ⅩⅤ ファームの秘密 Ⅲ
遅くなりまして申し訳ありません!!(;´д`)
『駄目だよ』
聞き覚えのある咎めるような声に心音は目を開ける。
そこは見慣れたファームにあるクロムの家のリビング。そしてしゃがみ込んだクロムと五歳くらいの少年が目の前に立っていた。
『だけどっ…僕はクロムさんの力になりたいんだ!』
『気持ちは嬉しいよ。けれど契約をするということは君の生死に関わる。今の小さな身体と魔力では彼らの重圧に耐えきれないよ』
クロムが少年の碧い髪を撫でる。
それを気持ちよさそうに受けながらも、少年はどこか悲しげに俯いた。
『それでもいい。僕はクロムさんを護りたい。もう…大切なひとが死ぬのは嫌だから』
『僕も同じだよ。“大切な人”を危険な目に遭わせたくない。…わかってくれる?』
苦しげに顔を歪めたクロムに、何かを言おうとした少年はグッと拳を握りしめると部屋を飛び出した。
『…彼に話すのはまだ早かったかな』
ゆっくりと立ち上がったクロムは「カタン…」と蓋を開けるような音を聞いた。その瞬間、顔を青ざめると焦ったように自室へと駆けこんだ。
『鍵は掛けておいたはずなのに!』
バン! と、扉が開け放たれる。
質の良さそうなベッドと本棚、チェストやクローゼットといった家具しか置かれていないシンプルな部屋。その中心に人が入れるくらいの正方形の穴が存在した。側には蓋としていた床板が無造作に置かれ、
穴の中は先の見えない暗闇が続いていた。
『ラル!』
クロムの声に反応するように、彼の側で空間が歪む。
『呼んだ?』
床に開いた穴とは違う丸い穴が歪んだ場所に開くと、中からラルがぴょっこりと顔を出した。
『僕が入っている間、この場所を頼んだよ』
『……うん。むずかしいけど、がんばるなの!』
ぴょんっと肩に降り立ったラルにクロムは「ありがとう」と優しく微笑む。
そしてなんの躊躇もなく、床下に開いた穴へと飛び込んだ。
するとそこは木の根がぐるぐると筒を作るようにして渦を巻いたスライダーとなっていた。言うなればウッドスライダーである。
(そんなのあり!?)
驚いていたのは束の間、心音も引っ張られるようにして穴へ落ちる。
そのまま器用に滑っていくクロムの後を追って彼女もスライダーを滑っていく。やがて出口だろう光が迫り、心音は目を閉じた。
――――「くっ…」
誰かの苦しげな息遣いに心音の意識は覚醒する。
ゆっくりと目を開けると周りは木の根に囲まれていた。明りは無く、暗い中そう感じたのは樹木独特の匂いがしたからだ。
「今のは……というか、ここ…わっ!?」
根と顔の距離は数十センチ。心音が少し顔を上げた瞬間、ずるっと落下しそうな感覚が襲い、近くにある何か布のような物を握り締めた。
「おい……あまり動くなっ」
「だ、だって……え?」
握った手の先を辿って上へと視線を動かす。
そこに誰かがいる。辛うじて分かることはそれだけだが、心音には先刻の声で誰なのかを理解した。
「し…シルバ!? な、なんで…っ!」
「暴れるなっ…落ちる、ぞ」
声を上げる度に苦しげな声を漏らすシルバに、心音は少し冷静さを取り戻す。
やがて暗闇に慣れてきた目で見ると、彼の手と腕に棘が食い込むほど木の根が絡みつき、血だと思われる液体がだらだらと腕まで伝っていた。
「シルバ、それ…!」
「問題ない……心配す――」
「るに決まってるでしょ!」
彼の言葉の後に何が続くのかは予想がついていた。ならばと遮るように言葉を重ねた心音にシルバはフッと表情を和らげた。
「お前は…そういう奴だったな」
今までも何度か同じように笑いかけてもらった。
その笑顔が珍しいと他の人が言うなか、自分だけに向けられるそれがいつしか心音にとって特別なものとなっていた。
「ど、どういう奴のこと?」
「……うるさい奴ってことだ」
「ヒドッ!?」
「はは…」
こんなやり取りはいつぶりだろう、と心音は心の中で微笑む。
“会いたい”――いつからそう思うようになったのだろう。久しぶりにあったシルバに、心音の胸がトクンと高鳴った。
「そ、それより早く手当しないと!」
そうは言ったものの周りは根で囲まれている。足元には暗闇が続き、先が分からない。
心音たちは今シルバの腕に絡みつく根を頼りにぶら下がっている状態だ。
いつまでもこの状態を続けているとシルバの命が危険なのは明らかだった。
既にどのくらいの時間が経過しているのか分からない心音の胸に不安が押し寄せる。
(どうしたらいい!?)
少しの沈黙。ふと、思考を廻らせていた心音は背に回されていた手から少し力が抜けたことに気付き、顔を上げる。
暗くて分からないが苦痛の表情を浮かべているシルバに、何も出来ない自分に腹が立ち、心音は唇を引き結んだ。
(落ち着いて考えなくちゃ。周りは木の根に囲まれてて、下にはずっと続く闇。試しに何かを落として高さを調べるのも有りかもしれないけど、今動いたらシルバの負担にしかならないよね。
……あれ? でもこの感じ……)
小首を傾げていた心音はハッと、あることに気付く。
「ウッドスライダーだ…」
心音の呟きにシルバが訝しげな視線を向ける。
けれど彼女は周りの根に手を伸ばしては触ったり、叩いたり、と何度も確認する。そして表情を真剣なものに変えた。
「シルバ、ここから飛び降りよう」
「なにを馬鹿なことを言っている…? この先に何があるか分からないのに―――」
「それでもここにずっといるよりはマシだよ。それにこの先には光がある。さっきそんな夢を見たんだ」
「夢、だと?」
力強く頷いた心音は夢の内容を話す。その途端、シルバは難しい顔になる。まるで昔のことを思い出し、後悔しているかのように。
しかし真剣な心音の熱い視線を受けては、と一つため息を吐くと苦笑を浮かべた。
「何故そんな夢をお前が見たかは分からないが、いいだろう。念のために守護壁を張るが…それでいいか?」
「うん、ありがとう!」
シルバの返事に心音は満面の笑みで応える。
自分の言葉を信じてくれた。ただそれだけで、彼女の胸は満たされた。
「しっかり掴まれ」
頷いた心音をぎゅっと力強く抱きしめるシルバが短く呪文を唱えると、一瞬、間を置いて彼らの周りを銀色の光が膜状に包んだ。まるで光る強固なシャボン玉の中にいるような状態で、シルバは根に巻き付いている方の手に魔力を集中させる。
「行くぞ」
「うん…!」
次の瞬間、集めた魔力が解放され、小さな爆発が起きる。巻き付いていた根はバラバラと崩れ、二人は闇へと落ちていった。
だが落ちる感覚は数秒で、すぐさま木の根の上に着地した。呆気に取られる二人は互いに顔を見合わせると、安堵と共に噴き出した。
「そこまで距離がなかったんだな」
「ふふ、飛び降りて正解だった……え?」
和んでいられたのは束の間。
微笑み合っていた二人は、球体となっている防御壁ごと徐々に左に進んでいる事に気付く。そしてだんだんとそのスピードは上がっていく。
「ま、まさか…っ!?」
心音が声を上げた時には既に遅く、坂になっていた木の根を球体の防御壁は転がり落ちていった。もちろん中にいる二人ごとである。
(わ、私たちはハムスターじゃないっての!!)
心音の脳裏に浮かんだのは、ハムスターが空気を入れて膨らむボールの中に入っている映像だった。ネットで人気の癒し動画だったため、その時は「可愛い」と言いながら見ていられた。
だが実際に中に入り、勝手に猛スピードで進むこの状況はジェットコースターよりも怖いと心音は意識が飛びそうになった。
しかし隣でシルバが「面白いな…」と呟いていたのを聞き、「なんでこの状況を楽しめるのよ!?」と後で文句を言おうと決意を固めると、意識が飛ぶことはなかった。
――くねくねとウッドスライダーを滑っていくこと数分。やがて二人の目に光が飛び込んで来た。
(出口!?)
歓喜の表情を浮かべた次の瞬間「ポーンッ」という効果音でもつきそうなほど、高い位置から二人は投げ出された。
次の瞬間、二人を包んでいた防御壁も役目は終えたとばかりに消えてしまう。
「うそでしょー!?」
何度落ちれば気がすむんだ。
そう思わずにいられない心音の目の端に見えたのは淡く黄緑色に輝く〝大樹〟。そんな言葉で表していいのか分からない程、大きく圧倒される何かを持った樹に視線が釘つけになる。
「くっ! 召喚狼・第五《全》!!」
地面まであと少ししかないと言う所で、銀色の光が二人の真下に出現する。シルバに強く抱きしめられたまま、心音はボフンッと柔らかな何かの上に落ちた。
初めに感じたのはフサフサの毛の感触。次に安堵したような溜め息だった。
「無事か…?」
きつく閉じていた目を開ければ、目の前に太陽の光に照らされたシルバの微笑み。
この世界に来てから会う人は皆美形ばかりだと思っていた心音の目の前に、まさにイケメンの安心しきった笑顔。その距離数センチ。彼女の胸がきゅんと締め付けられる。
「だ、だだ大丈夫だよ!」
「そうか…。なら、よかっ…た……」
ゆっくりと瞼を閉じると、それきり動かなくなってしまったシルバに心音の顔から血の気が引く。
「シルバ!? ちょっと…ねえ!!」
『うるさいぞ』
取り乱す心音の耳に、低く、腹の奥にまで響く声がした。
どこからするのだろうと首を傾げていると、当然銀色の地面が動き出す。咄嗟に落ちないようにとシルバに抱きついた心音は、傾いたフサフサの地面を滑り、そっと芝生の上に転がり落ちた。
そこで初めて彼女はその銀色の何かの正体を知った。
『お前をずっと支えながら必死にぶら下がり、加えて防御壁を作ったんだ。眠らせてやれ』
さらさらと靡く綺麗な銀色の毛皮、アメジストのように光る瞳を携えた大体二メートルほどの巨大な狼がシルバを心配そうに見下ろしていた。
『まったく…無理をしすぎだ』
小さく寝息を立てるシルバに顔をすり寄せる。
その様子に心音は苦しげに唇を噛むと、そしてそっとシルバの頭を自身の膝の上に乗せた。
「ごめん…私の所為でっ」
苦悶の表情を浮かべたままだったシルバの表情が少し和らぐ。
よく見れば解けた長い銀髪には血が付き、強引に引き抜いた腕は服が破け、棘が刺さったままの状態で未だ傷口から血が流れていた。
顔にも擦り傷があり、心音は目に涙を浮かべるとそっとシルバの頬を撫でた。
『大丈夫だ』
狼は気遣わしげに心音の顔に自身の顔をすり寄せる。
次いで安心させるように口角を上げて笑うと、自身の体に淡く柔らかな銀色の光をまとった。それは狼の体を巡るように点滅すると、一つの球体を作るように彼の口元に集まる。
狼はフッとシルバに向けて吹きかけると、球体が弾け、まるでシャワーのように光の雨となってシルバの体に降り注いだ。
「綺麗…」
治癒魔法の光に見惚れていた心音はふとシルバの体を見下ろす。
そこには腕から棘が自然と抜け落ち、徐々に傷口が塞がっていく光景、さらには髪についた血までもが洗い流されるように消えていく。
「シルバ…護ってくれてありがとう」
心音の言葉が届いたのかは分からない。だが彼女がそう言った時、間違いなくシルバは微笑んだ。
気付いたのは狼だけだったが、彼は伝える事はせず、光が消えるまで穏やかな眼差しで二人を見守ったのだった。
『これで問題ないはずだ。…お前の怪我も治ったようだしな』
「え? あ……」
光が消えた後、そう言われて心音は自分の額に触れる。シャッテンと別れた時に負った傷だったのだが、今ではすっかり元の白い肌となっていた。
『よほど主が心配だったのか? 自分の怪我に全く気付いていなかっただろう?』
「うっ。すみません…ありがとうございました」
『いや、そこまでお前に思われているなんて主も幸せだなと思っただけだ。名乗りが遅れたが、俺は主に仕える召喚狼の全。他の四匹を取りまとめている者だ』
優しげに目を細めた狼・全に恐縮しながら心音も名乗ろうとした。
だが全は「シルバと契約しているため、彼の知ることは全て自分たちも把握している。もちろんお前のことも知っている」と言った。
この世界では契約した瞬間に召喚獣と契約主の記憶を共有するシステムがある。だが全てというわけではなく、契約主が頑なに閉ざしている記憶までは共有できないのだという。
『許可なく主の記憶を話すことは禁じられている。だが互いの記憶を共有することで、より精度の高い連携を取れるようにとこの契約があるんだ』
「やっぱり召喚獣って不思議ですね…」
『何を言ってる。最も変なのはココネだと思うが?』
「へん…。それは私が異世界から来たからじゃないんですか?」
ちょっとムッとしている心音に気付いていないのか、全はスッと目を細めた。
『いや。お前からは何か…“気配”がする』
「それって――」
『いや、今のは忘れてくれ。…ただの勘違いだったようだ』
言い掛けた心音を遮るように全は苦笑する。
彼は今“何かを隠した”。そう思った心音だったが、あえて何も聞かなかった。誰にだって言いたくないことや隠したいことはある。それを一番よく分かっているのは彼女自身だからだ。
(でも、今のは誰かに口止めされているって感じだった。シルバが話すなって言ったのかな?)
傷も治り、顔に血の気の戻ったシルバは静かに寝息を立てている。
いつか聞ける日が来ると良いな、と心音は彼の頭を撫でた。
『それよりも聞きたいことがある。主の記憶には“此処”についてのものが一つも無い。知っていて閉じているのか、もしくは本当に知らないのかもしれないが……。分かっているのは此処はファームの地下深くにあるという事だけだ。ココネは何か知らないか?』
「え。ここって…地下なんですか?!」
半ば叫ぶようにして心音は辺りを見回した。
二百メートル以上はあるだろう天井からは不思議な事に日の光が差していた。
部屋中に水が満ちており、部屋の中心には巨大な樹がある。太い幹は天井を突き抜けていて、幹の途中には乱雑に枝が生え、葉が生い茂り、木の根元は日陰となっていた。
大樹のある陸地を島をするならば、この部屋には他に“五つ”の島があった。どれも大樹のある島を真ん中に、まるで花弁のようにそれぞれの島と大樹の太い根が橋の役割をして繋がっている。もちろん心音たちのいる島にも根の橋があった。
彼女たちの背後には天井から伸びている枝や地面から伸びた根っこで出来た壁が存在し、またその壁が大きな円を描くように周りを囲んでいた。言わばそこは根に覆われたドーム状の部屋だった。
「色々ありすぎて、下ってきたことを忘れてました…」
シルバを芝生の上に横たわらせ、心音は立ち上がると大樹の方へと一歩踏み出した。
落ちていく時にも見た樹の淡い黄緑色の輝きは、天井から差し込む光と同化し、そこだけライトアップされているように幻想的だ。
精霊でも住んでいそうなその空間に見入っていた心音は、ふと根本に背を預けるようにして座る人影を見つけて息を呑んだ。
「ク、ロム…?」
聴こえるはずもない、小さな囁くような声に導かれるように、人影は閉じていた瞼を開いた。
木漏れ日に照らされ、時おり見える髪の色は黒。服装も心音がよく知るクロムお気に入りの黒とベージュを基調とした飾り気のないシンプルな服だ。
ゆっくりと立ち上がった彼に心音は嬉しそうに駆け出した。
「っ…!?」
しかし橋の中間地点まで走り、心音はゆっくりと足を止める。
ゾクッと背を走った悪寒。自分の方へ歩いてくる彼に視線を向けた時、彼女はその悪寒の正体を知った。
「どうして…っ」
いつも見守るように優しい瞳が。柔らかく、包み込むように暖かい微笑みが。
どこか眠そうにしている、ちょっとのんびり屋な雰囲気が。
クロムという人物を創り出しているもの全てが……どこにもなかった。
あるのは――世界の全てに絶望したかのように『冷たい』それらだった。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
次の話も執筆中です。いつの更新になるか分かりませんが、お付き合い頂けると幸いです!汗




