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起きたらそこは見慣れない天井だった


 葵は無条件に飛び起きた。

 狭い部屋には、まーるいちゃぶ台がひとつと、カラーボックスが二つ。目の前は玄関になっていた。ベッドは自分のだ。壁にはいつの時代のだか分からない、水着のおねえちゃんがビールを持って浜辺で笑ってる80年代テイストのポスター1枚。

 そうか、昨日からここが私の新しい家になったんだっけ。胸を撫で下ろし、キッチンと呼べないキッチンへ行く。やかんが一つ置かれていた。小さな冷蔵庫を開けると、食材に飲み物の類が入れられ、何日間か生活ができるようになっている。

 ミルクをやかんで温めた。

 夏だけど、されど夏だけに温かいものを飲めば、このじっとりした汗も引くってもんだ。寝汗をかいていた葵は温めたミルクを飲み、熱いシャワーを浴びた。

 昼も回ると、隣の部屋から音楽が聞こえてきた。その手の音楽からして、ドンパチ映画かなんかだろうか。

ちゃぶ台の上に置いた携帯は、着信を知らせるランプが点滅していた。

 葵は手に取り、確認すると、表示されていたのは『次郎』からのみだ。

「どうせまた生存確認かなんかでしょ」

 葵はぽいっとちゃぶ台に投げ、14インチのモニターのような小さいテレビをつけた。

「って見えないし! なにこの小さいの」

 目を細めるが、これといってめぼしい番組は無い。

「でかけようかな」

 霧吹からの連絡は、夏に雪が降る確率で来ない。てか、昨日コロンビアに向けて一言の挨拶も無しに出かけたわけだから、まだ着くはずもない。きっと今頃はどこぞの国でトランジットでうだうだしているに違いない。と、勝手にまた思い込んでいた。

 けっこうしぶとく恨むふしがある葵は、考えるのをやめようと頭を振った。



 そんなこんなで、あんなそんなで、霧吹がいないという事実に慣れずに、野兎組にも話を聞きに行ったが事務所は閉められていて、誰にも会えず、霧吹組にも行ってみたが、しーーーんとしていた。

 門の前の監視カメラが葵の方を向き、観察されたりもした。きっとそのカメラのあちらには四郎がいる。

 葵は手を振ってアピールしてみたけど、カメラはまるで目のように、しれっとそっぽを向いてしまった。

「絶対四郎さん、私のこと確認してるでしょ!」

 聞こえるように言う。音声も確認出来る防犯カメラになってるので、葵は聞こえるように言ってやった。

 と、こんなやりとりが続き、次郎とすら会うことが無くなった葵は、アパートの隣近所に聞こうと思ったりもしたが、いかんせん葵とは生活する時間帯が違うので、すれ違うこともそんなになかった。

 時間とは無情なもので、半年が経過し、もうそろそろ卒業の季節になる。幼い頃から待ち続けている白馬に乗った王子様は、いまだに現れない。

 二十歳も越え、こんな痛いことを言ってるのは葵くらいなもんだろうが、いつかきっと私の手を取って、『君を幸せにします。僕と一緒になってください』という素敵な申し出が来ることを待ち望んで......はや、ん十年。

「だからさ、そんなもんいないから! いい加減に諦めて次探そう!」

 久しぶりに会うゆかりはもうなんか、社会人の風格が出始めていた。

 そりゃそうだ。

 4年生にもなったら講義も無くなり、その間、アルバイトを入れて小銭稼ぎをしていたんだから、一足お先にそんなかんじになるのも、分かる。

「合コンでも行くか!」

 葵の背中を叩く。

「んー、いいや」

 葵はやんわりと断った。

 今日、大学に来たのは、残っていた提出書類を預けに行っただけなので、やることを終えた葵は、これまたさっさと帰宅しようとした。


 実はこの半年、何度となく霧吹に電話をしたりメールをしたりしたけれど、一回も返信は無かった。そもそも組の人たちの誰とも連絡がつかないことには、話にならない。

 美紀子さんもあれ以来会うことはない。住む世界が違うんだから、会うことなんかないんだけど。道端で出くわすってことがあってもおかしくないのに、そんなことすら無い。


「...やっぱり、お金で私を守ってただけなんだぁ」

 そりゃそうか。そうだよねぇ。

 赤パンツのママも、美紀子さんも、そっち寄りの人、私はこっちよりの人間なんだから、接点なんか無い。

「そんなようなこと言われたしな」

 なんか私一人だけ本気になってバカみたいと思う葵は、自分だけがやはり蚊帳の外にいて、相手にされていないと思うと悲しくて涙が出る。

 やっとそこに気付いた葵はなんとおつむの回転ののろいことか知れない。しかし、それが葵のいいところでもある。

「忘れよう」

 いいや、ゆかりの言ったように次に行こう!いない人のこと考えてても、仕方ない!

 心を入れ替えるか!深呼吸を一つ、青い空を見て、新しい空気を肺に入れた。







 霧吹はまた白いスーツを着ていた。

 そしてあいかわらずシャツは黒だ。

 成田空港に降り立った霧吹は、成田空港の『お味噌汁』の香りに癒されていた。

「やっぱよ、あれだな、それだな、これだよ。そうだよ、なぁ?」

 あいかわらずの指示詞で話す霧吹に、「そーっすね」と、合わせる次郎。

「日本は寒いな」

 次郎は霧吹の肩にミンクのコートをふわっさとかけた。白いスーツにグレーのミンクは、どんなに好意的に見ても、『そっちの人』にしか見えない。

 車寄せにはこれまた無駄に長いリムジン。乗り込む前にタバコを一服吹かし、長旅の疲れをほんの少しだけ癒した。

「いてててて」

 深呼吸するとまだ肋骨が痛むようだ。

「若、本当にお疲れさんでした」

 次郎が恭しく頭を下げた。


「ありがとね、将権」

 霧吹の背中をぽんと叩いた女性が一人。

「おお。いいってことよ」

 迎えに来ていた美紀子に笑顔で答える霧吹は、特段変わった様子もなかった。

「結構しんどい仕事だったんじゃないの?」

「いや、楽勝だったぞ」

「ふーん、そう、それならいいんだけど」

 美紀子は霧吹の胸の辺りを指で押す。

 ふんがっ! と、声にならない変な声が漏れた。

「ほら!」

 勝ち誇った顔には意地悪な笑顔が変わらずにある。

「若! 大丈夫ですか! 美紀子さん勘弁してくださいよ」

 霧吹を気遣いながら美紀子を目で睨む。

「はは、ごめんごめん。冗談冗談」

「将権」

 ずーこずーこと足を引きずって近づいてくる修が声を掛けた。

「おっせーな。ちんたらすんじゃねー」

「......」

 修の顔は、腫れまくり、帽子を目深に被っても隠しきれないでいた。いつも一緒にいる運転手が修の肩を抱き、寄り添うように歩く。よくみりゃ、霧吹の車の後ろにはこれまた無駄に長ったらしい白いリムジンが仲良く並んで停められていた。

「...悪かったな」

 気持ちしょげこんでいる。

「あ? ああ、おお、お前のおかげで俺はよ、肋骨を折って、足も折ったし、殴られて鼻もおかしくなり、しかも撃たれそうになって死ぬところだったってことは、言わねーでいてやるよ」

 汚い笑みを浮かべた。

「...」

 顔を上げずに帽子の上から頭を掻く修は、更にひどい目にあっていたことが分かる。

 松葉杖に包帯ぐーるぐるで体中が腫れまくっていた。

「ま、あれだ。お互いよ、こうやってまた故郷の地を踏めたんだから、それでいいんじゃねーのか」

 次郎に行くぞと合図する。

「これでチャラな」

 にっかり笑う霧吹は、修を愛でるように見た。家族愛だ。小刻みに頷く修は、肩の力が抜けたのか、美紀子と肩を並べ自分のリムジンに向かう。修は何日も放浪してやせ細った猫のようになっていた。ボロぞうきんだ。この言葉が今の修にはよく似合う。

 

 コロンビアの仕事に失敗し、いや、自意識過剰になって足下をすくわれた修はどうにもこうにも揃えられない金額を提示された。丁度頭の高さから地面に黒い染みがこびりついている壁の前で、自分が次にこうなるということを示唆された修は、頼りたくはない人物、霧吹に助けを求める電話をかけた。もちろん霧吹はすぐに日本を飛び出し助けに向かったが、助ける以前にそいつらをフルボッコにしてやろうと息巻いていた。


「そうだ、将権」

 美紀子が思い出したように霧吹を呼ぶ。

「金はねーぞ」

「何それ、違うわよ。あのさ、あの子?」

「どの子?」

「あれよ」

「誰」

「えーと、ほらあの」

「京香?」

「...」

「あざみ?」

「......怒」

「ああ、由香か」

「あのガキよ! 葵ちゃんだっけ? 大学生いたでしょ」

 おーおーと頷いて返事をする。

「うちにも何回か来てたみたいよ。若いのが言ってた。でも、言われた通りに出なかったし、相手にもしなかったって」

「そうか」

 素っ気なく言った霧吹だったが、心臓に住み着いている子猫が思い出したように小躍りし始めた。

「いいんじゃない? 案外あの子、いい感じに馴染むかもよ?」

「アホか。かたぎは...」

「犬山のお嬢さんでしょ? かたぎじゃないし」

 じゃね! っと最後に一言余計な言葉を置き土産に、修の車は一路東京へ向けてでっぱつした。


 「若...」

 車が首都高に入ったあたりで次郎が黙り込む霧吹に声をかけた。

「あ?」

 顎を突き出して返事するところは、さすがにあれだ。

「実はうちにも葵さん来たんすよ。何回も」

 霧吹はそれには何も言わない。

「まぁ、四郎が門前払い食らわせ続けて、もう今は来なくなりましたけど」

「そうか」

「...会いに行きますか?」

「いや、もういいだろ」

 会いたいと思う気持ちを心の奥に閉じ込めた。

 まず、葵は真面目すぎるし、それに一応かたぎだ。ヤクザ屋さんの女になるにはウブすぎるし、歳だって違いすぎる。葵の将来のことを考えると、霧吹は思い切った行動には出られなかった。

 子猫がうっとうしそうにその閉じ込められた心を蹴り飛ばした。

「葵さん、卒業しましたよ確か」

「そうか、で、あの野郎はどうした?」

「マグロ漁船ですか? あいつはなんかマグロ釣りが性に合ってるみたいで、まんま青森に居着いたってマクロさんから連絡入りました」

 「おお! じゃ、修が言ってたように、立派な『漢』になったんだな」

 良かった良かったと頷く霧吹は、でだ、もちろんいいマグロはこっちに入ってくんだろうな?


 営業も忘れなかった。


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