第25話
「…………あいつが当主?」
怪訝な表情で、柚月が呟く。
その視線の先には、赤い顔をした美少年が何やら怪しい踊りを披露している。周囲には、鮮やかな衣を纏った姫君たちが楽しく笑っていた。
まだ十五歳だというのに、お盛んなことである。
豪華な酒宴。
松明の向こうに照らされた景色を、離れた場所から柚月は眺めていた。
「ありえない。【月鎮郷】の未来は大丈夫なの……?」
中庭を挟んだ局で、ひがみっぽくぼやく。警備のためとはいえ、夕餉どころか水も口にしていない。しかも、あんな軟派野郎を護らなければならないと思うと、全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「てか、郷の当主が何であんなにフットワークが軽いのよ……」
その点が、柚月は納得できない。
誰が予想できるだろう。【月鎮郷】を治める当主が、まさか手の早いスケベ猿だとは。
柚月は、もっと年配の威厳のある男性かと思っていた。正体に全く気付かなくても仕方ないだろうに、散々、馬鹿にされてしまう。その相手はもちろん、
「まず、服装で気付け。あんな乱れた格好、下っ端の役人ができるわけないだろ」
背後からする声に、柚月は眉をひそめて振り向く。
すぐ側に座る東雲は、しれっとした表情で先を続ける。巻物に目を落としながら、微動だにせず。
「他の世界じゃ、どうだか知らないけど【御門家】の当主に求められる一番の資質は、図太い神経と健康なことさ。役目を負った瞬間から、呪殺と暗殺が日常になる。神経質で貧弱な人間には、ちと荷が重い。あれくらい能天気でないと務まらないよ」
さらりと怖いことを言う。
東雲は面白く感じているのか、愉快げな口調がさらなる恐怖心を煽る。
陰謀と裏切りの世界とでもいうのか。
まるきり、スパイ映画みたいな話だ。想像できない世界に、怖さを覚えたのか寒気がする。
柚月は、くしゅんと大きなくしゃみをした。
まずい。
また、東雲に文句を言われる。そんな薄着だからとか、自己管理がなってないとか。
身構えながら、冷えた二の腕をさする。春とはいえ、日中と比べれば寒暖の差が激しい。制服だけでは厳しかった。せめて上着でもあればと恨みがましく思っていると、肩にふわりと温もりが触れてくる。見ると、長い指が自分の肩を抱いていた。
「え、ええッ?」
柚月の声が裏返った。
身動ぎして脱出を試みれば、さらに強く引き寄せられた。しかも、後ろから二本の腕が両側からのびてくる。
微かに漂う青草の匂い。
「騒ぐな。僕も寒いんだ」
「な、なななな……ッ!」
情けないほど、自分の声は震えている。
抗議するような東雲の口調。それが耳元からすぐ届いたことから、後ろから抱き締められていることを知る。
寒さなんて、吹き飛んだ。唐突に、どきんッと心臓が高鳴る。今にも胸を突き破りそうだ。
(お、思い出しちゃった)
今までの気まずい出来事が頭の中に蘇る。
至近距離のせいか、意識してしまう。胸の鼓動がうるさくて、他のことを考えられない。
けれど、このまま沈黙するのも嫌だ。なし崩し的に、密着した状態をキープされたら困る。もし、誰かに見られでもしたら。何か別の話題はないか、思考の鈍った頭を叱咤してフル回転させる。
「ねぇ、漣。この郷に……私みたいな人いるの?」
ぴったりと頬を寄せられ、心臓が止まりそうになる。
わずかに動く眼球で様子を窺うと、東雲の眉がひそめていた。柚月の言葉を解釈しかねているようだった。
「君みたいに、類稀な短気でそそっかしい人間ってこと?」
「違うわよ! 怪力……ていうか、人外な【力】ってこと!」
いきなり不名誉な事実を吹っかけられ、むきになって否定する。
その裏腹に、気分はとても重くなった。
今日の昼間に戦った男のことだ。
真紅の衣をまとい、柚月を赤子のように軽くあしらった。東雲の援護で運良く撃退に成功したが、くるかもしれない再戦を思うと心が沈む。
少しでも情報を集めて備えておかねばならないのに、正体も目的もわからない。
せめて、あの怪力の原因を突き止めれば勝機が見えてくるかもと期待したが。疑問に答える東雲の言葉は、大した収穫にならなかった。
「……いないだろうな。君みたいな桁外れの物質破壊は、高い霊力の他に身体の基本構造が違うようだ。どんなに郷の術者が鍛えても、岩盤は粉砕できないよ」
少し黙考したあとに呟かれた答え。
柚月が頭痛をこらえ、噛み砕いて理解しようとすれば、
「……それって、私とあんたの身体構造が違うってこと?」
振り向いて確認する。
東雲は、否定も肯定もしなかった。
ちゃっかり腹部に腕を回してくるが、柚月はそれどころではない。背後に微かな息づかいを感じながら、改めて筋道を立てた。
男の動きからして、何らかの武道経験者である可能性は高い。
柚月以上のスピードと、圧倒的な破壊力。
東雲が言葉に隠したもうひとつの意味。
つまり【月鎮郷】の人間ではありえないということ。
(……ってことは、あれ?)
ふっと思い浮かんだ仮説。
それが何か手繰り寄せると、淡雪のように消えてしまう。さらに、東雲の呟きで意識が別の方へシフトしていく。
「……冷えてるな」
「そ、そりゃね……って?」
柚月の声が上擦った。妙に、足がくすぐったい。
「ちょ……ッ!?」
違和感を確かめようと視線を落とした、柚月は目を剥く。
東雲の手がスカートからのびる腿を撫でていた。もともと冷たい掌だが、それでも微かな温もりを感じる。
じゃなくて!
柚月は、頭を殴られたような衝撃を受けた。板張りの床に手をつき、よろける。ゆっくりと振り返り、酸素を求める金魚のように口をパクパクとさせた。
「ど……こ、触って……ッ!」
上擦った声は震え、ほとんど聞こえない。
そのことに、柚月が一番驚いた。燎牙の時のように抵抗しようとするが、力が出ない。頬が熱い。身体中にも、寒いのに嫌な汗をかき始めている。だが、素知らぬ顔の東雲は、さらに果敢に攻めてきた。
「こんな薄着、今に風邪を引くぞ。それとも誰かを誘っているつもりか? 一応、男として忠告するけど、あまりに露骨すぎると楽しみ甲斐がない」
「なに言ってんの、これくらい普通……わわわわッ! わかったから、くっつかないでッ! 手を入れないで! 捲らないでッ!」
スカートの裾を掴んで、必死に懇願する。
それでも東雲は腕でしっかり柚月の身体を固定し、もう片方の手を服の中へ潜り込ませようとしてきた。
「ッ……!?」
反射的に、ビクッと肩が震えた。東雲の腕が、事故ではすまされない場所に押し当てられる。
「やーッ! どこ触ってんのッ、変態!」
「そっちが動くからだろ。薄い胸でも、ぶつかる可能性はなきにしもあらず……」
「違うでしょッ! あんたがセクハラしなきゃいい話なんだよッ!」
なけなしの抵抗は、身体が密着しているだけに、かえって状況を不利にするようだ。身動ぎすると、東雲に触られ放題になってしまう。
今日は、厄日なのだろうか。燎牙はともかく、東雲がこんな悪ふざけをするとは思わなかった。しかも、形や大きさまで知られそうな際どいライン。ひたすら狼狽えながらも、死守しなければとその一点にこだわる。
「は、離しなさいよッ!」
動けない柚月は、せめて言葉で抵抗する。横目で鋭く睨むも、抱きしめてくる腕に力がこもった。苦しくなって、呼吸もしづらない。肩には顎を乗せられ、耳をくすぐる吐息に柚月は気を失いそうになる。
囁く声は、ひどく甘ったるい。
「そんなに、つれなくするな。傷つくじゃないか」
「そ、その前に、乙女の貞操ッ! 人生の危機! こればっかりは、失ってから後悔するんじゃ遅すぎるのッ! 惜しむほど立派じゃないけど、一応、護らせてッ!」
悲しいかな、人生経験の貧弱さ。強気なようで弱気な主張だということは、自分が一番わかりきっていた。
もう何も考えられない。柚月の頭はくらくらして、すでに許容量を遥かに越えている。こんなにだらしない女だったかと情けなくなるが、慣れていないものは仕方ない。どうやって切り抜けたらいいのか、全然わからなかった。頼りになる憧れの師匠にも、この手の教えは請うていない。当時、小学生だった柚月が想定できる状況ではなかったことが大きな理由である。高校生の現在だって、こうして東雲に悪戯されなければ気付かなかった可能性は大だ。
顔を真っ赤にして屈辱に耐えていると。背後からくすくすと笑う声で、からかわれたことを知る。
「…………漣」
柚月が降参するように、ぽつりと名前を呼ぶ。すると、腕の拘束はあっさりと解かれた。
きっと、彼なりに元気づけようとしてくれたのだろう。わかっていても、なかなか素直になれなかった。
「あんたは……何で、こんなことしてるの?」
強がりついでに、ずっと思っていた疑問を口にする。なんとなく恥ずかしくて、顔は見れなかった。
東雲のしていることは、お世辞にも楽な仕事ではないはず。誰にも感謝されず、自分の生活さえ切り詰めて、郷の治安を護っている。異世界の人間だって、それくらいはわかる。
ただ、それを東雲があえてする理由がわからない。彼の性格からして、率先して引き受けるタイプには見えないのだが。何か特別な理由でもあるのか。頭をよぎった考えに、明確な根拠はなかった。
問われた東雲の方は、答えるのにしばらくの時間をかけた。
「そうだな……とっとと引退して、毎日、面白おかしく暮らすためかな」
柚月は、むっとなる。
思わせぶりな態度をしやがって。
返ってきた言葉は、いつも通りのひねくれた答え。
真面目に訊いた私が馬鹿だった。




