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酒癖とは自分では気付かないことである


 ぐーーーーーきゅるるるるるるうぃーーーーっしゅ......きゅっと

長細い車内に響く異音に、葵は咄嗟にお腹を抑え、イチゴのように赤くなって下を向いた。

 霧吹はそんな葵を見ると、「腹減った?」と、何事もなかったかのように聞く。頷く葵は恥ずかしくてまともに霧吹の顔が見れなかった。

「次郎、小町へ行け」

 車内に置かれた電話で運転席に命令し、車は目的地を『家』から『小町』へ変えた。

「小町ってなんですか?」

 お腹を抑えたまま聞く葵に、「メシ屋」と、当たり前のことを言う霧吹。だから、どんなところなのかっていうのに、本人はそんなことはお構いなしだ。

「ほら」

 空きっ腹にスパークリングを差し出す霧吹は、腹が減ったならひとまずは飲んどけってところか。きっと彼は空きっ腹に酒を入れてもなんてことない、強靱な胃袋の持ち主なのだろうが、葵はそうはいかなかった。

 差し出されたグラスに霧吹が強引にグラスをぶつける。

 一人乾杯だ。

 乾杯されたら全部飲まなきゃいけないといった韓国や中国の習慣のように、霧吹は一気に飲み干すと葵にもそれを求めた。しかたなく葵は手渡されたスパークリングを一口だけ口をつけた。

「お前はしきたりってーのを分かってねーなタコ」

 タコじゃないしね。

「乾杯されたら一気に飲む。これが基本だ」

 今では一気飲みの強制はいけないことだって言われているんですけれども? しかしそんな常識がこの男に通じるわけもない。

 えーい! こうなりゃ飲んでやる! 飲まなきゃやってられん!

 葵はグラスの中身を一気に飲み干した。

 どうだこの野郎!

 修に言われたことと言い、コオロギの出現といい、見つからない変な奴のことといい、飲まなきゃやってられなかった。既に葵以外はみんな犯人がコオロギだということに気付いているのだが、おめでたい葵は『まさかクラスメイトのコオロギ君が』という頭にしかならなかった。

「おかわり」

 グラスを差し出す葵に、いいね~とばかりになみなみと注ぐ霧吹。二人で乾杯をすると、どちらからともなく一気に飲み干す。

 運転席から後ろの二人を注意深く覗う次郎は不安で心が一杯だった。

 さすがに空きっ腹に酒は回るのが早い。葵はルンルン気分になり、ピッチは進み、オープンな性格になりそうだった。

 霧吹は霧吹で、淡々と飲み続けていた。


「で、霧吹さん!」

 人指し指で霧吹を指す葵。

「てめー殺すぞ」

 その人指し指をペシンと払う霧吹。

「で、霧吹さん!」

 手のひらを見せて同じことを言う。

「霧吹さんには彼女はいないんですか?」

 葵は酒の力を最大限に借りることにした。

「あ? つい最近出て来たばっかでそんなもんがいるかよ」

「出て来た?」

「そうだよ、出て来たばっかだからな」

「...お帰りなさい」

「...」

 頭を下げる葵に目で殺しにかかる霧吹は、少しだけぐっと抑えた。

「じゃーーーー、」

 葵は霧吹の手を取ってしっかりと両手で包み込んだ。

「私と付き合いましょうよ!」

 叫んだ葵の声に運転席で聞いていた次郎がびっくりして急ブレーキをかけた。その拍子に葵が霧吹の懐へ飛ばされる。霧吹はなんとか踏ん張り、葵を支え、運転席にスナイパーの眼光を向けた。

「おいこるぁ!」

「すいません!」

 頭を下げる次郎は即座に車を滑らかに発進させた。

「大丈夫か」

 霧吹は自分の懐で小さくなる葵に声をかけた。

「大丈夫です! 飲みが足りませんね!」

 酔っ払って、既に出来上がっている葵は先ほど自分が言った言葉を忘れ、ソファーに転がったグラスを霧吹に差し出し、「飲みましょう」と煽った。こいつに酒を飲ませるとろくな事が起きないと悟った霧吹は、分からないようにジンジャーエールを飲ませることにした。

 そんなジュースを酒だと勘違いしてグビグビ飲みまくる葵に、こいつはもしかしたら飲ませてはいけない人の類に入るのかも知れない。と、うっすらと思う霧吹は、密かに酒を隠した。




 小町にはどういうわけか修がいた。

 そりゃそうだ、ここは修の親父さんである将修の持ち物だ。いつも何かしらの話がある時はかならずここに来るのが定番になっている。

「修さん!」

 酔っ払った葵は常時ハイテンションだ。

 ハイタッチを求められた修はテンションの高すぎる葵を、不思議なモノを見る目で見て、ハイタッチに答えた。

 その後ろにいる霧吹に目を向け、『なにこれ?』と先にスタスタと歩く葵の背中を指さした。

「酒は飲ませるなってとこだな」

「大学からここまで、そんな距離じゃねーだろう?」

「空きっ腹に入れたからだなきっと。あれはドラ猫だ」

「手ー出すなよ」

 霧吹の腹辺りをぐいっと人指し指で押す修の手を、霧吹は払いのけた。

「近いうちに手は出す」

 普通そうは言わないだろということを霧吹はサラリと言ってのけた。

 面食らった修をその場に残し、次郎と葵の後を追う霧吹は面倒くさそうに首を横にカキカキやった。

  その後ろを何食わぬ顔をして着いて行く修。

 座敷では葵が酒を入れろとコップを次郎に突きだして、くだを巻いている。

「あぁ...葵ちゃんて酒入るとあんなかんじなんだ」

 修は残念な顔を惜しげもなく披露した。

 酒癖の悪い女をことごとく嫌う修は、霧吹のお気に入りである(はずの)葵のことを奪い取るというミッションに大いに力を注ぐつもりでいたが、気持ちが変わったようだ。

「将権、気が変わった」

「あ?」

「葵ちゃんと一緒になんなよ。そうしたら今までのことは水に流すし、この島の争い事にも終止符を打つ。高校の時のあの事件はチャラにしてやるよ」

「なんだよあの事件て。結局よく分からねーへっぽこ男に取られたんだから、俺の責任はねーんだよほんとはな。お前の女々しい勘違いだ」

「俺が一席設けてうやろうか?」

 修は霧吹の言ったことは、完全無視だ。

「お前は俺の話聞いたか?」

「ひとまずだ。葵ちゃんの見えない追っかけの犯人は俺が掴んだ」

 修は霧吹が好むネタを少しだけリークすることにした。

「誰だよ」

 コオロギだってことはもう分かったが、こいつに五千万のことだけは言えない。

 しかし、犯人は誰だか分からないふりをして、修がどこまで情報を握っているのかを探らなければならない。

 しかしこの男はただでそれを出すとは到底考えられない。

「葵ちゃんと一緒になるんなら、教える」

 なんだそれは。

「だからなんでこいつと一緒にならないといけねーんだ?」

 ほら。顎で示した場所を見る霧吹は、肩で大きく脱力した。そこには葵がテーブルに足を乗っけ、次郎にぐるんぐるんに絡んでいる姿があった。

 次郎は酒癖の悪い葵の行動に、これ以上酒を飲ませたらヤバイということを察し、懐にビール瓶を抱え、それを奪おうとする葵の腕を必死にかわしていた。

 葵さんやめてくださいよ! それ以上飲んだらきっとしらふになった時後悔しますって!

 もっともなことを言う次郎に、なんでそんな意地悪をー!と必死にビール瓶を奪おうとする葵。

 次郎は霧吹一人でも大変なのに、こんなに酒癖の悪い葵にいいようにからまれ、その気苦労は計り知れない。

「あんな清純そうな子なのに、酒が入るとこれだよ。ははは将権が一緒になったらきっと振り回される。いつもは君が女を振り回す方だけど、これと一緒になったらきっと将権は困るだろう?」

 頷く霧吹に、「だから、それが見てみたい」

 爽やかな初夏の朝の空気のように綺麗に笑う修の顔には、完全なる悪意が宿っていた。

「俺だって願い下げだぞ、これは」

 葵の部屋への侵入未遂で次郎に見つかったこと、スナック赤パンツでどうやったらモノにできるのかを相談した霧吹は、そんなことをしなくてもよかったと、ここで後悔した。

「で、犯人は誰なんだよ」

 知ってるけどな。ということは伏せた。

「だからそれは教えないよ」

「なんでだよ」

「俺が直接葵ちゃんに言う」

 それをされたら俺に五千万が入らねーじゃねーか!と心で舌打ちする霧吹。

「それからもう一つ」

 修は髪をかき上げ、スーツのジャケットの着崩れを正す。

「葵ちゃんを2回もはねた犯人が、お前だってことも言う」


 クソが。切り札を掴んでるのは修だ。

 霧吹は修同様にあからさまな顔を表に出した。


 忘れていたが、犯人捜しは二つある。

 一つは見えない例の男。

 これは既に霧吹も目を付けているコオロギで間違いないが、霧吹にはその証拠が無かった。しかしこれは修が証拠を握っていると言って間違いない。

 もう一つは、葵をはねた犯人だ。

 こっちも見つけると犬山のおやっさんが大見栄切って葵に約束してしまった。葵はこの二つの犯人を見つけ出すことを切に願っていた。

 そして、犬山のおやっさんはこっちの見えない男こと、例の男を見つけ出したらその報奨金として五千万を出すと言っている。

 子供の頃に両親をほにゃららした葵のことを面倒みるようになり、結婚もしていないし子供もいない犬山は、自分の娘のように葵を字のごとく、猫かわいがりしていた。それこそ、目の中に入れても痛くないほどだ。本当は痛いはずだが。

 例の男をあぶり出し、五千万と引き替えに犬山のおやっさんの前に差し出す。その後どうなろうと知ったこっちゃねー。起きたら川崎港沖か、はたまた多摩川河川敷のブルーシートハウスの中か、いやはや樹海の真ん中か。

 どっちにしろ目覚めがいいとは言えない道を歩むことになるだろう。仮に、修に先を越されたら...

 こいつは冷酷な男だから自ら進んでそれをやってのけると言うだろう。

 そうすると、どんなに前向きに考えても面倒くさいことになる。

 ここはひとまずこいつの話に乗るふりをして、機会を見てひっくり返すしかなさそうだ。

「よし分かった。その話に乗ろう」

 将権は適当に答えた。

「将権、君の性格はすっごい良く知ってるって分かってる?」

 先を読む修は霧吹に意地悪な視線を向ける。

「まずは」

「ちょっと待て! まずはキスをしろとか、そういう恋愛ものにあるやつはやめろよ」

「そんなことしない」

「じゃ、なんだ?」

「あれを」

 既に修の中では葵は『あれ』呼ばわりだ。

「あれを」霧吹が繰り返した。

 霧吹の耳元で囁く修は、勝ち誇っていた。

「おい、なんでそれをお前は」

「それができなかったら、三千万は僕に入るってわけだ」

 えへらえへらとにたつく顔は、あまり上品ではない。

「それまで知ってんのかよ!」

「当然だよ。犬山さんのことはこっちにも筒抜け」

 ほんとに抜け目のない奴だった。

「でも僕も時間がたくさんあるわけじゃない」

「マカオのカジノの件か?」

「将権の頭には酒とギャンブルと女のことしかないね」

「それが男ってもんだろぉが」

 男の定義をそこに持って来ちゃうあたり、誠に遺憾なことだ。

「コロンビアでね、白い(放送禁止用語)の取引があるんだよ。それに行かなければならない」

 あぁ、そうだった。このコロンビア野郎はコロンビアとの取引をここ何年かずっとしていて、日本人では修意外はそのパイプが取れないことでも有名な話として流れてきていた。ことを、今更思い出した。

「とっとと飛べよ」

「そうは行かない。これを見届けたら行くよ。その前に君がまた『箱入り』にならないともわからないしね」

「クソ野郎が」

 霧吹は修を睨み、特大の舌打ちをかますと座敷へ入って行った。

 修は携帯を出し、どこかへ連絡した。


「次郎、そのドラ猫を連れて帰るぞ」

 メシもそこそこに霧吹は葵を顎で指し示す。

「でもまだ料理が」

「タッパーに詰めてもらえ」

「タッパーっすか」

 もっとましな言い方が無かったものかと考える次郎の一瞬の隙をついて、酔っ払い葵がビール瓶を奪った。

「だから!」

 次郎はそれを新幹線「のぞみ」が突っ走る勢いで一瞬で奪い返す。

「こいつは飲ませるとどうしようもないな」

 霧吹は更に気に入った! とばかりに葵を目で追い、しかし、いやらしく口元を緩める。

 霧吹ご一行は食事もそこそこに、酒を飲ませろと暴れるじゃじゃ馬をなだめすかし、それでも暴れる問題児を霧吹は「こんちきしょうめ!」と肩にかつぐ。短いワンピースの為、相変わらずの白いパンツがちらちら見える。

 と、そこで葵から『お酒の神様』が飽きたとばかりに、抜け去って行った。正気に戻りつつある葵は自分がどうなっているのか、頭で理解するのに時間を要した。

 気付くと目の前に次郎の顔。

 次郎は葵を睨み、難しい顔をしている。なんでそんな顔をしているのか葵は不思議でたまらなかった。

 自分が米俵のように担がれているのが分かったのは、白いものがちらちらと視界に入ったからだ。

 霧吹のお下品な白いスーツの背中部分が目に入る。

 恐る恐る右を向くと、霧吹の後頭部辺りが斜め後ろに見え...

「何してるんですか! 霧吹さん! 下ろしてくださいよ!」

 おしりを隠そうと手を後ろに回......

 ペシン!!

 ケツを叩かれた感触。

「うるせー! この小童こわっぱが!」

 こわっぱ???

 ペシン!!! ペシン!!!

 今度は2回ほどケツを叩かれた。

「ちょ!!!!」

 真っ赤になり涙目になる葵は、次郎に訴えるが、次郎は首を横に振り、助け船は出してくれなかった。右手に持っているビール瓶を葵の前に突きだし、再度首を振る。

 葵はうっすらと、次郎にクダを撒いていた自分を、本当にうっすらとだが思い出す事に成功した。

下ろしてもらおうと足をじたばたさせる葵のケツに更にペシン! と一発入る。

「酔っ払いは黙ってろ!」

 一喝され、うなだれる葵。

「あれ?葵ちゃん、パンツ見えてるよ」

 知った声が葵の耳に届く。

 がばっと顔を上げると次郎の横に修の顔。

「白いパンツ丸見え」

 パンツー丸見え! と手でやる修は、笑いをこらえていた。

「・・・・!!!!」

 何も言えない葵はかろうじて自由の利く左手でワンピースの裾を引っ張った。唇を噛みしめ、辱めにこらえる葵はただただ早くここから出して欲しかった。


「そんでだ、あいつは連れこんだか?」

「はい、仰せの通りに」

「よし、じゃ今から行く」

 電話を切った修はそこに将修がいることに気付いた。


「なんだ、親父かよ」びっくりさせんじゃないよと胸を撫で下ろす。

「修、うまくまとまりそうかね?」

 今日は黄色いスーツを着ている将修のそのセンスには、ピカソもびっくりだ。

「俺が行ってんだから、今回も無事にこなす」

「心強い心強い。でもあれだ、あのお嬢さんには」

「酒乱には興味ねーから大丈夫だよ。でもあれだ。将権がぶち込まれたのは半分は俺の責任でもあるから、あいつは片付ける」

 同じ言葉を使うあたり、やはり親子だ。

「あぁ、あのマッチョ君か? 柔らかめ、ミディアムで処理しろ」

「ああ。あいつの行き着くところはもう決めてある」

 にやりと笑う修は将修そっくりの顔をしていた。


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