Ⅲ 魔法中毒
「えっと…はは」
(聞き間違いだよね?…魔王だなんて、ね?)
乾いた笑い声を上げる心音にシャッテンは体を反らすほどの笑い声で返した。
しかし認めせざるおえない目の前のシャッテンという自称魔王の容姿に心音は遅れて反応を返した。
「魔王!?本当に!!?」
「なんだ?疑っておったのか…ならばこれを見れば納得するか?」
驚愕のあまり変なポーズを取る心音にシャッテンは胸元からチェーンに通してある指輪を取り出した。
エメラルド、サファイア、ルビー、ダイヤモンド、オニキスが間隔を開けはめ込まれた金の指輪をチェーンから外し手に乗せるとシャッテンは心音に見せるように少し身を屈めた。
「我が魔界の王に代々受け継がれる魔王の証だ。これと対を成す銀の指輪も持っておるのだが、それは生涯の伴侶となるものに渡すためにと厳重に保管されているため、今は持ってはおらぬ」
「わぁ…綺麗」
「そうであろう!我が魔界の腕の良い職人に創らせたものだと聞いておるからな!ふははは!」
「へえ!」
心音と目線を合わせるように顔を寄せて笑うシャッテンに心音は顔が近い事にも気づかず、指輪に顔を寄せた。
「うむ…。近くで見れば見るほど可愛いのう」
「え…。っ!?」
覗き込むようにしてもっと顔を寄せてきたシャッテンに心音はやっと自分がとても至近距離にいたことに気付き慌てて後ずさった。
「な、ななな!!?」
(か、可愛いって言われちゃった…)
先程知り合った男性(魔王だけど)に言われなれない言葉を言われた心音は不覚にもキュンとしてしまう。
赤くなっているだろう頬を押さえ上目遣いに睨み付ける心音にシャッテンは照れたように頬を掻いた。
「うむ。半分はからかったつもりであったのだが……これはいかん」
「え?」
彼の小さな呟きが聞き取れなかった心音が聞き返そうとした瞬間、一瞬にしてシャッテンが心音の目の前に立つ。
「お主の名は?」
「えっと…心音です」
だんだんと顔を近づけてくるシャッテンから遠ざかるように顔を逸らし後ずさろうとした心音はいきなり腰に手を回され反射的に顔を上げる。
あと数センチで鼻先が触れあってしまいそうな距離に端正なシャッテンの顔が迫り、心音の顔が真っ赤に染まる。
「ココネか…なるほど、其方が」
「え…?」
まるで自分を知っているかのようなシャッテンの言動に一瞬反応してしまうも顔の近さにそれもすぐ忘れてしまう。
「いや、近いですって!」
セクハラで訴えてやろうか。と渾身の力で腰に回された手を引きはがそうと試みるもシャッテンの手は接着剤でくっつけたかの如くびくともしなかった。
「ココネ、我の伴侶にならぬか?」
「お断りします!!」
心音の即答にもシャッテンは強いな笑みを浮かべると闇色の瞳で心音の瞳を見つめた。
「強がるお前も可愛いな?」
一瞬、シャッテンの瞳が光る。
心音はその事に気付くも今はどうにかしてシャッテンから離れようと体を捻る。しかし瞳は彼に惹きつけられるように離す事が出来なかった。
(いつもなら、こんな奴セクハラで訴えて引っ叩いてやるのに!)
思うように身体が動かない事と不自然に火照る頬のまま心音は近づくシャッテンの顔を凝視した。
トンッとドラゴンフルーツの生る木に背が当たり、いつの間にか追いつめられしまった事に気付く。
「ココネ…」
(ま、まさか…キスするつもり!?)
今にもシャッテンにキスされそうなほど顔を近づけられた心音が目をきつく閉じたその時―――背後の茂みがガサガサと音を立て揺れ、赤い何かの影がちらついた。
「よっと…ふう。まるで迷路だな此処は…シルバはいつもどうやってココネちゃんたちのいる家に行ってるんだ?」
現れたのは騎士の制服を着た赤い髪が特徴の青年。
帯刀する剣の鞘に刻まれた印と胸元の紋章が『騎士団』の象徴である十字を模った剣をしている彼はヒガミヤ騎士団 団長のユーリ・ファインだった。
“あの事件”以来、時々ファームを訪れてはファイやココネと談笑し本当に何しに来たのかと思わせるほど長居をしてから帰っていく少しサボり癖のある騎士である。
「えっと…家はどっち――――っ!!?」
彼は髪や服に付いた葉や苔を落とすと目の前に視線を動かし目を丸くすると固まった。そこには漆黒の翼を背に生やした見知らぬ男が心音を木に押し付け無理やりキスしようとしている光景が広がっていた。
「ココネちゃん!!」
ユーリは我に返ると怒りを露わに剣を抜き放つと心音と男の元へと駆け出した。
「ゆーり、さん…っ!」
ユーリの声に気付いた心音が目を開ければ、銀色の剣がシャッテンと心音の間に振り下ろされる。
「っ、危ないのう」
だがシャッテンは軽々と剣を避けると後ろに飛んだ。
その瞬間、崩れ落ちるように地面に座り込んだ心音の前にしゃがみ込みユーリは彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫!?」
「あ、ありがとうございます…ユーリさん」
ほっとしたように微笑を浮かべる心音に無事だということ確認したユーリも安堵の息を吐く。そして再び剣をシャッテンに向けて構えた。
「何者だ! 女の子に、しかもココネちゃんに無理やり…その、キ…キ……しようとするなんてっ!!」
自分の口からは言えないとばかりに今度はユーリが顔を赤らめてしまった。
(ユーリさん…)
彼の意外な一面を知ってしまった心音が呆れたような視線を向ければ、ユーリはハッとしたように剣を構え直しシャッテンを睨みつけた。
「と、とにかく! 男として最低な行為だ! 名を名乗れ!」
「ふん、名を聞く前にまず自分から名乗るのが筋と言うものではないのか?」
心音に対しての態度とは正反対に冷たい双眸でユーリを見つめ腕を組むシャッテンにユーリの眉がピクッと反応する。
だがシャッテンのある一点に目を留めたユーリは小さく息を呑むと、表情を引き締めた。
「…これは失礼した。私の名はユーリ・ファイン。此処、ヒガミヤ領を護るヒガミヤ騎士団を纏める長をしている者だ」
いつもと違うユーリの規律正しい態度に心音が驚きを隠せないでいると、ユーリは剣を腰の鞘に納めた。
「その指輪から察するに貴方様は魔界の王シャッテン・フェルカー殿とお見受けする」
「ほう…。騎士団の中でも上位の者しか知らぬ情報を知っているという事は…お主、少しはやるようだな」
「恐れ入ります」
堅苦しい会話になってしまった二人に疑問符をたくさん浮かべる心音はとりあえず立ち上がろうと側の木に手を着いた。
「あの…ユーリさんはシャッテンさんを知っているんですか?」
「ああ、うん。昔、仮面騎士団を統括しているヴァン総隊長殿に聞いたことがあるんだ。此処とは別の世界にある魔界という場所を統括する王がいて、その人の名がシャッテン・フェルカーだと。
でも、まさかこんな所で本人に会えるとは思っていなかったけどね」
ユーリが心音からシャッテンに視線を戻せば、シャッテンは腕を組んだまま誇らしげに顎を上げた。
「我もそこまで有名だとはな!もっと褒めて良いぞ、若造!」
「いや、別に褒めていませんけど…」
ユーリが苦笑を浮かべると高笑いをしていたシャッテンは不意に空を見上げた。
「まあ、我も大事な用件があり此処に来たまで。此方の世界に再び来ることになろうとは思わなかったぞ」
「あ…。もしかして、この依頼ってシャッテンさんが?」
「ん?どれどれ…」
シャッテンの口ぶりに彼が召喚獣を求めてやってきたのだと思った心音はポケットにしまった“あの”注文書を取り出した。しかしその注文書を受け取ったシャッテンは眉間に濃い皺を寄せると注文書を心音に返した。
「我はこのように汚い字は書かん。我の字はもっと高貴な字ぞ?それに紙ももっと上質な物のはずだ!」
侵害だ。とばかりに頬を膨らませるシャッテンに同じく注文書を覗き込んでいたユーリもその文面に顔をひきつらせた。
「た、確かに…酷いですね。ココネちゃん、フェルカー殿の言う通りこれは間違いじゃないのかな?」
ユーリのいう事に同意だった心音は頷きつつ注文書を仕舞った。
(じゃあ、この注文は嘘?でもシャッテンさんも注文書は書いているみたいな事を言っている…。じゃあ、その注文書は何処に?)
とにかく客に渡す為の実を見つけた事とシャッテンの事をファイに伝えなくては。そう考え心音は木を伝い歩き出そうとした。
しかし脚に力が入ることは無く、そのまま倒れ込んでしまう。
「あっ…」
「ココネちゃん!?」
慌てて駆け寄ったユーリは俯せに転んだままの心音を起こした。
「す、すみません…」
ユーリの手を借りて立ち上がるも、ふらふらと足元がおぼつかない心音にユーリは心配そうに眉を寄せる。
「もしかして、何処か具合でも悪い?」
「いえ、そんなことは…」
そうは言ったものの、だるさと顔の熱さ、そして体を震わせるほどの寒さを感じ心音はユーリに寄りかかる。その様子をじっと見つめていたシャッテンが口を開いた。
「少しやり過ぎたか?」
「フェルカー殿…本当に何もしていませんよね?」
疑いの眼差しを向けるユーリにシャッテンがムッとしたように唇を尖らせる。
「“まだ”しておらぬわ。お主の邪魔さえなければ…!」
「貴方、それでも魔王ですか!?こんなに可愛い女の子に…!」
ぎゃいぎゃいと言い合いをするユーリとシャッテンの声を聞きつつ、心音は目の前が霞みユーリの腕を掴んでいた手からも力が抜ける。
(あ、あれ…?)
「え…あ、っと!?」
ずるっと地面に向かい倒れ込みそうになった心音を間一髪でユーリが抱き留める。
しかしそのまま心音は瞼を閉じると気を失ってしまった。
「ココネちゃん!?いったい何が…!!」
ゆっくりと心音の体を地面に寝かせたユーリが焦りの声を上げる。
「少し黙らぬか」
「は!?」
「黙れと言ったのだ。」
「――――っ」
腕の中で荒い呼吸を繰り返す心音に動揺するユーリを睨み付け、シャッテンはぐったりとした心音の額に手を伸ばすとそっと触れた。
その額の熱さと何かを察知したシャッテンは顔をしかめる。
「ふむ…。どうやら魔法中毒のようだ」
「魔法中毒…というと魔力をあまり持たない人が魔法をたくさん身体に浴びて魔力を貯め込んでしまうことにより、通常時の体内にある魔力の許容量を超えてしまい体に異常をきたす病気ですよね?」
医学の専門者ではないにしても、各地に派遣される騎士団の一員であるユーリは同じ団にいた魔法使いの話を思い出す。
彼は昔訪れた村で怪我をした少年を治癒魔法で治療した。しかし、少年は元々魔力の量が少ない体質だったようで魔法使いの彼が掛けた魔法の魔力が体に残ってしまい高熱を出してしまったそうだ。
その少年は大事には至らなかったが、もう少しでも治癒時の魔力が多く注がれていたら…少年は生きてはいなかったそうだ。
(けど最近は魔力の少ない子供が生まれるということは激減したと聞く。それに医術だって…)
この世界には確かに魔法使いが治癒する例が多くある。しかし魔法中毒という一歩間違えれば死に直面してしまう病を知ってからは魔法を使わぬ医術も進化していった。
「てっきり、もう魔法中毒という病気は消えたものだと思っていました」
ユーリは目元を細めると心音を見つめた。
「そんなものはお前たちが勝手に思っているだけだろう」
「え…」
シャッテンは鋭い口調でそう言うと心音の額に触れていた手を放し、ユーリと視線を合わせた。
「この国以外の事をお主はどれほど知っておる?」
「それは…人並み程度には知識はあるかと」
「知識だけでは現状というものは分かるぬだろう。時間が流れればそれだけ国の在り方も変わってゆく。良くも悪くもな。それを肝に銘じて置け、若造よ」
返す言葉が無いとユーリが唇を噛みしめる。
そんな彼の手から心音を抱き寄せたシャッテンはそのまま彼女を横抱きに抱え上げると立ち上がった。
「どこへ…?」
「決まっておる。此処の管理者の元へだ。ココネも此処の関係者なのだろう?」
「は、はい。そうです」
「ならば黙って付いて来るがいい」
颯爽と歩き出したシャッテンを唖然とした表情で見つめていたユーリは慌ててその後を追った。
(ヴァン仮面騎士総隊長に聞いていた通りの人物だ。魔界に巣くう魑魅魍魎や凶悪な魔物たちをその凛々しい容姿と威厳ある言動で屈服させ、何より誰にも負けぬ魔力の持ち主。…流石は魔王だな)
ユーリは一歩後ろを歩き自分の冷静さを欠いた行動を反省しつつ、尊敬の眼差しでシャッテンを見つめた。しかしその視線に耐えきれなくなったシャッテンは目を泳がせながら呟く。
「……先程、我に惚れるよう強い魔法をココネに掛けた事が中毒の症状を引き起こしたかもしれん。なんて、言えぬ」
幸いにもユーリには聞こえていなかったが、シャッテンは腕の中で苦しそうに呼吸をする心音に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(しかし…)
シャッテンは心音の顔を見下ろし、目元を細めた。
(クロムも“面白いもの”を此処に置いているな)
次いでシャッテンはニヤリと口角を上げて笑う。
(今はココネの治療が優先だが…後でじっくりと聞くことにしよう)
胸中でそう呟いたシャッテンはユーリを伴い、クロムの家へと歩き出した。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
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