Ⅷ 育ててくれて…ありがとう
グリフォンを魔法検査した時に使った魔法陣を少し描き変え、迎えるための“門”の準備をクロムとファイは行っていた。
──ファームでは賊の侵入を防ぐため、転移魔法のように他の場所からファームに入るためには此方側…つまりファームの主たるクロムの了承が必要なのだ。
それは異世界から来る者も同様だが、少し違うのは異世界からの場合、魔法陣が必要ということだった。──
「クロムッ!ファイッ!」
ファイとクロムが丁度準備を終えた時、心音が焦ったように家の方から駆けてきた。
「ココネ?どうかし…」
「あの子がっ!…グリフォンがいなくなっちゃったの!」
「「え!?」」
クロムの言葉を遮るように、心音は切羽詰まった様子で荒く息を吐いていた。
「どうしよう…このままじゃ受取の人が!…きっと、私の所為だ……私が、離れたくないなんて言ったから…それが伝わってっ…」
今にも泣き出しそうな心音に、クロムは近付くと顔を覗き込んだ。
「絶対にそんな事はないよ。だから、落ち着いて?ファイと僕も手分けをして探すから…」
「俺、第三エリアの方を見てきます!」
ファイはそれだけ言うと駆けていこうとする。
「待ってぇ!」
しかし、可愛らしい声がそれを止めた。
「ごめんなさい…わたちが連れ出してたの」
皆が一斉に其方を向くと、声の主であるラルが申し訳なさそうにグリフォンの頭の上で縮こまっていた。
「グリフォンっ!」
心音は近づいたグリフォンに抱きつき、安堵したように息を吐いた。
それを見て、グリフォンは心配をかけてしまったことを知り、申し訳なさそうに顔をすり寄せたのだった。
「ラル…いったい何処に?…一言言わないとダメだよ」
心音に続き近寄ったクロムの肩に跳び移ったラルは、ごめんなさいと頭を下げた。
「でも、この子が…心音に渡したい物があるからって。一緒に探してたの~…」
「私に…?」
グリフォンのふわふわな体から顔を上げた心音に、グリフォンは嘴に加えていたものを渡す。
それは綺麗なピンク色をした、手の平サイズの宝石のような石だった。
キラキラと太陽の光が反射して、輝くピンク色の光はまるでグリフォンが魔法を使ったときのようだった。
「コレは…?」
「ファームの中でも一番古い木から取れた琥珀に、その子の魔力を込めた結晶なの!
琥珀は見つけるのが難しいから、わたちが手伝ったの!
……その子の癒やしの魔力が込められているから、一度だけ大きな傷を負ったとき…ココネを助けてくれるはずだよ。
離れていても、私を覚えていて欲しい…アナタの助けになりたい…って、その子が想いを込めたんだよ?」
ラルの話に、心音は宝石を持った手を胸の前で握りしめた。
そこからはまるでグリフォンの体温のように温かな温もりが伝わり、心音は必死に流れ出ようとする涙を堪える。
「忘れない…忘れたりしないっ。……ありがとう、グリフォン」
心音は顔を上げると、精一杯、今笑えるだけの満面の笑みを浮かべ、グリフォンを見つめた。
そしてグリフォンもまた、瞳を潤ませながらも笑ったように…心音には見えたのだった。
──「“陣に命ず、汝に書かれし古の言葉に従い、此処にゲートを開け。
我は五つの鍵を持ち、六つの扉を統べる者…名をクロム ”」
クロムがしゃがみ込み、陣に手を触れる。
するとそこから水色の光が陣の線に添って広がり、中心部が激しく光る。
「“繋ぐは異世界…《ツクオティーラ サイカス国》!!”」
大きな声で、クロムが唱えを終える。
すると激しく光っていた中心部に、光の扉が現れ、それは音もなく開いた。
「わっ!?」
「きゃっ!?…あ」
「ぐえっ…!」
すると投げ出されるように中から現れたのは二人。
一人は顔面から地面に突っ込んでやってきた金髪の青年。
もう一人はその青年の上に乗るようにして着地した銀髪の少女だった。
「…大丈夫?」
「あはは…みっともなく登場してしまい、申し訳ない」
「シュウはいつもカッコ悪いわよ…」
「グサッとくるようなことを言わないでください…セスカ」
クロムに声をかけられ、シュウと呼ばれた青年はセスカという少女が背から降りてから土を払い立ち上がった。
「改めまして。私はサイカス国王家に仕える執事のシュウ・ミツキと申します」
金髪碧眼の彼は自己紹介にあるとおり、所謂執事服なるものを着ていた。
「私は…セスカ・リステシアと申します」
セスカはというと、彼女の銀髪と青い瞳に似合う水色の膝下丈の布に白いレースの装飾が施されたワンピースを着ていた。
(魔法ってスゴいなぁ…本当に人が現れちゃった)
礼儀正しく腰を折るそんな二人に、心音が驚いている間にクロム、ファイの順番で挨拶を交わしていた。
「貴女は?」
「は、はい!…御加瀬心音です!」
「ココネさん…よろしく」
(えっと…)
愛想良く差し出された手に心音が戸惑っていると、隣にいたセスカがシュウの背を叩く。
「女性に対して気安くスキンシップを求めるな!」
「痛いですよ、師匠!」
(…どういう関係?)
二人の漫才のようなやり取りに、一抹の不安を抱えながらも、クロムに背を押され、心音はグリフォンを二人に紹介する。
「あの…この子です」
スッと前に行くように心音が手を動かすと、後ろに控えていたグリフォンが進み出る。
その凛々しくも愛らしいピンク色のグリフォンに、二人は驚きのあまり目を見開いたまま固まってしまった。
「これは…グリフォンですか!私共の世界ではとても珍しいので、驚きましたが…とても良く育てられていますね」
「ええ、とても綺麗な子…触っても?」
「あ、はいっ…」
銀髪でお人形のように綺麗な子に、心音は見惚れそうになり慌てて頷く。
それを受け、セスカはグリフォンに近付くとゆっくりと下から手を出した。
その手つきは猫を怯えさせないようにする時の動作に似ていて、動物と触れ合うのに馴れているように心音には見えた。
「本当に…素敵な子ね。…愛情を込めて育てられたのですね」
「ピルル…」
首を優しく撫でられ、グリフォンは気持ちよさそうに目を細めセスカにすり寄った。
「おお!流石セスカですね!…それにしても……とても美しいですね、お嬢さん」
「ピイ…?」
「シュウ…アンタは性別が女性なら動物でもお構いなしなの?」
セスカに続き、シュウもグリフォンを撫でる。けれどグリフォンは嫌がることなくそれを受け入れていた。
その一部始終を見ていた心音は、セスカやシュウになら安心して任せられるという想いと…自分から離れてしまったグリフォンに寂しさを感じていた。
「あのっ!」
「?…何でしょうココネさん」
声を掛けられ、シュウはホストのような営業スマイルを浮かべると、スッとココネの両手を握った。
一瞬驚くも、それに構うことなく、心音は一番聞きたかったことを口にした。
「召喚獣は世界によって、戦いの為に使われると聞きました。…あなた方は…その子を戦いに使おうと考えていますか?」
「ココネ…!?」
ファイが焦ったように声を上げる。
それは心音の質問が、買い手であるセスカとシュウの事情に干渉してしまうものだったからだ。
買った後は、その人の自由。そんな…商売では当たり前にある暗黙の了解のようなことを、心音は聞いているのだ。
ファイが焦るのも無理なかった。
だが心音は、ただまっすぐにシュウの瞳を見つめていた。
「もし…そうだと言ったら、貴女はこのグリフォンを売らないということですか?」
シュウは心音の強い意志に、手を放して真剣に問いかけた。
それを心音は、一瞬だけグリフォンの方に視線を向いたが、すぐにシュウを見上げた。
「いいえ。あの子はあなた達に渡すために私がクロム達に手伝ってもらいながらも、大切に育てた子です…だからあなた方に渡します。
けれどもし、戦場に行かなければならない世界だったら…私はただ真実を知っておきたい。…何も知らずにあの子を戦場にやるということが…嫌だから!後悔したくないんです!」
「…っ」
心音の勢いに誰もが息を飲む。
けれど彼女は長い黒髪を風に揺らしながらも、シュウから目を反らすことはなかった。
「ふふ…シュウの好きなタイプね、ココネさんは」
「へ…?」
セスカの微笑みに、心音が首を傾げた瞬間──
「貴女の熱意…伝わりましたっ!!
ご安心を!私達は確かに争いごとや魔法のある世界の者です。
けれど今回ファームを訪れたのは、後方支援…つまり怪我人を癒やすための召喚獣を求めてきたのです!
ですので…貴女のお子様は、私の命にかけて守りましょう!!」
ガシッと心音に両手を握りしめ、シュウは頬を赤らめて心音に顔を近づけた。
「あ、ありがとうございます!」
そんな事よりも、シュウのその言葉が聞けて嬉しかった心音は手を握り返し頭を下げた。
「いや、安心だって言ってるのになんで守るんだよ…しかもお子様ってグリフォンはココネの子供じゃねえだろ…。ていうか!」
そこへ文句を言いながらファイが、心音とシュウの間に割って入る。
「離れろよ。言っとくが、こいつは商品じゃないからな」
きょとんとする心音を自分の背に隠し、ギロッと睨んだファイを見下ろしながら、シュウは挑戦的な瞳を向けた。
「そうですね…手に入れるためならそれも良いかもしれません」
「なっ!」
(こいつ…!ココネを金で買おうってことか!?)
心音を物扱いしているような台詞に憤慨し、殴りかかろうとするファイに、意地悪く微笑むシュウ。
しかしそんな二人に、セスカが凛とした声を響かせた。
「いい加減にしなさい、シュウ。悪ふざけが過ぎます」
「申し訳ない…セスカ」
すると態度が一変し、シュウは恭しくセスカに向け腰を折った。
…が、顔を上げると悪びれた様子もなく、シュウはファイに顔を向けた。
「ですが…あまりにも彼が可愛かったものですから」
「はぁ!?」
黒い微笑み。そんな言葉が似合う笑みを向けられ、ファイはさらに怒りを募らせる。
だがファイの掴みかかろうとした手を、クロムが制した。
「ファイ。お客さんに、手をあげることは許されないよ」
「!…クロム、さん」
クロムの言葉に叱られた子供のように後ろにさがったファイは、クロムの次の言葉に再度強気な表情を浮かべることになる。
「だけど…たとえお客様でも、悪ふざけだったとしても、ココネを侮辱するような言葉は控えて頂きたい。それから彼女は渡しません。ココネは…此処で一緒に働く仲間なので」
(クロム、ファイっ…私のこと、仲間って…そう、思ってくれてたんだ!)
「……。」
クロムの言葉に、心音は嬉しそうに笑っていた。
それを見てしまってはと、黙り込んでしまったシュウに代わり、セスカが口を開いた。
「申し訳ありません。シュウの代わりに、謝らせていただきます。
ですが…ココネさん、貴女はとても良い所で働いていらっしゃいますね」
「っ…はい!」
此処にこれて良かった。此処で働き、クロムとファイに出会えてよかった。
そんな想いを込めて、心音は強く頷いた。
その頷きに、クロムとファイは照れたように笑みを浮かべていた。
「では約束通り。…報酬を、ココネさん。受け取ってくださいますか?」
「え…私が、ですか?」
(いい、のかな…私で)
不安そうにクロムに視線を移した心音に、彼は小さくもしっかりと頷いた。
それを見たセスカが心音の手を取り、金貨の入った袋をその上に乗せた。
「グリフォンを育てて下さった貴女に、お礼を込めて。」
「ありがとう、ございます…」
ニコリと上品に笑うセスカに、心音は言いようのない不思議な気分抱いた。
(これで…仕事は成功なんだよね?……これが、働くということだよね?)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
けれど一度グリフォンと目が合うと、何故か罪悪感にも似た感情が胸にこみ上げ、心音は胸に手を添えた。
「……。ココネさん」
「…は、はいっ!?」
「“契約の儀”を手伝って下さいませんか?」
「契約の儀…?」
「クロムさん、よろしいでしょうか?」
「構いません」
戸惑う心音に、クロムの了承をもらったセスカは穏やかに微笑み心音を見上げた。
「貴女が育てたこの子を、私の契約召喚獣にするための儀式です。本来ならば私自らが『名』を与えるのですが…ココネさん、私は貴女につけてもらいたいのです」
「私が…」
「ピイィ!」
そこでグリフォンが心音に近寄り、期待に満ちた眼差しを向けた。
その藍色の瞳には今にも泣き出しそうな自分の顔が映り、心音は慌てて目元を拭った。
そして一つ頷くと、顔を上げた。
「私がつけていいのなら…お願いします!」
「ええ、もちろん!」
フワッとした微笑みを浮かべたセスカは、手を地に平行するように前に出すと呪文を唱え始めた。
「“我が問いかけに答え、魔の陣を此処に現せ”」
その瞬間セスカの足元から、丸くピンク色の陣が広がった。
陣が一定まで広がり止まると、シュウに陣の中に入るよう促され、心音とグリフォンはゆっくりと足を踏み入れた。
「“契約の儀に従い、此処に召喚契約を行う。主になりし我が名はセスカ・リステシア…我と契約せし者はグリフォン”」
セスカの声に反応するように、陣の光がセスカとグリフォンに纏う。
心音がそれを驚いたように見つめていると、陣の外からクロムの声が届く。
「ココネ!次の詠昌に名を言って!」
「は、はいっ!」
「“契約せし彼の者に名を与える、汝の名は…”」
(今だよね!)
心音はスッと短く息を吸う。
(前から考えてた。…もし、名前を付けられるなら…これにしようって!)
「“…サクラ!”」
───パァンッ!!
心音が声を上げた瞬間、陣の魔力がグリフォンに契約の印を与えた。
それは目に見えないものだったが、確かに陣の光はグリフォンを包み込み弾け、体の奥深くに魔法を残したのだった。
「“我々は此処に契約を結び、違えぬことを誓おう”」
セスカがそう言い終えた途端、魔法陣は消え、誰もがホッとしたように息を吐いた。
「ありがとう、ココネさん。良い名をくれて。サクラを…大切にするわ。」
「よろしく…お願いします!」
「ええ、約束するわ」
セスカが差し出した手に、心音は快く自分の手を重ね、固く握りしめたのだった。
「だけど一つ。…ココネさん、サクラを私に売ったと思わないで」
「え…」
「この子は私が貴女に託された大切な子。決して売られた訳ではなく、私が預かることになったと…思って下さい」
(サクラは…預ける。…セスカさんに、託す……)
そう思うようにした途端、心音は心の中から重苦しかったものが消えたように感じた。
(そっか…私はグリフォンを“売る”ということを、酷いことをしていると思ってたんだ。
大事に育てたからこそ、自分の大切なものをお金と交換しているんだって…罪悪感を持ってたのかも知れない…)
それを見抜いたであろうセスカに、心音は苦笑を浮かべた。
「ありがとう…セスカさん。」
「いいえ…大切な何かと離ればなれになるのは、誰しも辛いことです。
それを乗り越えられる強さを、貴女は持っていると私は思います」
少女のような容姿とは裏腹に、大人びたセスカならば安心できる。そう思った心音はもう一度握手を交わした。
「セスカ!…そろそろ私達の世界のゲートが閉じてしまいます!急ぎ、魔法陣へ!」
「え!?…行きましょう、サクラ!」
シュウの焦る声に心音たちが振り向けば、クロムとファイが既に新たな陣の用意をし、扉を出現させていた。
契約に思ったよりも時間をかけてしまい、時間の計算が狂ってしまったようだった。
「ピイィ…」
けれど走るセスカと心音の後を追うように駆けていたサクラが、陣の前に来ると歩みを止めてしまう。
「何をしているんだ!?ゲートがもう…!」
「サクラ…?」
陣の扉に手をかけたシュウと駆け込んだセスカが、サクラを見る。
けれどサクラは顔を俯かせたまま、一歩も動こうとはしなかった。
徐々に魔法陣の光が強まり、まるで扉の閉まる時間を知らせているようだった。
「行って!!」
「ピイ!?」
その時、心音がサクラの後ろに周り、力一杯押し始めた。
けれど心音の力では、彼女の数倍も体重のあるグリフォンはピクリとも動かなかった。
「セスカさんと一緒に行って!…アナタは…違う世界で、私の傷を治してくれた時みたいに、多くの人を救って!!」
「ピイ…ッ」
「行ってッ!!!」
心音は意を決すると、サクラの後ろ足を強く叩く。
それに驚き、サクラは陣へと足を踏み入れる。
自分が陣の中に入ってしまったことに気づき、サクラは後ろを振り返ると瞳を揺らし心音だけを見つめた。
「頑張って、ね!…ッ最初に出会ったのが…アナタで良かった!元気でね!」
涙をポロポロと流し、ぐしゃぐしゃになった顔で無理に笑い、心音はサクラを見つめていた。
「ピ───」
「もう、ゲートが限界です!!飛び込んで、セスカ!サクラ!」
シュウの声に、セスカは何か言いたげにしていたサクラに抱きつく。
それを合図に、シュウはセスカとサクラをゲートに押し込むように風の魔法を使った。
───ビュウウゥ!!
凄まじい風が起こり、クロムとファイが心音に素早く近付くと、飛ばぬよう三人で固まる。
しかしその時、心音の頭に…風の音ではない声が届いた。
《育ててくれて…ありがとう。私も、アナタが…母で良かった!》
「っ──!!」
聞き間違いだったかもしれない。
そう思うものの、心音にははっきりとその声が聞こえた。
「さようなら、サクラ…っ…私の方こそ…ありがとう!!」
跡形もなく消えた場所に向かい、心音は有りっ丈の声で叫んだ。
サクラの声であろう言葉への、返事として。───
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
話数が増え、矛盾点や誤字脱字などを見つけたさいには、お知らせ頂けると幸いです。




