第3話
召喚術と聞いて、大抵の人間は魅力的な魔法を連想するだろう。
異界の悪魔や天使を操り、剣と織り成すファンタジー。ゲームや小説ではお馴染みのアビリティだが、柚月は大いに反論したい。
(人権侵害も、いいとこじゃん……)
何故、今まで気付かなかったのか。
異世界から召喚されるということは、こちらの都合など一切お構いなしに現地の都合で戦わされるという意味を持つ。
横暴すぎる現実である。おかげで、召喚にまつわる単語が嫌いになった。
東雲の説明によると、この【月鎮郷】は異世界の住人を召喚して、治安維持に努める役目があるらしい。彼はその責任者であり、柚月を使って郷に蔓延る悪党どもを捕縛する権限を持っている。
当然、報酬はない。元の世界に戻るためには東雲の望みを叶えるしかないのだ。最初から対等な立場ですらない。勝手に呼び出され、用がすめば速やかに元の世界へ帰される。正義のヒーローだって、もっとまともな扱いを受けているはずだ。
いや、それよりも問題は。
間違っても、非力でか弱い女子高生を呼び出して戦わせようとはしない。
……はずだ。
「そんな可哀想な娘、どこにいるの?」
至極、当たり前に思う不満を鼻で笑われた。
柚月は、むっと唇を尖らせる。
「いるでしょ、ここに。あんたの後ろ」
「かかと落としで地面をめり込ます娘さんに、そんな単語を使っちゃいけない。事実が歪む」
「……………………」
抵抗どころか戦意を根こそぎ奪う男。それが、東雲漣である。
階のある長い廊下を歩く後ろ姿は、悠然としていて気品がある。それこそ神社の境内で彼に遭遇したなら、参拝に訪れた娘さんたちが願いも忘れて見惚れてしまうこと請け合いのルックス。いや、坊主か?
ただし、中身はひねくれた腹黒。口を開けば毒舌。
この落差が激しい人柄のせいで、柚月は幾度となく頭に血をのぼらされてきた。そして、いいように利用される。
「きっと前世は、極悪人だったのよ。好き勝手に生きてたせいで、来世まで皮肉った性格が抜けないんだわ」
「聞こえてるぞ。本音だだ漏れ娘」
東雲は低い声音とともに、わずかに横目で視線を投げかけてくる。
柚月は反射的に口を両手で覆った。いつの間にか、心の声が零れ落ちたようだ。
眠たげな目つきの東雲は、溜め息をついて告げてくる。
「何度も言っているだろう。君は選ばれた人間なんだ。その優れた才能を僕らの世界に役立ててほしい……ってね」
「私の世界じゃね、それは貧乏くじ引いた人間に言うのよ」
「君の【力】は眠らせておくには余りにも惜しい。それこそ、世界規模の損失だ。特に、その怪力とか怪力とか怪力……」
「怪力、連呼すんな! てか、他にないのかよッ!?」
沈黙する東雲が自分をからかっていることは明白だ。
いちいち気にしていられない。柚月は、腕組みして息を長く吐いた。
とりあえず、自分の疑問を解消することに努めてみた。
「もー、いいわよ。だったらせめて、ここがどこか教えて」
ここへ来る度、柚月はタイムスリップした気になる。
階の先には人の手で整えられた和風庭園が広がり、池まである。視界一面の景色には、着物を身につけた人々が忙しなく動いていた。大方、住み込みで働く使用人だろうが、走り回って遊ぶ子供たちも大勢いる。部屋には障子や襖の類はなく、几帳や屏風などで区切ってあった。
歴史の教科書でしか見たことのない寝殿造りの邸である。最初に召喚された時は、平安時代に飛ばされたのかと柚月は誤解した。
もちろん、その予想が間違いであることも東雲の口から知らされる。
「【月鎮郷】」
「地名じゃないわよ! ここは、私が住んでる地球からどんだけ離れてんのか訊いてんの!!」
「近くて遠い」
「真面目に答えんかッ!」
多少ペースを乱されつつも、柚月は譲らなかった。
この世界に召喚され、利用される以上、そろそろ本当のことを知っておきたい。だが、東雲の態度はどこ吹く風だった。
「真面目に答えてるよ。僕が望んだから君はここにいる。その距離はないに等しい。逆に僕が拒絶すれば、君は永遠にこの地を踏めない」
「そういうんじゃなくて、もっとこう……科学的な、実際の距離みたいなの!」
手を動かして説明するも、彼には通じていない。東雲は話も歩みも止めなかった。
「元の世界と共通項が少ないことは、君の方がわかりきってるだろ? ここは、無限にある平行世界のひとつ。君の世界の双子星。水面に浮かぶ空。鏡合わせの実像。あったはずの未来。失われた過去。君のいる世界に全てに通じ、全てとの相違をなす世界」
謎かけのような意味不明な単語だらけ。
いつもなら、この辺りで会話が途切れてしまう。だが、今日は引き下がりたくない。なるべく穏便に、譲歩する形で訊き出してみる。
「抽象的すぎるのよ。もう少し、わかりやすい表現ないの?」
すると、東雲は袂から古びた巻物を手品のように取り出した。
「そう手引書に書いてある」
「マニュアル!?」
柚月が驚愕の事実に目を瞠る、その向こうで、
「ぶっ」
少年のくぐもった声が聞こえてくる。
廊下の先で、タイミングよく派手に転倒する姿が見えた。柚月は急いで駆け寄る。
「大丈夫? 宗真」
腕にを引っ張り、無事を確かめる。
「は、はい……」
鼻を押さえ、涙目で返事するのは紅顔の美少年だった。
歳は、十五、六ほど。白の狩衣や薄い青色の指貫などを見るかぎり、怪我はなそうだ。
「いらっしゃいませ。柚月さま」
少年は困ったように笑い、挨拶してきた。
仔犬のような愛らしさと素直さを感じる。このまま成長すれば、将来はさぞいい男に変身するだろうと期待を誘う顔立ち。だが、柚月は眉根を寄せるだけだ。
「宗真、何度も言ってるでしょ。私のことは名前でいいってば」
「とんでもない。ぼくみたいな未熟な術者、柚月さまと話すことさえおそれ多いです」
目を見開いて首を振る態度は、率直な尊敬の念を感じる。
当の本人は、ただの女子高生相手にそんなかしこまられてもと思う。柚月がどう伝えるべきか悩んでいると、眼前に一輪の花を差し出された。
「どうぞ。転んだせいで、ちょっとしおれちゃいましたけど」
「あ、ありがと……」
戸惑いながらも受け取ると、はにかむように口元を緩ませる。
その表情で、今までささくれだっていた気持ちが穏やかになった。宗真は顔を合わせる度に、こうして花を贈ってくれる。現代の日本男児に……いや、すぐ側にいる人をこき使うことしか考えていない男にも見習わせてやりたい。
「それでは、お師匠さま。ご用があれば、お呼びください」
律儀に頭を下げる少年に、東雲は視線さえ向けない。
宗真も気にした様子もなく、くるりと踵を返し、もと来た道を歩いていくのだが────
「ぉぶッ!」
また見事にすっ転んだ。
彼は一日に何回、転ぶのだろう。顔を会わせる度に、必ず転倒する姿を目撃する。これが東雲なら素通りしてやるが、相手が宗真となるとついつい手を貸してしまいたくなる。
【月鎮郷】へ来る度、なにくれとなく世話してくれる彼は、柚月とって心が休まる数少ない人物だ。思わず、足がまた彼に向きそうになる。すると、背後から低い声音で呼び止められた。
「早く、こっちに来い。不細工」
「冷血漢は黙ってなさい! すぐ戻る!」
柚月は怒鳴るなり、宗真を助け起こしに向かった。




