Ⅲ 妖精舞踏会祭り
昼になり、心音はすっかり元気になったファイ共にファームの外にいた。
そこは心音にとって、一ヶ月ぶりくらいの外だったからか、大きく深呼吸をした。
「よし。もう一回確認するぞ」
「え、また?」
ファイが腰にあるウエストポーチをポンと叩く。その隣で心音は自身の焦げ茶色のポシェットを開ける。
心音が“また”と言ったのは持ち物検査のことだ。子供が初めてのお使いに行くときのように、一度クロムが見守る中、家の前でも確認したのだが…ファイはもう一度確認しないと気が済まないようだった。
「まず職業認定証。」
「ちゃんと首にかけてるよ」
「よし、じゃあ次は…バンクリングな」
ファイの言うバンクリングとは、お財布のようなものだ。
デザインは様々で、指輪についた宝石に触れると、今持っている金額が小さく浮かび上がるように表示されるのだ。
店で買い物をするときはその宝石部分を、レジにあるバンク石という小さな石碑のような物に翳せば買い物終了である。
「ちゃんと此処にあるよ」
心音が右手人差し指にしているのは銀で出来た指輪にダイヤモンドが填め込まれた指輪で『歓迎の意を込めて、宝飾店に依頼していたんだ。…君の初任給もちゃんとそこに入れておいたよ』…とクロムにプレゼントされた物だった。
(初お給料!…嬉しすぎて使い過ぎないよう気をつけなきゃね)
嬉しそうに指輪を見つめる心音に、ファイが釘を刺す。
「言っとくが、無くしたら戻ってこないと思えよ」
「うっ…はい」
楽しい気分が一転。心音はがっくりと肩を落とした。
そしてファイの持ち物検査が続く。
「次は…防御石とファームの鍵。それから…グリフォンの琥珀は持ったか?」
防御石とは魔法を使えない者でも、一つあれば攻撃魔法や剣撃などから一度だけ身を守ってくれる貴重な石だ。
ファイは魔法で防ぐ事が出来るが、心音は魔力自体がないため、クロムに手渡されていた。
「えっと…うん。防御石はクロムが三つ持ってけって言ったから三つ。ファームの鍵は無くさないように首から下げて服の中に入れたし…サクラの琥珀はちゃんと入れたよ」
ファームの鍵は最初に心音がシルバと共にファームを訪れた時に入った扉を開ける為の物ではなく、何か危ない目に遭ったとき鍵に強く「帰りたい」と願うとファームに戻れるという魔法アイテムだとクロムがファイと心音に持たせた物だ。
そして、グリフォンの琥珀とは…サクラが心音にくれたあの桜色の石のことだった。
心音はずっと肌身離さず持ち歩いていた為、聞かれるまでもないとポシェットから取り出しファイに見せた。
「よし!じゃあ確認終了な」
「うんっ!じゃあ、早速街に行こう!」
元気よく走り出しそうな勢いで歩き出そうとした心音は、ファームの大きなドームを見つめたまま動かないファイに気づき振り返る。
「ねぇ…ファイ」
「あ、悪い。行くか!」
見るからに空元気のファイに、心音は続けた。
「あのさ、クロムが…妖精舞踏会のお祭りに“行けない”って言ったの。それってどういうことか…ファイは何か知ってる?」
「!!…クロムさんが、自分でそう言ったのか?」
「え…うん」
目を見開いて心音を見つめたファイに、心音は戸惑い気味に頷いた。
「そっか…ごめん。」
「どうして謝るの?」
言いにくそうに伏せた顔を上げ、ファイは心音を見つめた。
「俺は確かにその理由を知ってる。だけどクロムさんが、それ以上のことを心音に言っていないなら…俺の口からは言えない。…ごめん」
「そっか……。うん、分かった」
悲しげに俯くファイを見て、心音は何か深い理由があるのだろうと察する。
そしてファイが此処までクロムを大切にしているのだから…自分も詮索しないようにしようと決め、笑顔を見せる。
「いいよ。もうこの話は止め!…早く妖精舞踏会のお祭りに行って、クロムにたくさんお土産買って、いっぱい楽しい話をしてあげよう!」
「!…おう!」
顔を上げたファイが子供のようにあどけない笑みを浮かべ、心音は微笑ましい気持ちになった。
だが突然ファイが頬を赤く染め、心音を睨むように見つめた。
「そ、それと…さっきは悪かった」
「え?さっきって?」
「だから!…ひ、膝枕…してもらって」
語尾か消えそうな声でそう言われ、心音はふふっと笑い声を漏らす。
「笑うなよ!それと、シルバにはこの事絶対に言うなよ!!」
「は~いっ!分かってるよ!ふふっ」
「本当に分かってんのか!?」
笑いながら街までの道を駆ける心音とそれを怒りながら追いかけるファイ。
だが二人は知らずにいた。この時二人の後を追いかけるように、怪しげな人影があったことに───
* * * *
「わぁ…出て行く時は気にしなかったけど、大きいね」
強度な石壁が街を囲むようにして経ち、東西南北に関所がある。
その一つに心音とファイは差し掛かった。
「そうか…お前はシルバと一緒にこの街からファームに来たんだもんな」
「うん。…でもあの時は、とにかくシルバについて行かなきゃって必死だったから…全然周りの風景なんて見てなかったよ。
やっと落ち着いたときはファーム前の花畑だったもん」
最初シルバと歩いたとき、一時間も歩き疲れ果てた心音だったが、ファームでの仕事で鍛えられたのか今は息はそれほど上がっていなかった。
(この世界に来て、もう一ヶ月も経つんだ…)
街中に入るために並ぶ人達を見ながら、心音が呆然と立ち尽くしていると、不意に何か布を肩に掛けられる。
驚いて振り返ると、そこにはいつの間に羽織ったのか黒い刺繍の入った白い外套を身に着けたファイが立っていた。
「これは…俺から」
「え…?」
心音は自分の肩に掛かる布が桜色の刺繍が入ったファイと同様の白い外套だと気づき、驚いたように見つめた。
そんな心音の外套の留め具であるグリフォンの片翼をかたどった物を胸元で留めてやり、ファイは心音から離れると恥ずかしそうに頬を掻いた。
「クロムさんがバンクリングなら、俺からはマジックローブだ。
魔法攻撃を最小限のダメージにしてくれたり、寒さから身を守ってくれたりする物だ。……気に入らなかったら、捨てて良いからな!」
何故か最後はキレ気味に言うファイに、心音はローブを見回した。
そしてそっぽを向くファイの隣に並ぶと、小さく「ありがとう」と言ったのだった。
「次!お前らはどこから来た」
遂に心音達の順番がやってきた。関所の騎士団員が書類と羽ペンを持ちファイに問う。
「俺はファームから。こっちの女も一緒だ」
ファイに示され心音は軽く会釈をする。
「いいだろう。お前は行ってよし。…女は駄目だ」
「えっ…!?」
騎士団員は二人を交互に見つめると、ファイは何度か此処を通っているのかすぐに許可が降りた。
しかし心音は止められてしまい、焦ったようにファイを見つめた。
「どう見ても異世界人だろ?…今、上の者に確認するから少し待っ…」
「ココネ、あれをこの人に」
騎士団員の話を遮り、落ち着けと口パクで言いながら胸元を指し示すファイに、心音は納得したように職業認定証を騎士団員に見せる。
「これは…!し、失礼致しました!…どうぞ、お入り下さい」
職業認定証が最高位のサファイアであることを知った騎士団員は慌てて敬礼をし、道を開けた。
それを見た心音が職業認定証はそんなに凄いものなのと呆然と立ち尽くしていると、ファイがその手を取り街へと歩き出す。
「あまり気にすんな。俺も職業認定証は持ってるけどエメラルドだ。…ここら辺じゃあ、サファイアは珍しいから驚いただけだよ」
「そ、そうなんだ…」
急に大人びたファイに関心しながら後ろを歩いていると、ファイが歩を止める。
「此処がヒガミヤ領入り口だ」
ファイの視線の先に目を向けた心音は、キラキラと瞳を輝かせる。
そこには街の入り口に煌びやかな光が輝くヒガミヤと書かれたゲートがあり、家々の間に妖精をかたどった旗や装飾が施され、魔法の光がまるで妖精のように飛び回り、店を出す所では大きな色とりどりの看板が立てられたりと、まさにお祭りの景色が広がっていた。
(スゴい!…最初に来たときも人はたくさん居たけど…今日はすっごくたくさんいる!)
「ココネ、まずどこが見たいんだ」
「え、決めていいの!?」
「ああ…いいよ」
ファイが笑顔で頷くと、心音はあちこちに視線を動かしどこに行こうか考える。
その様子を見て、ファイは呆れたような笑みに変える。
(こいつ確か俺より四つくらい年上だよな?…これじゃあ、どっちが子供か分かんねぇな)
そんなことを思っていると、心音が何か見つけたのかファイの手を引く。
「ねぇ、ファイ!あれは?」
「ん?ああ…あれは本屋だな。本の形した看板がぶら下がってるだろ?…行くか?」
「うんっ!」
入り口のゲートから一番近くにあった「ジンセット書店」へと心音たちは立ち寄ることにした。
──カランカランッ…
「はいはい、やあ…可愛いお客さんだ。いらっしゃい」
小さな鐘のついたドアを開け店の中に入ると、白く長い髭を生やした優しげなおじいさんが心音たちを出迎える。
中はシックな雰囲気で、天井まである本の棚が壁際に並び、中心にも三つ程同じ棚が置いてあった。
入り口付近にはレジのあるカウンターが置いてあり、おじいさんはその向こう側からひょっこり顔を出したのだった。
「ファイ!スゴいよ!本が浮いてる!」
心音がファイの手を放し宙を漂う何冊かの本を見て、興奮したように声を上げる。
「バカ…それは予約本だ!どこの本屋も予約本は他のお客に買われないように浮いてるっての!」
ファイの説明に耳を傾けながらも心音は棚の本を興味深く見ていく。
そんな二人を見て、ジンセット書店店主マリク・ジンセットが愉快そうに笑い声を上げ、ファイに声をかける。
「あの子は異世界人だね?…妖精舞踏会の日に本屋に来る奴なんかそうはいないからね」
「まあ、確かに」
誰もが祭りと聞いて足を運ぶのは食べ物屋だ。それを知るファイは同意するように頷いた。
「ファイ!見たことのない本がいっぱいだよ!でも、読めない!あははっ」
「ぷっ……」
本を手に取り困ったような、それでいて楽しそうな心音の笑顔にファイは無意識に表情を緩める。
「ホッホッホ!若いカップルは和みますのぅ」
「か!?恋人じゃねぇよ!」
「そうかね、そうかね」
マリクは笑い声を上げながら、顔を赤くするファイを店の入り口に置いて、棚の本を手に取り読もうと必死の心音に近づいた。
心音が持っていたのは「ファスティアス国の歴史」という本。
その名の通りファスティアス国の歴史書な訳だが、心音にはそれすら読めずがっかりしていた。
「お嬢さん、お名前は?」
「あ、えっと…心音。御加瀬心音です」
「ふむ…ミカセさん。その本を読みたいかい?」
優しく言われ、心音は迷ったすえに素直にコクンと頷いた。
「ではこれは君達との素敵な出逢いへの贈り物にしよう」
「え…」
不思議そうにする心音に、マリクは懐から取り出した眼鏡をスッとかける。
銀の縁の眼鏡のレンズは度が無く、ただの伊達眼鏡かと思っていると、心音の視界が少しぐらりと揺れる。
しかしマリクが「少し辛抱してね」と言い、手を貸した。
やがて立ち眩みのようなものが収まり、心音がマリクを見つめると、彼は心音の手元の本を指で叩いた。
「あ、え?あれ!?」
そこには日本語でファスティアス国の歴史と書かれた題名が見え、心音が驚きの声を上げる。
その声にファイが駆け寄り、彼女の目元にある眼鏡を見て納得したように言った。
「それはかけた相手の脳にある言語を引き出し、そいつに異世界の文字がその引き出した言語に見えるように…つまり読めるようにしてくれる魔法の眼鏡だよ。勿論眼鏡を外したら読めないけど」
「そんなのもあるの!?」
(何か…本当に凄いね、魔法って)
読めるようになり、喜んだのもつかの間。
心音は自分がやはり異世界人で、此処は私がいたせ界ではないんだと…確信した。
「ココネ?」
「あ、えっと…おじいさん!これ、おいくらですか?私コレ買います!」
ファイに名を呼ばれ、話を反らすように心音は眼鏡を取り、本と共にマリクに指し出した。
しかしマリクは首を横に振り、心音に本と眼鏡を押し戻す。
「先程も言いました通り、これは貴女に差し上げますよ」
「え、でも…お高いんじゃ」
困惑するように本とマリクを交互に見る心音に、マリクは可笑しそうに笑いお茶目にウインクしてみせる。
「では、これからもご贔屓にして頂けると嬉しいですな」
「はい、ありがとうございます!絶対また来ますね!」
ぎゅっと本と眼鏡を胸に抱きしめ、心音が強く頷くと、マリクはそんな心音を孫を愛でるように見つめ、頭を優しくポンポンと撫でたのだった。
──ジンセット書店を出た後、端から端まで全部見たい!と言った心音にファイはたくさんのお店を紹介して回った。
パン屋は此処が一番美味い、ここは人気の洋服店だ、宝飾店は此処が人気だなど、ファイが一つ一つ教えるたびに心音は笑顔を見せた。
(…元気、出たな)
それを安心したように見つめたファイは、この祭りに心音を連れて行くように言ったクロムの言葉を思い出す。
『グリフォンと別れてから元気になったとは思うけど、もっとココネには笑って欲しい。だから…ファイ、ココネを妖精舞踏会の祭りに連れてって、楽しませてあげて?』
初めはクロムさんの言うことだから仕方ない。と考えていたファイだったが、今では無邪気に笑う心音に連れてきてよかったと思うのだった。
「ファイ!あっちにも何かあるよ、行ってみようっ!」
「あ、おい!人が多いんだから、走ると危ないぞ!」
人混みに紛れながら駆けていく心音を、仕方ないと呟きながらも笑みを浮かべて追うファイ。
だがそこで何か黒い影が脇道から凄いスピードで心音に向かっていくのがファイの目に入る。
(あれは…今朝の侵入者!?)
黒いマントから出た灰色の髪の人物。それは紛れもなく今朝ファイが追い返した侵入者だった。
それが分かり、ファイは勢いよく駆け出す。
「ココネ!!」
(まさか…奴の狙いはココネだったのか!?)
ファイの声に心音も近づく黒い影に気づき歩みを止めてしまう。
それを好機と取った影は心音と一気に距離を縮めると、彼女を包み込むように大きくマントを広げた。
「くそ!ココネッ!!」
人混みに阻まれ思うように進めないファイが心音の名を叫んだ瞬間。
「っ───」
心音の小さく息を呑む音を最後に、黒い影と心音の姿は一瞬にして消えたのだった。
「うそ、だろ…」
その数秒後、心音の居た場所にたどり着いたファイは、地面に落ちた心音の職業認定証・サファイアに気づくとそれを拾い上げ、キツく握り締めた。
「ッ!!…ココネー!!」
ヒガミヤ街の一角に、ファイの叫び声が響いた。
それは日の落ちる夕方に差し掛かろうとしていた時間帯の出来事だった。───
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!