Ⅲ 育成ファーム・クロム
空の青いキャンバスに白い雲が幾つも描かれている。その下には見渡せるほど広大な草原に、 誇らしく咲き乱れる色とりどりの花たち。
そんな草原の真ん中に敷かれた道に、心音とシルバはいた。
「あの…シルバさん。」
数歩前を歩く背中に、心音は声をかけた。
「今度はさん付けか…まあ、いい。なんだ、ココネ」
歩みを止めることなく答えたシルバに、心音は唇を尖らせる。
(アンタは呼び捨てかい…)
危うく売られてしまいそうになった商店街を抜け、広がる自然に感激と驚きの表情を浮かべていたのは数分前。
心音の今の表情には疲れの色が見えた。
それもそのはず、広大な草原を歩き出してから既に一時間近くが経ち、その間ずっと歩き続いているのだ。
そろそろ目的地を知りたくなってきた心音は、シルバに問いかけたのだった。
「どこまで行くんですか?まだ着かないんですか?」
「…もうすぐそこだ。口を動かす暇があったら、足を動かせきびきび歩け」
「うぅ…その足がもう限界ですよー!」
疲れと苛立ちに、心音は叫ぶ。
それを聞いたシルバはため息を吐くと振り返った。
「一瞬で着いたらいいのか?」
「え…?」
シルバの言葉の意味が分からず首を傾げた心音は次の瞬間、シルバの脇に抱えられる。
「ちょっ!?」
「口を開くな。舌を噛むぞ」
「え、ちょっ…ちょっ、まっああー!?」
何をするの?と問いかける前に、心音の体は宙に浮いた。
それはシルバが地面を強く蹴り、空高く飛んだ為だった。
(空飛んで…って、嘘でしょ!!?)
驚く心音に、シルバは宙に浮いたまま目的地へと向かう。
その速さに息をするのも忘れそうになる。
「目を開けて見ろ、ココネ」
「?…あっ!」
いつの間にか堅く閉じていた瞼を開き、心音は真下に広がる光景に瞳を輝かせた。
「綺麗!!」
鳥が飛び、見ている世界はこんな感じなのだろうか。そう思わせるほど、色々な景色が流れていく。
その中でも一番は、真下に広がる花畑が綺麗だと心音は頬を上気させる。
色とりどりの花が、まるで虹色に輝く川のように広がっているのだ。
「この世界では誰もが魔法を使える。だが普段はそんなに使う機会は……あ、お前の世界では魔法そのものを知らないか?魔法とはな…」
「あ、それなら何となく分かるよ!便利な力だよね、魔法って!」
綺麗な景色に先程までの疲れも吹き飛び、心音は上機嫌でシルバを見上げる。
漫画や小説を読む事が多かった心音は、その物語に出てくる程度の知識だけなら魔法を理解していると思っていた。
だがシルバの表情は仮面で見えなくも、どこか悲しげな顔をしているように心音には見えた。
(…なにか、間違えたかな)
「そんな…便利なものではない」
「シルバ…?」
「っ…何でもない。もう、着くぞ」
「え…わあ!」
一瞬低くなったシルバの声が気になったが、心音はシルバの示す方向に目を向け、さらにキラキラと瞳を輝かせた。
そこには大きな透明のドームがあり、中には先程の草原より広大な森に大きな植物や花々が咲き乱れ、畑のように土が耕されている場所などがあり、農園と言われるとしっくりとくる場所が広がっていた。
「中に入ったら、絶対に俺からはぐれるなよ?」
「う、うん」
ドームの入り口と思われる巨大な木の扉の前に下ろされ、心音はシルバの言葉の中に「はぐれたら、一生出られないぞ」という意を感じ、ゴクリと喉を鳴らした。
そしてシルバがギギ…と音を鳴らして扉を開けると、二人は中へと足を踏み入れたのだった。
* * * *
「はあ…」
短いため息は、誰の耳に届くことなく森の中に消えていく。
ただ、吐いた本人にはちゃんと聞こえているが。
「……迷っちゃったよ」
(はぐれるな…って言われたのに…!)
そう呟いた心音は辺りを見渡す。
けれど何処も彼処も、日を遮るほど生い茂る木々ばかり。
森というよりはジャングルに近いその場所は、ドームに入って数分と経たずしてシルバとはぐれた心音の胸に不安を抱かせる。
「どうしよう…こういう時は動かない方がいいって言うけど…それは見つけに来てくれる人がいる場合だし…」
(信じてる訳じゃない…のかな、シルバのこと。)
シルバが探しに来てくれる。心音はそんな事、微塵も思えなかった。
それは彼女が、一度裏切られたことがあったからだった。
───昔、心音は信じていた友人に裏切られた事があった。
今にして思えば些細なことだが、小さな子供にとってそれは辛く悲しいことだったのだ。
そんな経験からか、心音は信じるより先に相手を“疑う”ことが癖になっていた。
それが今回あの髭男たちに引っかからなかった要因の一つだったが、心音自身はそんな自分に嫌気がさしていたのだ。
中学の頃からの親友である実優のことすら、最初は心を開かず疑っていたくらいだった。
だが今では実優の優しさに心を開き「親友」という関係になった。
けれどシルバはどうだろう。
そう考え、心音は空を見上げる。
木々の間から降り注ぐ日の光に、心音は自分の心を重ねる。
「信じて…みたい」
何も言わず、シルバは自分を助けてくれた。
それがあったからこそ、心音はシルバに「付いて来い」と言われ、素直について来たのだと思った。
(うん…シルバを待とう!きっと…探し出してくれる)
心音は一度頷くと、側の木にもたれ掛かった。
それから数分。心音は不安になりながらもシルバを待っていると、近くの茂みがガサガサッと激しく揺れた。
「シルバッ?」
そう、声を掛けた瞬間。
何か光る物が一直線に、心音に向かって飛んできた。
「きゃあっ!?」
それを反射的にしゃがんで避けた心音は、数秒後その何かが後ろの木に刺さる音を聞いた。
恐る恐る振り返った彼女は、突き刺さる物が本物のナイフだと気づき、青ざめた。
「へぇ、避けるとは大した女だな」
ナイフの飛んできた方向から、少年のような声が聞こえてきた。
そちらへ視線を動かした心音は、恐怖のあまり、体が動かないことに気づく。
(また…人身売買者!?)
心音の中に、シルバの言葉が蘇る。
『 子供が働ける場所などない。だから…あの者たちのように人攫いを仕事にする者が多いんだ。小さな者でも、集まれば大人の力と同等にもなる。』
そう、ナイフが向かってきた方向からは少年の声。
心音は子供でも人身売買者になれることを知っている。そのため、彼女は逃げなくてはと考えた。
しかし体は恐怖に震え、一歩も動けない。
「アンタ…何しに此処へ来た?」
そう言うが早いか、座り込んだまま後ろに下がろうとしている心音の前に、金髪碧眼の十三歳くらいの少年が現れた。
彼は心音の目の前まで一瞬で現れ、手にしていた剣を彼女に向けた。
頬に少し触れた剣の冷たさに、その感触が本物だと気付いた心音は更に青ざめた。
「やめっ…」
「此処に入った事を恨むんだな、これが現実なんだから」
目の笑っていない笑顔で、少年が握りしめる鋭い銀の剣を上に掲げると、それを心音に振り下ろした。
(っ!シルバ!!)
殺される。
そう思い、怖さのあまりギュッと目を瞑った心音は、神社から落ちて此処に来てしまったこと。
変な二人組に連れて行かれそうになったりと、色々な事が頭を過ぎる。
けれど、最後の希望とばかりにシルバの名を呼んだ──その瞬間。
──ガキンッ!!
剣と剣のぶつかり合う音が響いた。
その数秒後、地面に剣の突き刺さる音を聞いた心音はそっと目を開いた。
そこには、はためく青いマント。
まるで姫を守る騎士のように、銀色の剣を構えたシルバが心音を背に庇うように立っていた。
「っ!だから、はぐれるなと言ったんだ!!」
「シル…バ?」
来てくれた事に安堵と歓喜の声を上げようとして、心音は固まる。
それは顔だけを心音の方に向けたシルバの顔に、仮面がなかったからだ。
初めて見るシルバの顔は、アメジストのような紫色の瞳がよく似合う端正な顔つきなのだが、品があり“綺麗”という言葉が似合うものだった。
けれど瞳の強さは男らしく、心音は知らず頬を染める。
「いっ…てて、何邪魔してんだよ!シルバ!!」
苛立ちを滲ませた声にハッと我に返った心音は、視線をそちらへ向ける。
そこにはシルバに弾き飛ばされたのか、座り込むあの少年の姿があった。
「邪魔も何も、コイツは連れだ。ファイ、お前の早とちりだ」
それだけ言うと、シルバは剣を腰の鞘に収め、地面に落ちている仮面を拾った。
すると座り込んでいた少年は立ち上がり、剣を拾うと心音に視線を向ける。
「ふーん…ま、侵入者じゃないならいいや」
(いや、襲っておいて謝らない気ですか!?)
ファイと呼ばれた少年のあっさりした性格に呆然と座り込んでいた心音の前に、スッと大きな手が差し出される。
「アイツは此処を守っているんだ。お前を侵入者と間違えたようだがな。
それにしても、異世界人というのはこうも厄介事に巻き込まれやすいのか?」
「なっ!好きで迷った訳じゃないわよ!」
そう悪態を吐きつつ、心音は感謝の気持ちを胸に秘め、その手を取った。
「…あれ?」
だが立ち上がろうとすると、心音は足に力が入らずなかなか立つことができなかった。
どうやら怖さのあまり、腰が抜けてしまったようだ。
シルバは、わざとらしくため息を吐くと背を向け、しゃがみこむ。
「背に乗れ」
「え!…そ、それは恥ずかしいというか、遠慮するというか…」
「いいから、乗れ」
「…はい。」
有無を言わせぬシルバに、心音はそっとシルバの肩に手を置いた。
「わっ…!」
瞬間、ふわっと心音は持ち上げられる。
シルバの温かな温もりを肌で感じ、安心感のようなものが心音の中に広がった。
「おい、ファイ。…“クロム”は何処にいる?」
「あ?…クロムさんなら、いつもの所だよ。…まさか」
「…??」
シルバの言葉に、様子を見ていたファイは目を見開いた。それはシルバの考えていることを読みとったからなのか、少し不機嫌そうな顔をした。
そんな二人の会話に、心音はただただ首を傾げるばかりだった。
「案内、頼んだぞ?」
「はあ…しゃーねぇな!はぐれるなよ!」
「心配するな。迷うのはコイツだけだ」
「ちょっとぉー!?」
分からない内容の中、今馬鹿にされたことだけは分かった心音はシルバの背を叩いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!