表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/108

第24話






 玉砂利に足を取られ、まろぶように宗真が駆け寄ってくる。


「お師匠さま、お怪我は!?」


「ない」


 さっと直衣を払い、汚れを落とす。

 周囲の荒れた風景に戸惑いながらも、次に告げられるであろう指示を口にする。


「今、追跡術をかけて探索を……」


「放っておけ。深追いすると、こっちがやられる」


 こともなげに吐かれた言葉に弟子は凍りついた。優勢に見えた現状とは違う口ぶりだったから。


「なら、柚月さまは……」


 よほど心配なのだろう。ちらちらと交互に見比べる。

 東雲が近寄っても、柚月は反応しない。心ここにあらずといった様子で、蒼白の顔からは表情が消えた。


 一瞬だけ、東雲は痛みをこらえるように眉根を寄せる。


「怪我は?」


「…………」


「おい」


「…………」


「聞いているのか。怪力娘」


「………………」


 顔を覗き込んでも、瞬きひとつしない。

 ずっと足元に縫いつけられた視線に、東雲は嘆息した。そっぽを向いて、ぼそりと禁断の呪文を口にする。


「貧乳」


「なんですって!? もう一度、言ったら男として生きていけなくしてやるわよッ!」


 胸元を掴み、強く引っ張る。

 奥歯を噛みしめ、鋭く睨みつけても、東雲は涼しげな表情のままだった。


 さすがの柚月も気付いた。

 自分へ関心を集めるため、わざと怒らせたことを。


「……何があった?」


 力いっぱい引き寄せても、東雲は眉ひとつ動かさない。漆黒の双瞳がまっすぐ見つめてくる。それで、張りつめていた何かが緩んだ。


 心配してるわけじゃないのに。

 いつもなら、東雲にだって気を許さないのに。


 今なら、何を言っても彼が受け入れてくれる。

 明確に感じたわけでもないのに、するりと口から零れ落ちた。


「……さっきのヤツ、私を見て」


『それっぽっちか』


 初めてだ。

 あんなに、はっきりと見下されたのは。


 怖いとか、悲しいとか、悔しいとか。

 言葉では表せない感情が入り混じって、うまく説明できない。他にも、意識していない感情がある気がする。それを確めたいような、認めたくないような。混乱に似た複雑な気持ちを柚月自身が持て余している。


 じっと待っていた東雲が、口を開いた瞬間。


「ふははははははッ! 面白い、気に入ったッ!」


 突如、威勢のいい声が割って入ってきた。

 後方から着流し姿の少年が、ずかずかと歩み寄ってくる。しがみついてくる宗真を押しのけ、無遠慮に距離を縮めてくる。避けようと後ろへ少し下がれば、さらにずいと満面の笑みを近づけてくる。


「おまえ、俺の妻になれ!」


 人生初、愛の告白。

 命令のような口説き文句に、柚月は目をまるくしつつも即答する。


「いやよ。あんた、暑苦しいもん」


 夢見る普通の乙女として、当然の反応だった。

 東雲は特に表情を変えなかったが、その弟子は何故か気絶するように倒れた。






「漣兄! 何で【蒼龍】が女だって黙ってた!?」


「訊かれませんでしたので」


 しれっと答える東雲のあしらい方は手慣れていた。

 彼の隣に正座した柚月は、黙って観察するしかない。


「そこは普通、教えるだろうッ! 妻は何人でも迎えていいって言ったのは、漣兄だぞッ!」


「何事にも、限度ってもんがあるでしょうに。少しはわきまえてください。当主が無節操なんて外聞が悪すぎです」


 小さな子供が駄々をこねるような物言いにも、東雲は動じない。

 さっきは大人びた口調に思えたが、東雲の前では違うようだ。ワガママな弟と無関心な兄みたいな気軽さも感じる。その一方で、年下相手に東雲が敬語を使っていた。端目からして、ふたりの態度はちぐはぐで不自然だった。


 一連の騒動のあと。

 柚月と東雲は、【御門家】の邸内に招き入れられた。何故か、さっきの(確か、名前は南方 燎牙とかいう……)少年も一緒だ。


 東雲の邸より数倍も広く、庭の手入れも行き届いた敷地内。

 宗真はどこかに消えてしまったし、周りには大げさなほど人間が同じ空間にいる。柚月は、ちらりと横目で広い局に視線を這わせた。


 無表情のまま、家具のようにひっそりと佇む直衣姿の貴族たち。

 おそらく、さっきまで柚月が暴れた跡の片付けをしている宗真はともかく(さっき派手に倒れたが、大丈夫だろうか?)、彼らの存在は異様だった。きっと【御門家】の警護をしているのだろうが、これは東雲に対してなのか、少年に対してなのか、判別がつかない。それとも、派手に暴れた自分が警戒されているのだろうか。


 慣れていない柚月は、ひたすら居心地が悪かった。しかも、ふたりの話は一向に止む気配がない。


「漣兄の嘘つき! 当主になったら好き勝手していいって言ったのに! あれも駄目、これも駄目って、義母上より厳しすぎるッ!」


「あんたが当主として無能すぎなんですよ。妻だの酒だの要求するなら、いい加減、一人前にご自分で決断してください。いちいち政務の子細を文に書いて寄越してきて……僕は忙しいんですから」


「勝手に決めたら、漣兄はぶつくさ文句言うに決まってるッ!」


 どっちもどっちな言い分だった。

 こんな連中が郷を治めていると思うと先行き不安である。柚月が疑わしげな視線で見つめていると、東雲が前の話題を引っ張り出す。


「そもそも……こいつは、あなたの妻候補に連れてきたわけじゃありません」


 そうだ。そうだ。

 もっと言ってやれ。

 こんな暑苦しい男は好みではないのだ。そりゃ、整った顔立ちではあるけれど。


 現役の女子高生が結婚だの、正妻だの、なれるわけがない。なりたいとも思わない。


(それに、ここの世界は平安時代みたいに一夫多妻制だって聞いたし……)


 やはり、女の子として好きな人と結婚したいし、自分だけを見ていてほしい。

 宗真との何気ない世間話で知り得た【月鎮郷】の一般常識からすると、柚月にとって異世界の恋はありえなかった。


 そんな気持ちを察したのか、東雲が代弁する。


「大体、こいつを正妻にしたら、あなたが浮気する度に大怪我で寝込むことになりますよ。邸の修繕費もかさむでしょうし……これ以上、政務が滞ることは控えてください」


 おい、もっと他に言うことないのか!

 勝手な想像は許せないが、あながち否定できない部分もある。非難の意味も込めて、東雲の腕を思いきりつねるだけに留めた。


 すると、立ちあがった少年が目の前にドカッと胡座をかく。興味に爛々と輝く瞳が、こちらを見つめている。


「おまえ、名前は何ていう?」


 横目で東雲に確認するも、特に表情を変えなかった。教えても問題ないということだろう。


蒼衣(あおい)柚月(ゆづき)……」


 おずおずと名乗っても、燎牙は眉をひそめるだけだ。


「ゆづき……?」


 どんな意味の名前か、わからなかったようである。どう説明するか躊躇う内に、東雲が代わりに答えた。


「姓は蒼の衣、名は柚子色の月と書きます」


「ほうほう」


 実際に、板張りの床に文字を書いて確認する。

 名前の字体と音をたっぷり反芻して、ひとつ大きく頷く。それから、ずずいと顔を寄せてきた。息もかかるほど近くに、美形な少年がいる。


「柚月か……きれいな名前だな」


 にかっと、とびきり素敵な笑顔を閃かせた。野性味のある雰囲気だが、屈託のない表情。宗真とは違う、魅力を持つ少年である。ただし、もう片方の手は柚月の腰を抱き、撫で回しながら下の方へ移動しつつある。


 ビシリッ!

 柚月のこみかみに、くっきりと青筋が浮かんだ。ほぼ条件反射のような動きで、身体を這ういやらしい手をぴしゃりと叩いて撃退させる。


 それと同時に、東雲が口を開いた。


「当主。ひとつ、いい忘れていたことが」


 だが、燎牙は怯まない。柚月の手を取り、だらしのない笑みを浮かべる。仕草は、立派な酔っぱらいオヤジだった。


「ああん? 何だね? 異世界の娘とは、なかなか能動的でしなやかに強く、面白い。少し胸が薄いのが気になるが、許容範囲内だ。俺の指をもってすれば、さしたる問題はない。今なら、正妻にしてやっても……」


 ベキッ!


「おう……ッ」


「私、しつこい男もスケベな男も嫌いよ」


 柚月の目は、据わっている。燎牙の指をつまみ、逆の方向に曲げたまま。


 ぴくぴくと痙攣して青ざめていく少年に対し、素知らぬふりで東雲は先を続ける。


「こいつを、そこら辺の姫と同じように扱うと怪我しますよ」


 明らかに遅い忠告は無意味だった。

 柚月が少年の襟をぐわしと掴んで立ちあがった。


「だ・か・ら、みだりに女の身体に触れるなと……」


「へ……? あきゃぁぁぁッ!!」


 もう片方の手で触れた肩を引っ張り上げて、振り回す。二周、三周とスピードをつけて、柚月が手を離した。


「何度、言ったらわかるんだぁぁぁぁッ!?」


 渾身の力を込めて、中庭へと投げ捨てる。側に控えていた貴族たちがどよめくが、知ったことじゃない。

 燎牙は見事な放物線を描いて、植え込みへと上半身を突っ込んだ。突き出された二本の足は、ぴくりとも動かない。


「と、当主────ッ!」


「大丈夫ですかッ!?」


「お怪我はッ!?」


 直衣姿の男たちが血相を変えて追いかけて行く。

 それらを冷ややかに見つめる柚月は、盛大に鼻を鳴らす。


「ふんッ」


 粗大ゴミを片付けたかのように、手をはたいて埃を落とした。

 それから、はたと気付く。


「……当主?」


 さっきまで耳に入らなかった単語。

 嫌な予感がして、東雲の方へ振り向く。


「あの……当主って誰のこと?」


「今、君が投げた盛りのついた猿だよ」


 特に責める風でもない東雲の答えに、柚月は驚愕する。

 植え込みから引っ張り出された男は、目を回してのびていた。


 彼こそが【九衛家(このえけ)】現当主・南方(みなかた)燎牙(りょうが)そのひとだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ