第24話
玉砂利に足を取られ、まろぶように宗真が駆け寄ってくる。
「お師匠さま、お怪我は!?」
「ない」
さっと直衣を払い、汚れを落とす。
周囲の荒れた風景に戸惑いながらも、次に告げられるであろう指示を口にする。
「今、追跡術をかけて探索を……」
「放っておけ。深追いすると、こっちがやられる」
こともなげに吐かれた言葉に弟子は凍りついた。優勢に見えた現状とは違う口ぶりだったから。
「なら、柚月さまは……」
よほど心配なのだろう。ちらちらと交互に見比べる。
東雲が近寄っても、柚月は反応しない。心ここにあらずといった様子で、蒼白の顔からは表情が消えた。
一瞬だけ、東雲は痛みをこらえるように眉根を寄せる。
「怪我は?」
「…………」
「おい」
「…………」
「聞いているのか。怪力娘」
「………………」
顔を覗き込んでも、瞬きひとつしない。
ずっと足元に縫いつけられた視線に、東雲は嘆息した。そっぽを向いて、ぼそりと禁断の呪文を口にする。
「貧乳」
「なんですって!? もう一度、言ったら男として生きていけなくしてやるわよッ!」
胸元を掴み、強く引っ張る。
奥歯を噛みしめ、鋭く睨みつけても、東雲は涼しげな表情のままだった。
さすがの柚月も気付いた。
自分へ関心を集めるため、わざと怒らせたことを。
「……何があった?」
力いっぱい引き寄せても、東雲は眉ひとつ動かさない。漆黒の双瞳がまっすぐ見つめてくる。それで、張りつめていた何かが緩んだ。
心配してるわけじゃないのに。
いつもなら、東雲にだって気を許さないのに。
今なら、何を言っても彼が受け入れてくれる。
明確に感じたわけでもないのに、するりと口から零れ落ちた。
「……さっきのヤツ、私を見て」
『それっぽっちか』
初めてだ。
あんなに、はっきりと見下されたのは。
怖いとか、悲しいとか、悔しいとか。
言葉では表せない感情が入り混じって、うまく説明できない。他にも、意識していない感情がある気がする。それを確めたいような、認めたくないような。混乱に似た複雑な気持ちを柚月自身が持て余している。
じっと待っていた東雲が、口を開いた瞬間。
「ふははははははッ! 面白い、気に入ったッ!」
突如、威勢のいい声が割って入ってきた。
後方から着流し姿の少年が、ずかずかと歩み寄ってくる。しがみついてくる宗真を押しのけ、無遠慮に距離を縮めてくる。避けようと後ろへ少し下がれば、さらにずいと満面の笑みを近づけてくる。
「おまえ、俺の妻になれ!」
人生初、愛の告白。
命令のような口説き文句に、柚月は目をまるくしつつも即答する。
「いやよ。あんた、暑苦しいもん」
夢見る普通の乙女として、当然の反応だった。
東雲は特に表情を変えなかったが、その弟子は何故か気絶するように倒れた。
「漣兄! 何で【蒼龍】が女だって黙ってた!?」
「訊かれませんでしたので」
しれっと答える東雲のあしらい方は手慣れていた。
彼の隣に正座した柚月は、黙って観察するしかない。
「そこは普通、教えるだろうッ! 妻は何人でも迎えていいって言ったのは、漣兄だぞッ!」
「何事にも、限度ってもんがあるでしょうに。少しはわきまえてください。当主が無節操なんて外聞が悪すぎです」
小さな子供が駄々をこねるような物言いにも、東雲は動じない。
さっきは大人びた口調に思えたが、東雲の前では違うようだ。ワガママな弟と無関心な兄みたいな気軽さも感じる。その一方で、年下相手に東雲が敬語を使っていた。端目からして、ふたりの態度はちぐはぐで不自然だった。
一連の騒動のあと。
柚月と東雲は、【御門家】の邸内に招き入れられた。何故か、さっきの(確か、名前は南方 燎牙とかいう……)少年も一緒だ。
東雲の邸より数倍も広く、庭の手入れも行き届いた敷地内。
宗真はどこかに消えてしまったし、周りには大げさなほど人間が同じ空間にいる。柚月は、ちらりと横目で広い局に視線を這わせた。
無表情のまま、家具のようにひっそりと佇む直衣姿の貴族たち。
おそらく、さっきまで柚月が暴れた跡の片付けをしている宗真はともかく(さっき派手に倒れたが、大丈夫だろうか?)、彼らの存在は異様だった。きっと【御門家】の警護をしているのだろうが、これは東雲に対してなのか、少年に対してなのか、判別がつかない。それとも、派手に暴れた自分が警戒されているのだろうか。
慣れていない柚月は、ひたすら居心地が悪かった。しかも、ふたりの話は一向に止む気配がない。
「漣兄の嘘つき! 当主になったら好き勝手していいって言ったのに! あれも駄目、これも駄目って、義母上より厳しすぎるッ!」
「あんたが当主として無能すぎなんですよ。妻だの酒だの要求するなら、いい加減、一人前にご自分で決断してください。いちいち政務の子細を文に書いて寄越してきて……僕は忙しいんですから」
「勝手に決めたら、漣兄はぶつくさ文句言うに決まってるッ!」
どっちもどっちな言い分だった。
こんな連中が郷を治めていると思うと先行き不安である。柚月が疑わしげな視線で見つめていると、東雲が前の話題を引っ張り出す。
「そもそも……こいつは、あなたの妻候補に連れてきたわけじゃありません」
そうだ。そうだ。
もっと言ってやれ。
こんな暑苦しい男は好みではないのだ。そりゃ、整った顔立ちではあるけれど。
現役の女子高生が結婚だの、正妻だの、なれるわけがない。なりたいとも思わない。
(それに、ここの世界は平安時代みたいに一夫多妻制だって聞いたし……)
やはり、女の子として好きな人と結婚したいし、自分だけを見ていてほしい。
宗真との何気ない世間話で知り得た【月鎮郷】の一般常識からすると、柚月にとって異世界の恋はありえなかった。
そんな気持ちを察したのか、東雲が代弁する。
「大体、こいつを正妻にしたら、あなたが浮気する度に大怪我で寝込むことになりますよ。邸の修繕費もかさむでしょうし……これ以上、政務が滞ることは控えてください」
おい、もっと他に言うことないのか!
勝手な想像は許せないが、あながち否定できない部分もある。非難の意味も込めて、東雲の腕を思いきりつねるだけに留めた。
すると、立ちあがった少年が目の前にドカッと胡座をかく。興味に爛々と輝く瞳が、こちらを見つめている。
「おまえ、名前は何ていう?」
横目で東雲に確認するも、特に表情を変えなかった。教えても問題ないということだろう。
「蒼衣柚月……」
おずおずと名乗っても、燎牙は眉をひそめるだけだ。
「ゆづき……?」
どんな意味の名前か、わからなかったようである。どう説明するか躊躇う内に、東雲が代わりに答えた。
「姓は蒼の衣、名は柚子色の月と書きます」
「ほうほう」
実際に、板張りの床に文字を書いて確認する。
名前の字体と音をたっぷり反芻して、ひとつ大きく頷く。それから、ずずいと顔を寄せてきた。息もかかるほど近くに、美形な少年がいる。
「柚月か……きれいな名前だな」
にかっと、とびきり素敵な笑顔を閃かせた。野性味のある雰囲気だが、屈託のない表情。宗真とは違う、魅力を持つ少年である。ただし、もう片方の手は柚月の腰を抱き、撫で回しながら下の方へ移動しつつある。
ビシリッ!
柚月のこみかみに、くっきりと青筋が浮かんだ。ほぼ条件反射のような動きで、身体を這ういやらしい手をぴしゃりと叩いて撃退させる。
それと同時に、東雲が口を開いた。
「当主。ひとつ、いい忘れていたことが」
だが、燎牙は怯まない。柚月の手を取り、だらしのない笑みを浮かべる。仕草は、立派な酔っぱらいオヤジだった。
「ああん? 何だね? 異世界の娘とは、なかなか能動的でしなやかに強く、面白い。少し胸が薄いのが気になるが、許容範囲内だ。俺の指をもってすれば、さしたる問題はない。今なら、正妻にしてやっても……」
ベキッ!
「おう……ッ」
「私、しつこい男もスケベな男も嫌いよ」
柚月の目は、据わっている。燎牙の指をつまみ、逆の方向に曲げたまま。
ぴくぴくと痙攣して青ざめていく少年に対し、素知らぬふりで東雲は先を続ける。
「こいつを、そこら辺の姫と同じように扱うと怪我しますよ」
明らかに遅い忠告は無意味だった。
柚月が少年の襟をぐわしと掴んで立ちあがった。
「だ・か・ら、みだりに女の身体に触れるなと……」
「へ……? あきゃぁぁぁッ!!」
もう片方の手で触れた肩を引っ張り上げて、振り回す。二周、三周とスピードをつけて、柚月が手を離した。
「何度、言ったらわかるんだぁぁぁぁッ!?」
渾身の力を込めて、中庭へと投げ捨てる。側に控えていた貴族たちがどよめくが、知ったことじゃない。
燎牙は見事な放物線を描いて、植え込みへと上半身を突っ込んだ。突き出された二本の足は、ぴくりとも動かない。
「と、当主────ッ!」
「大丈夫ですかッ!?」
「お怪我はッ!?」
直衣姿の男たちが血相を変えて追いかけて行く。
それらを冷ややかに見つめる柚月は、盛大に鼻を鳴らす。
「ふんッ」
粗大ゴミを片付けたかのように、手をはたいて埃を落とした。
それから、はたと気付く。
「……当主?」
さっきまで耳に入らなかった単語。
嫌な予感がして、東雲の方へ振り向く。
「あの……当主って誰のこと?」
「今、君が投げた盛りのついた猿だよ」
特に責める風でもない東雲の答えに、柚月は驚愕する。
植え込みから引っ張り出された男は、目を回してのびていた。
彼こそが【九衛家】現当主・南方燎牙そのひとだった。




