ⅩⅢ 第三の扉・水神龍ウォルンティシーア
その頃、ファームにいたクロムは異変を察し、第三エリアである『巨大湖』に向かって駆けていた。
近づくにつれヒシヒシと伝わる巨大な魔力に顔をしかめ、クロムは湖の前にたどり着く。
「これは…」
目の前に広がる光景、それは湖の水が高く波を打ち、中心には巨大な渦を巻いていた。渦は暗く深く、いつの間にか空を覆っていた厚い雲と同じ色をしていた。
稲光を走らせたファーム上空の雲はやがて、ヒガミヤ領・レナート城上空を覆っていた雲とを一直線に結ぶ。
「まさか、ファイが『扉』を開いた?」
クロムの声に反応するかの如く、湖の中で何か大きな影が蠢く。
それは渦に乗り、やがてその姿を露す。
水飛沫を上げ、艶やかに光る水色の鱗。長くしなやかに伸びた身体に生えるキラメク金の背毛に、口から覗く白く鋭い牙。海色の大きな瞳には稲光を宿したかの如く一筋の線が入っていた。
それら全てを携える神獣にして水の神、水神龍・ウォルンティシーアだった。
「ウォルン…」
クロムが名を呼べば、巨大龍はその大きな瞳に彼の姿を映した。
―――キュルルルルイィー!!!
しかし龍・ウォルンティシーアは大きな咆哮を上げ天高く昇ると、結界を越え、雲の中に姿を消した。
稲光が龍の通り道を示すかのように、龍の影はレナート城へと向かっていった。
そこで初めてクロムは、レナート城が燃えていることに気付き、ファイが何故『扉』を開いたのかも見当がついたのだった。
「このままじゃ、ファイが…!」
クロムは穏やかになりつつある湖に背を向けると、次第に消えていく上空の黒い雲を見ながら家まで掛けた。
次第に見えてきた家の側に立つ大樹に、クロムは指先に集めた魔力線で魔法陣を描く。
そして陣が完成すると共に、クロムの指先が大樹に触れた。
「“古き世に生まれし大樹よ、その身と共に育みし魔力を、我が『眷属』との橋渡しの糧となれ!”」
呪文を唱えれば、クロムの体が自身の魔力と同じ、水色に輝く。同時に大樹は綺麗な翡翠色の光を放つと、やがてクロムの色と交わった。
枝や葉を揺らし、ざわざわと音を立てる大樹。樹はやがて交わった魔力を光の柱と変え、柱は黒き雲を追うようにレナート城に向け放たれたのだった。
* * * *
噴水の水が間欠泉のような水柱となり、雲に吸い込まれていく。
その中は川の激流の中にいるように水流が荒れ狂い、浮く感覚、沈む感覚が交互に心音を襲った。
(苦しい…っ!)
口元を押さえるも、心音の息は泡になり激流に吸い込まれ消える。
グルグルと回る水の中、必死にもがく心音の前に、金色の何かが目の前で揺れる。
(ファイ!!)
心音と共に水流の巻き込まれたファイは、彼女とは違い胸を押さえ苦しげに痛みに耐えているようだった。
手を伸ばしファイを掴もうとするも、水の流れに邪魔され、二人の距離はどんどん離れていく。
(このままじゃ、ファイも…私も!)
泳ぐように足を動かすたび、心音の口からゴポゴポと音を立て空気がなくなる。
(届いて…!!)
その苦しさに顔をしかめるも、心音が精一杯腕を伸ばしたその時。
彼女たちの後ろから、黒く蠢く何かが凄い速さで迫る。それは黒き雲の中を泳ぐように進むと、水柱が雲と接触する瞬間、心音達の前に姿を露わにした。
(…龍!?)
日本にいた頃、神社や神輿でよく見られたそれに、心音は目を奪われ固まる。
自身の身長と変わらない大きさの瞳に巨大な牙。それどころか尾まで見えない程の巨大な身体に、心音は今自分が目にしているものが何なのか。と、呆然と見つめることしか出来なかった。
『《鍵》を持つ者よ、汝の願い…叶えよう』
歌のように綺麗な声が響き、龍は大きな口を開けると―――水と共にファイを飲み込んだ。
「え――――」
一瞬、何が起きたのだろう。心音は目の前で起きたことを把握できず、ファイへと伸ばしていた手で水を掻く。
(…ファ、イ?)
「っ!!…ファイを返してっ!!」
勢いに任せ、心音は水の中にいることも忘れそう叫ぶ。
しかし龍は心音に目を留めると、大きな瞳を細め、心音を睨みつけた。
『五月蝿い』
「!?」
低く唸る声が耳に届いた次の瞬間、心音は今まで隠れていた龍の尾に弾かれ、水柱を突っ切ると空に投げ出された。
一気に水の抵抗を無くし、心音の体は風を受けながら地上に向かい落下していった。
「ふぁ、い…っ」
尾の衝撃に体を動かすことが出来ず、心音は霞む視界に雲の中の龍を写し、涙を流した。
身体とは反対に上っていく涙の雫は、やがて降り出した雨と同化した。
しかし心音の体は逞しき腕に抱きとめられ、地面への衝突は避けられたのだった。
「すまない…」
朦朧とした意識の中、心音は雨音に交じりそんな言葉を聞いた。
触れる手は悔いているように力が籠められ、心音はその痛さに意識を覚醒させた。
「…っ、しるば…」
彼女の目に入る銀色の髪。そこから滴る雨水が頬に落ち、心音は抱き留めたシルバの顔を凝視する。
初めて会った時同様、自分を横抱きにし空を飛んでいるシルバに、心音は違和感を持った。
とても小さな事だ。しかし心音には分かること。
「なんで、泣きそうなの…?」
その一言にシルバの体がビクリと揺れる。
誰もが知る、シルバの喜怒哀楽の見せない冷静な顔。しかし親しくなるにつれ、分かる彼の些細な表情の変化を、心音は既に知っていた。
だから気付いたのだろう。周りからしたら無表情と取れる今のシルバの表情が、とても苦しげなことに。
「……。一度しか言わないからよく聞け、ココネ」
そんな表情をしている理由を問おうと思うも、言い返されぬよう威圧的なシルバの声に、心音は口を閉ざすと耳を澄ました。
「城の火はこの雨で時期に消える。しかし…ファイは、戻らない」
「え……」
心音は今自分が聞いた言葉は何だろう、と瞳を揺らす。
「どういうこと?うそ、だよね?っ…嘘だって言ってよ!」
シルバの腕の中で、身体の痛みに耐え、彼の肩を掴むと心音は声を張り上げる。
激しくなる雨音に負けぬ大きな声が響くが、顔を近づける心音の目から視線を反らし、シルバは顔をも反らす。
「なら、なんでファイはこんなことしたの?戻らないって、何?…答えて、よ…っ。シルバッ!!」
心音に名を呼ばれ、シルバは僅かに口を開いた。
「っ…死ぬということだ」
「!!」
シルバの口から小さく零れた声に心音の鼓動が大きく跳ね、手は力を無くしたようにシルバの肩からずり落ちた。
(し、ぬ?…死ぬって、何?あの龍に飲み込まれたから?ファイはこうなることを知ってて火を消そうとしてたの?…違うよね?…違うんでしょ、ファイ!)
「いや…。嫌だよっ…!」
「ココネ…」
「お願い、シルバ!私を助けてくれたみたいに、ファイも…。ファイを助けて!助けてよ…っ」
シルバの胸の顔を埋め、彼の胸元をギュッと掴み、心音は泣き叫んだ。
『助けて』と心で、声で、想いを吐き出す。
―――心音の涙のように激しさを増した雨は噴水の水を使ったため、城の火を鎮火していった。
未だ噴水から水を吸い上げる雲へと続く水柱の側では、シルバと心音の姿だけ。その真下には複雑な表情を浮かべたユクンとグランが彼女たちの姿を見つめていた。
そこへ、光が近づく。翡翠と青の色を纏ったその光は、心音達の前で止まると人の形を取った。
『ココネ』
「!…この声!」
顔を上げ心音が振り返れば、光輝くクロムの姿があった。幽霊のように足元が透けたその姿に、シルバは目の前のクロムが本人ではなく、彼の意識だけを魔法で形作り、ここまで飛ばしたのだということに気付いた。
心音もまた、目の前の彼が本当のクロムではないことには気付いていた。
「クロムっ…ファイを助けて!!」
『それは、出来な…』
「そんなっ…!私に出来ることがあるなら…ううん、ファイが助かるなら何でもする!だから!お願い、クロム!」
絶望の二文字を思い浮かべてしまいそうになるクロムの言葉に、心音はそれを振り払おうと首を横に振り声を上げる。
シルバの腕から落ちそうになるほど身を乗り出す心音に、シルバは小さく呪文を呟くと銀色の光を心音の体に纏わせた。
その瞬間心音の体に在った傷は見る間に治り、痛みも消える。
次いで突然のことに驚く心音を宙に立たせるように腕を放すと、不思議なことに心音の体は落下することなく、ふわふわとその場に浮遊した。
「クロム、俺も手伝う。何か方法は無いのか?」
『……。“鍵守り”は扉に封じし大いなる力を秘めし召喚獣と契約し、一度だけその力を使うことを許される。……自分の命と引き換えに。』
「自分の、命と…引き換え…」
遠のきそうになる意識を強く持ち、心音は雨に逆らうように空を見上げる。
黒く淀んだようにみえる雲の中をまるで泳ぐように動く龍の影を見つけ、唇を噛みしめる。
そんな心音を見つめたまま、クロムは話を続ける。
『契約者となった鍵守りは、契約獣の力を使ったら最後…契約獣にすべての魔力を吸われることになる。ココネ、よく覚えておいて。この世界の人間は皆魔法を使え、固有の魔力の大きさは違えど、僕たちは魔力が無くなった時点で…死を迎える。…僕たちにとって、魔力とは命の源なんだ』
「そんな…それじゃあ、本当にファイは……もうっ」
フラッと倒れそうになる心音をシルバが支える。
打ち付ける雨に濡れる彼女の体は冷たく、シルバは顔をしかめた。しかし先程のクロムの話を思い返し、ある考えにたどり着く。
「クロム。その話が本当なら、魔力をすべて龍に奪われる前にファイを助け出せば…助かるのか?」
シルバの言葉に心音も一縷の望みをかけ、俯かせていた顔を上げた。
二つの視線を受け、クロムは小さく息を吐く。
『…その通りだよ。』
今まで浮かべていた真剣な表情を崩し、クロムは小さく微笑んだ。その笑みに希望を見つけた心音は、意を決したようにクロムに詰め寄る。
「なら、私が助けに行きます!」
「何…?」
突然何を言い出すんだと、シルバが心音の肩を掴む。
「馬鹿を言うな。お前には魔力もなければ、魔法も使えない。無力に等しいお前に何ができる」
「分かってるよ!何も出来ないないなんて、最初から分かってる!でも、ファイは私たちを助けようとしてくれたから、龍を呼んだんでしょ?だったら今度は私がファイを助ける!」
シルバを振り返った心音の瞳には強い意志が宿り、シルバは知らず息を呑む。
そんなやり取りを静かに見守っていたクロムが、徐に口を開いた。
『あの龍・ウォルンティシーアは此処での自分の役割を終えたらファームに戻る。そこでファイを助けだそう。だから…帰ってきて、ココネ』
「クロム!!」
クロムの発言を重なるようにしてシルバは声を荒げた。
彼女の意を尊重してやりたいと思っていた。けれどそれ以上に心音を危険な目に遭わせたくないという気持ちが勝り、シルバは強く心音の肩を手前に引いた。
「相手は龍だぞ、無謀すぎる!それに先程は助ける方法はないと言っていたのに、何故クロムは今更になって方法はあると言った?」
「そういえば…」
シルバの気迫に押され気味に後ろに下がった心音は、クロムに視線を移す。
『あ…それは、言いそびれたんだ』
「「え?」」
シルバと心音の間抜けな声が重なり、申し訳なさそうに頬を掻くクロムと視線が絡む。
『初めに「それは、出来ない…“今は”」って言おうとしたら、心音があまりにも食い気味に発言してきたから…。言うタイミングを逃しちゃって…』
苦笑するクロムに心音とシルバは文句を言っている時間がもったいないと口を閉ざし、拳を握りしめるだけに留まったのだった。
『と、とにかく!ココネの帰りを待ってるよ』
「はい…!」
クロムの言葉に光を宿した笑みを浮かべ、心音は力強く頷いた。
「シルバッ!」
そんな心音を見守るように見つめていたシルバは地上からグランに呼ばれ、一人地上に戻っていった。するとそれを見計らったように、クロムはココネの胸元を指さすと瞳に真剣さを帯びた。
『ココネ。君に渡した“鍵”を使ってファームに戻っておいで。シルバは魔法を使えるけど、君が例え走って戻ってもウォルンの方が早くファームに着いてしまう。それでは意味がないからね』
「分かりました」
クロムの指した所から心音は今朝ファームを出るとき渡された鍵を取り出す。
実はドレスに着替える際、すがる思いで首に掛けたままだったのだ。
『それじゃあ、また後で。――――シルバには気を付けて』
「え…?」
気になる言葉を言い残すと、光の粒となりクロムは消えた。
(気を付けてってどういう意味?)
手元の鍵を見つめ考えていると、地上が賑やかなことに気付き、心音は其方に視線を動かす。
そこにはグランとユクン以外に赤い髪が特徴の騎士ユーリとヒガミヤ領・領主カスラムから始まり、貴族の面々の姿があった。…勿論レオナルドの姿もあった。
ファイの降らせた雨の御陰で鎮火した為、城から避難することができた彼らの顔には安堵した笑みが浮かんでいた。
(ファイが救ったんだね。…今度は、私がファイを救ってみせる!)
心音は目を閉じると鍵を両手で包み込み、クロムに今朝教わったように「ファームに帰りたい」と強く願った。
その瞬間、心音をクロムの魔力と同じ水色の光が包み込んだ。やがて光が消え、心音が次に目を開けると…そこは第三エリア・巨大湖の前だった。
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