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第18話






「むッ」


 もう少し。


「むむッ……」


 あと少し。

 ぷるぷると震える腕を叱咤し、柚月はもう片方の手に携帯電話を握りしめる。


 カシャ!

 カメラのシャッター音だった。携帯画面に映し出されるのは、黒壁に浮かぶ謎の紋様。二、三枚ほど撮影して、フォルダに保存する。


「こんなもんかな……」


 これだけ撮影すれば、一枚くらいは映りのいいものがあるだろう。

 片腕で自らの身体を支えながら、柚月がぼやく。


「柚月さま〜、大丈夫ですか〜ッ!?」


 次に、真下から響く声に肩を震わせる。


 驚いて、ずり落ちなくてよかった。

 今、柚月は巨大な黒い牙の先端にいる。東雲に召喚されるなり、上空の調査を命じられたのだ。下を見ると、見慣れた少年は豆粒ほど。


 柚月は、唇を噛みしめた。

 彼に悪気がないことはわかっている。わかっているが、大声を出さずにはいられなかった。


「宗真! 大丈夫だから、上を見ちゃ駄目よッ! 見たら、泣いちゃうからねッ!」


 昇る前より、繰り返した言葉。

 実際に見られることよりも、宗真がそういう行為をしたという点にショックを受けそうだったからだ。


 無論、下界にいる男たちには首を傾げるだけだ。


「どういう意味なんでしょう……?」


「言う通りにしてやれ。女心は複雑怪奇だ。簡単に理解できると思わない方がいい」


 不思議な表情で訊ねる弟子に、師匠はそっけない。分厚い料紙の束に目を落としながら呟くだけだった。




 柚月にとって、高い場所へ移動することは造作もない。

 この【月鎮郷】にいるかぎり、身体機能が飛躍的に上昇する。だからこそ、柚月のような女子高生でも物理法則を無視した怪力が使える。

 それ以外にも重力が小さいのか、跳躍力も高くなる。さすがに鳥のようには飛べないが、五階の建物に相当する巨石くらいはたった数歩で先端に辿り着けてしまう。着地する時も、激しい衝撃はない。どれだけ高く飛ぼうとも、羽が降りたかのような柔らかに地面に触れる。


 ただし調子に乗って高く飛びすぎると落下時の浮遊感が怖いので、幾度かの失敗をした後は自重していた。


 保存した写真を確認してから、柚月は自らを支えていた手を離した。同時に足を蹴り、くるりと空中で一回転する。ゆっくりと流れる景色を眺めた。


 視界は空と山に区切られ、麓には都がある。

 穏やかで、平和な郷。柚月の世界とは大違いだ。

 悪党は、盗賊かチンピラ。機械がないせいか、神経質に時間を数えない。化け物と罵しられることもある。

 でも、それ以上に宗真やたくさんの人たちに優しくしてもらった。

 少しは、そんな世界で役に立っているといいのだけれど。


 なんて考えつつ仏頂面の東雲の前へ、ふわりと降り立った。


「これでいい?」


 ぶっきらぼうに携帯電話を突き出した。東雲も、臆することなく手にとる。未知の物体であろう機械に、彼が戸惑う様子はない。先ほど撮影した画像を見つめ、眉をひそめる。


「見たこともない術式だな……誰かが新しく構築したのか?」


 そんなこと、私に訊かれてもね。

 答えに困る内容だったので、柚月は黙っておく。呼び出されるなり、東雲に『ちょっと上まで登ってこい』と言われた。

 巨石の周辺や材質など、いろいろな術で調べてみたが、何の成果も得られない。上部に不審な点がないか確認してこいという意味だったのだろう。

 偶然にも、柚月は巨石の先端に落書きのような紋様を見つける。文字や線、幾何学模様のような複雑な図式が描かれていて、口では説明しにくい。

 そこで、柚月は地球の科学技術の結晶・携帯電話の撮影機能に頼ることにした。


 要するに、ただの『お使い』である。

 犯罪者の中に放り込まれるよりは、マシな仕事だ。柚月も、ごねたりしなかった。

 いや、そうするだけの理由がなかったというべきか。


(ん?)


 視線を感じて横目で確認すると、顔をわずかに赤らめた宗真がいた。


「なに?」


「いつ見ても素敵ですね。天女さまみたいです」


 はにかみながらの感想は、熱烈な告白のようだった。

 高い尖塔から着地した柚月の姿が、空から舞い降りる優雅な天女に見えるという。

 いつもの柚月なら、照れながら礼を口にするところだが。


「なんてこと言うの!」


「えッ」


「そういうことは、好きな娘にしか言っちゃ駄目ッ! 宗真はカッコいいんだから、気をつけないと周りの女の子たちが勘違いしちゃうわよッ!」


「ええッ?」


 むきになって怒り出す柚月に、少年は目を丸くした。

 口にした後で、何故こんなにも意固地になっているのかと考える。珍妙なやりとりがひと段落した時を見計らったのか。


 東雲が新たな指示を出した。


「宗真。これを書き写してくれ」


「は、はい。それじゃ柚月さま、少しの間、お借りします……」


 おずおずと携帯電話を受け取った宗真は、踵を返して走り出す。

 少し離れた場所で待機している従者から書き写す道具を借りるためだろう。


 柚月は途中であることに気付き、宗真に声をかけた。


「あ、使い方わかるー?」


「たぶん、大丈夫ですー……きゃーッ!」


 小走り状態で振り向いたせいか、華麗な転倒を見せてくれた。


 きゃーって、なに。

 めちゃ可愛いじゃんか。


 たまに【月鎮郷】で写真を撮る際、宗真にだけは使い方を教えていた。結構、呑み込みが早くて助かっている。

 あの模様を写すくらいのやり方はわかっているはず。


(いきなり怒鳴って悪いことしちゃったな。あとで、ちゃんと謝らないと……)


 きっと宗真は驚いたことだろう。妙に落ち着かない自分がいけないのだ。小さくなった背中を見つめて言い訳を考えている。



「さて、と」


 落ち着いた涼やかな声に、柚月は反射的に背筋をのばした。

 自身が動揺している理由も思い出したからだ。


 声の主は、手に触れた黒い牙を見上げる。


「君を呼び出したのは他でもない。この巨石の探索調査は終えたので、今から君に破壊してもらう。たまには、手加減なしに暴れたいだろ。その無駄に桁外れの怪力を存分に披露してくれ」


 聞き逃せない単語が盛りだくさんに吐かれている。それでも、柚月は斜め下に視線を泳がせるだけだった。


「ハイ。カシコマリマシタ」


 作業ロボットのような口調で素直に返事をする。

 さすがの東雲も驚いたらしい。怪訝な表情で振り返る。


「……何があった? 今日は、えらく殊勝な心がけじゃないか」


「そんなことないデス」


 わざらとらしく誉められても、柚月はちっとも嬉しくない。

 巨石からつかず離れず、にじにじと横歩きのペンギン状態で移動する。その様子を、東雲は興味深げに見つめていた。


「ちなみに、君はあの術式に見覚えがあるか」


「い、いいえ……? 見たことありまセン」


 携帯カメラで撮影した謎の模様。

 あれを知っているかと訊ねられても、柚月にはわからない。


 ぎこちない動きで首を振り、距離をとる。

 もちろん東雲との距離を、だ。


 先日、彼の前でとんでもない失態をやらかした柚月。

 顔が合わせづらいという予想通りの事態に陥った。しかも、ちょっとしたことで動揺して宗真に当たってしまう。この問題をどう処理していいかわからず、柚月は途方に暮れた。


 さっきまで眺めていた東雲が飽きたらしい。

 焦れた口ぶりで訊ねてくる。


「なら、いつにも増してその挙動不審な態度は、他に理由があるんだな」


「き、気のせいですヨ」


 念押ししてきたので、そこは否定した。

 自他ともに認めるほどバレバレの、下手な嘘だった。


 数秒の間のあと、東雲が目を細める。

 彼の攻め手を変えるサインだった。


「もしかして、まだ拗ねてるのか?」


「いえいえ、滅相もナイ…………は?」


 のらりくらりはぐらかそうとして、柚月は失敗した。


 予想外の言葉に反応してしまったのだ。

 こう怪しい言動をすれば東雲が不思議に感じるのも無理はない。ただ彼の『拗ねる』といった単語に結びつかなかった。単に、おかしな奴だと思われるだけだと考えていたのだが。


 実際の東雲は、ずかずかと歩み寄ってくる。その表情が若干、不機嫌なのは気のせいか。


 柚月は内心、大いに焦った。


(そ、それ以上は近付かないでぇ〜ッ!)


 懇願にも似た心地で祈るも、東雲に通じるわけがない。ひたすら思いつくかぎりの原因を並べているようだった。


「それとも、食い意地張ったばかりだから具合が悪いのか?」


「えッ? いや、違……」


 さらに不名誉な単語をくっつけられ、逃げようと後退りするものの。


 東雲は素早く後頭部に手を回し、コツッと額をくっつけてきた。

 柚月は固まるしかない。


 息もかかる距離。

 間近で、整いすぎた顔が不思議そうに上を見つめている。


「熱はないな。風邪じゃないのか?」


 そう言って、東雲は首筋に指を這わせてくる。

 体調を診断しているらしい。あまりに手慣れた仕草のため、抵抗するのを忘れる柚月だった。


 微かに、青草の匂いがする。

 少し冷たい指先がくすぐったい。抵抗したいのに、狼狽える視線は目前にある薄い唇を凝視してしまう。



(……いやいや、私なに考えてんの!?)


 不意に恥ずかしくなって、この沈黙に耐えられなくなった。


 ゴッ!

 柚月は、黒の巨石に拳を撃ち込んだ。側にいた東雲は、まるまると目を瞠る。


「…………」


 数秒の間、硬直した。


「…………ふぉぉぉ」


 柚月は微動だにせず、そのまま間抜けな声を発する。


「さっきから何をしてるんだ、君は」


「痛い痛い痛いッ!」


 東雲の問いも無視して、涙目で叫ぶ。うさぎもよろしく、ぴょんぴょんと跳ね回った。


 ゆっくりと降ろした拳を恐る恐る見る。広げた指の節が赤く腫れてきた。


「わーんッ! なんでーッ!?」


 じんじんと痛む手の甲に涙が滲む。


 柚月は、わけがわからない。

 この【月鎮郷】に来て、怪我をしたことなんて一度もなかった。いくら混乱したとはいえ、力加減を間違えるなんて。

 だが、そうだとしても威力が小さすぎる。いつも、派手に壊して東雲に怒られるのに。


 最近、不可解なことが多すぎだ。


「読みが甘かったな……」


 拳を撃ち込んだ巨石を東雲が見上げる。黒い岩には全く損傷がなかった。


「君の霊力なら、あるいは、とか思ったんだが」


「早く言ってよ、そういうことは!」


「言う前に、そっちが勝手に殴ったんだろう……とにかく手を出せ」


 東雲が呆れつつも、右手を差し出す。

 戸惑って渋る柚月には気付かず、あまりにも自然に彼女の手をとった。触れられた瞬間、腕に電流が走ったように震えてしまう。


 嫌悪感からではない。

 自分でも驚いた理由がわからず、全力で東雲を拒絶できなかった。


「《四方一尺 因果剥離》……」


 そうしている内に、東雲は何か小声で呟き、手の甲に唇を押しつけてきた。


「ッ!?」


 突然、降りてきた柔らかさと温かさ。息遣いも伝わって、初めての感覚に柚月は目を見開いた。

 続けて、頬と胸が熱くなる。


 手の痛みが和らいだ。

 というより、何も感じられなかった。どくどくと心臓に、全身の血液が集められたみたいだった。胸の鼓動が激しすぎて、何も考えられない。


「軽い治癒術だ。骨や関節に異常はないか……」


 淡々と説明する口調で訊ねるも、東雲は途中で止める。


 柚月の耳には全く届いていないと知ったから。

 顔を真っ赤に染めて、ぶるぶると肩を震わせる。


「うわあぁぁぁッ!!」


 彼女の中で、何かが堰をきったようにあふれ出す。


 ドゴッ!!

 突然、地面がめり込んだ。


 柚月の一歩先。

 彼女の踵が、深い亀裂に入っている。

 長くのびた溝の先には、ふらふらと歩いていた宗真が嵌まった。「きゃッ!」と再び可愛らしい声をあげ、勢いよく前へ倒れ込む。間一髪で避けた東雲は、整った顔をわずかにしかめた。


「おい……」


「領域侵犯ッ!」


 それ以上、近づくなと訴える。

 どくどくと動悸がとまらない。


 なんだ?

 なんなんだ。一体。

 今、何に動揺してるんだ。自分は。


 いや、その前に。

 最近、やたらとスキンシップが多くないか?

 こういう接し方は恋人でなければ不自然だ。


 不自然……?

 だったら、何がまずいというのだ。


 それは、自分と東雲が恋人ではないからで。


(……恋人……?)


 ぐるぐると渦巻く動揺の原因を考えて、唐突に柚月は気付いた。


 自分と東雲の関係。

 と、いうより彼との距離を。


 意識した途端、初心な少女はある錯覚に陥る。


(まさか、私……これじゃ……漣のことが好)


 その先は、言葉にならなかった。

 込み上げてくる恥ずかしさに耐えられない。


 そして、とてつもなく悲しい。


「そんなの、いやあぁぁッ!!」


「なにが」


 今にも泣き出しそうな柚月に、当然わけのわからない東雲は突っ込んだ。


(いつ!? いつから!? そもそも、ヤツの何が気に入ったんだ、私!?)


 急いで思い当たる節を探そうとするが、動揺のあまり、記憶回路がうまく繋がらない。頭を掠めるのは、ヤツの指を舐めたとか、先ほどの額を押しつけられた時の映像だ。


 そんなものは、数に入れない。入れられるわけがない。


(あれで好きになったら、ただのバカじゃん! 私ッ!)


 たかが触れたくらいで惚れたとあっては、自分が節操のない、単純な女に思えてくる。


 ちらりとわずかに視線を上げて東雲を見た。

 その表情は、いつも通り。眠たげな顔で何の感情も読み取れない。


 嫌だ。

 それだけは、絶対に嫌だ。


 全力で断固拒否する。


 東雲のことが好き……?


 そんなの、この世の終わりではないか。

 柚月は頭を抱えた。


「やめてよ! 私は、まともな人間でいたいのにッ!」


「個人的には、今さらって気もするけど」


 東雲は、どうでもよさげな感想を洩らす。

 彼の目は挙動不審の相棒を見つめるそれではなく、予測不能な珍獣を観察する眼になっている。


(まずい……変に思われてる)


 あれこれ悩んでいても仕方ない。

 柚月は一瞬だけ唇を噛んで、大声を張り上げた。


「つ、次は、何すればいいの!?」


 とりあえず、現状維持。

 自分の気持ちがはっきりしない以上、経過観察するしかない。


「じゃ、話は訊いてたんだろうな」


「…………」


 東雲の視線が鋭くなった。

 盛大に、溜め息を吐かれる。


「二度目はないぞ。山猿娘」


 やっぱり、東雲は東雲だった。


 こんなヤツ、好きになったら毎日が地獄だ。気の迷いってことにしておこう。


 ……そうさせてください。頼むから!






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