Ⅻ 騎士は赴く
ファームで竜が生まれるより少し前――――
ヒガミヤ街内を見回る騎士たちの中に不機嫌な心境を表に出さず、黙々と一定のペースで歩き続ける者が二人。
一人は長く伸びたミルクティー色の髪をさらりと垂らし、目元でキラリと光る銀縁の眼鏡がクールな印象にとても似合う美しい女性――マリア・リズリット。
スラリとした体形に豊潤な胸元が相まって一部の騎士からは尊敬を通り越した目で見られているとも知らず、日々仕事に励む姿は彼女が副団長を務めるヒガミヤ騎士団の者たちの憧れである。
そんな彼女と並ぶように立つもう一人の人物。
彼は今日、ヒガミヤ騎士団と合同で街を見回ることになっている仮面騎士団第二部隊を率いている隊長――シルバである。
特徴的な艶のある美しき銀髪を片側で一つに纏め垂らし、仮面騎士団の特徴である金の刺繍が入った仮面を目元に付け、青いマントをはためかせながら歩くその姿はまさに孤高の狼。
凛々しく、初対面の人間には冷たい印象を与えてしまいがちな彼は他の騎士からは尊敬と憧れの眼差しを向けられることが多く、街や村といった民間人からは『冷酷な騎士』として恐れられてもいた。
だがそんな事を彼は気にしていていない。
それはちゃんと自分の事を見てくれている人達がいることを理解しているからだ。
「……。」
「……。」
いくら心境を表に出さないと言っても先程から一言も話すことなく歩く上司の面々に後をついて歩いている騎士たちはハラハラドキドキである。
ヒガミヤ騎士団からはマリアを含め五人、第二部隊からはシルバを入れて三人、計八人で街を見回っていた。現在彼らがいるのは街の東側であり、一番住宅の多い『住宅地区』となっている。
「街の東側は此処で終わりですね…しかし本当に素晴らしい速さで修復が進んでいますね」
強者だ。と周りから驚愕や尊敬の視線を一身に浴びつつ、第二部隊 副隊長シオン・クストリーレはシルバとマリアに声を掛けた。
「そうだな、カスラム様の御陰だろう」
「ええ、領民の安全を最優先に考えて下さる。私達にとってとても良き主です」
シオンの言葉にシルバとマリアから無言の圧力が無くなり、騎士達から安堵の息が漏れた。
「でも城や港はまだなんですよね?」
シオンに続きシルバの隣に並ぶように前に出たのは全身が白い体毛に覆われ、虎のように所々に黒い毛で縞模様のある“獣人”の男・白虎だ。
白い虎の顔と体、つまり見た目は二足歩行の出来る白い虎、中身は人間のように感情や思考を持つ理知的な存在。それが彼等・獣人の特徴だ。
他にも人間の姿をしつつも頭に耳、腰下に尻尾を付けたような姿をしている獣人もいると言う。
だが彼らに共通してることがあるとするならば、彼らは皆『獣』と『人』が交じり合っている存在ということだろう。
「早く港が復旧して物資とか簡単に手に入ればいいんだけどな」
「そうですね、そうしたら街に人も戻って来るでしょうし」
「ああ、見回りをしても人がいない家を見てるとなんか、こう…悲しくなるしな」
「俺もだよ」
白虎の言葉に続き、騎士たちが自分たちの思いを吐露し始める。
―――レオナルドが関わった事件以降、賊の残党がいるかもしれないと警備を強化するべく見回りの回数が増えた。
あれから街に張られた結界は王都から派遣された王宮魔法師団により修復、再生された。と言っても被害のあったヒガミヤ街には未だ商人や船が停泊できる港や城の修復が滞っており、住民は事件前より激減し、街の活気は薄れている。
城の修復に人手が足りず、また先の言葉通り物資を届けてくれる船や商人が訪れる事が少なくなっていることも修復の遅れを生んでいた。
王都からの支援物資も騎士の者が定期的に届けに来るも数には限りがあり、ヒガミヤの領主であるカスラム・ミレマナーは城よりも住宅などの修理にそれらを宛がっている。
だからという訳では無いが城の修復は遅れているものの、住宅などの修理は順調に進んでいることが見回りをしていると良く分かる。
だがそれは同時に“今の現状”を知る事になり、騎士たちの指揮が下がり始めていた。
「今は目の前の事に集中なさい。私達はこのヒガミヤを護る騎士なのです。今は仮面騎士団の方々にも手伝って頂いてはいますが、我々は本来自分たちの力でこの危機を脱しなくてはいけないのです。
国が此処を見放さない事に感謝し、今は自分の仕事成し遂げる。それだけを考えなさい。それがまたこの街に活気を溢れさせるための一歩なのですから。…良いですね?」
パンパンッと手を叩き、注意を向けさせたマリアの言葉にヒガミヤ騎士団の騎士は拳を握りしめた。
「そう、ですよね!俺たちが頑張らないと!」
「まだ街には残った人たちがいるんだから、その人達の不安を取り除かなくては!」
「僕たちはヒガミヤを護る騎士!精一杯がんばりましょう!!」
沈んた表情から一変、覇気のある顔へと変わった部下にマリアは笑みを浮かべた。
「やはり優秀だな。副団長にしておくのが勿体ないくらいだ」
隣に立っていたシルバから紡がれた言葉にマリアは小さく息を呑む。
いつも無表情で仕事の話しかしたことがなかった相手から、良き評価の言葉だ。驚かない方が不思議なくらいだ。けれどマリアは苦笑を零すとシルバを見上げた。
「ありがとうございます。ですが私は…副団長のままでいいのです」
「何故、そう思う? 現に今も“どこかの誰か”に代わり、こうして団の者を率いているではないか」
どこかの誰か。その差している人物がシルバ同様に自分の“不機嫌”の原因である人物であると瞬時に気付いたマリアは小さくため息を吐いた。
「そうですね…。今だからこそ言えますが、私は初めて団長と対面した時『この人とは上手くやれない』と思いました」
「……。」
現在の彼女たちのやり取りを知るシルバには想像していなかった過去の事に、顔には出さないが内心で驚愕する。
「その言葉通りに団長の行動一つに苛立ったり、あの人の起こす問題の対処に追われたり、はたまた部下の騎士と共に何も告げずに出かけたりと…それはもう、腸が煮えくり返るほどに!!」
思い出しただけでも腹が立つと言いたげなマリアに話しの中の人物のことを良く知る一人としてシルバが同情するような視線を向ければ、マリアはハッとしたように平常心を取り戻し、息を吐いた。
「私もいつしか『私が団長だったら団をこんな風にはしない』なんて思っていた時期もありました。…けれど、接するうちにあの人に対して“敵わない”と思ってしまった」
「確かに剣の腕ではアイツの方が上だろう。だが、上に立つものが必ずしも強いものとは限らないだろう?」
「ええ。ですが私が敵わないと思ってしまったのはその強さではなく、私が敵わないと思ったのは…“心”の強さです」
マリアの言葉に耳を傾けていたシルバはフッと小さく笑った。その様子に一瞬目を見開いたマリアだったが、自分の伝えたことをシルバは理解したのだと笑みを返した。
「知ってますか、シルバさん。あの人城を抜け出していた時は近隣に迫っていた魔物を一人で倒していたり、街の子共たちに字を教えたり、騎士と共に外出してた時はその騎士の母親が危篤状態だったが為にその騎士の故郷まで付き添っていったり…。
本来なら騎士の職務を放棄して、と叱らねばならない事なのでしょう。けれど私はそんな所に“敵わない”と思ってしまったのです」
「そうだな…。確かに敵わないな」
「ふふ、そう思いますか?」
「ああ。俺もユーリの、その“優しさ”に救われた一人だ。それに…そんな風に慕われるユーリを羨ましくも思う」
「……。」
驚愕したような呆然としたように目を丸くして見上げてくるマリアにシルバが無表情で返す。
「なんだ?」
「いえ…お気づきではないのですか?」
「どういう意味だ?」
「それは、勿論!俺らの事ですよ、隊長!!」
「っ…!」
突然背後から現れた気配に気づくも一瞬反応が遅れてしまったシルバはふわふわとした腕に首を絞められる。いや、実際には抱きつかれた形なのだが、ふわふわとした腕は面積が広く、首を絞めていた。
「俺らは超すっごくとても隊長のことを尊敬してますよ!」
「おい、白虎!離れないか!」
「なんだ~? シオンは違うっていうのか?」
「そ、そんなわけないだろう!お前より隊長の事を尊敬していると自負している!!」
「おおう…強烈な告白だ」
「っ!?ち、ちがっ!…いや、違わないですが―――って、白虎!!」
シルバの首に腕をからませたままニヤニヤとした笑みを向けてくる白虎にシオンが声を荒げれば、シルバが低い声を出す。
「放せ。」
後ろから抱きついた白虎にはシルバの横顔しか確認できない。しかしヒシヒシと伝わる感情と、少しばかり青ざめるシオンの顔色に何かを感じ取った白虎は静かに腕を離した。
「白虎。………後で俺の部屋に来い」
「間が!その間が怖いですって!?それに今じゃなくて後でっていうのが余計に…!!」
「…シルバ隊長、すみません」
「謝ります!謝りますから!!」
「………。」
腕を組んだまま仮面腰では分からぬシルバの表情に白虎が情けなく大柄な身体を縮こまらせながら許しを乞えば、その横でシオンが同僚の味方についてかシルバに頭を下げていた。
(うちの団長を羨ましく思うとシルバさんは仰っていましたけど…。シルバさんはシルバさんの良い所を見抜いて付いて来てくれている、貴方を慕っている部下がいると気付いておられなかったのでしょうか?)
目の前で繰り広げられている光景は互いに信頼し合っているからこそ出来る光景だと、マリアは思う。
(いいえ、違う。きっと気付いていないのではなく、気にしていなかったのでしょう。慕う慕わないにかかわらず、自分の部下を信じている事に変わりはないから。けれどユーリ団長を見るたびに少しだけ羨ましいと思った…ということかしら?)
人には様々な性格がある。
それは魅力も同じでその人にはその人の魅力があり、その魅力に惹かれたことを表現する方法も違う。
ユーリとシルバ。性格も違えば周りからの意見も違う。
けれど同じ事が一つだけ。彼らは団や隊を率いる魅力を持ち、それぞれがそれぞれのやり方で部下を導き、それぞれの形で慕われているということだ。
(シルバさんが羨ましく思うのと同じようにもしかしたら…団長もシルバさんを羨ましいと思っているのかしら?)
此処にはいない“彼”を想い、マリアは高鳴る鼓動に耳を澄ませた。
(本当に敵わないと思ったのは……私があの人を“支えたい”と思ってしまったからなんだけど、ね)
「リズリット副団長」
腕を組んだシルバに土下座をしている白虎を背後にシオンが歩み寄る。
「はい、何でしょう」
すぐさま“副団長”の顔に戻ったマリアに誰も気付くことはなく、シオンは手元の資料をマリアに見せる。
「見回りにおいてのチェックポイントを幾つかリストアップしておきました。今後の参考にしていただければと」
「これは…非常に助かります。ありがとうございます、クストリーレ副隊長」
「いいえ、同じ副官としてお役に立てればと思っての事ですから」
珍しくも笑ったシオンにマリアが微笑を返せば、ヒガミヤ騎士団の騎士達から感嘆の息が漏れる。
それを尻目に何とかシルバの怒りの矛先を少しだけ逸らすことが出来たと立ち上がった白虎がシオン達の元へ近づく。
「それにしても、ユーリ団長はまたファームに行ってるんですかね?」
「「……。」」
「あの人も案外騎士団の仕事をサボるくらいあの異世界人の子が好きだったりして!」
「「………。」」
初めに言っておくが白虎には決して悪気がある訳では無い。ただ思った事を素直に口にしてしまうだけなのだ。
それでもせっかく良い話で終わりそうな雰囲気だったにもかかわらず、まるでブリザードが吹いたかのように一気に温度が下がった事に皆の視線が白虎を責めるように集まる。
(敢えてその話題には触れないようにしていたのに!)
(少しは空気を読むという事を覚えて頂きたい!)
もどかしい気持ちで睨む付ける騎士達にため息を吐いたシオンが此処にはいない話題の人物とのやり取りを思い出す。
―――見回りを開始する為にヒガミヤ騎士団と第二部隊は城の前で落ち合う約束になっていた。しかし書類などの整理をしてから向かうとシルバに伝え、皆より少し遅れて城へと向かったシオンは一人南の地区へと歩いて行くユーリの姿を目撃していたのだ。
その行為だけで彼がこれから集合場所では無く、シルバの良く知る相手のいる場所に向かうと推測したシオンは後をつけるように駆け出した。
『ファイン団長、どちらへ?』
叱責するような声音になってしまったシオンに対し、ユーリは気にした様子もなく彼を振り返る。
『ちょっと、出掛けてくるよ』
『出掛けるって…もうすぐ見回りの時間です。街の安全を護るのは騎士の務めでは?』
『ああ、そうだね。だからこれから専念できるよう心の中にある蟠りみたいなモノは早く無くした方が良いと思ってさ』
『それは…どういう―――』
『シルバとマリーによろしくな、シオン!』
シオンの言葉を遮り、ユーリはそのままファームの方へと駆けて行ってしまったのだ―――
(あの言葉の意味は分からないけれど今日、帰ってきたら…団長は何か変わるのだろうか?)
「いない人間の事を考えても仕方ないでしょう。次の見回りを開始しましょう」
「ああ、同感だ」
考え込んでいたシオンの耳にそんな言葉が届き、既に歩き出していたシルバたちの後を慌てて追いかけた。
その時だった―――遠く、南の方角から小さな音が聞こえ、シルバは足を止めた。
「隊長?」
何の音だと不思議に思うのは一瞬で、ほんの些細な事だとすぐさま記憶から排除できてしまう音。
現に他の騎士達も特に気にした様子もなく、今は足を止めたシルバを不思議そうに見ている。
だがシルバだけは記憶から排除しなかった。いや、出来なかった。何故ならその音が聞こえたのは―――
「シオン、悪いが残りの見回りはお前たちだけで行ってくれ」
「…何か気になる事が?」
長年というほどの時を過ごした訳では無いが、他の騎士よりはシルバと共にいた時間が長いシオンはシルバの考えを読み、すぐに頷いた。
「分かりました。後のことはお任せください」
「すまない、行ってくる」
シオンに小さく頷く返すと、シルバはマントを翻し駆け出そうとした。
「お待ちください」
凛とした声に止められ、シルバがゆっくりと振り返る。そこには片手を胸元に当てたマリアの姿があり、彼女の目は真っ直ぐシルバの向けられていた。
「私も御一緒させていただいても宜しいでしょうか?」
その申し出にシルバは無言で返す。
異変が起きた事は確かだ。けれど此処で動くことは任務を放棄することになり、むしろ私情の為に動いたこととして下手をすれば責を負わねばならぬ行為だ。
それを知りながらも送り出してくれたシオンと何も言わないが隣で笑っていた白虎は共に責を負う覚悟があると語っていた。
しかし此処でヒガミヤ騎士団の団長も副団長も不在のまま見回りをし、見咎められる可能性は大きくあった。騎士団は連帯、協調性を大事にするのだ。
「リズリットは此処に残り、他の者を指揮せよ」
「そうことでしたら、一人でも行かせてもらいます」
「おい…」
断固として行くことを諦めないマリアにこれから向かう場所にいる“少女”の姿を重ね見たシルバは小さく息を吐き、信頼する部下を見た。
「シオン」
「はい。では、これは“職務放棄をした団長を拘束するための行動”として上には報告する、という方向で行きましょう。ですがあくまでこれは他の騎士に見咎められた場合のみの対処とします。
同じく見回りをしていた第二部隊はそれを手伝ったという内容にすれば文句は言えないでしょう」
シオンは肩からかけていたショルダーバッグから手帳とペンを取り出すと『報告書』をまとめ始める。
「その為には此処にいる全員の協力が必要となりますが…」
言外に皆に“口止め”を強いるシオンに対し、不満を零す者はいなかった。それだけ騎士たちはマリアやシルバという自分たちの上司を信頼しているのだと分かる。
「行って来てください、副団長!」
「そして団長を連れ戻してください!」
「お願いします!」
「…はい、お任せください」
騎士達の言葉に力強く頷くとマリアはシルバを見た。
「断る理由はないな。行くぞ、リズリット」
「はい!」
マリアの返事に小さく頷いたシルバは前を見据えたまま背後に声を掛ける。
「急ぎファームへ向かいたい。力を貸してくれ」
『承知。』
するとシルバの影から灰色の体毛に緑色の瞳でスラリとした凛々しい狼が地面から抜き出るように現れる。
その光景に驚きを見せるのはマリアを覗くヒガミヤ騎士団の者たちだけで、シオン、白虎、マリアの三人は見回りの間中、シルバの影に隠れるようにして辺りを警戒していた彼の五匹いる召喚狼の一匹、第一《速》の存在に気付いていた為に驚きはなかった。
『最低限までの巨大化の許しを貰いたい、我が主よ』
「ああ、“許可する”」
狼は空を見上げるように顔を上げると「ウオォン!」と短く遠吠えをする。
途端に狼の体を銀色の光が瞬時に包み込むと、体の輪郭がぼやけ、徐々にその輪郭を大きくしていった。
数秒後には狼の体は現れた時よりも倍の大きさになり、包んでいた光が消えると共に狼は主であるシルバを見下ろさないように体制を低く、伏せるような形を取った。
「乗れ、リズリット」
地を蹴り、軽々と狼の背に乗ったシルバは次いで目を丸くしていたマリアに手を伸ばした。
巨大な狼に変貌したといえど比較する動物がいるとするならば『馬』程度の大きさだ。人が二人乗る分には十分なスペースが狼に背にはあった。
「は、はい」
騎士として色々な体験をしたと言えど狼に乗るという体験はしたことがないと少し戸惑いを見せるマリアの手を取るとシルバは力強く引き上げ、自分の後ろに乗せた。
「風の抵抗を受けないよう防御魔法を掛けておけ」
「分かりました」
瞬時に呪文を紡いだマリアに反応するように薄い黄緑色の光がシルバとマリアを包む。それを見届けたシルバは狼に合図を送り、狼はゆっくりと立ち上がった。
途端に高くなった視界に圧倒されそうになるもそこは騎士の一人、マリアは平然とした様子で狼の背に手を添えた。
『手を放すな、主よ』
その一言と共に狼が地を軽く蹴る。
刹那、凄まじい風が起こりシオン達は思わず目を瞑った。そして次に開いた時、そこにシルバとマリアを乗せた狼の姿は何処にもなかった。
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