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【幕間】






 伊集院(いじゅういん)(たける)は、朝吹高校の風紀委員長を務めている。その役職に就いた理由は、およその人間が考えるような貧乏くじや内申書の点数稼ぎではなかった。

 風紀とは、人間が社会の中で生きるために必要最低限の礼儀であり、秩序を守る礎となるものと考えているらしい。もともと熱血というか、スポーツマンを絵に描いたような人物なので、積極的な生徒指導を徹底した張本人だった。

 自然な流れとして、規則に反発する生徒たちは承服しかねる。少し血の気の多い男子生徒たちなどは、伊集院を私刑(リンチ)の対象としたが、その計画は変更を余儀なくされた。彼はレスリング部に所属していて、実力行使に出てきた生徒をことごとく返り討ちにしてしまう。三年生の今でも、よく部室に顔を出しては筋骨隆々の恵まれた体格を磨いていることは周知の事実だ。

 女子には『汗くさい』と煙たがられているが、男子からは支持されていたりする。特に地味で目立たない草食系タイプに、だ。風紀委員になって伊集院と仲良くなっておくと、不良やいじめの標的にされずにすむという『虎の威を借りるキツネ』状態ではあるが。


 いずれにせよ、彼の前では和を乱さず、目立たない行動を心がけることが無難な選択といえる。




「あれが、蒼衣柚月か……」


 威厳のある表情で呟く声がした。

 彼こそが、朝吹高の風紀委員長・伊集院猛である。

 ワイシャツの上からでもわかる筋肉質の身体。スポーツマンらしい刈り上げた短い髪。廊下の曲がり角から窺う表情は、体臭が漂ってきそうな濃ゆい顔立ち。


 それが、わずかに頬をポッと赤らめる。


「…………今日も可愛いな、内海ちゃん。彼女の友達とは知らなんだ」


 口にした途端、ぐわしっと後頭部を掴まれた。続けて、万力のような強さでミシミシと頭蓋骨を締め上げられる。


「三秒以内に、おまえの職務を思い出せ。でなければ、今ここで死ね」


「なるほど。とても威勢がいい。おまえを言い負かすだけのことはあるな」


 途中で、何かを思い出したらしい。

 伊集院は棒読みな口調で感想を述べた。そんな空々しい態度でも許す気になったのか。背後に立っていた日下部は、溜め息をついてから手を離す。


「見た目に騙されるな。ああやって近寄る生徒たちを片っ端から言い負かしている」


 淡々とした説明をしながら、委員長の隣に並ぶ。

 彼らの視界には、親友に抱きつかれて歩く柚月がいた。後ろ姿を見るかぎり、普通の女生徒との違いはない。


「あれの動きを、どう見る?」


「んー?」


 日下部に問われ、風紀委員長は顎を撫でながら考える。


「……言ってることが難しくてようわからん。だが、おまえが心配するような娘には見えないけどなぁ」


「向こうに戦意がないからだろう。ひと度、危害を加えようとする人間には容赦しない。未確認情報だが、一昨日も他校の不良複数を相手に騒ぎを起こしたようだ。事実なら、いずれ面倒な事態になる」


 閻魔大王の言葉で、初めて伊集院の表情は険しくなった。筋肉の盛り上がる腕を組み、鼻息を吐く。


「むぅ。暴力はいかんの」


 彼は、どんな理由があっても暴力を正当化しない。

 逆に言えば『暴力が絡んだ事象には、やむにやまれぬ事情でも考慮しない』という意味にもなる。実に、敵に回したくない男である。状況が複雑化すればするほど、使い古された理想主義的な論理を振り回してくるのだ。しかも、破壊力抜群の腕力で。


 だが人間である以上、当然弱みもある。


「でも、内海ちゃんの友達だしなぁ……どっちかっていうと仲良くなりたい」


 不気味に身体をくねらせ、ぽろりと本音を洩らす。


「……伊集院」


「それじゃ、まずは話をしてみよっかな?」


 低い声音に、風紀委員長は妥協案を提示した。






 だから、彼女は厄介なのだ。


 東雲は怒っていた。

 腕を組んで、苛立たしげに足を鳴らす。


 いや、恐ろしいといった方が適切か。

 その対象は、もちろん異世界の少女である。持ち前の怪力に怯えているわけでは決してない。


 今はまだ愛でるだけに留めておきたいのに、一気に距離を詰めてくるから侮れない。それも無意識に。ある意味、犯罪だ。だが、東雲にも全く非がなかったとは言いきれない。


 つい魔がさしたのだ。

 昨日は彼女が現地の菓子を持ってきた。単に食い意地を張った結果だろうが、東雲は初めて見る。興味がないふりをして話を聞く彼女が、わずかに綻ばせた口元を。


 甘いものを口にして、ご機嫌な笑顔は初めてだった。

 わざと言葉少なに誘って。

 引っかかっても、どうとでも取れる言い訳を用意して。

 たまには、つれない彼女を困らせたかった。


 人に慣れない山猫を間近で眺めたい。

 そんな欲望が抑えきれず、構ってしまったのがまずかった。からかうつもりが、何か勘違いしたらしい。思ってもみなかった彼女の大胆な行動に、こっちが困った。指摘した後は、ひたすら狼狽され、気が遠くなる。


 東雲は恐ろしくてたまらない。

 あれは、特に意識していない異性にする行動ではなかった。もしや異世界では違う感覚なのかとも考えたが、動揺する彼女を見て、その可能性は捨てた。

 おそらく、異性に耐性がなかったのだろう。とりあえず、ねちねちといじめて警戒心を煽ってはみたが、どれだけ効力があるか。


 今まで以上に、周囲の男たちには牙を剥いてくれるといいのだが。

 あれでいて、身内には甘いところがある。付き合いの長い、気心の知れた男には、あっさりと侵入を許してしまうだろう。


(……特に、菓子で懐柔されそうだしな)


 近いうちに、ろくでもない男に引っかかりそうだ。


 もっとも、そんな心配をする権利なんて自分にないのだけれど。

 結局は、いつもの結論に辿り着いた頃、


「あ、あの、お師匠さま」


 顔を上げると、弟子の宗真が畝を避けながらよろよろと近寄ってくる。畑の中央付近を歩いているため、仕方のないことではあるが。

 足取りが不安定すぎないか?


「例の巨石……探索術式でも正体は不明で、どの術にも反応しません。というか、霊力そのものに対して反応を示さないみたいです」


「そうか」


 東雲は、短く言葉を切る。

 多少の気がかりはあるものの、予想の範囲外ではなかった。


 別の手段を講じる必要があるな。

 練っておいた策はいくつかある。黒幕がいるなら、いぶり出すまで。できれば目的がわかるような手を打ちたい。

 唯一の問題点は、また彼女の力を借りなければならないこと。頭の痛い話だ。


 柚月にどう説明するかを考えたところで、東雲は注がれる視線に気付いた。

 宗真が何か言いたそうに、こちらを見ている。


「まだ何かあるのか?」


 報告が残っているのかと訊ねても、黙ったままだ。

 声に出すまで随分と時間をかける。


「あの、お、怒ってますか?」


「…………」


 弟子の探るような目つきで、何の許しを請いたいのか察しがついた。

 東雲も特に考えもせず、正直な答えを口にする。


「怒ってはいない」


 宗真は、ほっとしたような表情を浮かべる。

 まぁ、彼の間の悪さはかえってありがたかった。あのままふたりきりでいたら、彼女が何をしでかすかわからない。

 異世界の住人だからなのか、彼女の思考や行動はいまいち読みにくい。

 宗真が来てくれたことで、うまく話を変えられた。そのことには感謝している。


「けど」


 怒ってはいないが、許した覚えはない。

 もう少しくらい、羞恥と屈辱に耐える彼女を見ていたかった。他の人間がいると普段の毅然とした態度に戻ろうとするから、つまらない。

 なので、遠回しに『ちょっとは空気を読め』と言ってみる。


「何を怒っていると思ったんだ?」


「!?」


 わざと首を傾げてみせれば、弟子は信じられないといった顔つきになった。その反応が面白くて、ますます意地の悪い質問をしてしまう。


「何をどう勘違いしたんだ? 今後、同じことがないように教えてくれないか?」


 じわりじわりと近寄る。

 宗真も後方へ距離をとるが、徐々に顔を赤らめて言い訳を考える。動揺も加わって、どれも中途半端だ。

 それが東雲の苛虐心をさらに掻き立てる。


「それは……その〜」


「うん。しっかり聞いてやるから、遠慮なく告白するといい」


 にんまり笑って顔を覗き込むと、弟子の緊張が頂点に達したようだ。

 耳まで真っ赤にして叫ぶ。


「す、すみませんでしたッ!! 何でもありませ……ぉぶぅッ!!」


 勢いよく謝った弟子は一目散に逃げて、見事に転んだ。柔らかい土の上とはいえ、擦り傷などを作らなければいいのだが。


 くすりと笑いそうになって、東雲は気付いた。


 半年前とは違う。

 色彩も鮮やかな世界。

 温もりを感じる穏やかな日々。


 変わったのは、東雲の心なのだろう。変化の原因は、間違いなく彼女の影響。


 瞬きする暇も与えずに暴れるから目が離せない。


 頭を掻いて、東雲は嘆息する。

 思った以上に、彼女が入り込んでいる。今の状況では好ましくない流れだ。


 しっかり線を引かないと。

 いつかくる決断の(とき)のために。


 そう強く決意して、東雲は空を見上げる。

 視界を真っ二つに分けるように、大地から巨大な牙が突き出していた。


 空を喰らう黒い牙。

 東雲には予兆に思えた。

 自らが細工した運命の岐路。それが迫ってきているのだ、と。






「へぇ〜? ありゃ、まさか『漣チャン』か? 随分、立派になっちゃってまぁ……」


 離れた場所で、感心するように声を洩らす。

 声の主は、若い男だった。ぼろぼろの真紅の衣を纏い、木陰に身を隠しながら様子を窺っていた。

 距離をとり、気配も霊圧も消しているとはいえ、東雲を前にして大胆不敵な行動である。


「あれの【彷徨者】は……いるわけねぇか。 あの潔癖野郎のこった。三年前のドタバタを知って召喚するわけがねぇ」


 遊ぶように考えを転がして、鼻を鳴らす。

 彼にしてみれば、全てが遊びだった。今までも、きっとこれからも。

 自分が張り巡らせた遊戯の糸に、東雲が気付いても気付かなくてもいい。どうせ結末は、自分の思い通りになる。


 邪魔をできる奴など、いやしない。


「仮に、いたとしても俺に潰されるだけだがな……せいぜい、楽しませてくれよ。漣チャン」


 くっくっくっと楽しげに笑う声は、どこか狂気を孕んでいて。

 耳にする者には不安を与える。


 やがて吹いた風に溶けて消えたとしても、彼の存在はなかったことにらならない。


 東雲の耳に届かなかったとしても。






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