に、柚月も迷っていた。


 風に流された金箔。

 そんな途方もない確率の中から、自分を探し出してくれたのだろうか。

 単なる『誰でもよかった』なんて言葉ではなく。

 選ばれた意味がある。

 東雲が意図的に柚月を探し出したとは、思いもしなかった。


「知りたいか?」


「えッ……」


 東雲の言葉に戸惑う。

 真剣な眼差しでこちらを見つめ、そっと頬に触れてくる。


 その仕草は、とても優しかった。


「知りたいなら、教えてやる」


 髪をすくい、また頬に触れる。


 とくとくと鼓動が早まっていく。冷たい掌を感じながら、鼻先が何かに触れた。

 うっかり落とした目線を戻して、ぎょっとする。東雲がかつてない至近距離まで顔を近付けているのだ。


 ボッと一気に頬が熱くなる。

 反射的に後ろへ移動しようにも、いつの間にか回された手が首を固定されて逃げられない。かといって、殴る気にもなれなかった。いつものように即反撃とはいかない。身体が痺れたように動けなかった。


 ぼんやりとした頭で、その理由は何故だろうと考える内にも、東雲との距離は縮まっていく。

 唇が触れそうになる寸前、柚月はやっと我に返った。


(ちょ……ちょっと待って────ッ!)


 胸中で叫んだ瞬間、ぐいっと腕を引っ張られた。同時に、右肩を押され、視界が反転する。


「ッ!?」


 薄暗い視界の中、板張りの天井が見えた。

 大した力でもないのに、東雲に押し倒されたのだ。


「なッ……ちょっと!」


 急いで身体を起こそうとするけれど、東雲が顔を覗き込んでくる。


「一丁前に僕を押し倒すなんて、二、三度転生するより早い。むやみに男に触れようとした罰だ。後先考えずに行動するとどうなるかを知れ」


「そ、そんなつもりじゃ……」


 あたふたと脱出を試みるも、東雲はすかさずグッと体重を乗せてきた。

 そこで、ようやく身の危険を感じる。


「いーやーッ! どいてーッ!」


 じたばたと手足を動かすが、何の障害にもならないらしい。東雲の身体はビクともしなかった。


(あれ……【力】が……なんでーッ!?)


 柚月は、内心焦っていた。

 東雲相手になると、うまく怪力が出せない。彼が何かしらの術式を構築しているとも考えられるが、力加減を間違えて大怪我させたらと柚月自身が不安を思うのが大きい。


「どいてッ! どかんかッ……あッ!」


 頑固に抵抗を続けた柚月は、ぴたりと動きを止める。

 東雲の指が、ニーソックスを引っかけたのだ。足に力を入れると、スカートに手を潜り込ませるようにして腿を撫でる。

 そこで、柚月は気付く。

 下手に動かせば、脱がされる。もしくは、足の間に身体を割り込ませてくるだろう。


(な、なんだ、この慣れた手つきは……!?)


 ヤツの攻撃を防ぐには、ぴったり足を閉じているしかない。

 防寒対策として用意したことがかえって仇となるとは。寸分の隙も許されない膠着状態に柚月は弱り果てた。


 一方の敵は、とびきり嬉しげな笑顔を浮かべる。表情は爽やかだが、背景には黒い影を背負っていた。


「いい反応だ。すぐ足を開く女は安く見られる」


「……安……いッ!?」


 柚月は驚愕する。

 東雲が、そんな言葉を口にするとは思わなかった。

 うまく声が出ない。

 ていうか、声ってどうやって出すんだっけ。


 そんな生理的機能も忘れるほど狼狽している。

 かなり追い詰められていることに、柚月本人が気付いていなかった。


「でも、まぁ多少なりとも努力した点は評価してやろう。せめてもの褒美だ。疑問には丁寧に答えようじゃないか」


「い、いいえッ!」


 結構デス。

 後退りしようとするも、東雲の腕が邪魔してくる。 

 執拗に退路を断つ東雲は、どこまでも黒い笑顔を浮かべていた。柚月は、もう何がなんだかわからない。


「遠慮するな。せっかくだから、たっぷり教えてやろう」


「だから、いいってば!」


 ぶんぶんと首を振って全力で拒否する。

 この後、しばらくの押し問答が続いた。偶然、現場を宗真に見られ、気まずい空気の中で花を受け取る羽目になる。








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