表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/108

第23話






 深くは考えなかった。

 反射的に、ぐっと強く拳を握る。


 この機会を逃しちゃ、女が廃る。


 男が戸惑ったのは、ほんのひと時だった。

 ぴくりと反応したものの、スピードとも軌道も変わらずに拳で襲いかかってくる。


 柚月は右側後方に反るように避けて、勢いを殺さず地面に手をつく。

 次に、持ち上げた両足で男の腕を挟み込んだ。


「だりゃッ!」


 全力で地面に叩きつけた。思いきり、石畳にねじ込むような感覚で。


 ゴッ!

 攻撃したあとは、すぐに離れる。体勢を整えるためでもあるが、相手の反撃を防ぐ意味もあった。


『相手のいいように行動しちゃいけないよ。いつだって、自分の全力を敵にぶつけるんだ』


 最愛の師匠の教えは正しい。

 柚月はそう信じているし、実際にそうするしかない。


 だが、何かが違うとも感じていた。

 師匠から教わった戦法は、あくまで一撃必殺の不意討ちである。卑怯と受け取られても仕方ないが、現世での柚月は普通の女子高生だ。体力や筋力などの面で劣っていても不思議はない。

 不意でも反則でも、使えるものは使えないと勝てない状況なのだ。

 だからこそ、目の前の男には二度もすでに攻撃をし損じていることが信じられない。


 こんなことは初めてだった。

 さらにつけ加えるなら、三度目の攻撃も簡単には成功しないだろう。一筋縄どころか、かすかな勝機すら見出だせない。初手と次手に失敗したら、どうすべきか。

 柚月は、ようやくそのことを肌で感じ取ったのだ。


 ガラガラと乾いた音が響く。男が崩れた瓦礫から腕を引き抜いた。

 悠然と立ち上がる仕草に、柚月は軽く落ち込む。彼にとって、大した障害にならなかったようだ。


(……浅かったか)


 というか、レベルが違いすぎる。

 怪力や頑丈さも向こうが上だ。


 実戦経験もあるのだろう。無駄のない動きや人外のような素早さから、わかる事実。

 普通の人間ならここで戦意を失うはずだが、柚月はそうならなかった。持ち前の負けず嫌いに、火がつく。


 仮にも政治の場で、いきなり襲ってくる輩である。どんな目的があるにせよ、認めるわけにはいかない。


「《全ての理 森羅万象は 我が言霊と成れ》」


 朗々と紡がれる低い声。

 迷いも澱みもなく結ばれる印だが、複雑な術式であることは伝わってくる。


「《蒼の水 白の道 朱の湖 玄の丘……天上の神々より譲り受けられしこの地を荒らす まつろわぬ者たちよ

 凪いだ風 ひと握りの土にも 我らが神がおわすことと知れ》」


 東雲も詠唱には、まだ時間がかかるようだ。横目で視線を這わせるも、白壁の上でまだ言霊を繰っている。


 何が何でも、男の注意を自分だけに引きつけなければならない。

 そこで、頼みの綱となるのは肩にいる一匹の白狐だった。


「白夜。あいつの動き……さっきの一瞬みたいでいいの。もう一回、止められる?」


 ぼそりと訊ねると、白狐はくりっと首を傾げる。

 話しかけておいて何だが、この動物に人間の言葉は通じるのか。


 一瞬、頭を掠めた不安は杞憂に過ぎなかった。白夜は鼻先で柚月の頬をちょんとつつき、すぐに肩から飛び降りる。


 目の前に立ち、身体をわずかに低くした。


 やる気満々な攻撃体勢。思わぬ助力を得られ、柚月は少しだけ安堵した。

 味方はいないより、いた方がいい。

 東雲を目と鼻の先で護っていては、遅かれ早かれ突破される。なら、考えつくかぎりの手で時間を稼ぐか、距離を取るしかない。相手との実力差から、前者の案は消えた。それでも、逃げようとは思わない。ここで逃げたら、もっと悔しい想いをするもしれない。もっと嫌なことが起きるかもしれない。何か、不吉な闇に呑み込まれてしまうかもしれない。そんな漠然とした予感がして、柚月は頭を振った。


(今は、余計なことは考えちゃ駄目……! やれることをやるしかないんだ)


 東雲は、しばらく時間稼ぎをしろと言った。だったら、意地でも保たせてやる。完璧に護って、ヤツの鼻を開かせるくらいに。


 敵を睨み据えた一瞬あと、柚月は右足を強く踏み込み、跳躍した。

 高く、ではなく、男の肩ぎりぎりを通り過ぎるように。空中で身体を反転させ、男の背後を取る。相手も読んでいたらしく、すぐに振り向いて左の方へと足を滑らせた。柚月も、それを追うように右方向へ駆けていく。


 互いに横走りに、広い空間へと移動する。


(よし)


 対峙する柚月が、胸中で大きく頷く。


 狙い通りだ。

 目の前の敵は大きな実力差があっても、余裕や油断は見られない。柚月のような小娘相手にも、のらりくらりとあしらってはいるが、戦い方は慎重だった。


 背後を狙っていると知れば、何らかのアクションを起こすと思った。

 案の定、男は誘いに乗ってきた。東雲からもっとも離れた位置まで誘導することができた。


(あとは、戦うだけ……!)


 柚月が唇を引き結び、腰を落とす。握った拳を構えると、男が飛び出してきた。衰えることのないスピードだが、もう柚月は動じない。


(楽なもんだわ。相手の方から来てくれる……ッ!)


 ギリギリまで待ち、最速で攻撃体勢に移行した。右手、左手と殴りかかるが、当然のごとく紙一重でかわされる。慣れない長期戦に、息が乱れていく。柚月の腕が大振りになった直後、男が浅く踏み込む。反撃の兆候だった。


(……させるかッ!)


 一回転して蹴りを放つ。攻撃というより、相手への牽制だった。

 ブーツの爪先が、反らした男の顎を通り過ぎていく。


 敵は、軽く跳躍して後方へ。

 柚月は肩で呼吸をしながら、体勢を整える。


(やっぱり……見切られるか)


 胸中で歯噛みする。


 彼女の選んだ手段は、もう作戦ですらなかった。

 動きは見切られ、力は弾かれるか避けられる。かろうじて、当てることができても大したダメージは与えられない。ならば、柚月の長所をフルに使って戦うしかなかった。素早く全身で応戦する。東雲が反撃の準備を整えるまで、攻めて攻めて、相手の攻撃を防ぐしかない。今度は、柚月が走り向かっていく。全てかわされるが、休むことなく殴り続けた。


 ほんの少しでいい。

 一発、かするだけでいい。


 両の拳に意識を集中させる。一瞬でも、敵の体に触れたら全力で叩き潰す。


 常に、獣のような獰猛さで勝機を窺う。

 虎視眈々と狙い続けたその時、男がわずかにふらつく。


 見れば、青白い炎が足元で揺らめいていた。


(白夜……!)


 柚月は、白狐を褒め称えたい衝動にかられた。

 九尾の狐は、敵の弱みを教えてくれたのだ。


 男の走るスピードや反射神経は、柚月を軽く凌駕する。ただし、それは『どんな攻撃にも最速で反応してしまう』という意味にもなる。


 白夜は、男の足に幻術の炎を見せただけ。その視覚的な情報は、柚月の援護でも敵の集中を乱すためでもない。本当に、形勢を変えるには意味のない幻だった。


 だが、男は反応した。

 洗練され、研ぎ澄まされた戦闘者ゆえに。


 柚月は、この機を逃すつもりはなかった。


 少しでも触れられたら、全ての力を出し尽くしてやる。

 それだけを念じ、拳を突き出した瞬間、


(えッ……?)


 鳩尾を狙ったはずの拳が、脇腹の真横を通りすぎる。素早く身体を捻ってかわしたのだ。紙一重で攻撃を回避したその行動が、柚月には不自然に映った。


《東雲院流幻惑術 影縛呪》


 ザンッ!

 両者の間に、ひと振りの太刀が突き刺さる。装飾に見覚えがある。東雲のものだ。


「《破邪の剣に貫かれし 影の宿主 いかなる欲望をも叶えることを禁ずる》」


 真紅の衣が身動ぎする。

 地面に縫い留められたように足が固定されたままだ。


 突き刺さる太刀は、男の影を貫いている。本当に、東雲はまず動きを止めてみせた。


「《南方院流八卦縛呪 対象範囲 四方ニ丁 【紅の獅子】を始点に招雷》」


 純白の袂が振りあげられた。

 指先が指し示す空は、いつの間にか暗雲がたれ込めている。


「《雷震縛呪 発動》」


 天を仰いだ掌が降り下ろされる。低い声音とともに、長い指がぴたりと敵を射抜いた。


 カッ!

 目映い雷が、太刀に向かって飛来する。石畳に着地したあと、無数の光の筋となって駆け巡った。生き物のように真紅の衣を這いまわる。


 バリバリバリッ!

 周囲を縦横無尽に暴れる光の蛇たちに、柚月は焦った。


(ちょ……ちょっと、私までお構いなしッ!?)


 思った以上の威力に、口元がひきつる。当然、光の速さでは柚月が避けられるはずもない。


 とっさに腕で顔を隠すと、


 バチバチバチッ!

 周りを円を描くように、稲妻が避けていく。結界が張られていたようだった。


(ど、どういうこと……?)


 東雲が何かの細工をしたのだろうか。そんな素振りも、術を編む言霊もあったようには思えない。


「うッ……」


 くぐもった声音に、ハッとなる。男が、よろけて蹲った。

 真紅の衣が焼け焦げ、白煙が立ちのぼる。


 そのまま、しばらく動かなかった。

 攻撃を仕掛けてこないことを確認してから柚月は、ゆっくりと歩み寄った。陽の光を背負い、敵の前へ屹立する。


「さぁ、観念しなさい。あんた何者? 何が目的?」


 男は答えない。

 柚月が焦げて汚れた衣を剥がそうと手をのばした瞬間、


「それっぽっちか」


「えッ……?」


 柚月は、動きをとめた。

 衣から零れた声は、はっきりとしていた。先ほどの術をくらって、吐いたセリフにしては余裕がありすぎる。全くダメージを受けていないように。


「てめぇ、本当に【彷徨者】か? ろくすっぽ霊力を練れてねぇし」


 さらに、柚月を嘲る。

 東雲の術は直撃したはずだ。彼が好機を逃したり、手加減をするとは思えない。


(こいつ……一体……!?)


 恐れを抱いた柚月は一歩、後退る。

 その反応すら、つまらなさそうに鼻を鳴らすだけだった。


「もう少し楽しめるかと思ったのに……興醒めだな」


 声が、風に溶けて消える。薄汚れた血のような衣と一緒に。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ