Ⅳ ファーム主クロム
しばらくして、ジャングルのような森を抜けた。
その間あまり会話のなかった三人だったが、心音はジャングルの中であることに疑問を持っていた。
それは動物に一切出会わなかったこと。
蝶や鳥くらいはいてもおかしくないはずの森にはその影すら見当たらず、さらには木々に果物や花などが無く、ただただ葉だけが生い茂っていた。
(…この先に行けば何か分かるかな?)
そう思ったとき、彼女を背負うシルバが足を止めた。
それを不思議に思い、目の前を見た心音は自然と笑みを浮かべる。
「すごい…!」
森の木々が、まるでそこだけ抜き取られたかのように、円形の草原がそこには広がっていた。
中心は少し山のように盛り上がっており、その上には二階建ての洋風の家が建っていた。
外壁には何かの花の蔦がまとわりつき、絵本に出てきそうな少し古めかしい家。
その側には家より少し背の高い大きく太い幹の樹が堂々と立ち、一つの太い枝には手作りのブランコが風に揺れていた。
「あれはクロムとファイの住む家だ」
「可愛い家ね!」
「可愛いって言うなよ!」
反論するファイを一人置いて、シルバは心音を背負ったまま緩やかな坂を上り家へと向かう。
すると家の前に木製の二人掛けベンチがあり、そこに一人の青年が横になっていた。
サラサラの黒髪が頬に掛かり、黒い布をお腹の辺りにだけ掛け、すぅすぅと寝息を立てている。
(この人が…クロムさん?)
そう心音が疑問に思っていると、シルバが短く息を吸った。
「おい!火事だぞ!!」
「え!?」
シルバの突然の叫びに、心音は辺りをキョロキョロと見回す。
けれどどこにも火の手は上がっておらず、心音がシルバに訪ねようとした瞬間。
バサッと黒い布が宙を舞い、寝ていた青年が飛び起きた。
「どこ!?……って、あれ?シルバ?」
黒い瞳を光らせ、心音同様辺りを見回した青年は目の前にシルバの姿を見つけると、その目を丸くした。
そして先程の声がシルバのものだと気付くと、彼はため息を吐いたのだった。
「起こして悪かったな、クロム」
「ん、毎回こんな起こされ方じゃ、身が持たないと思う。」
「それはすまない。だが普通の起こし方では、お前は起きぬからな」
(…そんなに寝起きが悪いんだ…そうは見えないけど)
心音が二人のやり取りを聞きながら、彼がクロムだと理解した時、ふとそのクロムと目が合う。
彼は眠たそうな顔を不思議なものを見るように変え、心音を見つめた。
「?…その女は、誰?」
「あっ、あの…」
「こいつはミカセココネ。…早速で悪いが、コイツをお前の所で雇って貰えないか?」
「え…えぇ!?」
突然のシルバの言葉に、心音が驚きの声を上げる。
しかし同様に、後ろからやってきたファイが不満そうに声を上げた。
「なんで、この女を雇わなきゃいけないんだよ!」
「そ、そうだよ!いきなりそんなこと言われても…」
困惑する心音に、シルバは横を向きながら視線を心音と合わせた。
「さっき言っただろう。ここは商業の国で、子供も働かなくてはいけない国だと。
それは異世界から来た者とて、一緒なんだ。この国、この世界に留まるということは、此処で働くしかない」
「だけど、私…働いたことは無いし、この世界の事も何も知らないのに…どんな仕事をしろって…!」
「なら…あの男たちのように、犯罪だと分かっていながら…あの仕事をするか?」
「…っ!!」
きつく言った言葉だったが、シルバの言ったことは正論だった。
何も知らないからこそ、あの髭男たちのように良い人を装った人々に引っかかってしまう。
もしあの時、シルバが助けに入っていなかったら。
そう考えるだけで、心音の鼓動が嫌な音を鳴らした。
(あの人達みたいな仕事はしたくない!…だけど、私に働くなんてこと出来るのかな?)
アルバイトすらしたことのない心音が、見知らぬ世界で働くということに不安を抱くのは無理もない。
けれど働かなければ、此処では生きていけない。
現実を突きつけられ、考え込むように俯いた心音。そんな彼女をシルバは真っ直ぐに見つめ、答えを待った。
「うん、いいよ」
その時、まったく予想だにしていなかった人物の声がシルバと心音に届く。
それは数分前のシルバの質問に、クロムが遅れて答えを返したのだった。
しかもその言葉は心音を此処で雇ってもいいというものだった。
「本当…ですか?」
いくら人をなかなか信じられずにいる心音でも、コレばかりは迷うことなく疑った。
それは自分から頼んだシルバでさえ、疑う程だった。
「本当ならば、凄く助かるのだが…」
「うん。…今、人手不足だから…いいよ」
「あ…ありがとうございます!」
心音はシルバの肩越しにクロムを見つめると頭を下げた。
(不安は多いけど、働かなくちゃいけないのなら…精一杯頑張ろう!)
前向きに。そう心を奮い立たせた心音に、不機嫌な声が上がる。
「何でだよ!クロムさん!…俺だけじゃ、不満なんですか!?」
「ファイ…」
泣きそうな顔でクロムを見ていたファイは、次いでシルバの背にいる心音を睨んだ。
(な、なんで…睨むの?)
その鋭い視線に絶えかねた心音は、シルバの肩に置いていた手に少し力を入れた。
それに気付いたシルバは、ファイの方を向くと一言。
「これから一緒に暮らすコイツにそんな態度取っていると…クロムに嫌われるぞ。」
グサッ!…そんな音が聞こえてきそうな程、ファイはシルバの言葉に胸を押さえよろめいた。
それを見ていたクロムはファイに近づくと、彼の頭をポンポンと二回撫でる。
「ファイのことは…頼りにしてるから。元気出して」
「っ!!クロムさん…!」
完全に二人の世界…なるものにはまっている二人を見ながら、シルバはそっと心音を地面に下ろした。
「仕事はクロムが教えてくれる。住み込みという形になるだろうが…後は此処で仕事をしながら、帰る方法を見つけるんだな」
「うん…。……あの、シルバ」
「?…なんだ?」
「最初の時もファイくんの時も、そして今も…助けてくれて、ありがとう。
…貴方みたいな人に出会えて、本当に良かった」
恥ずかしそうに頬を染めながらも、心音は嬉しそうな笑顔をシルバに向けた。
するとシルバの頬も少し赤みを帯び、ハッとしたように顔を背けた。
「…別に。…助けたつもりはない。ただ仕事をしたまでだ!勘違いをするな!」
「仕事…って?」
「シルバの仕事は迷子の異世界人を保護したり、犯罪者を捕まえたりする仕事。
騎士…という括りに入るけど、シルバはその上“仮面騎士団”と呼ばれる組織の一員。超一流の騎士だよ」
いつの間にか話に加わってきたファイが、興味なさげにそう言った。
(それって…日本で言う、警察官ってこと!?)
心音はあのお決まりの青色の制服に身を包み、敬礼する姿を思い浮かべる。
シルバを見れば、彼のマントは青色。そしてそのマントを止める金具には何やら紋章のような物が刻まれていた。
それは日本と変わらぬ、桜をモチーフにしたような絵柄だった。
(それじゃあ…私を助けたのは、仕事のため?)
そんな考えに行き着いた心音は、悲しみが押し寄せ泣きそうになる。
けれどシルバはそんな心音に気付くと、そっと頭に手を置いた。
「気が向いたら、度々此処にも寄ってやる。だから……頑張れよ」
それだけ言うと、シルバは手を放し、皆に背を向けると歩いて行ってしまった。
(今のは…)
先程のシルバの温もりが心音に伝わる。
それは仕事ではなく、自分の意志で助けたのだと、教えてくれているようだと心音は思った。
「っ!ありがとうー!シルバァー!」
遠くなる背中に、心音は手を振りながら叫んだ。
その声に、シルバは手を上げて答えたのだった。
(…よしっ!こうなったら、とことん働いて、帰る方法を探すぞー!)
──突如として、一人違う世界に来てしまった心音。
しかし彼女の不安を晴らすように、空に輝く太陽が心音を照らしたのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
4話一気に更新いたしましたが、誤字脱字等ございましたら、お知らせ頂けると幸いです。