ⅩⅥ 再契約 Ⅱ
心音の声にウォルンはゆっくりと顔を動かすとクロムでは無く…心音に標準を合わせた。
ギロリと怒りに満ちた瞳が心音の姿を捉える。
『グオオオオオオオオォー!!!』
先程よりも大きな咆哮が上がり、ウォルンの周りの湖面は大きな波紋を広げ、第一エリアの木々まで揺れる風が巻き起こる。
それは心音やクロムも例外では無く、二人に強い風が襲い目をきつく閉じた。
「ココネ!!」
「え…」
風が止み、先に目を開けたクロムは目にした光景に悲痛な声で心音の名を叫んだ。その声に弾かれるようにパチッと目を開けた心音は、飛び込んできた光景に絶句し固まってしまう。
巨大な歯が手に触れる寸前にあり、荒く生暖かい息が頬を撫でていく。赤い内膜の続く空間の奥は暗くみえず、ネチャッとした粘液が腕に少量付き心音はやっと今の状況が理解できた。
「う、そ…」
自分を覆うようにしているのが、ウォルンの口内だと分かり心音は青ざめる。
(食べられるっ!)
「跳んで!!」
「っ!!」
もう駄目だと諦めかけた瞬間、心音はクロムの声にハッと我に返ると後ろに跳躍した。
心音が羽根のように軽々と高く跳んだ次の瞬間、ウォルンの大きな口がガチンッと歯と歯を噛み合わせた音を立て閉じられた。
何も口に入れた感触が無かった事に気付き目を吊り上げその場を見回すウォルンを見下ろし、心音はホッと息を吐いた。
(た、助かった…。ありがとう、クロム)
視線だけで感謝を述べようと心音が視線を向ければ、クロムもまた安堵の息を吐いていた。
心音はふわふわと宙を漂うように移動すると、ウォルンから距離を取った。
(何か…気を引かせる方法はないかな?)
未だ周囲を見回し自分を探すウォルンに心音は焦りを感じながらも首を捻り思考を廻らす。だが、そこでふとクロムに視線を移す。
既に儀式へと意識を戻していたクロムの真剣な横顔に、心音は落ち着きを取り戻していった。
(とにかくクロムに注意が向かないようにすればいいんだよね。だったらさっきみたいにウォルンにぶつかりに行ったり、距離を取ったり…付かず離れずを保てば良いんじゃないのかな!)
心音は自分の考えに「よしっ!」と頷くと、ウォルンとの距離を縮めるようにふわりと跳んだ。
その瞬間ウォルンは心音の存在に気付き大きな目をギョロリと動かした。蛇に睨まれたかの如く心音の額に冷や汗が流れた。
しかし気を強く持つように拳を握りしめた心音は、ウォルンを睨み付け地面に足を着けると再度高く跳んだ。
「っ!」
跳んだ心音の横をウォルンの固い鱗で覆われた身体が通る。その速さも尋常ではなかったが、その速さに比例するように強風が巻き起こり心音はそれに煽られる。
幸いにも地面へと着地した心音だったが、直ぐに方向転換をしたウォルンの襲撃を受ける。
「あ、わっ!」
ドンッ!!と地面にウォルンが顔から衝突し、地面が大きく揺れる。
土煙が上がる中、心音が荒い息を吐きながらも跳んで脱出した。
(運動神経が意外に良くてよかった…。咄嗟に避けられるなんて自分でも驚いたけど…)
先程の衝撃で飛んできた小石や土で切った腕の傷を押さえ、心音は深く息を吸い、長く吐いた。
(クロムは…)
地に足を下ろしクロムへと視線を移せば、既に魔法陣を描き終えたのか呪文の詠唱に入っていた。
「もう少しでファイを助けられる」…そんな思いから、心音は少し笑みを浮かべるとむくりと起き上ったウォルンを見上げた。
――――そうして何度かウォルンの攻撃を避けつつ、心音はクロムから距離を取るように動いていった。
けれどいくら魔法を施されたと言っても心音の心と体は消耗し始めていた。
疲労の色を浮かべた顔には玉のような汗が浮かび、手足には小さな傷が幾つもあった。
(も、もう…限界っ)
膝に手を着き荒い呼吸を繰り返す心音はクロムへと視線を移した。
魔法陣の光の中で苦しげに顔を歪めながらも、出現している扉に向かい手を翳していた。口元は絶えず動き、呪文を詠唱し続けているのが分かった。
(もうちょっとだよ、ね…)
「私も…頑張らない、と……」
ファームでの仕事で体力がついたと言っても元は平凡な女子高生。それなりの体力しかなかった心音にとって、駆けまわったり跳んだりと初めての経験ばかりだった。
それに追い打ちをかけるように今日は彼女にとって心身共に疲弊することばかりが起きた日でもあった。もう―――心音の体力は限界だった。
(あ…っ)
ふらりと目の前が揺れた。
心音は咄嗟に手を着くも、地面に尻餅を着いてしまう。
「いたたっ…。あ…あれ?」
立ち上がろうとするも足はガクガクと震え、手にも力が入らず心音は又も地面に尻を着く。
「あはは…もう、立てないや…」
乾いた笑い声を上げた心音は、ゆっくりと顔を上げた。
そこには今にも襲い掛かろうとするウォルンの姿があり―――心音は悟った。
(どうしよう…クロムはまだ契約の儀式の途中なのに…。私ってホント…役立たずだなぁ)
苦笑を浮かべ顔ごとクロムへと視線を移した心音は、大きな扉が開いていくのを目撃した。
その側に立つクロムも苦しげな顔から解放されたように晴々とした表情を浮かべるとウォルンの心臓を魔法で浮かせた。
まるでスローモーションのように少しずつ、ゆっくりと五つあるクロムの周りに位置する魔法陣の紋様が螺旋状の光の線となり、ウォルンの心臓である球体へと刻まれていった。
(これで…ファイは助かるんだね。…よかったぁ)
―――心音へとウォルンが迫る。
球体へ全ての魔法陣を刻み込ませ、後は扉へと封印すれば儀式は完了だった。
クロムは「もうすぐ終わる」と伝えるように笑みを浮かべ心音の方へと視線を移した。
心音とクロムの視線が絡み合う。けれどクロムは途端に笑みを崩し、目を見張ると青ざめ叫んだ。
「っ―――ココネー!!!」
クロムは儀式中という事も忘れ、心音へと手を伸ばした。
しかし距離を取るために移動していた心音とクロムの間は、彼の魔法が届かない場所まで離れていた。
大きな龍が座り込んだ少女へと迫る。どうすることも出来ない状況にクロムは目の前が真っ暗になる感覚に襲われる。
それは絶望が支配する闇よりも濃いもののように、クロムには思えた。
「ごめんね、クロム…。約束…護れないよ」
瞳に光を無くしたクロムの表情が、遠くからでも心音には分かった。
その悲痛な顔が少しでも笑ってくれたのなら。そう思い、心音は笑った。
(こんな風に死にたくなかった…。でもね…ファイが助かってクロムも無事ならそれで良いんだ)
「さよなら…ありがとう、クロム」
嬉しそうで悲しげな笑みを浮かべた心音を、大きな影が覆う。
「やめ…っ――――!」
クロムの悲痛な声が風に紛れ消える。
―――――ドンッ!!
凄まじい衝撃が地面を揺らし――――赤い染みの付いた青いマントが空を舞った。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
誤字脱字などありましたらお知らせ頂けると幸いです。




