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18/21

音信不通

 夏も終わりになりそうな時、葵は自分がバイトをしていたことを思い出した。

 なんせ霧吹のところに来てからそろそろ1ヶ月が経とうとしていたが、その間は家賃もかからないし、食費がかかる事もなかった。知らないうちに家は解約され、葵の残された荷物はこれまた知らないうちに霧吹邸の空いている部屋に勝手に置かれていた。そして、知らないうちにバイト先は解雇されていて、更にそれを知らされたのはつい最近のことだ。解雇の手続きは犬山がやったことも、最近の新しい情報、さながらワッツニュー! で耳に入って来て、言葉を失ったのは言うまでもない。


 ここ数日、葵は霧吹のことを見ていなかったし、次郎にもあまり会うことがなかった。

 会っても挨拶程度でいそいそと出かけてしまうので、話を聞こうにも、聞くことが出来ない。

 組長も最近はどっぷりとゴルフ浸りで、千葉は長太郎カントリーに出稽古に出っぱなしだ。よって、この家には霧吹とその愉快な仲間達しか残っていない。しかしその霧吹もめっきり姿を現さないし、若い衆も何事もなかったかのように同じ毎日を過ごしていた。

 おかしい。

 一日一回以上は顔を合わすし、なんかしらの話をしていたのに、どういうわけか、いない。何を聞いてものらりくらりと話をあっちゃこっちゃへ流される。何かを隠しているとしか思えない葵は、もういい、じゃ、自分で調べる。と、対して推理のできない頭をフル活用することにした。



『スナック 赤パンツ』

 最悪なネーミングセンスにある意味脱帽。

『おわりました』

 と書かれた札を店のドアに掛けられているのを確認し、葵は胡散臭い顔でそれを触ってみる。ドアノブに手をかけて回してみるが、やはりカギが掛かっていた。裏手に回ってみたが、途中に置かれている植木鉢に遮られるかたちになった。夜になるまでどこかで時間を潰そうか、一回家に帰るか、もしかしたらもう霧吹は帰って来ているかもしれない。


 表からカギが開くような音が聞こえ、葵は急いで表に回った。

「はいよ、まぁそういうわけなら仕方ない。美紀子ちゃんにはこっちから言っとく」

 赤パンツのママの声と『美紀子ちゃん』という名前に足を止めた。

 その名前は聞いたことがあった。

「んじゃ頼むわ」

 霧吹の声だ。

 そうか、美紀子ちゃんて、美紀子さんのことだ。

 霧吹の前の奥さんだと、ようやく思い出した葵は表に出て行くことが出来なかった。

「でもあれだ将ちゃん、あの威勢のいいお嬢さんには何かしら言って行きなさいよ。じゃないとあれは探すわよきっと」

「それも頼むわ」

「あんたねぇ、何から何まで全てあたしかい? っとに昔から変わらないねぇ。ふふふ、まぁいいわ、いい、帰ってきたらまずはここに一番最初に顔を出すこと。忘れんじゃないわよ」

「分かってるよ」

 相変わらずぶっきらぼうな霧吹の声に、つっけんどんなママの声は心なしか寂しく聞こえた。

 そこへタイミングよく次郎が車をつけた。

「若、お迎えに」

 いつもよりも低い声の霧吹に戸惑いを覚えるも、いつもの車に乗り込み、次郎がママに頭を下げて車は滑るように進んで行った。

 どういうことなんだろうか。どこへ行くんだろう。美紀子さんに言うことって何? 疑問符を打つことは、まぁ、つきない。

 息を殺して気配を消す葵、ママはまだ店の中に入って行っていないようだ。植木鉢の横に立ってじーっと潜む。

「ほれ、野良猫! もういいよ、出できな」

 赤パンツのママは頭にカーラーを巻いたまま、どすっぴんで裏口に隠れている葵に声をかけた。が、葵は自分のことじゃないと思っていて、いまだじーーーーーっと潜み続けている。

「ほら、葵ちゃん、出てきなって」

 ママは顔を覗かせ、葵に一笑した。

「!!! え? 気付いてたんですか?」

「気付いてないのはあんただけ。あたしも将ちゃんもたぶん次郎だって気付いてたと思うよ」

「なぜ」

「だって」

 丸見えだった。確かに裏口なんだけど、植木の間から葵の姿はうっすら見えていた。

「次郎だってさっきあんたに頭下げてたじゃないか」

「あれはママさんにじゃ?」

「なわけないだろ。ここは昔からあいつらの家みたいなもんで、それこそ次郎なんておしめしてる頃からここにいるんだから」

 隠れていた植木鉢の横からゆっくり出て、おいでと手招きして店の中に入るママの後を、母猫を追う子猫のように着いて行った。


 「葵ちゃんを車ではねたのは将ちゃんだよ」

 タバコに火を付けて吸い込むママは開口一番こう言った。

「はい、それはもう知っています」

 盗み聞きするわけじゃなかったけど聞こえちゃったしと心で思う。

「あ、そう? 知ってた? じゃ話は早いよ。これでもう霧吹には用事が無くなったってわけだ」

「え」

「だってそうだろ? あんたのおじさんはあんたをストーキングする、変なバカを捕まえることを霧吹に五千万で依頼したんだから」

「五千万!!!」

「初耳だろ?」

 してやったりとにやつくママはタバコを灰皿で擦り潰し、二本目のタバコを手に取った。

「なんですかそれ」

「出所したばっかの将ちゃんに犬山が頼んだんだよ。あ、面倒くさいから先に言うけど、将ちゃんねぇ、パクられてたんだよ2年ほど。とある取引に失敗してね。ははは」

 笑い事じゃないことを笑って言うママに、口をあんぐりと開けてバカ面をこく葵は、出て来たばっかりって、そういうことだったんだぁと今更に気付いた。

「で、一ヶ月以内に見つけたらってーのと、そこにトッピングされたちょっとしたものを含んで、五千万。でだ、犯人はあんたのよく知ってるえーとなんだったかなぁ」

「誰なんです?」

 葵は思い出してむかっ腹をたてた。

「体育会系の...あれだ。虫?」

 虫って何?

「ああ! コオロギだ!」

 ぽんと手を打つ。

「...コオロギ君ですか?」

 びっくりして力が抜け、ソファーにもたれた。

「おっと、いけない、名前は言うなって言われてたんだけど、こりゃまいった。内緒ね。それでそのコオロギ? 今頃はまぐろの一本釣りに精を出してるころだと思うよ」

「マグロ???」

「そう。青森沖にマグロ漁船でどんぶらこっこよ」

 葵が何も言えないのをいいことにたたみかけた。

「だから、霧吹はお役ご免ってわけ。あんたをはねたのは1回目は運転担当の若い衆、2回目は次郎」

「えー! 次郎さん、私のことはねたんですか?」

 ソファーにもたれていた背を跳ね上げ、テーブルに腕をつき、ママに寄る。ママは眉根を寄せ、ソファーに背を深く預け葵から距離を置いた。

「そうだよ。だからもうあんたが知りたいことは全部知ったってわけだ。で、はい、さよならと」

「......まだあります」

 訝しげに顔をひねるママはタバコを揉み消し、三本目のタバコに手を伸ばす。

「ママさん、チェーンスモーカーなんですね」

 葵はひっきりなしに吸うタバコの数と、吸い方が尋常じゃないママの震える手元を見て言った。

「一日4箱までって決めてる。で?」

 気にもせずに火を付けた。

「あの、美紀子さんていうのは」

「将ちゃんの最初の奥さん。もう別れてるけど子供が一人いる。美紀子ちゃんは野兎の若と再婚してるよ」

 タバコを吸い込む前に一気に言い切って、ゆっくり煙りを吸う。

 野兎の若って???

「あの野兎の若っていうのはもしや」

 まさかね?


「修だよ」


 っはーーーーーーーーーーーーー???????


 目ん玉が飛び出そうになるのを必死で我慢した。心臓が口からこんにちはをしそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。

「だってだってだって、霧吹さんと修さんって昔から仲良くてなんか顔も似てるから兄弟かなんかかと思ってましたけどでも、その」

 しかも私に彼女になれとかどうのとか言ってたのに? 頭の中がぐじゃぐじゃの葵は、整理整頓ができなかった。

「だからさ、あいつらは高校生の頃から女でもめてんだよ。バカだろ?幼なじみでいっつも一緒にいてさ、服も髪型も一緒。トイレ行くのも一緒で女みたいにつるんでたんだよ。それが今じゃ若頭なんだから、世も末よ」

「そうじゃなくて」

 あ、そういえば次郎さんが前に言ってなかった? 美紀子さんは野兎組の誰かと一緒になってなんちゃらかんちゃらって言葉を濁していたような。

 

 美紀子は霧吹の嫁だった。その間には子供が一人いる。しかしその後、霧吹の華麗なる女遊びが原因で離婚。

 この辺じゃ一番のべっぴんさんだった美紀子は銀座のクラブのナンバー1だった。そんな女を堕としながらも、女遊びに精を出す霧吹にほとほと愛想がつき、ぶっちぎれた美紀子は復讐に打って出た。

 そう、霧吹と一緒になる前から、自分に同じように声を掛けてきていた修に焦点を当てたのだ。一枚も二枚も三枚も四枚も上手な美紀子はあれよあれよという間に、修とうまいこと行き、ここまで持ってきた。執着心のない霧吹だったが、修と一緒になられるのだけは断固拒否していた。

 「ぶち殺す! と言いながら、修と派手に喧嘩もしたさが、どうにもなんないだろ今更。美紀子もずーっと我慢してきたんだよ。あいつもいろいろ手を変え品を変えって、霧吹に仕掛けてたんだけど、振り向いてほしかったからね、でも暖簾に腕押し、ぬかに釘。で、あるときぷっちーーーーんて来ちゃったんだろうねぇ」

 ママはタバコをゆっくり肺に吸い込み、鼻から煙を出した。昔を思い出しながら懐かしそうに目を閉じた。

「将ちゃんがここ一番の大事な取引の日にぶつけて、入籍したんだよ」

「それで霧吹さんは」

「今までそんなことで動揺するような男じゃなかったんだけどね、子供の義理の父親になるのが修ってのが一番ネックだったらしい。人一倍気を張って、細かい所に目をつけて、何も見逃さないのが将ちゃんのいいところなんだけど、それで今までも何回も警察から逃げてこられたからねぇ。あんまり良くはない話だけどね、それもあのときばかりは鼻が利かなかったんだね」

 で、あっさりとパクられた霧吹はそのままぶち込まれたというわけだ。

 ま、あいつの為を思ったら2年間あの二人に会うこともなく、考える時間が持てたってことはいい方向に向かったってことで、あいつも出て来た時には考え方も変わってたってわけだよ。

 そんなことがあったんだ。ん?

 おかしくないか?

「えっと、その、刑務所に入ってたのはこの前ですよね?」

 って、でも離婚したのはもうずっと前の話で?

「離婚したのはずっと前だよ。修との結婚の話が出始めたのは今から3,4年前くらいかなぁ。だからそれからまたバカみたいな子供の喧嘩が始まった。美紀子もほれ、気が強いからね、引かない性格だろ?むしろあいつはハッパをかけるほうだから」

 確かに美紀子さんに一回会った時に感じたことは、あまり性格はヨロシクなさそうなことだった。


 へー。ってことは何年後越しにも渡ってそんなことをやってんだ。

 なんともまぁ、根深い確執。

「で、修も悪いことをしたとさすがに感じたのかさ、金をたんまり張って霧吹を2年で出したんだよ。あ、これも将ちゃんには内緒にしてね」

 口が軽すぎるママは、葵に、根も葉も茎まである重要な秘密をいとも簡単に話した。

「だからさ、葵ちゃん」

 葵の手に自分の冷たい手を被せた。

「将ちゃんのことは諦めてさ、ちゃんとした人を好きになりなよ」

 それが一番いいことよ。と念を押した。

 葵はその手を弾くようにどかす。

「霧吹さんは美紀子さんのことを今でも?」

「いや、あれは薄情だからねぇ。将太が心配なだけだよ。あんなんでも一応人の親だからね」

「じゃぁ、諦める必要なんて無いですよね」

「葵ちゃんさ、あれのどこがいいの?」

「分かりません」

「はー、それが一番痛いんだよね。あれは遊び人だし、自分のことしか考えてないから、一緒になっても幸せにはなれないと思うよ」

「でも、心の奥にある本当の部分は人を思う優しい人ですから!」

「へぇ、それ、分かるの? ふーん」

 面白そうに笑うと、タバコに手を伸ばした。

 確かにママの言うことも一理ある。


 走り出したら止まらない、土曜の夜の天使だ。唸る直感は闇夜を裂き、朝まで全開でアクセルオンだ。そんなもんだ。


 一度走った心はどうにもこうにも止めることは出来ない。


「霧吹さんはどこに行ったんですか?」

「それはいくらあたしでも言えないよ」

 吸い切ったタバコの箱をくしゃりと潰し、新しいタバコを取りに席を立つ。

「もう、帰りな」

 これ以上は何も教えてくれないんだ。そう感じた葵はお礼だけ言って、店の外に出た。

 残暑厳しい折だ。蝉の声がうっとうしく耳にこびりついた。



 犬山の叔父さんに電話をしたが、直留守になった。

 そこで、あまり乗り気では無かったが、野兎組に電話をしようとしたが、電話番号は知らないことに気付き、葵は気がつけば電車に乗って、場末の町『蒲田』へと向かっていた。

 しがないビルの中にその事務所があったはずだ。その道程は覚えていないけれど、その辺に看板かなんかが出ているだろうと、気楽に考えて行った葵は、目的地を探せないことになる。

「看板無いんだぁ」

 はぁぁぁぁっと溜息を地面に送る。

 そりゃそうだ。どこの世界に、【ほにゃららヤクザの事務所、この先左へ曲がってすぐ】といったような案内板が出ているか。そんなものは聞いたことが無い。つたない記憶をたどってふらふらと彷徨い続けること数時間、見覚えのある白いリムジンが目の前を流れるように通り過ぎた。

「あ!あれって」

 確か大学の前で見たことがある。修さんの車だ。こんなところにこんだけ目立つ車はきっと野兎組のものに違いない。

 そう直感した葵は、地面を蹴っていた。見失わないように無我夢中で走った。

 やっぱりそうだ。見慣れたビルの下で車が止まった。そこでまた、見慣れた運転手が後部座席のドアを開けた。車の中から降りてきたのは、白いハイヒールをはいた人。

 葵は走るのをやめた。

 優雅に立ち上がったその人は、栗色の髪を上品に巻いていて、黒いサングラスをかけていた。葵がいるのを知っていたかのように振り返り、にこりと微笑む口元は、意地悪だ。

 美紀子さんは『こっちにきなさいよ』と手招きした。

 葵は、それが自分に向けられたものだと分かると、言われる通りに着いて行った。

「で、何か用事?」

 ミルクを出されるあたり、完全にお子様扱いをされている。

「あ、クッキーかなんか欲しい?」

 子供扱いは続行しているようだ。

「いえ、いいですから」

 謙虚に断ったものの、組の若い衆がお皿にこんもり乗っけて持って来たのは、『ミスター伊藤野のバタークッキー』だ。

 葵は無理して手を付けず、美紀子の言葉を待った。

「何よ?」

 言わせようとするあたり、本当に意地悪だ。

「あの、霧吹さんのことなんですけど」

「あぁ。ははは、あんたじゃ無理だよ。まぁ、そうね、隠しても仕方ないから言うけど将権あと1年半くらいはこっち帰ってこないんじゃないかなぁ」

「1年半? 帰って来ない?」

「あーあのさ、私このあと予定入ってるからこっちからあんたが聞きたそうなことざっと言うわね。それでいい?」

 こくこく頷く葵は、こんなに簡単に言ってくれるなんて思ってもいなかった。

「うちの旦那が今コロンビアにいるんだけどね、ちょーっと問題あってさぁ、将権に助けてーって連絡入れたらしいの。ははは、でさ、ほら、ああ見えてかなり面倒見いいからね、しかも自分の弟のように思ってた奴だから、いても立ってもいられなかったんでしょうねぇ」

 しゅぽっと細い葉巻に火をつけた。

「でも嫌いなんじゃ」

「ううん違う違う、修が、あ、修って私の旦那なんだけど、会ったことあるよね?」

 意味深な笑いを向けた。

「修がさ、昔のことをいつまでも根に持ってうだうだやってんのを、将権が軽くいなしてたってわけ。きゃんきゃん吠える子犬相手に本気になっても仕方ないでしょ? ま、私も将権にはいろいろ振り回されたし、迷惑被ってきたんだから、少しくらい痛い目みせようと思ったんだけどね」

 なんでそんな人と再婚したんですか?

 と、直球を投げた葵に、それは大人の事情ってやつよ。

 あんたもあと10年もしたりゃ分かるようになる。と、煙に巻かれた。

「だから、あんたあと1年で卒業なんだって?だったら、さっさと卒業して自分の人生歩いた方がいいってこと。わかった?」

「わかりません!」

「っとに本当に面倒くさいわね。その感情は気のせいよ」

 何、気のせいって?

「自分が危ない目に合いそうになった時にたまたま助けてくれた将権に、あ、いいかもって気持ちが揺らいだだけにすぎないの。ほら、あんなのって滅多にいないくらいのバカでしょ?珍しかっただけよ」

 葉巻を揉み消し、席を立つ。

「そういうわけだから」

 私の気持ちは無視で、どどーっと話を進められてる気がする。確かに、霧吹さんとは何があったってわけでもないけど、

「一目惚れだもん」

「は?」

 あ! 心の声の最後の部分、一番重要な部分が、ついうっかり漏れた。

 口を押さえたけど、時既に遅し。

 うっかり八平だ。

「何その子供みたいな言い方」

「すいません」

「ああ、そう」

 大きく頷く美紀子さんは、にったらにったらと笑みを讃え、その口からは、野兎組長にも負けないくらいの二枚舌がべろんべろんと覗いていた。ように見えて仕方ない。

「だからかぁ。ふーん」

 美紀子はテーブルの上におしりを乗っけ、これまた綺麗なお顔を葵の顔の前にデンと出した。

「ぶっさいくな顔」


 ・・・・・・!


「知ってますけど! そんなはっきり言うことないじゃないですか!」

 顔を覆って背もたれに避難した。

「あんたさ、将権とは上手く行かないって分かってんでしょ?」

「......なんとなくは、たぶん」

「赤パンツのママにも言われたと思うけどさ」

「なんでそれを」

「ママは私のママでもあるんだからなんでも筒抜けなの」

 よく分からないけど、聞いたところでまた煙に巻かれるのが落ちだから、聞かない。

 目の前にいる綺麗な女性は、優しく微笑んではいるけれど、そのお口からはやっぱり二枚舌がベロリンってしてた。


「ま、1年半いない間にさ、いろいろ考えなよ。どの選択があんたに一番ふさわしいかって分かると思うけど」

「今から帰れば会えますよね?」

 まだ家にいるはず。

「無理じゃない、もう成田へ向けて行っちゃった」

「修さんは」

「こっちの仕事に素人が口挟むんじゃないよ」

 葵の頬をびろーんと引っ張る美紀子は、いじめっ子の顔になっていた。痛い痛い! と手を払いのけると、若い衆に送ってってと命じた。

「別に将権が誰とどうこうなろうともう関係ない。私は修とうまくやっている。でもね、葵ちゃん、きっと後悔するよ」

 暗い一言を言い残し、美紀子はさっさと事務所の奥に消えて行った。しかし、それが本心なんだか嘘なんだかは、その二枚舌から汲み取るのは難しかった。


  葵は野兎組の軽自動車に荷物のように積まれ、霧吹邸に運ばれた。

 到着すると、挨拶もそこそこに車は走り去り、家に入るとそこには三郎が待ち構えていた。

「おかえりやっしゃい」

「どうも」

 何も言ってくれなかったこの家の若い衆に敵意を覚えるが、居候の身だった自分にそんな権利は無い。

「葵さん、帰って来てすぐにで申し訳ないんですけど、荷物まとめてもらえやしませんか?」

「荷物まとめるって?」

 どういうこと?

 三郎曰く、もう既に問題は解決したんだから、ここに葵がいる必要性は無くなったということだ。

 従って、ここを出て、以前のように一人で生活をしてもらいたいという、有り難くない申し出だった。

 本日3度目のげんこつを食らった気分の葵は、肩をどーーーーーんと落とし、力なく「はい」と言うと、のろのろと靴を脱いで家に上がった。

 霧吹の部屋の障子はぴしゃりと閉められ、その中からはなんの音も聞こえなかった。

 廊下を抜け、左手に見える『さながら日本庭園』を横目に、カッポーン・カッポーンと今だ等間隔にたなびくししおどしを耳に聞き、最初にここで目覚めた時のことを思い出した。最初は次郎がすーーーーっと襖の間から顔を覗かせたたんだったが、その怖いお顔は忘れもしない。

「はぁぁぁぁぁぁぁ」

 溜息を何発かかましながら、スーツケースに持って来た荷物を押し込める。ボストンバッグにもその他を詰めて、襖を...

「お持ちしやす」

 外で待機していた三郎が葵のスーツケースを重そうに引きずる。

 霧吹は軽々と持ち上げてたなぁと、三郎のずんぐりむっくりな後ろ姿を恨めしそうに睨む。

 三郎は知ってかしらずか身震いし、スーツケースとボストンバッグを足早に車に積んだ。

「あ、あの。組長さんに挨拶を」

「あ、いいっす。組長は今修行中の身ですから?」

「なんの修行ですか?」

 眉間に皺が寄る。修行ってもしや、拳銃の撃ち方とか、もしかして人の殺め方とか???

 おぞましい考えに背骨が震えた。

「パターの修行っすね」

 あぁそうですかー

 やる気を無くした葵は、もうどうでもいいからさっさと出ようと心のスイッチを入れ替えた。

 どうせここにいても霧吹には会えないし、そもそも、そんなに長くいなくなるのに挨拶の一つも無しにコロンビアくんだりに向かってしまった霧吹は、葵のことなどなんとも思っていないし、ただの五千万の相手としか考えていなかったんじゃないかとすら考えてしまう。

 それを言うのはあまりにも忍びないから、ママも美紀子さんもお茶を濁したのではないのか。

 変な勘ぐりを入れて、どんどん深みにはまる葵は、今どこを通っているのかすら分からなかった。


「葵さん到着しました」

 その声に顔を上げた葵は、とあるアパートの前にいることに気付く。

「何ここ?」

 知らない家ですけれども?

「あ、今日から葵さんここに住んでください」

 なにそれ? 聞いてないし。

「犬山のおやっさん承知済みっすから安心して下さい。ここはセキュリティーもしっかりしてますし、あのクソ野郎ももう来ませんから」

 ...あぁ、あの、クソ野郎ね...

 車から降りてアパートを見上げる。

『アパート白山』会

「アパートしろやま?」

 名前はなんかいいかんじ。

 葵はうっすらと口元を上げた。

「いや、違いますね。アパートハクザンカイっすね」

「ハクザンカイ? 会がどこにあるわけ?」

「ほら、アパートの看板の外に申し訳程度に一文字出てますでしょ?」

 指さした三郎の人指し指には、きんきらきんに輝くゴールドの指輪がこれでもかと光を輝かせていた。よく見れば、確かに生き別れした『会』が、寄り添うかたちでマジックで書かれている。

「ってことは」

「はい、うちの分家の」

「はい、分かりましたぁ!」

 全部まで聞かなくても分かった。なぜか嬉しくなった葵は半笑いのまま三郎に部屋まで案内された。だって、ここに住まわせてくれるってことは、まだ霧吹一同と繋がっていられてるってことだ。だからここで何かあったらすぐに、ここの人たちが出て来てくれるってわけだ。と、葵はそんなうっすらと心地よい思いに酔いしれていた。

「ここっす」

 二階のど真ん中の部屋。

 普通、角部屋とか用意するもんじゃないの?

 小首を傾げるも、中に入るともう一人、見知らぬ誰かがいた。

「あ、どうも四郎です」

「四郎はセキュリティー担当なんで、あんま表には出ないんすよ」

 三郎がさりげなく紹介した。

「ここは盗聴器のような類のものは一切ないですね。コンセントも確認しましたし、異常無いです。葵さんが持ってる携帯は若のですから、引き続きそれを使ってください。ということですので」

 ぺこりと頭を下げた四郎の口から出た、『若』という言葉を久しぶりに聞いた気がする葵は、懐かしさがこみ上げてきた。

「なんかあったら両隣や下の部屋、はたまた隣の隣でもいいですから言ってください」

 なぜ隣?

「ここ、下っ端の若いもんが寝泊まりしているとこっすから」

 三郎が一言でまとめた。葵は顔面から血の気が引いた。

 友達は呼べないな。うん。

 今日はげんこつが何発も落とされる日だ。一日ですっごいいろんな動きがあった。けっこう疲れた葵は、用意してくれた家具一式の物色は後回しにし、懐かしい自分のベッドで一眠りすることにした。


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