Ⅸ 勇者と白髪の姫君 Ⅱ
「戦いって…」
「国を巻き込んでの大規模な戦闘です」
「それって―――戦争、ということですか?」
またも重くなった空気の中、驚く心音とユーリの険しい表情を見た後、ユキナはゆっくりと頷いた。
「一週間です。将軍の見立てによれば一週間後、隣国を壊滅させた魔王軍が我が国ウスレナッドに進軍する。…私達には一週間しか猶予が無いのです」
表情には出さないユキナだったが、憎しみや悔しさを全て拳に込めるかのようにギリギリと音を立て、握りしめていた。
(戦争…)
聞き慣れない言葉というわけではなかった。
しかし歴史の授業やテレビのニュースで流れた時など、自分の近辺では決して体験する事が出来ない事であるのも事実だ。
心音の世界でも戦争がないと言うわけではない。けれど先の言葉にあるように心音自身は体験したことも、目の前でそれが起きている状況すら自身の目で見たこともなかった。
それでも戦争がとても恐ろしく悲しいものだということは理解しているつもりだ。そう心音が眉間に皺を寄せていると、隣でユーリが小さく呟く。
「どの世界でも無くならないものだな…戦争というのは」
「ユーリさん…?」
何か言いたげな心音の視線にユーリは苦笑を浮かべるだけで何も答えなかった。
「私達は一週間で何が出来るのかと考えました。そこでユキヤ様がラルちゃんと出会ったのです」
「ラルと?」
そういえばと先程から姿が見えないラルを探す。
(ファイの方に付いて行ったのかな?)
そう一人納得する心音にユキヤが続ける。
「最初は変なウサギがいるなとしか思わなかったんだけど、話を聞いてみたら召喚獣を売っているって言うじゃないか。なら魔王軍を倒すための切っ掛けになるんじゃないか?…とまあ、そんな訳でこの事をユキナや陛下に進言したところ―――」
「私達が代表して此方にきた次第です」
ユキナとユキヤの説明に心音はポケットに仕舞っておいた注文書の紙を取り出した。
(そっか…じゃあやっぱりこっちの注文書はユキヤさんがラルに渡した物だったんだ。)
話しを聞く限り此処へ来たのは相当な覚悟があってのこと。けれど心音は今一度
注文書の真剣さを微塵も感じられない内容に苦笑を浮かべた。
だがその笑みさえ遮るようにユキナが声を荒げた。
「ですが…こんな所で―――アイツに出会うなんてっ!!」
何も言わず、只々見つめてきたシャッテンの姿を想いだしたユキナは怒りに顔を赤らめる。
「アイツが率いる軍がどれだけの人間を殺したのか!! 周辺諸国で残っているのはウスレナッドと隣国であるミナデリシアくらいよ! 他の国は全てが火の海に、血の海になったと聞きます! わが国でも…村の一つが!!」
強い怒りと憎しみの込められた言葉に心音の胸が痛む。実際に目の当たりにしたユキナの気持ちが心音の中にまで入り込んでくるようだった。
(…ユキナさんはきっと私が想像できないくらいのモノを見て聞いて、それでも前を見つめ、どうにかしてシャッテンさん達と戦おうとしてるんだ)
一国を収める王の娘という立場。その重さを心音は知らない。
けれど今目の前にいるユキナと言う少女は間違いなく、一国を自分の国を心から慈しみ、迫りくる危機を何とかしようと強く立つ凛々しき姫だった。
(でも、同じくらい……悲しく見えるのは何でだろう)
心音は自然と胸の辺りをきゅっと握りしめた。
「あの時…やっぱりアイツを!!」
ユキナの白髪のツインテールが怒りに逆立つように見えたその時、ユキヤが彼女の肩を押さえた。
「落ち着け、ユキナ」
「でもっ……でも、アイツはっ!!」
「此処での戦いは駄目だって、さっき言われただろう?」
ユキヤは肩から手を滑らせユキナの強く握りしめられた拳を包み込むようにやんわりと触れた。そして指の一本一本を解いて行くと露わになった血の出ている掌に自身の掌を重ね、握った。
その瞬間ユキナの目からは涙が零れ、ユキヤはそんな彼女を胸元に抱き寄せると涙を見せないように頭に手を添えた。
(ユキナさん…)
ユキヤの側で必死で泣かないように嗚咽を漏らすユキナに心音は先程の気持ちがどうしてなのか分かった。
(シャッテンさんに向けられた怒りと憎しみを糧に前に進もうとしていたユキナさんは確かに凛々しい。でもその姿がとても悲しく見えたのは―――)
「ユキナさん」
名を呼ばれたユキナはゆっくりと顔を上げると心音を見た。
「戦争って悲しい事ですよね」
「……。」
ユキナは沈黙したままだった。それでも心音は続ける。
「自分の国が多くの人が傷ついて…。そして何より“心”が傷つく」
「…!」
ユキナはハッと息を呑んだ。
それは図星だったからでも、心音の言う事が正論だったからでも、心音の言葉に胸を打たれたからでもない。
心音が―――泣いていたからだ。目元から溢れた涙が頬を伝い、地面へと吸い込まれるように零れ落ちて行く。
自分でも何故涙が零れたのか分からない。
けれど心音は自然と流れた涙を拭おうとは思わなかった。それよりも今は自分の気持ちを伝えなくてはならない気がしたから。
「ユキナさんはお姫様だから、それでも気丈に振る舞わなくちゃいけなくて…っ。だから怒りや憎しみは表に出しても悲しいって…そう言う気持ちは表に出せないんですよねっ?」
「そ、んな…ことは…」
震える声で心音の言葉を否定しようとするユキナだったが、強くユキヤの服を握りしめる手が彼女の本音だと気付く。
「私は国を治める人や戦争とか大きなことについて正直に言えば何も分かりません。でもユキナさんは…本当は戦いたくないんじゃないですか?」
「っ!!」
心音の言葉にユキナは目を見開いたまま固まり、ユキヤも驚いた顔でユキナを見下ろした。
「きっとたくさんの人が亡くなったんですよね…だから怒って、憎んで、仇を討ちたいって。でもそれはシャッテンさん達も同じなんじゃないかって私は思います」
「君はシャッテンの味方に付くということか?」
ユキヤの低く紡がれた言葉に心音はゆっくりと首を横に振った。
「私が見たシャッテンさんはユキナさんの話のような事をするような人には見えなかったから。
体調を崩した私を助けてくれて、色々と自分勝手なことを言ってますけど、その奥にはちゃんと彼なりの優しさや意志が感じられた。
だから私は…どっちがという事ではなくてシャッテンさんにも、ユキヤさんとユキナさんにも“傷ついてほしくない”。そう…思います」
言葉の最後を伝える際、心音は涙を拭った。
何も知らない今日会ったばかりの人間にこんな事を言われて納得できるわけが無い。もし自分もユキナと同じ側の人間だったならそう思う。けれどそれでも心音は言わずにはいられなかった。
此処へ来た“客”にはそれぞれ言えないような深い事情がある。それはサクラの件で散々ファイに首を突っ込むなと窘められた心音が一番良く知っていた。
(それでも―――)
「私は此処から元の世界に帰る時、少しで心を軽く…誰もが笑って帰って欲しいんです」
戦いに使われる召喚獣たちもいる。ただ愛玩用や護身用にと求めてくる客もいる。だがそれも全て“理由”があっての行為だ。
敵を打ち味方を護るため、誰か大切な人へと贈るため、自分の身を護るため。
クロムが心音に教えたのは召喚獣を育てる知識だけではなく、召喚獣を、ファームを通して色んな人と触れ合い、色んな“心”を知るということではないかと。そう心音は思う。
(今思っているのもクロムの言葉じゃなく、私が勝手にそう思ってるだけ。でも…それが此処で働いて私が感じたこと。)
「だから…ユキナさん達の世界ではない、この世界にいるシャッテンさんと話しをしてみませんか? 戦のないこの世界であの人はどういう人なのか。ユキナさん達の言っていた通りの人か。…もしかしたら本当は違うのか」
言葉を失い、ただ見つめてくるユキヤとユキナに心音は微笑みかけた。
(この方は…いったい……)
目の前に立つ少女は何者なのか。
初見では同じくらいの歳で明るく、そして人を気遣う心が全面に出ているような優しい少女。そんな印象だった。
(けれど今はまるで…別人のよう。それこそ私と同じ…いえ、それ以上のまるで―――多くの人に尊ばれ、多くの人に愛され、多くの人を導く“王”のような)
目が離せない。その凛々しい心音の姿にユキナが自然と口を開こうとした時、心音の笑みの雰囲気が変わる。
「なんて、偉そうに言いましたけど…実は私があの人の本心を聞いてみたいだけなんですけどね」
おどけた風に笑う心音に拍子抜けしたようにユキヤとユキナの目が点になる。
「だって思いません? あんなにユキヤさんに斬られまくってたのにピンピンしてて、挙句に心配してた私に“我は不死身だ!”なんて…どんな神経してるんでしょう。ね、ユーリさん?」
「え、俺!?」
「ユーリさんもそう思いません?」
「い、いや~! 俺は…あは…ははは」
先程の心音の話にすっかり驚きを通り越して関心していたユーリが我に返ったその隣で真剣に首を捻り考え込み始めた心音に、気づけばユキナとユキヤは互いに顔を見合わせると固く繋いでいた手から力を抜き、口元に苦い笑みを浮かべていた。
「何というか……凄いな、彼女。もう何度驚かされたことやら」
「ええ。」
(本当に…不思議な方。先程まで感じていたものが今は消えている)
心音に言われた言葉だけで内に潜む憎しみの炎を消すことは出来ない。それだけユキヤとユキナの魔族への憎しみや怒りは根深く、強大な闇なのだ。
「さっきの…戦いたくないって事実、なんだろ?」
「!!」
不意のユキヤの言葉は以前から知っていたかのように感じたユキナは一瞬、目を見開き、すぐに細めた。
「民を、世界を恐怖に陥れ、多くの人を殺した魔族を許すことは出来ません。だからお父様、ウスレナッド国王は戦争を…。で、でも…わた、しは……っ」
これ以上は言ってはいけない、とユキナの中にある王族としての使命感が待ったを掛ける。
「もう良いって。」
ユキヤはそっとユキナの頭に手を置くと、優しく撫でた。
「ユキヤ、さま…」
「でも、一つだけ答えてくれ」
「…?」
見上げたユキナの瞳には真剣な中に少しの寂しさを混ぜ込んだユキヤの表情が映る。
「嬢ちゃん…いや、ココネちゃんが言った事は全て……本当なんだな?」
「!!!」
(ユキヤ様は自分の口で本心を言えとは言っていない。ただ“ココネさんの話”についての真偽を訪ねているだけだわ。なら王の意思に…背くことにはならない?)
つい視線でそう訴えかけてしまったユキナにユキヤは真剣な顔つきのままゆっくりと頷いた。それを見た瞬間、ユキナの中で何かが弾けた。
「っ…ええ…ほんと、よ…っ…本当のことよ!!」
「……。」
少しの沈黙、けれどすぐにユキヤの雰囲気が優しいモノに変わった。
「おう!りょーかいだ!」
子供のように歯を見せてあどけなく笑ったユキヤにユキナの目元には涙が浮かぶ。
―――父である王が戦を決意したならばその娘であるユキナも戦を受け入れなくてはならない。けれどそれはまた多くの民が死ぬことであり、多くの憎しみを産むだけだと気付いていた。
けれど父に『戦をしたくない』と言えるわけが無く、独り悩み、いつしかそんな考えを胸の奥にしまい込んでいた。自分は姫なのだから、と。
けれどそれらを心音が見抜き、すべて曝け出してしまった。
ユキナが真っ先に考えたのは戦に赴くユキヤに「それは逃げだ」「それは臆病者の考えだ」と思われたくない。そればかりだった。
(けれどユキヤ様は受け入れてくれた。…私の考えを非難することもなく、ただ、笑ってくれたっ!)
頬を伝う涙にこれは先程の涙とは違う。
これは心から少しだけ…少しだけ闇が消えた証拠で、安堵した時に流れる涙だとユキナは気付く。
「な、泣くなって…」
「だって…ユキヤ様に嫌われたらと思って…っ」
「…っ。まあ、ユキナが俺に相談もしてくれねぇって少しグレた時もあったけどさ」
「そ、そうなんですか?!」
初めて知る事実にユキナの涙が一瞬引っ込む。ユキヤは撫でるの止めるとクスッと表情を崩した。
「でもさユキナが“ああ”思ってくれてたんだって知って…俺、今すごく嬉しいんだ。
確かに俺たちの憎しみは消えないかもしれない。でもココネちゃんの言う通り、俺たちも戦での“アイツ”しか知らない。なら此処でアイツについて何か知ることができれば……俺たちの世界も何か変わるんじゃないかって思ったんだ。戦をせずに、誰も傷つかない方法が…見つかるかもって」
「ユキヤ様…」
「ちょ、ちょっとだけだけどな!でも俺も…正直さ、戦って嫌なんだよね。まあ、アイツに斬りかかったことは謝らないけど」
ジトッとシャッテン達の消えた方角とは反対の方向を見たユキヤにユキナがクスクスと笑う。
「だって…もう大切な人に消えて欲しくないから」
「あ…」
どこか遠くを見つめるユキヤにユキナは彼の過去を思い出す。
大切な誰かが一瞬で消えた現実。それを言葉では知っていても、心までは流石に共有できない。
そんな歯がゆさにユキナが俯けばユキヤが頭上で笑った気配がした。
「これでさ、王の命に背こうとしたのは二人になった訳だけど……戻ったら、ちゃんと陛下に話してみないか?」
「そ、それは…」
「うん、難しい事だと思ってる。でもだからこそ…伝えるんだ」
ユキヤはそう言うとユキナをグッと抱き寄せた。
「あの日帰る場所を無くした俺を拾って勇者として城に置いてくれたのは他でもないユキナだ。俺は…お前だけの勇者でいたい。だから…その…もう一人で悩むなよ?」
頬を染めるユキヤの腕の中。そこから伝わる優しい鼓動と温もりに「ぐすっ」と声を零したユキナは次の瞬間、ユキヤが驚きを通り越してポカンとしてしまうほど情けないくらいに顔を歪めて泣きだした。
「はいぃ…!や、やぐそく…します!」
「いや、まあ約束してくれるのは嬉しいけど…と、とりあえず落ち着け! な?!」
「はひ…っ」
ポロポロと涙を零すユキナと彼女の涙を拭いつつオロオロするユキヤ。
そんな二人から少し離れた所で背を向けていた心音とユーリはちらりと後ろを振り返るとニヤけそうになるのを必死に堪えた。
「あーあ、惜しいな…。まあ、まだまだガキなんだな、あの勇者の坊ちゃんも」
「それを言ったら可哀相ですよ。…というか、あの二人ってやっぱりそういう関係なんですかね?」
「だと思うよ?」
互いに笑みを浮かべて二人を見守るように見つめていると、不意にユーリが真剣な表情で心音を見た。
「それにしてもココネちゃんって本当に凄いな」
「もう、さっきから何なんですか? また勘違いからそこまで、とでも言いたいんですか?」
先程の事をまだ根に持っているのか(自分の失態なのだが)心音はぷいっとユーリから顔を逸らした。
「いいや。ただ……俺には落とせないなって自覚しただけだよ」
「え…?」
「いやー!ココネちゃんって本当に凄いなー!」
「もう!何回言う気ですか!!」
「ははは!」
怒ったように声を荒げた心音にユーリが笑う。
けれど心音は聞こえなかった先の言葉、そして何より目の前で笑うユーリがどこか無理をしているようにしか見えない事が気になって釣られて笑うことは出来なかった。
その後、自分たちの様子をこっそりと眺めていた心音とユーリにユキヤたちが気付き、一行はようやく第二エリアへと向かった。
此処まで読んで下さり、ありがとうございました!
誤字脱字など、ありましたらお知らせください。




