Ⅱ 初仕事Ⅱ
「それで?…疲れ果てて、このざまか」
低くも心配そうな声は、仮面騎士団第二部隊 隊長 シルバだ。
夜になり、仕事を終えたシルバはファームへと足を運んでいた。
彼は仮面騎士団の制服の象徴である仮面と青いマントを外し、テーブルを挟んだ向かい側に座るクロムへと声を掛ける。
「…そんなこと言ってるけど、シルバはココネを心配して此処に来たんだよね」
「ふん、異世界人がどれくらい働けるのか、見定めに来たまでだ。」
そうは言いつつも、シルバの視線は自然とベンチへと向けられる。
そこには倒れ込んだままの形で横たわり、寝息を立てる心音の姿があった。
──クロムに生まれたばかりのグリフォンの世話を頼まれた心音は、ファイに世話の仕方を教えてもらい、昼からせっせと働いていた。 餌の用意やあげ方、ブラッシングや翼を広げ空を飛ぶ練習。
他にも幾つかやることがあり、育てるというのは大変なことだと心音は改めて実感していた。そんな風に一日中動きっぱなしだった心音は、睡魔に勝てず、シルバが来る前に眠ってしまったのだった。
そんな彼女に掛けられた青い布は、勿論シルバの青いマントだ。
(隊長の仕事だって大変なはず…。そんな人が休みもせずに此処に来るなんて、心配してるとしか考えられないけど)
素直ではないシルバを見て、それが彼だと苦笑したクロムはベンチの側からまったく離れようとしないグリフォンを見つめた。
「ココネは凄いよ。知らない世界で働くことになって、不安そうな顔をするときもあるけど…弱音は吐かない。彼女、頑張ってるよ」
「そうか…」
クロムの言葉にフッと表情を緩めたシルバは、結った銀髪を揺らし、テーブルに置かれたグラスを煽った。
そんなシルバの表情をあまり見たことのなかったクロムは驚きに一瞬目を見張るも、すぐに表情を戻すとグラスに口をつけた。
「キュー…キュー?」
その時グリフォンがベンチで眠る心音を心配そうに見つめ鳴き声を上げた。
クロムはグリフォンに近づくと、その頭を撫でる。
「平気だよ。ココネは疲れて寝ているだけだから…。お前もお休み…?」
「キュー…」
撫でられ、気持ちよさそうに目を細めたグリフォンは心音の眠るベンチにより近づき腰を下ろすと、スヤスヤと眠り始めた。
「…流石に手慣れているな」
「ん…此処にいて、長いから」
意味深に言ったクロムの言葉にシルバは、まずい話題を振ってしまったと顔をしかめる。そして違う話題を持ちかけようと胸元から何かを取り出した。
「そういえば…これ、頼まれていた物だ」
コツンと音を立て、何かをテーブルの上に置く。それを近寄って来たクロムが手に取る。
「あ…職業認定証?」
銀のチェーンに透き通った青色の宝石のトップがついたネックレス。
宝石の中には金色に輝く不思議な模様が描かれていた。
──職業認定証 通称「ファスタル」と呼ばれるそれは、商業国であるファスティアス特有の身分証のようなものだ。
例えば「パン屋で働く」となった場合、王国に重要事項を書き記した書類を提出する。
そこで不備が無い者には職業認定証が渡され、正式に国に認められることになる。
そうなった場合、その者は国から監視されることはなく、賊などに襲われた際は国から騎士団が派遣されるなど生涯、安泰な生活が約束される。
簡単に言えば、国に文句を言われることなく、自分の好きなように仕事が出来るということだ。
しかし国に提出した書類に不備があり、就職認定証を貰えなかった者は働けるものの、国はその者の全てを管理することになる。
それは自分のやりたい仕事が出来ず、ただただ国のために働かされることになるのだ。
ならば国に書類を提出しなければいい。と思うところだが、この国は年齢七歳以上の者は働かなければならないと義務づけられている。
その為、どの家庭にも子供が七歳を迎えると書類を提出するようにという、別名「悪魔の宣告」と呼ばれる手紙が届くのだ。
心音の場合、その手紙が届く事はないが異世界人のため、国に存在を知られることはいいとしても、彼女の生い立ちやら何もかもを国に知られるのは心音にとって不愉快なことだろうとクロムは考えた。
そこで国の犬…とは言い過ぎだが騎士団のしかも隊長であるシルバに、何とかファスタルを手に入れられないかと相談していたのだ。
それに賛成だったシルバは、“隊長推薦”というものを使った。
国の王は勿論のこと大臣達からも絶大な信頼を受ける騎士団で、しかも仮面騎士団とは王室直属の部隊。
そんな部隊の隊長格の推薦とあって、疑う者はいなかった。
こうして、シルバは心音の職業認定証を手に入れることが出来たのだった。
「色が青って…一番いいやつだよね。よく手に入ったものだよ」
職業認定証は宝石によって階級があった。
一番下は赤色の宝石「ガーネット」、その上に緑色の宝石「エメラルド」、そして一番上の青色の宝石「サファイア」と三つに分けられていた。
大した差はないが、一番上であるサファイアを手に入れることは誰もが憧れることだった。
「まあ…色々とあったがな。」
遠くを見つめるシルバは、職業認定証を手に入れた時を思い出したのか、疲れたように短く溜め息を吐いた。
「ありがとう、シルバ」
「お前に礼を言われてもな…」
自然と口にした言葉だったのか、シルバは上の空で自分の発した言葉に気づいていない。その様子にニヤリと笑ったクロムは彼をニコニコと見つめる。
「そうだよね。一番はココネに言って欲しいんだよね」
「ぶっ!…はぁ!?」
グラスに口をつけたシルバは、飲み物を噴きだしてしまう。その頬はほんのり赤みを帯びていた。
そんなシルバに、耐えられないとばかりにクロムは笑い声を上げた。
「あれ? クロムさん、何かあったんですか?」
そこへ何も知らないファイが、皿に乗せた軽食のサンドイッチを持って現れた。
「ああ、ファイ。実はね…」
「クロムッ!!」
「…?」
ガタッと立ち上がったシルバに、不思議そうな視線を向けるファイ。
その視線に冷静さを取り戻したシルバは、静かに椅子をしまう。
「もういい…帰る」
「え、もう帰んの?」
「ああ…。つき合ってられん」
そう言って仮面だけを持ったシルバは坂を下りていく。そんな彼の耳は、少し赤みを帯びていた。
「おーい、シルバ!土産にサンドイッチ持ってけよ!」
そう言ってファイが追いかけていくのを見送ると、クロムは独り呟く。
「…何だかんだ言って、ココネへは優しいんだよね。シルバは」
それは心音を此処に連れてきた時点で、証明されている。
此処はその名の通り召喚獣となる動物や生物を育てる所。もっと言えば、その獣を求めて「異世界」から多くの人が訪れる場所なのだ。
ここに居れば、心音と同じ世界から来た者や、その世界への行き方を知ってる者が現れるかもしれない。
そう思っての事だろうと、クロムは思っていた。
「シルバは人に対して優しく接する事は苦手だった。だけど…」
クロムは、ベンチで眠る心音を振り返る。
「君には…心を開いている気がする。何故かな?」
そう問いかけた瞬間。
「ううーん…んん? むにゃむにゃ…」
寝言のような可愛らしい声を発し、心音が寝返りを打った。
そのタイミングの良さに、思わずクロムは目を丸くした。
「ははっ…」
そして笑い声を零すと、そっと心音に近付いた。
「明日も頑張ろうね…」
そう囁き、心音の肩から落ちたシルバのマントをかけ直した。
その温かさに心音は表情を和らげ微笑みを浮かべたのだった。
* * * *
「う…うぅん?」
頬を擽る何か温かな物と、顔に当たる暖かな日差しに気づき、心音は目を覚ました。視界に飛び込んできたのは大きく開かれた嘴だった。
「わぁあ!?」
驚き、ガバッと起き上がった心音は勢いよく後ろの壁に頭をぶつける。
「っ~~!」
声にならない痛さに半泣き状態のまま、心音は後頭部を押さえる。
「キュー!?キュー…」
彼女を驚かした張本人であるグリフォンは、罪悪感にしゅんとうなだれていた。
そんなグリフォンに、心音はやっと自分が昨日家の側のベンチで眠り、朝を迎えてしまったことに気づいた。
(…疲れて寝るなんて、女として恥ずかしすぎるよ~! しかもこの子は起こそうとしてくれただけなのに!)
しょんぼりとするグリフォンに声を掛けようにも、痛さにどうも声が上がらず、涙だけが溢れる。と、そこへ欠伸を噛み殺しながらバケツを手にファイが歩いて来た。
そして何気なくベンチに目を向け、泣いている心音に気づくと、ギョッとして後ろに下がった。
「お、お前…なんで泣いて…」
驚きからかバケツを落としたファイに、心音は何とか声を絞り出す。
「頭…ぶつけ、ちゃった…のっ」
「はぁ? …何やってんだよ」
泣いている内容を聞いた途端、ファイはどことなく安心したような表情をした後、呆れたように心音に近寄った。
「どこをぶつけたんだ?」
「うぅ…たぶん、頭の後ろのところ…」
見せて見ろ。と肩に手を置いたファイに、心音は見やすいように俯く。
心音は邪魔にならないよう、長い髪をポニーテールのように髪ゴムでしばってから、おだんごでまとめていた。
そのため丁度ゴムとおだんごの部分が壁と頭の間にあった為、余計に痛みを感じたようだった。
「この髪を解かないと見えねぇな…」
「ホント? 分かった…」
ファイの言葉に素直に従い、心音は髪を下ろす。すると長い間まとめていた為か、クルクルと癖のついた髪が出来上がっていた。
「あー…クルクルだ…ふふっ」
ようやく痛みの退いてきた心音は自分の髪にクスリと笑い、ファイを見上げる。
すると後少しで触れそうな距離にファイの整った顔があり、二人同時に固まる。
(近っ…て、やっぱりファイも女の人みたいに綺麗だなぁ…)
ファイも、と心音が言ったのはシルバの顔を思い浮かべてのことだ。
彼も整った顔をしているため、心音はやはり此処は違う世界なのだと実感していた。勿論今はそんな事より今の状況を気にして欲しいところだが。
「ココネ? 目、覚めた?」
「「っ!?」」
突然玄関の扉が開かれ、中から現れたクロムの声にファイはバッと心音から離れ、心音は反射的に立ち上がった。
「二人とも…どうかした?」
クロムの問いに顔を真っ赤にさせたファイとココネは同時に勢いよく首を横に振った。
「キュー?」
そこでグリフォンが心音の手を、甘噛みのように優しく噛みつく。
「ああ、さっきはごめんね? 驚いちゃっただけだから…おはよう!」
頭を一撫でし、心音はグリフォンのふわふわな身体に抱きつく。
そんな心音の体温に安らぎを感じたのか、グリフォンは目を細めると甘えた声を上げたのだった。
「すっかり仲良くなったね」
「ふふっ、それだけじゃないですよ? この子、少しだけなら飛べるようになったんです!」
「え?」
目を丸くしたクロムに、ふふんと自慢げに笑う心音の横で、ファイは呆れたように息を吐いていた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
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