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第93話






 ゆっくりと目を開けた柚月は、辺りを見回す。


「あ、あれ?」


 想像とは違う景色に目をまるくする。柚月が降りた場所は、いつもの東雲邸ではなく、外だったからだ。辺り一面に草木が生い茂り、橙色の空は息を呑むほど眩しかった。日本とは思えない自然の雄大さに、戸惑う。おそらく【月鎮郷】なのだろうが、こんな場所は知らない。

 肝心の東雲はどこなのだろうと、再び周囲を見回すも見つからない。不可解な状況に首を傾げた頃、真下から低いうめき声が聞こえた。



「……新手の嫌がらせか?」


 視線を落とすと、東雲がいた。とてつもなく機嫌が悪そうだ。ものすごい至近距離で端正な顔を歪めている。

 何故だろうと疑問に思えば、自分の身体が地面に触れていないことに気付く。よくよく見れば、自分は何かに乗っている。ついでに、東雲の顔がこれだけ近くにあるということは……

 自分の体勢を察知した瞬間、柚月は悲鳴をあげた。


「わあぁぁぁッ!」


「うるさい」


「わざとじゃないのよ! わざとじゃ!」


「とりあえず、降りてくれ」


 東雲は下から這い出すようにして上体を起こし、柚月から脱出する。柚月も足をどけて東雲を解放するも、まだ動揺が治まらない。不本意ながら見上げる形で、きょろきょろと辺りに視線を巡らす。


「ここ、どこ? 今日は何するの?」


 意外にも東雲は、手を取って立たせてくれた。


「約束」


 誘われるように後ろを振り向けば、ふわりと吹く風に花の匂いが混じる。


 柚月は驚きに目を瞠る。視界いっぱいに紫色の花が咲き乱れる。葡萄畑のように作られた棚には蔓が巻きつき、房の花が風に揺れていた。


「この花って……」


「藤だ」


 端的な答えに、柚月は反応に悩む。

 藤棚自体は目にしたことがあるものの、こんな大規模な庭園を見たことはなかった。果てしない幻想的な光景は、見入ってしまうばかりで言葉が出てこない。


 いや、それはまだいいとして。柚月にそれを見せる意味が、よくわからない。わざわざ連れてきた理由を巡らせて、


『約束』


 どくんッと心臓が跳ねる。


 東雲が、約束を守ろうとしてくれた。微かな予感が確信に変わる。

 また風が吹いて、さらさらと草花が流れる音がした。


「桜の季節は終わってしまったからな」


 今の言葉で確定的だった。

 そっと呟かれる言葉に、わずかな寂しさが覗く。柚月は、ぼんやりとだが不思議に感じた。桜の花の方がよかったのだろうか。再び、彼の言葉を考えてみたら容易に察しがついた。


(あ、あの時の幻術……)


 以前、並んで見た幻の桜。東雲は、今度こそ本物の桜が見たかったのかもしれない。互いのわずかな思い出をなぞるように。柚月にだけわかる痕跡を残して。


 嬉しかった。

 ただ花を見ているだけなのに、東雲が隣にいるとこんなにも胸が温かい。どきどきと動悸が治まらない。困惑する反面、ずっとこうしていたいとも思う。


 ふと気付けば、手を握ったままだった。しばらく、互いに何も言わず藤棚を見る。気まずいとは思わなかった。とくとくと心臓の音は早くなって。


「……漣は、どうして私を選んだの?」


 また訊いてしまった。

 沈黙が耐えきれなかったわけじゃない。東雲と話がしたかった。今までとは違う、別の『何か』を期待した。もっと彼を知りたい。近付きたい。


 そう願いを込めて顔をあげる。

 風に前髪を揺らしながら、東雲は口を開いた。


「言っただろ。君が、『本当にどうしようもない。短気で、臆病で、せっかちで、頭の足らない、人の話を聞かない我が儘娘だ』って」


「……う、うん。まぁ、そうだったね」


 落胆したり、怒ったりはしなかった。彼の返答を聞いた直後で、ハッと我に返ったのだ。照れ隠しに髪を押さえたり、無意味にスカートを払ったりする。


 そうだよね。

 そう言ってたもんね。

 今さらになって、わかる。夏宮に言い放ったセリフを再び聞きたかったようだ。言ってくれないとわかっていたのに。案の定、東雲は続きを口にしなかった。


「けど」


 短く区切って、放たれた言葉に柚月は痺れる。


「君は、どんなことがあってもそこから逃げないひとだから」


 前を向いたまま、瞳さえ寄越さない。文句は言えない。充分だった。

 彼は、知っていてくれた。立ち竦み、前へ歩き出せない柚月の弱さを。


 逃げない強さだと信じていてくれた。




「そっか」


 こぼれた声が上擦る。取り繕うこともできない。照れ隠しだと本人も気付いていた。今、自分は間抜けな顔をしているだろう。頼むから、こっちを見るなとひたすら念じる。手は握られたままだし、東雲は会話を続けようとする気はないようだ。動悸の激しくなる柚月に余裕はない。いつもみたいにからかわれても、うまくかわせる自信がなかった。

 かといって、このまま無言でいるのもプレッシャーになる。気詰まりな雰囲気から抜け出すため、見栄を張ってみた。


「尊敬してる?」


「まさか」


 即答だった。

 なんちゃっての質問を容赦なく切り捨てる。少しがっかりしたけれど、同時に安堵した。


 よしよし。

 これで、いつも通り。

 普段の調子に戻れたので、すっかり油断した。はぐらかされた落胆より、元のやりとりができた方がよかった。彼との関係性は変化したという自覚はあるものの、具体的に把握しているわけでも、名前を知っているわけでもない。前と同じ部分を発見できて、ようやく安心できた頃に。





「好きだ」





 ぽつりと吐かれた、ひと言に頭が真っ白になる。あまりにも自然すぎて聞き逃すところだった。のろのろとした動作で相手を見るも、彼は前を向いたままだ。


 どう解釈したら、いいものか。東雲の態度は堂々とし過ぎていて、正確な意図を読み取ることが難しい。


 でも、いい。

 同じ気持ちでなくていい。繋がってなくていい。


 彼に対する気持ちを伝えたい。



「ね、漣」


 名前を呼ぶと、視線だけを寄越してきた。そんなぶっきらぼうな仕草さえ、胸が締めつけられる。


 ムカつくことばかりだけど、仕方ない。生きているかぎり、思い通りにならないことはたくさんある。流されたり、しがみついたり、これから行く先々で想像していない問題にぶつかるだろう。だから、少しずつでいい、変える努力をしてみよう。受け入れる強さを養っていこう。


 何にもならなくてもいい。彼に出逢えたという事実が、考えるきっかけを与えてくれたから。私が変われるチャンスをくれたから。


 いつも無茶苦茶なことばかり言うけど、知ってる。口が悪くて、面倒くさがりで、性格もひねくれてて。でも、他人の気持ちを考えられるひと。争いが嫌いで、常に上を目指して、よりよい未来を模索する無上の優しさを持った、とても素敵なひと。


 彼の手を離したくない。

 きっと、柚月自身が気付いていた。選んでいた。今、この瞬間を望んでいた。


「私も、あなたのことが……」


 その先の言葉は、かき消された。藤色の花弁だけが風に揺れる。








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