第19話
先日のやりとり。
東雲の言葉から、わかることといえば。
苑依がさらわれた目的は『燐姫』の居所を尋問しようとしたため。
生活に困っていた盗賊は『男』に唆されたという。丹念な取調でも男の身元は不明。
『燐姫』は東雲の育ての親で、以前の治安維持を務めた優れた術者だったが、三年前に亡くなっている。
一方、都の周辺には謎の巨石が出現。術に反応しないし、柚月の怪力も役に立たない。東雲の仮説では『霊力を遮断する鉱物の可能性が高い』とのこと。外部からの破壊ができない以上、できることはない。
なりゆきとして、当主が住む【御門家】の邸内警備をすることになった。
近頃、深夜に見回りをしている術者が何人か不審者を目撃しているので、警備強化を願う旨の早文が送られてきたと聞く。
東雲は最後まで渋っていたが、日付が変わる二時間前後を警備に呼び出すと言われた。
睡眠不足は、お肌の敵なのに。
正義のヒーローたる者、そんな言い訳は許されないらしい。
柚月は、まじまじと掌を見る。
手の甲、節などに傷はなく、指を動かしたりしても、何の異常もない。とても一日で治るような怪我ではなかったのに。
(いつもは『術は、万能じゃない』とか言うくせに……わりと便利じゃん)
一瞬にして怪我が治るなんて、まるで魔法みたいだ。
今まで期待していなかっただけに、驚きと感心が隠せない。柚月のためにしてくれたこともある。
あの東雲はどういうわけか、あまり術を使いたがらない。
用途の範囲が狭いとかぼやいてはいるが、どうせ面倒くさがっているだけだ。
こんなにも使える術なら、率先して使うべきではないのか。
傷ひとつない右手を眺めながら、柚月は校舎をひとりで歩いていた。
ちょうど昼休みに入った時間で、移動教室から戻ったばかりだった。クラスの違う栞や莉子は、先に学食で待っている。混雑しはじめた廊下を急ぐ。
「きゃッ!」
前方不注意。
曲がり角で、出会い頭にぶつかってしまう。
「あ、ごめん」
相手は、何の因果か長谷川だった。
「あぁ〜」
ぶつかった拍子に、抱えていた荷物をばら撒く。ノートやカラフルなペンが床に転がった。
教室へ戻る前に寄り道でもしたのだろうか。風紀委員も大変だなと思う。
互いに膝をつき、落下したものを拾おうとする。だが、他の通行人が邪魔をした。
大半は手伝うべきか躊躇したり、気を遣って廊下の隅に避けたためだが。中には、平気で柚月たちを跨ごうとする者もいる。その横暴な振る舞いに苛立ちを覚え、怒鳴りつけた。
「あんたたち、邪魔よ! 拾う気がないなら、とっとと消えなさい!」
言われた方はバツが悪いのか、すごすごと引き下がる。
明らかに反感を覚える者もいたが、側にいた友人たちに制され、結局やめてしまう。
もういい加減にしてほしい。
最近、風紀委員と派手に対立したことで、周囲からは腫れ物扱いされる日々だ。無駄なトラブルは避けられるが、赤の他人にじろじろ眺められていい気はしない。
それでいて、自らますます居心地を悪くするのだから、己の浅はかさを悔いる。
自然と零れた溜め息を、向かいのクラスメイトは誤解した。
「あ……すみません」
「違うわよ。ちゃっちゃと片付けないと他の人の迷惑でしょ」
言った後で、柚月は『またやっちゃった』と内心で歯噛みする。
大した善意で言ったことではない。
だから『気にしないで』と伝えたいのに。口から出てくるのは、きつい言葉。
もう少し違う言い方があるだろうに。どうして、もっと優しい態度で接することができないのか。
こんな瞬間、柚月はいつも思う。
無言のまま差し出したノートを長谷川が、受け取る。その表情を、わずかに赤らめて俯いた。
「……ありがとうございます」
ぽつりと呟いて、集めたペンをケースにしまう。その姿は、莉子や栞と変わらない普通の女子である。
何を思うより先に、柚月は彼女に対して好感を抱いた。いや、もとから嫌ってなんかいないけれど。
風紀を重んじる人間だからこそ、自分を厳しく律し、真面目に生活する彼女の姿勢は尊敬していたりする。何より、素直にお礼が言えるのは素晴らしいことだ。
というか、羨ましい。
自分は絶対に真似できない。
気が利かなくて感謝を忘れるというか、意地を張っているというか。
いつものように、また東雲に言い損なった。
柚月の口がへの字に曲がる。
怪我を治してもらったのだから、言うべきなのだろう。
相手がヤツだからなのか、どうにも素直になれない。
つくづく可愛げのない自分に、気分が落ち込む。けれど、やっぱり『可愛い女の子になりたい』とは言いきれないのだ。
自分の場合、どう努力したところで無理がある。
そんな風に思えてならない。
(……ん?)
廊下の隅に、生徒手帳がある。さっきの拍子で飛んでいったものだろうか。
柚月が拾いあげると、中からが写真が零れた。写っている人物に見覚えがある。
(…………春日?)
制服姿のままグラウンドで、陸上部員たちと笑いながら柔軟体操をしている。
彼は、普段からよく運動部から試合の助っ人や練習相手を頼まれていた。おそらくは、その時の風景を撮影したものだろう。しかし、遠くからの隠し撮りであるらしく、全体的にピントが甘い。
せっかくの笑顔も、これでは魅力半減。撮影した者だってがっかりしたことだろう。
バサッ!
膝の前で、いくつかノートがバサバサと落下する。驚きに目を見開いた長谷川が、こちらを見たまま静止している。そこから、ノートが滑り落ちたのだ。
うっかり目の前で広げられた手帳に視線を落としてしまう。
日付や天気からして日記のようだ。女子高生らしいちまちました文字で綴られているものは、
『今日こそ、蒼衣さんに生徒指導しなければと思っていたのに。あの人が、彼女の幼馴染みだとは知らなかった。動揺して、指導もできずに見送ってしまった。風紀委員として情けない。けれど、もっとも情けないのは私自身の気持ちだ。
何故、彼でなければならなかったのか。
あの人は、私にとって雲の上ほどにも遠い存在なのに』
身体が硬直し、手帳を閉じることさえ忘れる。
これは……見てはいけないものだったか。
つい、ある疑念を持ってしまう。
以前、長谷川に捕まりそうになった時、春日に助けてもらったことがある。写真のこともあり、手帳の中にある『あの人』を幼馴染みと結びつけられなくもない。
不可抗力とはいえ、他人の日記を盗み見してしまった。しかも、超がつくプライベートな内容である。
どう反応すべきか柚月が困っていると、
バッ!
長谷川が日記帳を剥ぎ取った。ついでに、生徒手帳と写真も、である。顔を真っ赤にして、荷物を胸に抱く。紙面がしわくちゃになるのも構っていられない。
震える唇から、蚊の鳴くような声が発せられる。
「見なかったことにしてください……」
「え?」
耳まで真っ赤にした長谷川が叫ぶ。
「見なかったことにしてくださいッ!」
「いや、あの……」
大丈夫。
誰にも言わないわよ。
そう口にしかけて、柚月は逆に沈黙した。頭の中に、涼やかに笑う師匠の言葉が甦る。
『それは【誰かに言うよ】ってことだ。一番、信用ならない言葉さ。よく覚えておきな』
人の口に戸は立てられない。
どんなに固く約束したところで、秘密は絶対にどこからか洩れる。だったら、最初から口にしない方が得策だと師匠は言う。
実際に、その教えは役に立った。
周囲から浮いてはいるが孤立したことはない。
その絶大な効果を知っているだけに、自分が使ってはいけない言葉だと思った。
何も言わない柚月を長谷川は勘違いしたらしい。
この世の終わりとでもいうような悲壮感漂う顔をする。
「うわああぁぁぁぁぁッ!!」
「あ、ちょっと待っ……」
号泣とも思われる大声で走り去ってしまった。
ひとり取り残された柚月は、手をのばしたまま考えたことは、
(……それは、まずいだろう)
長谷川ではなく、自分に当てた言葉。
春日のような男子に好意を抱く理由はわかる。それだけに、自分の気持ちが疑わしくなった。
東雲に対する、想い。
忘れかけているが、あいつは他人を一方的に利用しているのだ。もっとも、好きになってはならない相手である。
長谷川が取り乱したこともあって、今までの言動を冷静に振り返ってみた。
(…………ありえないわ)
気の迷いだ。
そういうことにしておこう。
いろいろ珍しいことがあったから、東雲を意識したのだ。
つまりは、ただの錯覚。
次に顔を合わせても、普通に会話できる。いや、できるはずだ。そうしなければならない。だって、錯覚なんだから。
そう理論武装しつつ、自分の迷いを封じる。
もちろん、長谷川の想いも胸に秘めた。
肝心の春日は今現在、青春のまっただ中、片想い中である。しかし、それは柚月が口にするべきことではない。
(世の中って、ホントに不思議)
ままならないことだらけの現実に、唇を尖らせる。
どうしたら、両手を広げて生きていくことができるのだろう。




