ⅩⅨ 平穏の訪れ Ⅱ
どこか楽しそうなユーリと頭に疑問符を幾つも浮かべるカシックを先頭に、シルバ達はヒガミヤ街の南方に位置するカシックの祖父が営む「ジンセット書店」を目指し歩いていた。
「あのー…なんで祖父ちゃ…っと、祖父の家なんでしょうか?」
「ん?なんでも、彼らがそこで本を買ったことがあるそうで……今回の件に自分も関わっているから、復興の手伝いをしたいって。それでまずカシック君のお祖父さんの手伝いをしに来たって訳だよ」
説明しながらもユーリは足を止めない。それに付いてぞろぞろと歩く騎士達の姿は周りには奇異なものに見えたことだろう。
いや、寧ろ何かあったのかと不安な表情を浮かべる者たちの方が多かった。
この街の警護に当たる騎士達の中でも隊長格である者たちが全員揃っているのだ。不安にならない方がおかしいだろう。
「お、着いた!」
ユーリの軽快な声に反応するように皆が視線を先に移した。
外観からはそこまで被害を受けた印象のないジンセット書店では、入口である両開きの扉前に大量の本が積まれていた。
中には二メートルにもなる高さまで積まれた本がグラグラと揺れているものまであった。
「…大掃除ですか?」
ユクンが訝しげにカシックに問うも、彼もまた事情を知らない一人だった為にどう答えればいいか分からず視線を彷徨わせていた。
その時、本に占領されていない片側の扉が開き、中から五冊以上の本を抱えた心音が姿を現した。
「あ!ココネちゃ~ん!」
心音に歩み寄りつつ手を振るユーリに気付いた心音は、手に持っていた本を積まれた本の上に置くとペコリと頭を下げた。
いつもポニーテールで纏めている髪を今日は下ろしており、服装は紺色のハーフパンツと白の長袖パーカーで、それは彼女の高校指定のジャージだった。
「…あ」
ユーリに続き歩み寄って来た騎士達に気付いた心音は少し緊張した面持ちに変わったが、その中にシルバの姿を見つけると自然と緊張は解けていった。
「今朝方ぶりだね、ココネちゃん」
「はい、今日はありがとうございます!」
ニコニコと見つめ合うユーリと心音にしびれを切らしたシルバが声をかける。
「色々と聞きたいことが山ほどあるのだが…。まずは、どうしてお前が此処にいるんだ?ファイは一緒じゃないのか?」
落ち着いたとはいえまだ事件から日にちは経っていない中、異世界人である心音を街に一人で来させるわけが無いと踏んでいたシルバは怒りを含んだ視線を心音に向けた。
それでなくとも危険な目に遭ったというのに、そんな場所に一人で来るとは思っていなかった。とシルバの目が語っていることに、心音はどこから説明しようかと思考を廻らせる。
「あ、あのね…」
心音は身振り手振りを交え話し始めた。
――――ファイを助けた後、心音は二日も寝込んでしまっていたらしい。
目が覚めて最初に飛び込んできたのはクロムの家ある自分の部屋の天井と泣きそうなファイの顔だった。「ごめん」と何度も謝りながら抱きついてきたファイを受け止め、やっと何もかもが終わったように思えた、と心音は安堵の息を吐いた。
その後、落ち着きを取り戻したファイに心音はクロムの事が気になり尋ねた。
ファイが言うにはクロムもまた一日寝込んでいたらしいのだが、目が覚めた後は家の地下に籠りきりだという。
心音は知らずにいたが家の地下にはクロムの秘密の部屋がある。その事よりもクロムの体を心配した心音は彼が地下で何をやっているのかとファイに尋ねたが彼もその理由を知らないらしい。
『これは推測だけど、ファームの結界が壊れたからだと思う。』
『結界…って、あれ?』
窓の外。空に見える割れ目のあるドーム状の透明な膜を見上げた心音に、ファイは続けた。
『ファームにも人と同じように魔力があるから、地下はその魔力を使うことが出来る場所なんじゃないのかな。それで結界を元に戻そうとしてるのかも』
そう言ったファイは酷く辛そうな顔をしていた。
自分が壊してしまったのだと薄々気づいているのかもしれない。いや、ファイは龍に呑まれていた時の記憶はないが、感覚的なものは覚えていた。
何かを壊したり、魔法を使ったり。…誰かを傷つけた時の衝撃を。
自分のしてしまった事への罪悪感と、それをどう償えばいいのか分からないと泣き叫んでいるようなファイの表情に、心音は「今できる事をしよう」という言葉を口にした。
それは彼女がこの世界に来た時に自分自身に向けて放った言葉であった。――――
「それで私とファイは目が覚めてから今日までの五日間はファームの整備をしてたんだ。結界だけじゃなくて畑や木々の地面も色々と被害が出てるところも多かったから…」
ファームの惨状を知るシルバはその言葉に小さく頷いた。
(寧ろ龍が暴れたにも関わらず被害が最小限に防がれたことの方が不思議だ。…“運が良かった”と言って良い…のかは別として。)
「だけど、それとココネ…さんが此処にいる理由とはどう繋がるんだ?…あ、いや、繋がるのかな?」
グランが話し辛そうに疑問を投げかけると、心音は小さく笑った。
「心音で良いですよ。それに喋り方も気にしないで下さい。話しやすい話し方で大丈夫です」
可笑しそうに楽しそうに笑う心音にグランは益々話すことを躊躇しそうになり恥ずかしげに少し赤くなった頬を掻いた。
「それは俺が説明しよう!」
演技がかった動作で人差し指を立てたユーリに、皆が白けた視線を向けた。
だがそんなものは日常茶飯事だ!と軽く逆切れしたユーリは構うことなく話し出した。
―――心音の言う通り彼女たちはファームの整備をしていた。
しかし其方にばかり気を取られていた所為か私生活の方が疎かになってしまっていたのだ。
食事から始まり洗濯や身の回りの掃除…など。
気が付けば棚や窓枠には埃がたまり、食料のストックもファームで育てている野菜以外は底をつき、洗濯を終えた清浄な服も無くなっていた。
そこで一人はファームに残り洗濯等の家事を、もう一人は街で食料や服の調達をすることにしたのだが…。
『俺が街に行くべきだけど…でもクロムさんの護りを放棄することは絶対にダメだし…。でもココネを一人で街に行かせるのはもっとダメだし…かと言って此処にココネとクロムさんだけを残して行くのはもっともっとダメだし!!あ~~!!!』
頭を抱えたまましゃがみ込んだファイと共に心音が途方に暮れていた所に、結界が壊れた事で簡単に中に入る事が出来るファームに街の外の見回りをしていたユーリが一人で訪れたのだ。――――
「で、俺がココネちゃんを護衛して街まで連れてくよって伝えたらファイ君が“快く”了承してくれたんだけど…」
「復興に全て食料などを回していることに気付いたユーリさんの助言で、復興の手伝いをする代わりに食料や衣服を分けてもらえることになったんです。」
「それでどうせなら知り合いの手伝いをしたらどうかってことで、このジンセット書店を彼女は手伝ってたって訳だよ。ね?」
「はい」
自信満々に語るユーリとその説明に付け足すように話す心音に、皆がコソコソと顔を寄せ合う。
「どう思う?」
「話し自体は本当の事だろう。ココネが否定していない」
「そうですね、シルバ隊長の言う通りかと。」
グランの問いにシルバが答えシオンも頷く。
「問題は“あれ”ですね」
「はい。快く…という所の真偽が問われます」
「ええ。うちの団長ですから。」
「そうっすね、ファイン団長ですし。」
ユクンの言葉にフォルマがキーワードを付けたし、マリアとカシックが大きく頷いた。
「お前ら…っ…丸聞こえなんだよ!!」
憤慨したユーリに対し騎士達は「冗談だ」笑い声を上げ、いじけそうになっているユーリを構い始めた。
「おやおや…にぎやかだと思ったら、騎士団の方々ではありませんか」
「マリクさん!」
騎士達のじゃれあう声に微笑ましげな笑みを浮かべた老人が書店の中から顔を覗かせる。
ジンセット書店店主にして守衛騎士団カシック・ジンセット副隊長の祖父である彼、マリク・ジンセットは身に着けていた濃い緑色のエプロンを外しながら騎士達へ歩み寄ると、爽やかな笑みを浮かべ店の中へと皆を促した。
「店先ではなんですから、中でお茶でもどうぞ。孫がお世話になっている方たちに、とっておきの豆をブレンドしたジンセット特製ブレンド珈琲をご用意いたしましょう」
「しかし…」
突然押しかけてしまった事を申し訳なく思ったグランは断わりを入れようとした。が、そこで先程から重く固い表情で話にも加わらず離れた所で自分たちを見つめるレオナルドたちに気付くと、同じように何か言いたげにするユーリと目配せをし、頷き合った。
「では…お言葉に甘えて」
表情を引き締めつつ笑みを浮かべたグランに、マリクは何かを察したのか穏やかに微笑むと先に店の中へと入っていった。
「じゃ、さっきの話の続きは中でしようか!ね、ココネちゃん?」
「はい、分かりました」
コクリと頷いた心音に満足げな笑みを浮かべると、ユーリはレオナルドの方へと歩み寄り彼の手を強引に引っ張った。
その直後、シルバは心音に近づくとそっと彼女の頭に手を置いた。
「そういうことなら俺に言えば良いだろう…」
「そういうことって?」
シルバに心音が気を取られている間に、グランやレオナルドを連れたユーリ達が店の中へと入っていく。
いずれ対面しなくてはならないと言っても、まだレオナルドとルークは心音にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
そんな不安を察したのは同じ騎士だ。彼らは見事な連携で心音の意識を逸らした。
「ファームの事だ」
皆が入ったのを確認し、シルバは再び心音へと意識を戻した。
「だって…シルバは騎士の仕事で忙しいと思ったし、何より頼り過ぎるのもどうかと思ったんだ」
ファイが龍に飲み込まれた時と、心音が攫われた時も助けに入ったシルバ。そんな彼にこれ以上甘えられないという彼女なりの配慮だった。
しかしシルバにはそれが気に入らなかったのか、心音の髪を乱暴に掻き乱すと低く言葉を紡いだ。
「頼るも何も、お前の頼みなど所詮、俺にとって気に掛けることも無い小さな事だろ」
「なっ…!」
(それって私の悩みは気に掛ける気も起きない程ちっぽけなものだってこと!?…一週間とはいえ久しぶりに会えて少しでも嬉しいと思った私が馬鹿みたいじゃない!)
容赦のないシルバの言葉にカチンときた心音は乱暴にシルバの手を払いのけると、睨み付けるように彼の顔を見上げた。
だが仮面に隠れ見えないはずの彼の柳眉が寄せられているように見え、心音は目を丸くしたまま凝視してしまう。
「だが、一度でも頼まれれば俺は解決するまで全力を尽くす。例え小さなことでも、だ。」
「え…うん。」
何が言いたいのだろう。と、思考が定まらず気の抜けた返事しか返せなかった心音に、シルバは小さく息を吐くとズイッと顔を寄せた。
僅か数センチと言う距離で、仮面から覗くアメジストの瞳が少し熱を帯び揺れる。
「何故……俺ではなくユーリなんだ」
「え…?」
数秒、二人の時が止まったかのように鎮静が辺りを包む。
「っ!…何でもない。」
ハッとしたように離れたシルバはそのまま心音に背を向けるように店へと足を向けた。
(…え。い、今のって……)
去り際に、シルバの頬が少し朱に染まっていることに気付く。
(うそ…もしかして……?)
そんな訳ない。と考えるも、先程のシルバの熱の籠った瞳を思い出すと心音の頬が熱を持った。
――――その頃、店の中に入ったシルバは壁に背を預けると天を仰いだ。
(ユーリに頼ったのはファームに寄ったのが奴だったからだろう。特に深い意味はない…はずだ。その…はずなのだが…)
先程の自分の発言が脳内で再生され、シルバはかあっと熱を持った頬を隠すように手の甲を仮面に押し付けた。
(アレではまるで…)
「……嫉妬、だ」
認めたくない感情を押し込めるようにシルバは深く息を吐いた。
しかし心音に言ったあの言葉は、紛れも無く自分の『本心』紡いだ言葉であったことにシルバは気付いていた。
「シルバ、マリクさんが二階の私室を貸してくれるそうだ。ココネちゃんとレオナルドたちをそこで会わせたいんだけど…いいか?」
「っ…。ああ、分かった。」
スッと音も立てずに現れたユーリに一瞬息を呑んだシルバだったが、すぐに平静を取り戻すと遅れて店の中に入ってきた心音を伴い三人は二階へと続く階段を上っていった。
「あれ?なんかココネちゃん頬が…赤くない?」
「そ!?そんなことないです!」
「そ、そう?」
少し赤くなった頬を押さえながら抗議する心音と不思議そうに瞬きを繰り返すユーリとのやり取りに、彼らの後ろを付いて歩き出したシルバが柔らかな笑みを浮かべた事は秘密である。
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