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第21話






 突然、腕の中にいた白夜が何かに反応した。その小さな顔を上げた瞬間、


「えッ?」


 宗真が目を瞠る。

 柚月も気付いた瞬間、足や腰付近に違和感があった。


「うーむ……変わった衣だな」


「いッ?」


 足元から声がした気がして、視線を落とす。

 緋色の着流しに身を包んだ男だった。真顔でスカートをつまみあげ、中を覗いていたのだ。


「いやぁぁぁ─────ッ!!」


 甲高い声で叫ぶも、柚月は足を振り上げた。

 回し蹴りの要領で、男の頭部を狙う。ちなみに、反動で胸の中にいた白狐がころりと落ちる。


「ッ!?」


 手応えがない。

 男の姿も消えていた。どこに移動したか、視線を彷徨わせるより早く。


「いかんいかん。そんな大振りな蹴りでは、簡単に避けられるぞ」


 あっけらかんとした声が届く。彼は、左隣にのびをするように立っていた。


「ふッ!」


 柚月は、拳を石畳に打ち込んだ。細かい振動が地面を震わせる。

 右拳が突き刺さった石畳を中心に、巨大な円形の陥没ができた。敷き詰められた砂利が弾け飛ぶ。

 普通の人間なら、ここでバランスを崩して転倒するはずだった。実際に、側にいる宗真は派手に顔面から地面に突っ伏す。白狐は、その背中に飛び乗った。

 しかし、少年の方は平然としている。のらりくらりとした立ち居振舞いに、柚月は茫然とするしかない。


(スピード……違う。紙一重で避けた……?)


 柚月は驚いた。

 ただでさえ、自分の攻撃を避けたというのに。よく見れば、自分とそう変わらない年頃の男の子だった。


 すらりとした体躯に、着流しから覗く赤銅色の肌。整った顔立ちをしているが、まだあどけなさが残る。年下かもしれなかった。春日と負けず劣らずの美形なのに、漂う雰囲気はどこか汗くさい。


「ふむ……霊力や敏捷性が高いな。しかも、その凄まじい桁外れな怪力。もはや、あっぱれというより他ない」


「怪力、言うなッ!」


 右手で殴りかかるが、少年はわずかに身体を捻ってかわす。


「反射神経も悪くないが……」


「このッ!」


 左の拳もふり上げる前に、また姿が消えた。忌々しく感じながら、柚月が五感をフル稼働させて相手の気配を探る。


「やはりな」


「!?」


 耳元で声がする。

 少年が背後へと回ったのだ。しかも、


「ここの肉つきだけが、よくない」


 そっと胸に何かが押し当てられた。

 見れば、自分の胸に赤銅色の指が這っている。ぺたぺたと遠慮なしに触られていた。

 今までに感じたことのない、くすぐったさ。初めての感覚に、柚月は頭が真っ白になった。


 ピシィッ!

 そして、何かが崩れ去った。


「い・ま・だ・か・つ・て」


「おっ」


 柚月は背後に腕をのばし、少年の顔面を掴む。ついでに、力いっぱい爪を立てた。


「誰も触らせてない乙女の胸にいぃぃぃッ!」


「おぉッ?」


 腰を落とし、前のめりに引っ張る。


「死ねッ!」


「ぐはあッ!」


 思いきり、少年の身体を足元へと叩きつけた。

 石畳に強く背中を打たれたショックのせいか、倒れたまぴくりとも動かない。


「ふ、ふふ……うふふふッ。いい度胸じゃないの。このドスケベ変態野郎が」


「ゆ、柚月さまッ?」


 吐き捨てるように呟いた声音、宗真がうろたえた。

 自分でも恐ろしく冷たくて低い。耳にした人間が、不安になるような声音だった。


「柄じゃないけど、一応、普通の女の子みたいな願望はあるのよ。両親から譲り受けた大切なこの身体……本当に、好きな男の人しか触れさせないつもりだったのに……」


 突如、眦をつりあげてキッと睨みつけた。

 その形相に宗真が驚くのも構わず、少年の顔面を蹴りつける。


「死ねッ! 死んで詫びろ、このスケコマシッ! 乙女の身体ってのは、むやみやたらと触れると犯罪になるってことを覚えとけッ!」


「うわわわわッ! お鎮まりください、柚月さまッ!」


 およそ現代の女子高生から出るはずのない罵り言葉を繰り出して、乙女としての意見を主張する柚月。起き上がって懇願する宗真の声も耳に入らない(というか、入れていない)。

 かたや、ボコボコに蹴られた方はというと、熱に浮かされたように目を閉じている。その口元はだらしなく緩んでいた。


「う〜ん、水色しましま……」


「忘れなさい! 忘れなさい! 今、見たもの全部!」


「やめて、やめて! あぁ、新たな世界が見えそう、あッ、見える! 見えるぞ、新たな世界がッ!」


 スカートの裾を押さえながら、柚月は顔を真っ赤にしてげしげしと足蹴にする。少年の怪しげな悲鳴も聞こえていない。


「ゆ、柚月さま! 駄目です!」


 切羽詰まった表情で、宗真が抱きついてきた。そうする形で制止させたかったらしいが、どだい無理な話である。


 宗真と柚月の力の差は、比べる意味もない。

 白狐もそれを知っているのか、彼らの足元でオロオロと歩き回る。キーッ、キーッと不満げに鳴きながら。


「止めないで、宗真! こいつはきっと、世界中の女の敵よ! 無視できないッ!」


 少年の胸ぐらを掴み、引き起こす。最後のトドメを刺すためだ。

 止められないと知りながらも、宗真は必死でしがみつく。


「お気持ちはわかりますッ! でも、駄目なんです! この方は、おそらく……むぐっ」


 言い終わらない内に、口を塞がれる。

 犯人は、暴行を受けている張本人だった。


「少年よ。時に事実は秘されたことの方が真実味を増す場合もあるのだ」


 くどいようだが、美形な顔立ちである。唯一、鼻血が出ている点が気になるところだった。


 柚月は、殴る気も失せてくる。


「……要するに、伝説は美化されるっていいたいわけ?」


「そうだ。英雄とは、言葉や力で己を誇示するものではない。黙々と行動で示す姿こそ、人々の目を惹つける……だから、強く美しくあるものだ」


 何なんだ、こいつ。

 東雲が不在の時に、面倒なヤツと遭遇したものだ。

 ケンカはしないが(柚月の中では、先ほどの攻撃は正当防衛である)、こんなわけのわからない人間と一緒にいても愚痴を零されそうである。


 何か適当に追い払う口実はないものか。

 抱きついたままの宗真と目を合わせてみるも、いい案は思い浮かばなかった。


 そんな時、


「それで、貴様は何者だ?」


「ッ!?」


 鼻血を拭きつつ呟く少年の言葉に、柚月は振り向いた。視線の先には、真紅の衣に身を包んだ男が立っている。

 顔はわからないが、体格のいい長身から、勝手にそう思い込んだ。

 柚月は警戒態勢をとると同時に、嫌な予感がした。


 目の前の男が何者であるにせよ、普通の人間とは思えない。柚月も遊んでいたとはいえ、全く気配を感じなかったのだ。

 作為的だと見ていい。


「……おまえが、【南家(なんけ)南方(みなかた)燎牙(りょうが)か」


 衣の奥から聞こえたのは、意外にも若い男だった。

 ただし、低い声音からは何の感情も読み取れない。本当に確認するためだけの言葉としか思えない。


 そんな乾いた声だった。


 不安を感じる柚月とは裏腹に、少年は臆することなく前へ一歩進み出た。


「いかにも。元服の折、畏れおおくも大巫女より授かった名。意味は、篝火のように燃え盛る炎の牙……」


「あんたは黙ってなさいッ!」


 ぴしゃりと大声で怒鳴り、後ろから襟首を掴む。


 柚月は眉間に皺を寄せ、ぐいと引き戻す。少年も暴れたりせず、危機感のない猫みたいに首を竦めただけだった。


「あんた、誰? こいつに何の用?」


 訊いてみたところで、男は答えない。ぼろぼろの衣をたなびかせ、沈黙を貫き通す。予想通りの反応に、柚月が次の攻め手を考えあぐねていると、


 男が、動き出した。素早く距離を詰めてくる。


「くッ……!」


 ゴッ!

 とっさに柚月は、地面に踵を打ちつけた。ビキビキと石畳に亀裂が生まれ、その中から漆黒の闇が口を開けている。


 男は避けるように高く跳躍した。それを追って柚月も跳ぶ。


 わざと空中に誘った。全力を出しきれない場所で確実に仕留めるために。


「はぁッ!」


 柚月が拳を突き出す。

 男の顔面を狙って、渾身の力を込めた。それが、男の指が腕に触れてくる。大した力でもないのに、軽く払われた。


「ッ!?」


 柚月は驚きに目を見開くが、身体は反射的に動いた。

 追撃の手をゆるめず、地面に降り立つ最後の瞬間まで殴り続ける。


「ふッ……!」


 着地する直前、蹴りを入れるも、やはり払われてしまう。

 それも、柚月の足に触れて、押しのけるようにして距離をとった。


 双方、玉砂利の上に降り立つ。

 弾む息を整えながら、柚月の胸にはわずかな不安を感じた。攻撃を簡単に流されてしまった点から、自分の動きは全て見切られていると考える。


 軽く、いなされた。

 腕の力だけで、自分の攻撃を避ける。柚月にとって、驚愕の事実だった。


「柚月さまッ!」


 離れた柱の影に少年を押し込めた宗真が名前を呼ぶ。

 彼の肩には白夜がいた。援護しようと思ってくれたのか、駆け出してくる。


「宗真、その人と一緒に下がって!」


 叫ぶように怒鳴り、それ以上の反駁を封じた。彼らに構っていられるほど、今の柚月には余裕がない。なるべく表情を消して、対峙する相手をじっと見据える。


(なに……? あの感じ、前にどこかで)


 勝機を見出だすため、柚月は素早く記憶を探った。

 先ほどの打ち合いを分析し、似た事例を引っ張り出そうとする。すぐに戦略を練って反撃しなければ、即敗北だ。力押しや時の運など、おそらく目の前の敵は通用しない。たった数秒の攻防で、柚月はそれを悟った。再び、男が駆け出してくる。今まで対峙した誰よりも早い。


「なッ……!?」


 驚きに目を瞠る瞬間。

 無骨な指が、柚月の腹部にそっと触れた。








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